第113話
ウルと別れた俺たちは、宿に入って自分の部屋で一息をつく。
宿は俺が個室を一部屋、リオ、イリス、メイファの三人が相部屋で一部屋をとっている。
俺は宿の廊下で教え子たちとも別れて、自分の部屋で一人くつろいでいた。
しばらくした頃、少し空気がよどんでいるかなと思ったので窓を開け、外の空気を部屋に呼びこむようにする。
夜だから外は真っ暗闇かと思えばそんなことはなく、ラヴィルトンの夜はネオンライトの光があちこちに輝き、相変わらずの賑わいを見せている。
「いよいよ明日が本番だな」
サービスカウンターで受け取っておいたお茶をひと啜りし、ほぅと息をつく。
何やかんやとあったが、概ね収まるべきところに収まった感がある。
子供たちの想いも成就されそうだし、武具も「本来以上のものが手に入った」。
先生としては、まあまあいい仕事をしたんじゃないだろうか。
いや、これが勇者学院の教師の仕事なのかというと少し疑問は残るが、いずれにせよ、子供たちが健やかに育ってくれればそれに勝ることはない。
あとはまあ、子供たちが自分自身の力で、元気に生きていけるように育ててやることか──
と、俺がそんな思索に耽っていたときだった。
──アォオオオオオオンッ!
窓の外、どこか遠くから、狼の鳴き声がかすかに聞こえてきたような気がした。
「ん……?」
俺はその声に、わずかな引っ掛かりを覚えた。
ウルが獣化したときの声に似ているような気がしたのだ。
加えてその声が、「鳴き声」というよりも「泣き声」であるように聞こえた。
それはどこか、悲痛な響きを帯びたような──
考え過ぎだろうか。
だが俺は、近くに立て掛けておいた愛剣を腰のベルトに提げ、立ち上がっていた。
部屋を出る。
すると隣の部屋から、三人の教え子たちもまた、廊下に姿を現していた。
三人とも武器を手にしている。
いずれも先日にガルドン武具店で購入した、新品の武器だ。
防具もおそらくは、ポケットにでも忍ばせて「持っている」のだろう。
「兄ちゃん、今の聞こえた!?」
「先生、私たちには今の、ウルちゃんの声に聞こえました……!」
「……悲しそうな鳴き声に聞こえた。……杞憂かもしれない。でも」
俺はそんな三人に、強くうなずきかける。
「ウルの家に行くぞ。何事もなかったら帰ってくればいい」
「「「はいっ!」」」
俺たちは宿を出て、ウルの家があるほうへと向かって駆け出した。
***
しばらくして、山中にあるウルの自宅に到着する。
家の扉は、不自然に開け放たれていた。
家の中に踏み込むと、そこは物取りに入られたかのように荒らされていた。
だが今は人の気配はないし、物音もない。
そしてウルの姿もない。
そんな光景の中で何よりも気になったのは、入り口付近の床だ。
家に踏み込んですぐの場所の足元に、千切れた布切れのような破片があちこちに散らばっていた。
イリスがその一つを拾い上げ、青褪めた顔で俺に聞いてくる。
「先生、ひょっとしてこれ……ウルちゃんの服の切れ端じゃないですか……?」
「ああ。何らかの理由で、ここで慌てて獣化したと見るのが妥当だろうな」
「獣化って、なんで……!」
慌てたリオが、俺に食ってかかってくる。
俺は努めて冷静に返事をする。
「理由は分からない。ウルが獣化して戦わなければならない何者かと、ここで遭遇したと考えるのが最も自然だろうが……」
ウルが獣化して戦わなければならない何者か。
野良のモンスターに襲われたか、あるいは──
「いずれにせよ、全員で手分けをしてウルを探すぞ。危険も予想される。何かあったら大声をあげて俺を呼べ。いいな」
「「「はいっ!」」」
俺、リオ、イリス、メイファの四人は、家の外に出て周囲の山野を探し回った。
だがしばらく捜索をしても、ウルの姿は見つからない。
「おーい、ウルーっ!」
「ウルちゃーん! いたら返事してーっ!」
「……ダメ。……【拡大聴覚】でも、手掛かりが拾えない。……多分もう、この近くにはいない」
俺もメイファと同様、【拡大聴覚】の魔法も使って周囲を探したのだが、一切の手掛かりがつかめなかった。
「……どうしよう、お兄さん。……どうしたら」
メイファがいつになく不安に揺れた瞳で、俺を見てくる。
リオとイリスもまた、心配に押し潰されそうな顔をしていた。
俺とてもまた、とっさに解決策は出てこない。
落ち着いて考え直せ、何か手掛かりはないか──
俺は自分を叱咤し、自らの記憶を探っていく。
ウルが家に入ってすぐに獣化したとして、そこにいたウルが戦わなければならない相手とは何か。
モンスターか?
いや、家の中で遭遇したと考えると、その可能性は低いと見るべきだろう。
家の中は物取りが入ったかのように荒らされていた。
ということは泥棒か、あるいは強盗……。
もしくはそれもついでで、人身売買のための人さらいなどの可能性も──
そこまで考えたところで、俺は一つの記憶にたどりついた。
俺は自分の通話魔法具を取り出す。
「たしか番号は、登録しておいたはず……あった!」
目的のアドレスを見つけ出すと、すぐさまそこにダイヤルした。
一コール……二コール……三コール……ピッ。
通話が繋がった。
『はぁい、こちらラヴィルトン警邏課長のカレンさんだよ。初めてあたしにかけてくれたあなたは、どなたさんかな?』
聞こえてきた女性の声は、たしかにあのとき話した相手のものだ。
あの人、警邏課長なんて肩書きの人だったのか。
俺は魔法通話具に向かって話しかける。
「夜分遅くすみません。以前に図書館の近くで、街に出現したモンスターに関することで聞き取りを受けた、勇者学院教師のブレットという者です」
それは数日前の記憶。
図書館で狼人間関連の書籍を漁り、遮光の首飾りの情報を発見した俺たちがリゼル武具店へと向かおうとしたとき、女性警邏から職務質問を受けた、あのときの相手だ。
相手の方も思い出してくれたようで、彼女は気さくに言葉を返してきた。
『あーあー、あのときの美少女をたくさん連れたイケメンのお兄さん。どうもどうも。お電話をくれたっていうことは、何かあったんです?』
「はい。あのときたしか、ラヴィルトンの街で闇社会の活動が活発になってきているって、そうおっしゃっていましたよね」
『ああ、はいはい、言った気がする。……ということは、何かそれらしい情報でも手に入れました?』
「ええ。ただ、ちょっとのっぴきならない状況で。そいつらの根城って、そちらではつかめているんですか?」
『ん、本拠地らしきものは把握してるね。ただ明確な法律違反行為が見つけられてないのと、街の外ってこともあって、あたしたちラヴィルトンの街の治安を守る官憲としちゃあ、まだ手出しがしづらいっていう状況でねー。あたしはもう、魔王ハンターでも雇って強引に突っ込ませたら何か出てくるんじゃないのって言ってんだけど、なかなか上が首を縦に振らなくて。──というわけで、何かそれらしい情報があるならくださいな♪』
女性警邏は、魔法通話具越しに可愛らしい声でそう言ってくる。
俺はそこで、少し考える。
今、俺が知りたいのは、その闇社会の連中の本拠地がどこにあるかだ。
「何があったかを伝えるのは構わないんですが、俺たちのほうは、一刻を争うんです。代わりにそいつらの本拠地の場所を教えてもらえませんか?」
俺がそう言うと、魔法通話具越しの相手は少しの間、沈黙した。
何かを考えている様子。
その後、俺の要求に対する返事がきた。
『あたしは立場上、捜査中に得た情報を外部に漏らすのには、慎重にならないといけないんだけどね。ただこれは独り言なんだけど、あたしって結果主義なんだよね。結果良ければすべてよし、手段は問わない、みたいな?』
なるほど。
事と次第によっては、柔軟な対応もやぶさかではない、ということか。
ならば──
「俺が教えていた子供の一人が、行方不明になったんです。街で聞き取りを受けたとき、あなたが気にかけていた女の子がいましたよね? あの子は訳あって、ラヴィルトンの街の外、山中の家で一人暮らしをしていたんですが。その家が物取りに入られたように荒らされていて、彼女の衣服の切れ端が家の入り口付近に散らばっていました」
『……なるほど。それで、闇の連中の本拠地を知って、お兄さんはどうするつもり?』
彼女はウルが狼人間であることは目星をつけていたからか、俺の話の奥にある意味をすぐに察したようだった。
話が早くていいなと思いながら、俺は話を続ける。
「それは状況次第ですが、場合によっては強行的に突入を仕掛けるかもしれません。結果として、そいつらが行っている違法行為に関する何らかの証拠が『偶然に』見つかってしまうかもしれませんね」
『……ふぅん。興味深い内容だけど、少し心配でもあるね。連中の頭数は、勇者だけで五人以上は堅いと見られてる。まあ十人はいないと思うけど。しかもリーダーは“疾風”の異名を持つゲイリー・ハウエル、手練れだよ。お兄さんからも手練れの空気を感じたけど、一人で闇勇者の巣窟に突入は、さすがに無理があるんじゃない?』
敵は勇者が五人以上、十人未満。
なおかつリーダーは手練れか。
そして“疾風”ゲイリーの異名は俺も聞いたことがある。
高い敏捷性を誇り、風属性魔法を得意とする勇者だったはずだ。
その戦力も加味すると、たしかに俺一人では、そいつら全員をまとめて相手にするのは厳しいかもしれない。
だが、俺は答える。
「問題ありません。こっちも勇者は、俺一人じゃありませんから」
『勝算があるみたいだね。じゃあそれに賭けて、あたしも独り言を続けようか。──街の南門を出て、南西に三十分ほど歩いたあたりにある石造りの建物。そこに怪しい連中がたむろしているって聞いたなー。……でも、本当に大丈夫? あたしだけでも偶然、夜の散歩をしに行こうか?』
「いえ、大丈夫でしょう。それに警邏課長のあなたが偶然、夜の散歩に来てしまったら、独り言にした意味がなくなります」
『そうなんだよねー。了解。──ではでは、ご協力に感謝します。ご武運を』
──ピッ。
魔法通話具の通話を切った。
俺の周りで静かに様子を見守っていた三人の教え子たちが、止めていた息を吐き出すように喋り始める。
「ウルの居場所分かったの、兄ちゃん!? ……でも『独り言』とか『夜の散歩』とか、どういうこと?」
「もう、リオってば子供なんだから。先生の大人の交渉術だよ。……ですよね、先生?」
「……闇取引は、蜜の味。……大人はズルい」
俺はそんな三人の頭を、一人ずつなでていく。
すると三人とも猫のように目を細め、気持ちよさそうににゃあと鳴いた。
俺は三人に向かって伝える。
「おそらくウルは、闇勇者──悪い勇者のやつらに攫われたんだと思う。俺はこれからそいつらの根城に踏み込む。だが俺一人じゃあ、手練れを含めた五人以上の勇者を相手にするのは難しいかもしれない。そこで、リオ、イリス、メイファ──お前たちに頼みがある。同じ勇者として、ウルを助けるために手伝ってくれないか?」
これはヴァンパイア退治のときに、教え子たちから逆に説教を受けたことを踏まえての言葉だ。
自分たちをもっと頼ってくれ。
あのとき三人からは、そう言われた。
一方、俺のその言葉を聞いた三人の教え子たちは、互いに顔を見合わせる。
それから三人とも、とても嬉しそうな顔を俺に見せ
「「「はいっ!」」」
元気よく、肯定の返事をしてきたのだった。




