第138話
リオを捕まえた巨大触手は、しゅるしゅると巻きついていくと、そのままリオの全身をぎりぎりと締め上げはじめた。
「ぐぅっ……あ、んっ……く、苦し……い……! 兄、ちゃん……!」
全身にタコ墨を浴びたねちょねちょ状態で触手に締め上げられ、苦悶の声をあげるリオ。
リオぐらいのパワーがあれば自力で脱出できないこともないと思うのだが、慌てているせいもあってか、なかなかうまくいかないようだった。
まあ防具の防御力もあるし、リオ自身のタフネスもあるし、ジャイアントオクトパスの攻撃力もそこまでじゃない。
骨が折られるとか、そういう類の大ダメージをすぐに受けることもないはずだが──
でも引率の先生としては、助けてやらないといけないよな。
独断先行したことに関するお灸は別途、あとで据えてやればいいだろう。
「しょうがない──少し待ってろ、リオ」
俺はジャイアントオクトパスと交戦距離に入ると、リオと同じように巨大触手の攻撃を次々と回避しながら、墨吐き攻撃にも注意しつつ間合いに踏み込んでいく。
そして水面を蹴って高く跳躍、リオを捕らえている巨大触手を攻撃範囲に捉えると、剣に闘気を流し込み──
「──【月光剣】!」
──キィンッ!
闘気の残光を残した俺の斬撃が、リオを捕まえていた巨大触手の根元を、真一文字に切断した。
触手に捕らえられていたリオは、力を失った触手からするりと抜け落ちて落下。
俺はそれを追いかけ、空中で触手の残骸を蹴って素早くリオの落下地点に滑り込み、落ちてきたリオの体をどうにか抱きとめる。
「あ、ありがとう、兄ちゃん……でも、オレ……」
「リオさん、あなたにはあとでお話があります」
「他人行儀!? 待って兄ちゃんそれ一番こたえる! ごめんなさい! でも違うんだよ、オレ、兄ちゃんに強くなったところ見てもらいたくて、ちょうどいい敵だと思ったから、それで──」
「分かった分かった。言い訳はあとで、説教部屋で聞くよ──っと、危ねぇ」
さらに襲い掛かってくる巨大触手の攻撃を、俺はリオを抱えたまま船のほうに向かって大きくジャンプしてかわす。
そして触手の攻撃射程から離れたところで、【浄化の水】の魔法を使って、リオが全身に浴びた墨を綺麗に洗い流してやった。
リオは水浴びをした犬のようにぶるぶると全身を振って、水気を払う。
アイドル衣装型の防具はいまだにしっとりと濡れてリオの体に張り付いているが、一応、全体的には綺麗になった感じだ。
「説教はあとだ、リオ。まずはあいつを倒すぞ。今度こそ勇み足を踏むなよ」
「う、うん、兄ちゃん! 今度こそちゃんとやるから……!」
俺とリオは、並んで剣を構える。
そこに向かって、ジャイアントオクトパスの巨体が、ざあざあと波をかき分けて接近してきた。
背後にはマリーナの海賊船がある。
これ以上接近されると、船が損害を負いかねない。
その前にちゃちゃっと退治しないとな。
「いくぞ、リオ」
「うん、兄ちゃん!」
二人でぐっと体のバネを溜め、飛び出そうとするが──
「……ちょっと待って、二人とも。その前に、一発撃たせて。……右手から【炎の矢】、左手からも【炎の矢】、結合──【不死鳥の矢】!」
背後から眠たそうな声が聞こえたかと思うと、俺とリオの間を一羽の火の鳥が駆け抜けていった。
それは迫りくるジャイアントオクトパスの本体に直撃、その全身を炎上させる。
メイファによる援護攻撃だ。
なお、たいていのモンスターなら一撃必殺の【不死鳥の矢】だが、相手が相手ゆえに、さすがにそうもいかない。
しかし着実に大ダメージは与えたし、一瞬の怯みも見せた。
俺はそのタイミングで、再びジャイアントオクトパスの間合いに踏み込んでいく。
同時にリオも動いていた。
少女が水の上を疾走する速度は、俺とほぼ互角──滑空飛行する海鳥のそれよりもはるかに速い。
俺は左手側から、リオは右手側からという、同時での接近。
俺とリオの動きに気付いたジャイアントオクトパスが、慌てて巨大触手を振り回してくる。
だが二人を相手にした攻撃は精彩を欠き、そもそも命中する攻撃でなかったり、どうにか当たるはずの攻撃も俺とリオは軽々と回避していく。
さらにジャイアントオクトパスは、リオ目掛けてその口から墨を吐くのだが──
「バーカ、二度も同じ手を食うかよっ!」
リオは相手の攻撃動作開始の段階から動きを見切って走り抜け、広範囲に撒かれた墨攻撃を余裕で回避する。
そして──
「「──【月光剣】!」」
ズバシュッ!
触手の攻撃をかいくぐって本体に接近した俺とリオが、左右から同時に攻撃を放つ。
闘気の青い光をまとった二つの斬撃は、ジャイアントオクトパスの胴体を深々と切断した。
切断部の内側から、巨大タコの青い血液がじわりと染み出していく。
だが何しろ巨大だし、急所らしい急所が見当たらないモンスターだ。
ちょっとやそっと斬ったぐらいじゃ、そうやすやすと致命傷には至らない。
「行きます──【ダブルショット】!」
「……もう一発、【不死鳥の矢】!」
さらにイリス、メイファの追撃。
強力な攻撃が次々と命中していけば、さしもの巨大モンスターも苦しみ始める。
巨大触手がのたうち回る。
その近くにいる俺とリオは、迫りくる何本もの触手の動きを的確に見切って回避する。
「もう一発行くぞ、リオ」
「あいよ、兄ちゃん!」
「「──【疾風剣】!」」
──ズババババッ!
今度は二人で大きく跳躍して、落下しながらの連続斬撃。
こちらは一撃あたりの威力は低めで、ジャイアントオクトパスの表皮も意外と分厚くて、これまたなかなか決定打を与えられない。
ちなみに一撃あたりの威力は、リオのそれより俺のほうがかなり深い。
リオはドワーフの名工ガルドンの剣を使っているとはいえ、俺の剣だって業物だし、何よりパワーで言えば俺のほうがまだだいぶ上だ。
『ちぇっ、やっぱ兄ちゃんのほうが強いかぁ……』
『当たり前だ。だからそう簡単に俺を超えようとするな』
『だって早く追いつかないと、兄ちゃんオレたちのこと、パートナーとして見てくれないじゃん』
『そりゃあ、お前……教え子だから、完全に対等の相棒ってわけにはいかないだろ。でもお前たちのことは、頼りにしてるさ』
『ホントかなぁ……。なーんか兄ちゃん、オレたちのこといつも子供扱いしてさ』
『それも実際に十歳近く年下なんだからしょうがないだろ』
『……オレたちのこと、ときどきエッチな目で見てるくせに』
『……っ!』
『兄ちゃんのエッチー、スケベー、ロリコン。あーあー、兄ちゃんってオレたちの体にしか興味ないんだー』
『えっ、いや……ちょっ、待っ……そういう、わけじゃ……てか、そうじゃなくて……』
『あはははっ。冗談だよ、兄ちゃん。それより、さっさとこいつ倒しちまおうぜ』
『……お、おう。そうだな』
この勇者特有の思念対話の時間、およそ一秒。
落下しながら二人で【疾風剣】を放って着地、もとい着水するまでの間である。
だがその間に俺は、よくない汗をだらだらとかいていた。
リオの言う「冗談」というのは、一体どこからどこまでが冗談だったのか。
ひょっとして俺はすでに死に体で、教え子たちの気まぐれで生かされているだけの虜囚にすぎないのではないか。
真っ暗闇の中で、巨大な三人の教え子たちに玩具のように遊ばれている自分の姿が思い浮かんでしまい、ぶんぶんと首を横に振る。
ははっ……考えすぎだな。
──その後、俺たちは四人での総攻撃を連続して叩き込み、やがてはジャイアントオクトパスの退治に成功した。
そうしてモンスター退治を終えて海賊船に戻ると──
船長のマリーナが魂の抜けたような半笑いで、「ハハハ……海の悪魔って、倒せるものなのね……」などと呆然とした様子でつぶやいていたのだった。
なおこの後、海賊船の独房を借りてリオには懇々と説教をしたのだが、エッチな目で見ていた問題のせいで、もうひとつ締まらなかった。
「兄ちゃん……オレ、お仕置きされるの……?」とか頬を染めて潤んだ目で言われると、説教のリズムが狂うのである。
この件から俺は、「教え子をエッチな目で見てはいけない」という、当たり前すぎて教師仲間の誰にも言えない教訓を得たのであった。




