第131話
やや強めの「残酷な描写」がありますのでご注意ください。
海岸都市シーフィードを出て、アーニャに連れられて移動することしばらく。
夕刻を過ぎ、そろそろ暗くなり始めた頃になって、俺たちはアーニャが住んでいた村へとたどり着いた。
浜辺にある小さな村だ。
素朴な木造住居が三十軒ほど立ち並んでいるので、村の人口は本来ならば百人を少し超えるぐらいであろう。
しかし今は、村は閑散としていて、人の気配がなかった。
家の外に人の姿がないばかりでなく、家屋から漏れる生活の灯りや、夕食の支度をする煙突の煙も見当たらない。
その様子を見たアーニャはわずかな焦りの表情を浮かべたが、すぐに悪い想像を振り捨てるように首を振って、俺たちに向かって伝えてくる。
「少し離れた場所に、村人が緊急避難するときに使う洞窟があります。魚人どもから姿を隠すためにそこに逃げて、まだ戻ってきていないのかも」
気丈にふるまう褐色肌の少女は、踵を返して早足で歩いていく。
俺たちもそのあとを追った。
アーニャに続いて森林の中を進んでいくことしばらく。
やがて断崖にぽっかりと穴をあけた洞窟の前にたどり着いた。
洞窟に向かって注意深く近付いていくと、目的の洞窟の奥から、一人の男が姿を現した。
男はアーニャに向かって声をかける。
「アーニャ! 無事だったのか、よかった」
「セルゲイさん! この人たちに助けてもらったの。それより村のみんなは、それにお師匠は」
「中で話そう。お客人も、どうぞ洞窟の中へ」
現れた男は、アーニャが住む村の村人なのだろう。
アーニャと俺たちを、洞窟の中へと誘導していく。
洞窟を奥へと進んでいくと、やがて松明の灯りで照らされた大広間にたどり着いた。
大広間の奥には、さらに先へと進むトンネルがいくつかある。
大広間には三十人ほどの人々がいて、アーニャの姿を認めるとみんな喜びの歓声をあげた。
そんな人々の中に一人、筋骨隆々としていて大柄の、片腕の男がいた。
その片腕は、最近斬り落とされた傷口を治癒魔法でふさいだという様子だ。
アーニャはその姿を認めると、瞳いっぱいに涙をため、駆け寄っていって抱きついた。
「お師匠……! 良かった……お師匠が死んでしまったかと思って、私……!」
「アーニャこそ、無事でよかった。ずっと心配していた」
「魚人たちに追われていたところを、あの人たちに助けてもらったんです。全員が勇者なんです」
「全員が、勇者……? あの子供たちも含めて、六人とも全員が?」
アーニャが「お師匠」と呼ぶ片腕の男は、信じられないという顔で俺たちのことを見てくる。
それから目を凝らし、俺たちのことをじっと見て、さらなる驚きの表情を浮かべた。
勇者の力を見る「目」が確かなんだろう。
俺やセシリア、それにリオ、イリス、メイファの実力を大雑把にでも見抜けば、驚くのも無理はない。
ちなみに比較対象が異常なので目立たないが、アルマだって熟練の魔王ハンターと互角程度か、それ以上の力は持っている。
俺は驚いている片腕の男のもとに歩み寄って、手を差し出す。
「ブレットです。勇者学院の教師をしていて、過去には魔王ハンターの経験もあります。ちょうど海岸都市シーフィードに海水浴に来ていたところに、サハギンどもに追われて倒れていたアーニャに遭遇しまして」
「エドアルトだ。勇者ブレット、キミたちにはなんと礼を言えば良いか。アーニャの命の恩人だ、本当にありがとう。何か心尽くしのお礼をしたいところだが、今は村が危機的な状況で……申し訳ない」
エドアルトと名乗った片腕の男は、残っている左手で俺と握手を交わしてから、そう言って頭を下げてくる。
俺の倍ほども生きているであろう熟練の勇者が、俺みたいな若造に躊躇なく頭を下げてくるあたりを見ただけで、この勇者の優れた人柄をだいたい察することができる。
そんなエドアルトに、俺が「お気遣いなく」と断ったところで、アーニャが横から口をはさんできた。
「でもお師匠、その右腕は……? 魚人どもにやられたんですか?」
「ああ。四本腕の魚人三体に囲まれた折、不覚を取ってやられた。だがこうして命を残して逃げ延びられただけでも、よしとするべきだろう。村の若い娘で何人か、やつらに連れ去られた者もいる。俺は村を守護する守り手として、村の者たちを守り切れなかった」
そう言って、沈痛な表情を浮かべるエドアルト。
アーニャもまた、連れ去られた娘たちがいると聞いて「そんな……」と悲痛につぶやいて、うつむいていた。
だがそこに、別の村人たちから話を聞いていたセシリアが歩み寄ってきて、エドアルトに声をかけた。
「魔王ハンターのセシリアです。エドアルトさん、私はあなたを尊敬します。話を聞くに、敵の軍勢はあなた一人の手には余る相手であったようだ。それでも村人の大多数が避難するための時間を稼ぎ、さらに片腕を失いながらも、自分自身の命をも打ち捨てることはなかった。あなたは村の守り手として、たぐい稀なほどの働きをした。そうではないですか?」
そう言って、男優顔負けのキラキラとした微笑みを見せつつ、その手を差し出すセシリア。
ちなみにその後ろでは、リオたち三人がこそこそと「なあ、セシリア姉ちゃん格好良くねぇ?」「うん、詐欺だよねあれは」「……あのワンコ、意外と外面はいい」などと内緒話をしていた。
一方で、エドアルトはセシリアの手を取り、こちらもがっちりと握手をする。
「ありがとう、勇者セシリア。キミの言うとおりだ。自分を卑下している場合ではないな」
「ええ。今は前を向き、これから為すべきことへと目を向けるべきでしょう。──ところでエドアルトさん、失った右腕は手元にありますか?」
「失った腕……? ──いや、残念ながら、やつらに奪われてしまった。残虐な魚人族どもは、斬り落とした俺の腕を戦利品とばかりに槍で突き刺し、天に掲げて誇っていた。俺はやつらの隙を見て逃走するのが精いっぱいで、それを取り戻そうなどとは思わなかったが──なぜそんなことを?」
「いえ……」
セシリアは言葉を濁すが、俺には彼女の言いたいことが分かっていた。
彼の失われた右腕が手元にあれば、セシリアかイリスが最上級の治癒魔法【究極治癒】を使うことで、切断された右腕の接合も可能であっただろう。
だが現物が手元にないのでは、それも不可能だ。
さすがの【究極治癒】にも、その性質上、できることとできないこととがある。
しかし逆に言えば、失った彼の腕を手に入れることさえできれば、【究極治癒】によって彼の腕を治癒することが可能になるかもしれないということでもある。
それに今の話の中で、気になったこともあった。
俺はそこに言及する。
「ところでエドアルトさん、先ほど『村の娘が何人か連れ去られた』と言っていましたよね。サハギンどもはその娘たちを、『殺す』のではなく『生きたまま捕らえて連れ去った』ということですか?」
「ああ、村の者たちからはそう聞いている。やつらの目的は分からないが」
「いえ、そうなるとおそらく──」
俺はもう一人の勇者学院教師、アルマのほうを見る。
俺の視線を受けた赤髪の女教師は、こくりとうなずいた。
勇者学院で使うモンスター学の教科書には、サハギンの種族的特徴もいくつか記されている。
その中の記述のひとつに、鮫を使役動物として手懐けるための方法が記されているのだが──
俺はエドアルトに、思い当たる節について説明をする。
「サハギンの大集団には、『闇司祭』と呼ばれる上位種がいるのが一般的です。サハギンの闇司祭は、人間の若い娘を使って七日間の儀式を行い、しかる後にその娘たちを殺します。七日間の儀式の後に殺された若い人間の娘の血肉は、鮫を飼い馴らし使役するために必要な『餌』になると言われています」
俺の言葉を聞いたエドアルトが大きく目を見開き、アーニャは「うっ」と呻いて口元に手を当てた。
さらに俺は、教え子たちのほうをちらと見る。
リオはその目に怒りを宿し、イリスもまた口元に手を当て、メイファは不愉快そうな様子で視線を横に逸らせていた。
邪悪なモンスター特有の文化や習性に関するあれこれは、あまり子供たちに聞かせたい話でもない。
しかし勇者である以上は避けて通れない話であり、いずれはぶつからなければいけない問題だ。
職人都市ラヴィルトンの近郊で出会ったカッパードラゴンのように、人間と共存しうる善良なモンスターもいれば、どうしようもなく人間とは相容れない邪悪なモンスターもいる。
そのことは子供たちにも、しっかりと把握しておいてもらう必要がある。
だが一方で──
「ですが逆に言えば、サハギンに捕らえられたその人たちは、七日間はまず殺されないということになります。アーニャからは、村が襲われてからまだ半日程度と聞いています。つまり──そのさらわれた娘さんたちは、まだ救い出す余地があります」
俺がそう言うと、大広間にいた人々から、どよめきの声が上がった。
さらわれた娘たちは、もう助からないものと思っていたのだろう。
一方でエドアルトは、少し慎重な態度を示した。
「勇者ブレット、その話は俺たち村の者にとって、大きな希望の光となる。……だが俺はすでに片腕を失い、アーニャも半人前だ。敵は強大で、この村の勇者──俺とアーニャだけではやつらに対抗することは不可能だ。そのか細い希望の光をつかむためには、今、俺の目の前にいる頼もしい勇者たちの力が必要になる。──手を貸してもらえるか?」
俺はそれに対し、小さく笑ってこう答えた。
「ええ、もちろんです。ですが、金品に少し余裕があったらでいいんですけど、シーフィードの勇者ギルドにクエスト依頼として出してもらえると助かります。クエストとしてギルドの審査が通れば、国から補助金で七割下りるので」
子供たちに冷房魔道具を取り付けるようにせがまれているので、とはさすがに口には出さない。
「分かった。金に換えられる財宝ならば、村にいくらかあるはずだ。村じゅうからかき集めれば、勇者ギルドへのクエスト発注分ぐらいはどうとでもなるだろう。そんなことでいいならば、願ってもない」
エドアルトはそう言って手を差し出してきたので、俺は再び強く握手をする。
だがそんな一方では、リオが泣きそうな声で俺に抗議してきた。
「に、兄ちゃん! 今それ言ったら、オレたちが困ってる人たちからお金をふんだくって、自分たちだけいい思いをしようとしてるみたいじゃん!」
だが俺は、それにも笑って答える。
「いいんだよ、それで。──あのな、勇者が人々のためにって無償でモンスター退治や魔王退治をしていた時代もあったんだけど、あまりうまくいかなかったんだよ。勇者は命がけで人々を救っているのに、人々はそれをいつしか当たり前と思って感謝もしなくなった。それどころか勇者の力が及ばないところの非難ばかりするようになって、善意で人々を救っていた勇者のほうが病んじまったって例がたくさんあってな」
「えーっ、なんだよそれ! ひっでぇ!」
リオは一転、まるで我がことのように、憤懣やるかたないという様子で怒り始める。
俺はそれを微笑ましい気持ちで眺めながら、さらに付け加えてやる。
「でも俺たち人間ってのは、そういうもんなんだよ。ずーっと感謝の気持ちを持ち続けるなんてことは、なかなかできやしない。だから金銭的な報酬で清算しておいた方が、あと腐れがないんだよ。本当にお金に困っている人たちから奪うってのはまずいが、そうでないなら頑張りの対価はしっかりもらっておいた方が、結果としてうまく回るってこと」
「……ふぅん」
リオは納得したようなしていないような、微妙な顔をしていた。
ちなみイリスなどは、「さすが先生、深遠なお考えです……」などと言って陶酔したような様子を見せていたので、そろそろこの子は本気でどうにかしないといけないのではないかと思った俺であった。




