第100話
書籍化、6月発売の予定でしたが、7月発売に変更になりました。
よろしくお願いします。m(_ _)m
「んんっ……!」
俺は読んでいた本に栞紐を挟んで本を閉じ、うんと伸びをする。
ずっと同じ姿勢で本を読んでいると体が固まるから、たびたびほぐしてやるのだが、それにしてもそろそろ少ししんどくなってきた。
図書館に設置されている壁掛けの時計を見れば、間もなく昼になるという時刻。
朝食後に宿を出て、ウルと合流してすぐに図書館に来たのだから、すでに三時間ほど、ずっとこうして本と睨めっこをしていることになる。
目的の情報──ウルの獣化の呪いをどうにかする方法は、残念ながら、いまだ見つかっていない。
六人掛けのテーブルで同じく読書をしていた教え子たちは、まずリオは根気が続かずに、とうの昔に突っ伏していた。
イリスも、最初こそメモなどを取りながら頑張る姿勢を見せたものの、しばらくしてうつらうつらしはじめ、やがてノックダウン。
彼女らにとっては、魔王退治よりも、図書館での調べもののほうがよっぽど強敵のようだ。
一方で、メイファとウルの二人はというと、興味深げに本に喰いついていて、今も黙々とページをめくっていた。
メイファはなんとなく本と相性がいい気はしていたが、ウルのほうは少し意外だ。
ウルは自分のこと──狼人間について記述されている本なので、獣化の呪いに関すること以外の記述にも興味があるのかもしれない。
が、それはそれとして、ひとまずは昼食休憩だろうな。
「よし、お前ら。一度切り上げて、昼飯に行くか」
「ふぇぇっ、やっとだぁ……」
俺が昼食休憩を宣言すると、リオが疲れきった様子で言う。
イリスもまた、崩れ落ちていたテーブルからがばっと顔を上げ、「ね、ねねねね、寝てませんよ!?」と、半ば寝ぼけ眼で言った。
口元からうっすらよだれがたれていたが、それでも可愛らしいというのがずるいところだ。
まあね、難解な本を読んでいると眠くなってくるというのは、分かるよ。
今回はわりと専門的な内容の本が多いから、図書館で調べものをするにあたって、ビギナー向けの授業としては、ちょっと難易度が高すぎたかもしれない。
とはいえ今回は、題材が選べないから、しょうがない。
本当は、頑張って自力で調べた結果、ほしい情報が見つかって万々歳、という展開になってくれることが教育的にも理想なんだが……。
いずれにせよ、一度昼食をとりに外へ出よう。
俺は司書さんに本を預かってもらって、子供たちを連れて図書館を出た。
エントランスから表に出ながら、子供たちはこんな会話をしていた。
切り出すのはリオだ。
「それにしてもメイファとウル、よくそんなに集中力続くよな」
「……多分、集中力じゃなくて、興味の問題。……ボクは、自分が知らないことを知るのが、わりと好き」
「あ、興味が大事っていうのは分かるっす。うちも自分のことで知らないことがたくさんあったから、もりもり読んじまったっすけど、自分のことじゃなかったら全然読める気がしないっす」
「興味かぁ。いろんなことに興味持たないとダメってことかぁ」
「……それも、なんか違うような。……向き不向きがある。……イリスとリオは、物語を読むといい。何もしていないより、暇がつぶれる」
「うわっ、メイファが上から目線だよ。くそ~、いつも怠け者のメイファが働き者に見える~!」
「……誤解はやめてほしい。……本を読むこと、知識を得ることは、ボクの中では労働に含まれない。……働きたくないということに関して、ボクはプライドを持ってやってる」
「そのプライドは、今からでも遅くないから、捨てたほうがいいと思うな……」
そんなイリスの意見に俺も同意である。
メイファは普段からもっと働け。
まあ、それはともあれ。
「さて、昼飯どうすっかな。──ウル、近くでどこか、うまくて安い店とか知ってるか?」
俺が地元民であるウルにそう聞くと、ウルは嬉々として答えてきた。
「そしたら、うちが働いているパン屋が近くにあるんで、よかったらどうっすか? 親方の焼くパンはうまいっすよ~。ちなみに名物はデリシャスジャンボサンドっす。安くてうまくてボリューム満点が売りっす!」
胸を張って、誇らしげにそう言うウル。
この様子だと、自分が働いているパン屋のことが好きなんだろうな。
「ん、じゃあそうするか。お前らもそれでいいか?」
「「「賛成ーっ!」」」
そんなわけで、ウルの案内でしばらく歩いていくと、やがて往く手に一軒のパン屋が見えてきた。
中流階級の住宅街にひっそりとたたずむ、素朴な雰囲気のパン屋だ。
店からはパンを焼くいい匂いが漂ってくる。
するとウルは、店の近くまで来たところで、こんなことを言ってきた。
「じゃあ、うちはここで待ってるっす」
ウルはそう言って、その場で立ち止まってしまった。
手を振って、俺たちを見送ろうとしている。
「なんでだよ。せっかく来たんだから、挨拶してけばいいじゃん」
リオがそう詰めると、ウルは恥ずかしそうにこう返してきた。
「いや、その……うち、職場では、無口キャラで通ってるんすよ……。店のみんなとは、あまり仲良くしてないというか……」
「「「……?」」」
リオ、イリス、メイファの三人が首を傾げる。
そして俺も、そこはかとない違和感を覚えていた。
自分の職場を誇らしげに紹介しながら、職場の人たちとは仲良くしていないというのは、どうもアンマッチな気がする。
と、そこへ──
近くの路地の角から、陽気そうでガタイのいい中年男性が現れ、ウルに向かって声をかけてきた。
「おう、ウル坊じゃねぇか。どうした、休日に店に来るとは珍しいな」
その声を聞き、ウルがびくーんと跳ね上がる。
そしてウルは顔を隠すようにうつむき、男に返事をした。
「お、親方……うっす」
ウルの声のトーンが、一段落ちていた。
なんだろう、妙だな……?
だがウルから親方と呼ばれた男は、別に気にした様子もなく、のしのしと俺たちの前までやってくる。
見上げるぐらい背がでかい。
体もマッチョで、特に上半身がムキムキだ。
だがウルが「親方」と言ったからには、この人がウルを雇っているパン屋の店主なんだろう。
そんなパン屋の店主と思しきマッチョ男は、俺に向かって声をかけてくる。
「ウル坊が友達と一緒にいるところなんて初めて見たな。しかもその格好、旅の勇者さんかい?」
「ええ。ウルとは昨日知り合いまして」
俺がそう答えると、マッチョ男は俺のそばにいたリオ、イリス、メイファの三人を見て、それからうつむいているウルを一瞥すると、俺に向かってちょいちょいと手招きをしてきた。
なんだろうと思って男の近くに寄ると、男はその腕をガシッと俺の肩へと回し、少女たちに聞こえないよう耳打ちで、こう伝えてきた。
「……なぁ、兄さんよぉ。女の子を侍らすなたぁ言わねぇが、ウルのこと、遊びだと思って付き合ってんなら、やめてやっちゃあくれねぇか。こいつは人見知りだが、仕事にも真面目ないいやつなんだよ。な、頼むよ」
なんだかものすごい勘違いをされていた。
「ち、違いますよ! こいつらは俺の教え子で、俺は勇者学院の教師です」
俺がそう説明すると、男は俺を解放し、驚いたような顔を見せる。
「教師……? 教え子……? ──なぁんだ、それならそうと早く言ってくれよ! ウル坊が悪い男に引っ掛かったんじゃねぇかと思って、勘違いしちまったじゃねぇか。はっはっは!」
そう言って、バンバンと背中を叩かれた。
勇者じゃない一般人なのに、まぁまぁのパワーで、まぁまぁ痛い。
そこにウルが、おずおずと言ってくる。
「あ、あの、親方……この人たちは、お昼ご飯に、店のパンを買いにきたっす……」
「おおっ、そうかそうか、お客さんか! いやぁ、そりゃあすみません。ささ、どうぞお店の方へ。初めてうちのパンを食べるなら、まずはデリシャスジャンボサンドを……」
そう、パン屋の親方に背中を押される俺だったが──
後ろを見れば、うつむいて表情を隠したままのウルがいて。
俺はパンのことよりも、ウルと親方の奇妙な関係のほうが気になっていた。
親方のほうは、ウルを我が子のように可愛がっているような印象。
俺を悪い虫だと思って、追い払おうとしたのがその証拠だ。
だがウルのほうはというと、親方に対して自ら壁を作っているようにも見える。
──こりゃあまた、何か複雑な感じっぽいな。
そんなことを思いながら、俺は親方に押され、パン屋の扉をくぐっていくのだった。




