第107話
俺は子供たちを連れて、巨大な洞窟の中を進んでいく。
手にした【光】の灯りは、真っ暗な洞窟の壁や天井を照らしていくが、洞窟そのものがあまりにも広大なのでそれも心許なく、少し先になるともう真っ暗闇で先が見えないという有り様だ。
だが洞窟の深さという点で言えば、俺の声が入り口から届いたぐらいだから、少なくともドラゴンがいる場所までは、そう遠くはないだろう。
そして実際にも、少し進むと、風がごうごうと唸るような音が奥の方から聞こえ始める。
一定のリズムで定期的に唸るその音は、ドラゴンが呼吸する鼻息の音か何かなのだろう。
『ほ……本当に、大丈夫っすかね……?』
狼人間の巨体が、怯えるようにリオの小柄な体に抱きつく。
リオはそれに「大丈夫だって。兄ちゃんだっているし」と言って、自分よりも遥かに大きな獣人の肩をポンポンと叩いていた。
そうして俺たちがさらに進んでいくと、やがてその場所にたどり着いた。
巨大な洞窟の中でも、特に広大な広間だ。
広く、天井も高いその大広間の奥に、一体の巨大な生き物がうずくまっている。
ドラゴンだ。
【光】の灯りに照らされたその姿は、馬や牛などとは比較にならないほどの巨大さで、平屋の住居を思わせるほどのサイズ感がある。
その鱗は金属のような輝きを持った褐色で、銅を連想させるものだ。
種別は酸の吐息を吐く銅竜、齢の区分は典型的な若竜と評価するのが妥当だろう。
勇者ギルドで事前に聞いていた情報とも合致するので、これが件の竜で間違いないはずだ。
一方のドラゴンは、自らの巣穴に入ってきた俺たちを前に、首をゆっくりともたげて起き上がる。
そして大きな口を開き、声を発してきた。
『やあ、僕のねぐらへようこそ、人間たち。最近少し退屈をしていたところだから、歓迎するよ──僕の財宝を奪いにきた盗っ人でないならね』
声の重さのわりに、気さくな話し方をするドラゴンだ。
だがその体から発する圧は、並の勇者なら震え上がってしまうほど。
しかし子供たちはと見ると、狼人間がガタガタと震えてリオに抱きついているほかは、至って平然としていた。
まあ狼人間というモンスターは、一般には並の勇者に匹敵するぐらいの強さなので、ウルが震え上がっているのも無理はない。
ちなみにだが、ドラゴンは総じて金銀財宝を集めるのが趣味であると言われている。
財宝は彼らのコレクションであり、彼らは自分の財宝が何者かによって奪われれば怒り狂う。
それを踏まえ、俺はドラゴンに向かって返事をする。
「無論、あなたの財宝が目当てではないです。ただ、交友を深めるために、遊びに来たわけでもありません」
『ふぅん。そうなると、ありがちなのは……僕に何か、頼み事でもあるのかな?』
「そんなところです。あなたの縄張り内にある『月鉱石』という鉱石を採掘したいので、それに関して挨拶をしておこうと思いまして」
俺がそう伝えると、ドラゴンはぴたりと動きを止めた。
そして一息置いてから、こう言った。
『それは、僕の縄張りにあるものを、キミたちが我が物顔で持っていくってわけかい?』
その反応に、俺は心の中でひそかに舌打ちをした。
どうやらこのドラゴン、自分の縄張りから何かを持ち出されることは、あまり好ましいこととは思っていないようだ。
だがそれはそれで、挨拶に来ておいて正解だったなとも思う。
ドラゴンはどういうわけか、自分の縄張りで起こることに関して敏感だ。
勝手に持っていこうとしていたら、気付かれて面倒なことになっていた可能性も低くはないだろう。
俺はドラゴンに向かって返事をする。
「ええ。俺たちは今、訳あって月鉱石が必要なんです。元々は──あなたがここに棲みつくまでは、ラヴィルトンに住む人間たちが採掘を行っていた場所です。俺たち人間にも、そこで採掘をする権利はある──そうは思いませんか?」
俺は少し、踏み込んだ物言いをした。
シビアな交渉が必要になってくるかもしれない。
はっきり言って、武力で言えば俺たちの方が上だ。
実力行使に出てしまえば、話が早いというのはある。
だがそれは最終手段だ。
いきなり暴力で要求を押し通そうとするのは、まともな勇者のすることではない。
強硬手段以外の方法で譲歩を勝ち取れれば、それに越したことはないわけで──
一方でドラゴンは、少し不満そうな声を返してくる。
『そりゃあ、そうだけどさぁ……なーんか僕の縄張りにあるものを、何もなしに持っていかれるっていうのは嫌だなぁ。うーん……』
ドラゴンはそう言って、片方の前肢の鉤爪を顎に添えて、考えるような仕草を見せる。
なんだあの器用な動作……シュールだ……。
ドラゴンはそれからしばらく黙っていた。
だが辛抱強く待っていると、やがて再び口を開く。
ドラゴンはその口から、こんなことを提案してきた。
『じゃあこうしよう。キミたちのうち誰でもいいから、僕を楽しませてくれたら、僕の縄張りでの採掘を許可するよ。僕は人間たちが生み出す娯楽が大好きでね。楽器の演奏でも、絵を描くでも何でもいい。僕を満足させておくれ』
「「「「『えっ?』」」」」
その場にいた、俺を含めた五人ともが、驚きの声を上げていた。
な、なんだと……娯楽……?
そんな斜め上から来られるとは、正直まったく思っていなかった。
しかし言われてみれば、銅竜は人間の生み出す文化や娯楽に非常に強い興味を持つ傾向にあるというようなことが、モンスター学の教科書の片隅に書かれていたような気がしないでもない。
しかし、それは──
「「「じぃーっ」」」
リオ、イリス、メイファの三人が、何かを期待するような目で俺を見つめてくる。
どうやら俺が何とかすることを期待しているらしい。
だが、ちょっと待ってほしい。
「いや……俺、そういうのすげぇ苦手なんだよ……」
俺は教え子たちの前で白状する。
俺はこれまで魔王ハンター一筋、勇者教育一筋でやってきたから、娯楽やら何やらの素養はほとんど皆無だ。
というか普通に考えて、そんじょそこらの勇者が娯楽文化に関して、誰かを楽しませられるぐらいのレベルで技術を習得しているわけがない。
趣味で何かをやっている者はいるかもしれないが、残念ながら俺は、そういったことはしてきてはいない。
リオなんぞは、「えーっ、兄ちゃんでもできないのー? それじゃ誰にもできるわけないじゃん」などと不満そうに言っているが、俺は別にあらゆる面でお前らの完全上位互換ってわけじゃないんだからなと突っ込んでやりたいところだ。
──だが、そんなとき。
救世主のように、ドラゴンの前に出た者がいた。
メイファだ。
「……しょうがない。……こうなったらボクが、とっておきの芸を披露するしかない」
そう言って少女は、ニヤリと笑う。
おおっ、さすがメイファ!
ときどきよく分からないスキルを見せることにかけては、定評のある娘だ。
「で、メイファ。どんな芸をやるつもりだ?」
「……ふっ、知れたこと。……母親が持っていた、女騎士がオークに大変なことをされるエッチな小説を、ボクはすべて丸暗記している。だからそれを、今からそらんじる。……『くっ、私を羽交い絞めにしてどうするつもりだ、汚らしいオークどもめ! 殺すならさっさとこ』──痛いっ!」
俺は後ろから、メイファの後頭部をチョップしていた。
メイファが恨みがましそうな涙目で振り返り、俺を見つめてくる。
「……何をするの、お兄さん。……盛り上がるところからと思って、途中からにしたのが悪かった……?」
「違ぇっ! 年頃の女の子がそういうことを口にしたらダメだって、パパはいつも言っているでしょ! だいたい、何でそんなものを丸暗記してるんだよお前?」
「……そんなの、何度も読みこんだからに決まってる。……みなまで言わせないで、恥ずかしい」
うん、それは確かに恥ずかしいな……。
言わせた俺も悪かった。
って、そうじゃなくて。
「とにかくそれはダメだ。ほかに何かないのか?」
「……残念ながら。……そらんじられるほどに読みこんだのは、それだけ」
「そうか……。すまん、悪かった」
メイファの黒歴史を覗いてしまった一幕であった。
いや、本人は黒いと思ってはいなさそうだが。
ともあれ、そうなると──
俺はイリスに視線を向ける。
するとイリスは、ぶんぶんと首を横に振った。
だよなぁ……。
普通は誰かに見せられるレベルの芸なんて、そうそう持っていないものだよ。
困った。
そうなると、もう実力行使しかないのか……いやしかし、それは……。
かと言ってメイファに、問題の文章をそらんじさせるわけにも──
と、俺が悩んでいた、そのときだ。
その場にいたもう一人が、決意に満ちた声を上げた。
『う、うちがやるっす!』
そう言って、リオの隣にいた狼人間が、ドラゴンの前へと進み出ていった。




