第141話
巨大カニを討伐した俺たちは、洞窟をさらに進む。
緩やかな上り坂の道は、ところどころ蛇行しながら先へと続いていく。
「でも先生、思うんですけど」
「ん、なんだイリス?」
「サハギン……でしたっけ、あの半魚人。あいつらって多分、この洞窟の中に入ってませんよね? 先にここに入って前を進んでいるんだとしたら、さっきのカニが倒されているはずですし……」
「まあ、おそらくはそうだろうな」
俺はイリスの疑問に、そう答える。
サハギンがジャイアントクラブを手懐ける手段を持っていたとか、やつらが通った時はたまたま遭遇しなかったとか、そうでない可能性もいろいろと考えうるが。
まあでも十中八九、サハギンどもはここを通っていないだろう。
通っていたなら、もう少し何らかの痕跡が見つけられるはずだ。
イリスは俺の隣を歩きながら、口元に手を当てつつ考える仕草を見せる。
「でもだとしたら、この奥に行ってもサハギンには出遭えませんよね……? 私もここを冒険してみたいと言っておいてアレなんですけど、私たちの目的から考えて、それでいいのかなって、ちょっと思って……はわっ!」
俺はイリスの頭をなでた。
イリスがびくーんと跳ねあがる。
「いい視点だ、イリス。そういう見方は大事だぞ」
「はうぅぅぅっ……先生にまた褒められた……」
ぷしゅーっ、ぷしゅーっと顔から湯気を吹くイリス。
例によってとても可愛い。
「でもな、イリス。この道を通っていなかったからといって、この奥にサハギンがいないとは限らないぞ」
「???」
「──だろ、マリーナ?」
俺がそう声をかけると、ずんずんと前を進んでいたマリーナが、にひっと笑って振り向いてくる。
「さすがブレットさん、海の民じゃないのに、そこに気付いてるとはね。──この島、全周囲を岩山に覆われているんだけど、船を入れられるだけの大きさを持った海食洞は、あたいらが入ってきたところ以外にもいくつもありそうだった。たまたま最初に入ったところがビンゴだったけど、それがたまたまビンゴだったんじゃなく、そもそも入り口が何ヶ所もあるんだったとしたら──」
「でも、なんでそんなこと。宝を隠すだけだったら、入り口をいくつも作る必要なくない?」
リオが口をはさむ。
まあ、まっとうな意見ではあるな。
だがマリーナは、立てた人差し指をチッチッチッと振る。
「ゲームなんだよ。伝説の海賊・キャプテンミスリルってのはそういうやつさ。ほかにもキャプテンミスリルが宝を隠した島はいくつか見つかってるんだけど、どれも複数の海賊団が競い合うような仕掛けが施されていてね。海賊同士で、血で血を洗う大乱闘が起こるってわけよ」
「うひぇーっ……マリーナ姉ちゃん、それマジで?」
「うん、マジで。それがあたいら海賊の、醍醐味でもあるってわけさ」
「……酔狂。……血で血を洗う大乱闘が醍醐味だとか、まったく理解できない」
メイファが珍しく、顔をしかめて首を横に振る。
それを聞いたマリーナは、「はっはっ、お子ちゃまにはまだわかんないか~」と言って、カラカラと笑っていた。
年齢の問題ではないと思う、というツッコミは、おそらくマリーナ以外の全員が心の中でしていたことと思う。
そんな話をしながら進んでいると、俺たちはやがて、第二の開けた場所へと出た。
そこは広大な空洞だった。
ざあざあと水の流れる音が反響している。
地面は少し行ったところで崖となって途絶えていて、そこから先は吊り橋が伸びている。
吊り橋は太いロープと木の板で組まれた粗末なもので、だいぶ遠くの向こう岸へと続いていた。
反響する水の音はどこから聞こえてくるのか思えば、橋の下、かなりの高さの崖を下ったところに、それなりの水量の川が流れているのが見えた。
「ここから落ちたら、勇者でも危なそうですね……」
アーニャが崖下を覗き込みながら、ごくりと唾を飲む。
確かに少しゾッとするような高さだし、川もかなりの急流に見える。
ここから落ちたら、勇者でも無事で済むかどうかは、かなりあやしい。
「先生、こちらに石碑があります。読み上げますか?」
そう言うのはイリスだ。
彼女の前、橋の手前のすぐ横には、背の低い石の台座があった。
「ああ、頼む。読み上げてくれ、イリス」
「分かりました。えぇっと……『勇者学院の教師にして、我らが神であらせられるところのブレット様は、世界一カッコ良くて誰にも負けない最強の勇者である』……とあります!」
キリッ!
イリスは決め顔で俺の方を見て、そう言った。
…………。
俺は自分の眉間を指先でつまみつつ、教え子の次女に向かって言う。
「……あー、イリス」
「はっ、はひっ!」
「メイファの真似して、無理にボケなくていいぞ」
「ふぇええええっ……!?」
イリスが茹でダコみたいに真っ赤になった。
俺もちょっとだけ恥ずかしいので、せめて今回限りでやめてほしい。
「リオ、代わりに読みあげてくれるか?」
「あいよ、兄ちゃん。んーっと──『この橋、静かに渡れ。慌てる者は真っ逆さま』だってさ」
イリスの後ろから石碑を覗き込んだリオが、そう伝えてくる。
リオはイリスとは違って、ちゃんと読んでくれたようだ。
この橋、静かに渡れ。
慌てる者は真っ逆さま──か。
まあこれは、変に穿った見方をせずに、文字通りの意味と受け取るべきだろう。
だが……。
一方でマリーナは、橋のロープを引っ張ったり、足場の木の板を軽く踏んだりして強度を確認していた。
「橋の頑丈さは、まあ大丈夫っぽいね。何か仕掛けがされていなければ、だけど」
「ま、何も仕掛けがされてないってことはないだろうけどな」
「そりゃあそうさね」
マリーナはそう言って、にひっと笑う。
ともあれ、そこまで調べてしまえば、もうあとは渡るだけだ。
全員で渡るか、一人ずつ渡るか。
あるいは一人ずつ渡るなら、誰から渡るか。
「んじゃあ、まずあたいが行ってくるよ。度胸試しならあたいの十八番さ」
そう言って海賊娘が、自分の胸をトンと叩いた。
俺はマリーナに確認をする。
「マリーナ、どうやって渡るつもりか聞いてもいいか?」
「ん……? どうやってって、『静かに渡れ』って書いてあるんだから、そのまんまさね。そこを変にこねくり回すのは違うっしょ」
「そこは同意なんだが……いや、ここは俺が最初に行こう」
「お……? さすがブレットさん、男を見せるね。あたいもっと惚れちまうかも?」
「そういうわけでもないんだが……」
俺は苦笑しつつ、橋の前に立った。
そしてまず一歩、静かに橋の上に足を踏み出す。
橋は少しぐらりと揺れたが、それだけだ。
俺はさらに、一歩、二歩とゆっくり歩みを進めていく。
しばらくは橋が少し揺れるばかりで、特に何事もなし。
いざというときのために、風属性魔法の【羽毛落下】をいつでも使えるように意識しておく。
これは落下速度をゆっくりにする魔法で、緊急的な使用が可能だ。
うちのメンバーだと、今のところは俺と、風属性が得意なメイファにしか使えない。
「兄ちゃん、頑張れーっ!」
「先生、落ち着いてくださいね」
「……お兄さん、ふぁいっとー」
背中に教え子たちの声援を受けながら、俺はゆっくり静かに橋を進んでいく。
やがて長い吊り橋の半分ほどまで来た。
ここまで来たのと同じだけ進めば、向こう岸までたどり着く。
俺はそこで一つ、静かに息を吐く。
もし橋から落下したら、【羽毛落下】を使って落下ダメージは防げたとしても、崖の上まで戻ってくるのは一苦労だろう。
このまま問題なく渡り切れるに越したことはない。
そう思って、さらに先に進もうとした、そのとき──
「──シギャアアアアアアッ!」
俺の前方の上空に突然、巨大な怪鳥が一羽、大きな鳴き声を上げつつ姿を現した。
年かさのドラゴンにも匹敵するほどの、巨大な姿を持った怪鳥だ。
広大な広間だが、あんなものが隠れ潜んでいられる場所はなかったはずだ。
「「「「「なっ……!?」」」」」
背後から、驚きの声が聞こえてくる。
だが一方で俺は──
「──そう来たか。ま、何か来るだろうとは思っていたよ」
吊り橋の真ん中で、悠然と構えた。
その俺に向かって、怪鳥はバサッバサッと大きく羽ばたいてから、鋭い爪を剥き出しにして襲い掛かってくる。
だが風も起きないし、跳ね橋も揺れない。
「シギャアアアアアッ!」
「「ブレットさん!!」」
「危ねぇ! 兄ちゃん、よけて!」
「でもあそこで戦闘をしたら、橋が……! 先生!」
「……ううん、違う、あれは」
マリーナ、アーニャ、それに教え子たちの慌てる声。
だがメイファだけは気付いたようだ。
メイファは合格っと。
怪鳥が俺に向かって、その巨大で鋭いかぎ爪を振り下ろしてくる。
その破壊力は、家の一つもゆうに破壊できるだろうと想像できるものだ。
──ただし、それが本物であったなら、だ。
俺が微動だにしないでその場に突っ立っていると、怪鳥の巨大なかぎ爪は、俺の体を素通りした。
そればかりか、怪鳥そのものも、スッと姿を消した。
「「「「えっ……?」」」」
背後から、驚きの声が聞こえてくる。
俺は静かに後ろへと振り向く。
「メイファ、解説は頼んだ」
俺がそう言うと、メイファはこくんとうなずく。
「……あの鳥が羽ばたいても、風が起きなかったし、橋も揺れなかった。……だから今のは、幻影。……たしか光属性魔法に、そんなのがあったはず。……ん、違うか。鳴き声もあったから、光属性と風属性の合成魔法……?」
「そ、そうか。高度な条件発動で仕掛けられた、【幻覚】の魔法……」
「正解だ、イリス。──リオも分かったか?」
「えーっと……えへへ、なんとなく」
イリスも理解したようだったが、リオは笑ってごまかした。
リオは座学や魔法方面は、ほか二人と比べると苦手分野なんだよなぁ。
ともあれ、その後は何事もなく、俺は吊り橋を渡り切った。
俺に続いてほかの面々も渡ったが、以後は幻覚の怪鳥が襲いかかることはなかった。
ちなみに、渡り切った先の橋の仕掛けを見ても、特にこれといって物理的なトラップが仕掛けられている様子は見つけられなかった。
こちらも魔法的な仕掛け──例えば、橋の上である程度以上バタついた動作を見せると条件発動して橋を燃やしてしまうとか──が仕掛けられているのかもしれないが、わざわざ試してみようという気にはならなかった。
「それにしても、さすがっすね、ブレットさん……。あたいだったら、あんなのが襲ってきたら橋の上でドタバタやってたっすわ……」
「それにこんな場所でも、授業をしてしまうんですね。勇者学院の先生がこんなにすごいなんて思っていませんでした……」
橋を渡り切ったマリーナとアーニャが、感嘆した様子を見せる。
まあ勇者学院の教師といっても、こんな授業の仕方をするのは俺ぐらいかもしれないけどな。
そうして橋を渡って向こう岸についた俺たちは、さらにその先の洞窟へと進んでいく。




