第28話 聖女だって戦えるんです!
戦う聖女様をどうぞ。え?戦ってない?守ってるだけ?…あれが精一杯なんです;
精霊王様は、とても小柄なお爺様だった。
薄緑の法衣に似た長い衣装を纏い、下草を踏む足にはやはり緑の草履を素足で履いていた。お年なのに…と見当違いなことを考えていた私は、目の前で繰り広げられている主従の口喧嘩も、ぽかんと口を開けたまま眺めているだけだった。
いきなり現れ出たことにルーがとても怒り狂い、精霊王様は子供の様にフンッを顔を背けて拗ねると、ルーの脇に置かれていた籠を鷲掴んで消えて行った。
その間、私はご挨拶どころか一声も発することなく放心し、精霊王様が居なくなっても長々と呆けていた。訝しんだルーが、私の肩を両手で掴んで名を呼びながら揺さぶった所で我に返り、涙も悲哀もどこかへ飛んでしまったことに気づいた。
「主は…ああいったお方だ。すまんな」
「いいえ。私の方こそご挨拶すらできずに失礼を…」
「気にするな。主は人ではないから、無礼も糞もない」
あまりに惚けた御方だっただけに、驚愕の冷めない間に夢を見ていたような気持だった。私達は顔を見合わせて一頻り笑い合い、ルーと別れても夢心地で家へ帰った。
その夜、寝台の上で精霊王様の言葉が脳裏をよぎった。
女神様の加護が消えるまでは聖女。私は女神様から、人の世を計る天秤を預けられている。そのお役目はまだ終えることなく続いていると言うことなの?
でも、すでに女神様の裁きと断罪が天罰として下された。人は女神様の天啓を耳にし、その怒りを知ったはず。
それでもまだ、天秤を傾げる様な人が――――。
首筋にヒヤリと冷たい感触が走った。背後から何者かに突き付けられたナイフの刃。
その日は、魔王国の王都の端にある治療院からの帰りだった。多数の怪我人が運び込まれ、時間外の治療となった。終えた時にはすでに外はとっぷりと日が暮れ、いつもなら王都外周を回る巡回馬車に乗る所を、危ないからと中央を走る馬車に乗った。
ただし、中央経路を走る馬車は、樹海の入口まで行くにはもう一度乗り換えが必要だった。その停留地まで少し歩かなければいけなくて。
人通りが僅かにあるだけの寂しい通りを、回りを注意しながら足早に停留地へと急いだ。けれど、それは横道から急に出て来た黒装束の男たちによって阻止された。首にナイフを突きつけられながら路地へ引き込まれ、悲鳴を上げる間もなく口を布で塞がれ両腕を後ろで捩じられて拘束され、破れかけの幌が張られ、雑多な荷物が積まれた荷台の隅へと転がされた。
「――――この女で間違いないか?」
「間違いない。金茶の髪の女治療師だ」
荷台の前方に乗った男が、後ろに転がされた私を振り返るのが見えたが、目くらましに乗せられた荷物が邪魔なのと、薄暗さで顔つきすら確かめられなかった。
それでも男たちの目が逸れた時を狙って【結界】を張った。女神様の加護で、私は詠唱なしで魔法が使える。攻撃はできなくとも、身を守る術なら人一倍ある。こんな程度の危機は、魔獣の相手をした時よりも恐怖はない。
【神聖結界】を大きく展開すれば、すぐに男たちを排除できるけれど、それよりも私を攫った目的を知りたかった。単なる人攫いかと思ったが、金茶の髪の女治療師を指定し、私を攫って来るように依頼した主犯がいると分かったから。
でも、なぜ私?どこへ向かっているの?
走り出した荷馬車に、危機感よりも緊張感が増し、行く先がとにかく気になった。
と、いきなり荷馬車が、また暗い路地の隅に停まった。
「…この辺りか?」
「ここで待機だ。相手は護衛騎士付きだが、中の女は引きずり出して、死なない程度に一太刀与えるだけで構わないそうだ」
それは、私以外の女性に暴力を加える算段をしている内容だった。護衛騎士…となれば、目当ての女性は身分のある人。攫うのではなく、傷つけるのが目的。
そこまで思い至って、すっと血の気が引いた。奥歯を噛みしめて生活魔法の【風】を操り、どうにか手首を縛る紐を切り落とした。
肌寒い季節なのに、額からも背中からも汗が噴き出して湿った服がべたつく。焦燥感に急かされながら口を塞ぐ布を剥ぎ取り、男たちが対象に意識を向けている内にそっと身を起こして様子を探った。
大通りから僅かに差し込む灯りの中に、黒い服装の男が六人。一人が御者台から降りて馬を抑え、そこから少し離れた辺りで、後の五人が路地の端へと身を潜め、大通りを伺いながら身構えている。
私は御者の男の後ろ姿を睨みながら、そっと【眠りへの誘い】を掛けた。かくりと膝を折る男に、前の五人は気づかない。
「来たぞ!護衛は二人。馬の脚を止めろ!」
一人の男が声を忍ばせ指示を出した瞬間、もう一人が風魔法で馬を攻撃した。不意に切り付けられた馬たちが驚いて暴れ出した。それを止めようとする御者や騎士の叫びや怒号が響いた。
「行くぞ!」
ばらばらと男たちが走り出して行く足音が遠ざかった所で、私はスカートの裾を掴んで荷台から飛び降りた。
大通りでは、すでに護衛二人と四人の男たちの剣戟が始まっており、残った一人が剣を片手に馬車の扉を蹴破り、細い腕を掴んて引き出そうとしていた。悲痛な悲鳴が辺りに響く。それを聞いて、護衛が戦いながらもご令嬢へと足を進める。でも、二対一では押されるばかりの様で、ただただご令嬢の名を呼び、男たちに怒声を浴びせるだけしかできないでいた。
「―――ミナ様を離せ!!」
「お嬢様!!この野郎!!」
私は、路地から駆け出しながら護衛騎士に【身体強化】と【障壁】を掛け、とうとう馬車から引きずり出され、地面に伏したご令嬢の上へ覆いかぶさるように、男と彼女の間に飛び込んだ。
「【神聖結界】!!」
ご令嬢を抱きしめながら、無意識に声を張り上げていた。ドンと鈍い音がして、その後から野太い呻き声が聞こえた。
ああ、助かった…。それが最初に心に浮かんだ。
神聖結界の中では、私や私が護る者に害意を持った者は、一瞬にして結界の外へと凄まじい勢いで弾き飛ばされる。それを逆手に取って攻撃手段として使ったのが功を奏した。
「お嬢様!」
「フェルミナ様!ご無事ですか!?」
護衛騎士の声に、私はゆっくり覆いかぶせていた身を起こし、胸に抱いていた相手を見下ろした。そこには、身を縮めたフェルミナ様が震え慄きながらすすり泣いていた。声すら出せない令嬢に代わり、私は騎士に向かって状況を尋ねた。
「賊は!?」
「すでに全員片づけましたっ。生きている者は拘束してあります!」
「今、警備兵を呼びに走らせました。もう大丈夫ですっ」
危機が去ったと聞いて、緊張に強張っていた体から力を抜いた。その代りに、グラグラと煮立つような怒りが沸いて来た。フェルミナ様を騎士の腕に任せ、結界の規模を少しだけ小さくして立ち上がった。
その間、私の視線は石壁にぶつかって呻いている男にしっかりと固定されていた。その時の私は、今にも相手を叩き殺しそうな殺気を漲らせていたと思う。こんな震えが走るほどの激怒は、あの断罪劇以来だった。
ゆっくり倒れた男に近づいて行く。
「ねぇ、私を攫い、あのご令嬢を傷つけろと命令した人は誰?」
抑揚のない冷たい声が、私の喉から滑り落ちる。
男は、弾き飛ばされた時に顔を覆っていた布が飛んだようで、今はその素顔を晒していた。茶の髪―――魔王国の人ではない。この色は、川向うの。ちらりと視線を馬車の辺りへ投げると、騎士が照らした灯りの下には赤や青の髪が見えた。
「誰がこんなことをやれと言ったの?」
「……うぐっ…がぁ!!」
無言を貫く男に、また一歩近づいた。鉄壁の結界が、瀕死の男を壁へと押し付ける。あと一歩踏み出せば、男は壁に挟まれて…。
「命令した人は、誰!?」
「がぁ、ガーランク街…のっ、ユーチェほ、宝石店でおち合う…」
そこで男は意識を失った。
「誰か!ガーランク街のユーチェ宝石店へ急いで!そこで主犯と会う約束をしているらしいわ!」
私は、集まって来た警備兵たちに叫んだ。
許さない。何があったとしても、人の尊厳を傷つける様な卑劣なことをする者を。
言い回し訂正 1/19




