第112話
満月の日の、一日前の夜。
いよいよアイドルライブが明日に迫ったという日。
ラヴィルトンの街の公園でその日のダンストレーニングを終えたリオ、イリス、メイファの三人は、にじむ汗を濡れタオルで拭っていた。
その様子を見ていたウルに向かって、リオが弾む息を整えながら聞く。
「どうだ、ウル。オレたち三人も、ちょっとはサマになったんじゃねぇ?」
「や、ちょっとなんてもんじゃないっすよ……。もううちが教えられることは何もないぐらいっす……。たった一週間足らずで……ハハハ……」
パン屋の仕事を終えた後に三人の最後の仕上がりを見にきたウルは、彼女らの出来の良すぎる演技を見て唖然としていた。
称賛するべきなのは分かるだが、自分が数年間かけて培ってきたものをこうも簡単に身につけられると、もはや笑うしかないというのがウルの心境だった。
そんなウルの様子を見ていたブレットが、少女のもとに寄ってその肩を優しく叩く。
「ウル、俺も今のお前の気持ち、よーく分かるぞ。でもあいつらはしょうがないんだ。ああいうものなんだよ」
「ううっ……ブレットさん、才能って残酷っすね……」
うるうると涙を流すウルの頭を、ブレットが慰めるようになでる。
そんな二人の姿を見た三姉妹は「「「いいなぁ」」」と言って指をくわえていた。
そうして今日の練習を終えると、全員が帰宅の途につく。
みんなでワイワイと話しながら街中を歩き、やがてブレットたちが宿泊している宿の前まで来ると、そこでウルは四人と別れることになる。
「いよいよ明日っすね! うちは明日、パン屋の仕事は早上がりすることになってるっすから、終わったらいつもの公園に行くっす」
「ああ。リゼルが『遮光の首飾り』は今日じゅうには仕上がるって言っていたから、朝一で受け取って、ウルに渡せるようにしておくよ」
「じゃあね、ウルちゃん。帰り道には気を付けてね」
「……世の中、危険な狼さんは、あちこちにいる」
「あはは、大丈夫っすよ。いつも帰ってる道っすから。それに狼さんはうちのほうっすから。変なのに遭ったら、こうやって食べてやるっす」
ウルはそう言って、ガオーッと猛獣のような仕草を見せる。
それを見て楽しげに笑う、ブレットと教え子三姉妹。
それからウルは、ぶんぶんと手を振って四人に一時の別れを告げると、自宅までの道を歩き始めた。
「ふんふんふ~ん♪」
鼻歌交じりで、上機嫌にストリートを歩く少女。
やがて街を出て、山中の小屋へと続く森の小道を歩いていく。
いつもの帰宅路、いつもの一人。
でもウルは、これまでのようには寂しさを感じていなかった。
ブレットや三姉妹と付き合っていたここ一週間ぐらいは、ずっと楽しい時間だった。
ドラゴンとも知り合って、仲良くなった。
ドワーフのガルドンは気難しいが、彼もひそかにウルのことを気に入ってくれていることが分かる。
エルフのリゼルは、ウルのことをじーっと見てきたり体の採寸をしてきたりで仕草があやしいが、根は優しい人だと思う。
いろんな人と出会って、仲良くできて、楽しい毎日だ。
毎日が楽しい。
こんな気持ちは、久しくなかった。
そして何より、いよいよ明日はアイドルライブの本番だ。
ずっと人と関わらないように、自分の存在を消して生きてきたウルは、たくさんの人の注目を浴びる舞台アイドルの姿にずっと憧れていた。
自分もああなれたらいいのに。
そうしたらどれだけ嬉しいだろうって、ずっと思ってきた。
自分はここにいるんだと知ってもらいたい、見てもらいたい。
その夢が、明日叶う。
もちろんプロのライブではないし、自分だけが注目されるなんてことはない。
仮初めのアイドル、一時の晴れ舞台。
それでも──
それでもウルにとっては、夢にまで見た舞台なのだ。
ほかにもたくさんの候補者が出場するだろう。
グランプリを取るなんて、さすがに望みすぎかもしれない。
でも、それでもいい。
たくさんの人の前で、歌って踊れること。
それだけでも嬉しい。
見る人みんなに笑顔を振りまいてやろう。
今の自分には、きっとそれができる。
明日がとっても楽しみだ。
「たっだいまー♪」
山中にポツンとある山小屋。
ウルは自宅の前に到着すると、ポケットから鍵を取り出して、扉の鍵を開けようとして──
「……あれ? 朝出るとき、鍵をかけ忘れたっすかね……?」
扉の鍵がかかっていないことに気付いた。
まあ、鍵をかけ忘れていたとしても、大した問題じゃない。
こんな山中にあるポツンと一軒家に誰が忍び込むとも思えないし、盗まれて困るような貴重品が特にあるわけでもなく。
そう思ったウルは、何を気にすることなく、家の扉を開けた。
すると、そこには──
「ひひひっ。お帰り、可愛らしいお嬢さん」
「こんな山小屋で女の子が一人暮らしとは、ちょっと不用心じゃないかなぁ。悪いおじさんたちに見つかったら、大変だぞぉ」
家の中には、見覚えのない男が三人、ニヤニヤとした笑いを浮かべて潜んでいた。
声をかけてきたのは、立っている二人だ。
その後ろに、ウルの愛用の椅子に勝手に座り、偉そうにふんぞり返っている軽薄そうな青年が一人いる。
「なっ……!? ──あんたたち何者っすか、と聞いても、悪い人としか思えないっすけど」
ウルはその目をスッと細め、家の中にいた男たちを睨みつける。
ウルはその一瞬で、すでに獣化を決意していた。
目の前にいるのは、明らかなならず者だ。
ブレットたちと出会ってからの出来事を経て、ウルは自らの狼人間としての姿を忌避しなくなっている。
常人に容易く重傷を負わせてしまうパワーも、野生の獣のごときスピードも、ようは使いようだ。
必要以上に恐れることはせず、自分の一部だと思って使いこなせばいい。
そう考えるようになっていた。
そしてウルの質問には、椅子にふんぞり返った軽薄そうな青年が答える。
「ご明察。お嬢さんがお察しの通り、俺たちは悪い人でね。今日はここに、人さらいに来たんだが──知っているかな? お嬢さんみたいな小さくて可愛い女の子は、お金持ちの悪いおじさんたちに高く売れる。人身売買とか、奴隷売買って呼ばれるんだがね」
そう言って、軽薄そうな青年はパチンと指を鳴らす。
すると、その前に立っていた二人の男たちが、ニヤニヤ笑いを浮かべたままウルに歩み寄ってきた。
一方のウルは、嘆息する。
「……そうっすか。また服が台無しになるのは困るっすけど──そうも言ってられないっすよね。降りかかる火の粉は、払わないと──!」
ウルは脅しの意味合いも込めて、躊躇わずに獣化をした。
めきめきと筋肉が盛り上がって衣服が弾け飛び、背丈も伸びて天井につきそうなほどの高さになる。
獣化は一瞬のうちに完了していた。
ウルは思う。
これで男たちは、怯えて逃げ去ろうとするだろう。
問題は、その後どうするかだ。
街に帰った後に、また狼人間が出たなどと騒がれたら、多分厄介なことになる。
となれば、逃げられないように捕まえてロープで縛りつけて。
たしか家の奥の物置に、使えそうなロープがあったはず──
だが、そう考えていたウルの目論見は、脆くも崩れ去る。
獣化したウルの姿を見ても、男たちはへらへらとした笑いを浮かべたままだったのだ。
「ひゅう、大当たりだ!」
「マジで狼人間だったぜ、このガキ」
『なっ……!?』
今度こそ、ウルが本当に驚く番だった。
今の反応は、この三人の男たちが、ウルが狼人間であることを知った上で「人さらい」をしに来たのだということになる。
軽薄そうな男が、ゆっくりと椅子から立ち上がりながら口を開く。
「街で狼人間らしいモンスターが出現したっていうから調べてみたら、街の外で暮らしているらしい少女がいるというじゃないか。あやしいあやしい。しかも幼い少女の狼人間となれば、好事家どもが大金を積んでほしがるというもの。俺たち『闇勇者ギルド』にとっては、最高においしい獲物ってわけだ」
『なっ……!? 「闇勇者ギルド」……!? あ、あんたたち、勇者なんすか!? なんで勇者がこんなことを……!』
「勇者がみんな善人だと思ったら大間違いだよ、狼人間のお嬢さん。勇者とは単に、力を持つ者だ。その力をどう使おうが俺たちの勝手さ。だいたい魔王退治なんて、危険なわりに大した金にもならない。俺たちみたいな選ばれた力を持つ者が、一般人と大差ない報酬で汗水たらして働くなんて不公平だろう? 税金から勇者の報酬を出しているんだったら、もっと一般人から搾り取って俺たちに貢がせるのがスジってもんだろうに。ぬるいことをやっているから、俺たちみたいな悪い勇者が生まれてしまうわけだ」
『何を勝手なことを……! ──くっ!』
ウルはすぐさま家を出て、街へと下る山道を駆けだした。
山道を駆け降りながら、ウルは思う。
あの男たちが勇者だというのは、本当のことだろう。
獣化したウルの姿を見て微塵も怯えなかったのは、そういうことだ。
そして狼人間の力は、並の勇者と互角程度だとブレットが言っていた。
だとするなら、真っ向勝負をしても三対一では勝ち目がない。
だが逃げてどうする。
ブレットたちに助けを求めるにしても、狼人間の姿のまま街に入ったら、それはそれでまずいことになる。
だったらどうにか一時的にでもあの三人を振り切って、人間の姿に戻って街に入り、ブレットたちのいる宿まで──
『──ッ!』
そのとき、危険を察したウルが、とっさに跳び退る。
ビィイイイイインッ!
山道を駆け降りていたウルの目の前の地面に、一本の槍が突き刺さっていた。
「惜っしい! もうちょっとだったのによぉ」
「はははっ、へたくそ! つぅか殺すんじゃねぇぞ。貴重な金ヅルなんだからよ」
その槍は、勇者の一人が投げたものだろう。
二人の男が笑いながら、ウルを追いかけてくる。
それを見て、ウルは察した。
あいつらは、狩りをやっているつもりなのだ。
一匹の憐れな狼を追い立てて、苦しめて、たっぷりと遊んでから捕まえようとしている。
こんなのが、人間のすることなのか。
そんなとき──ガサリッ。
ウルの前方の草むらから、音が聞こえた。
草むらの中から、ウルの行く手に立ちふさがるように、軽薄そうな男が歩み出てくる。
それは、ウルが一時足を止めたとはいえ、あまりにも速すぎる先回り。
後ろから追ってくる二人とは、明らかにレベルの違う能力。
軽薄そうな男は、薄く笑いながら言う。
「──さて、どうする狼人間のお嬢さん? 早く逃げないと、悪いおじさんたちに捕まってしまうよ」
『くぅっ……!』
ウルは横手の草むらへと飛び込み、草木をかき分けて逃げる。
到底逃げきれるとは思えない。
でも、そうするよりほかに道はない。
ウルは草木の間を縫って必死に駆けながら、狼人間の姿のままに、瞳から涙をあふれさせる。
どうして。
どうしてどうしてどうして。
どうしていつもこうなるんだ。
やっと幸せがつかめると思ったら、またこうしてぶち壊しにされる。
こんなことは、もう嫌なのに──
『──アォオオオオオオオンッ!』
ウルは山中で草木をかき分け走りながら、悲しみをいっぱいに乗せた雄叫びを上げたのだった。




