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第20話 聖女は遥か彼方に瞳を向ける

 女神様が天にお還りになったと同時に黒雲は掻き消え、蒼天の空が戻っていた。

 何事もなかったように、小鳥が陽の下を囀りながら飛び、心地よい風が肌を撫でて行った。


 ヤンベルト辺境伯は、辺りが明るくなったことで女神様のご帰還を認めてか、安堵した様子できびきびと部下や兵達を動かし出した。最後の情けとでも言うように王に下級兵の外套をかけ、近衛と警護兵に親子を連れて行かせた。その頃にはすでに魔王様の捕縛結界は解かれ、大神殿と王城へと咎人達は引き連れられていった。

 それを見送り、私は魔王様に後ろを守られながら、まだ唖然とした状態から抜け出せずに動けないままの貴人たちへと、ローブの端を摘まんで腰を落として一礼した。


「皆様には大変お目汚しの場面をお見せしてしまい、お詫びいたします」


 深く膝を折ってお詫びをし、その後はすっと立ち上がって彼らを凝視した。

 突然の謝罪に驚いて私を注目していた方々は、私が彼らに目を向けると慌てて目を逸らせた。


「――――その上でご忠告申し上げます。女神様のお言葉、努々(ゆめゆめ)お忘れなき様いつまでもお心に留め置いて下さいませ…」


 と、いきなり王城後部で爆発が起こった。もうもうと粉塵が舞い上がり、風に乗った物がこちらへと舞い落ちて来る。

 私に見据えられていた所に起こった崩壊に、彼らは思わず立ち上がり、見えない現場を見上げていた。


「勇者の剣なる魔剣を封印していた地下広間は、もうこの世には必要ない場所。いたずらに大岩を使われることなき様にとり計らせて頂きました。このまま埋め戻すようお願いいたします。では――――」


 今度は退場のカーテシーを終え、右手を上げた。魔王様がその手を取って下さり、そのまま飛翔した。



 眼下では、人々が私を見上げながら跪いて祈りを捧げているのが見え、私はそっと苦笑した。すぐに隠匿結界を張って姿を消し、王城から離れた丘の上で待機していた翼獣の側へと降り立った。

 足が地に着いたのを感じたが、どこもかしこも力が入らずふらりと揺れた。そこを魔王様の腕が、力強く抱き直して支えて下さった。


「…心おきなく、やり遂げられましたわ……クライヴ様、ご助力感謝申し上げます」

「いいや、全ては貴女の勇気と力で成せたこと。私の助けなど、館と城の一部を壊しただけだ。それもこちらに利のあることだ。気にすることはない」


 にやりと悪い笑みを浮かべる魔王様に、私はくったりとその厚い胸に頬を預けた。


「事が終われば、きっと心の中には何かしらの自責が残っているだろうと思っておりました。ですが、終えてみると、晴れやかな気持ちになっている己に驚いております。私の身勝手な恨みを晴らすための断罪劇と考えておりましたのに…」

「…貴女の恨みと共に、あの国に漂っていた多くの恨みが昇華されたのだろう。良いことをしたと、それだけ思っていれば良いよ。あとは各々の国の残された者達が考えることだ」

「ええ。前を向くこと、それだけを思い描きましょう!」


 全ては終えた。私は私のなせる範囲のことを。

 後はマディーナの様に、前を見て進もう。


「その進む先に…私がいることを願いたいのだが…」


「えぇ!?」


 疲れ切った頭に、その言葉の意味が届くまで少しの間を要した。

 ぼっと顔全体が燃え上がる。きっと真っ赤になっているだろう。それを見られたくなくて、驚きに思わず上げかけた顔をまたクライヴ様の胸に埋めた。


「何を驚く?再会した時から、私は貴女をずっと側においていたではないか…」

「それはっ、同じ志を持つ者として私を見て下さっているだけかと思っておりましたわ。だから…」


 それ以上は口に出せなかった。今は、二人ともに疲れ切っている。

 色々と予想外なことが起こって自由が利かない時もあったけど、きちんと納まる所に納まって終わった。あとは、ゆっくりのんびりしよう。

 私の旅は、やっと終わったのだから。


「ここは、もう思い残すことはないわ……なんて美しい空でしょう…」


 やっと空を見上げて、その素晴らしさを感じる余裕が生まれた。それがとても嬉しかった。




***



 私たちの帰宅を、心配顔の面々が迎えた。ことに宰相アレックス様の質問責めは深夜まで続いたそうで、翌朝のクライヴ様はげっそりと窶れていらっしゃった。それに比べてアレックス様の清々しいお顔に、私は内心で笑ってしまった。

 きっとアレックス様の予測していた通りの茶番劇だったことに、彼はクライヴ様を前に盛り上がったことだろう。


 そして、私の方と言えば家族のこと。

 一時的な避難だったとは言え、城内では落ち着かなかった父や兄は、この機会を逃してなるものかとばかりに樹海へ行ったのだそうだ。もちろん案内をお願いしてだけど。そして、そこで出会った集落の方々と親しくなり、帰って来た私に相談を持ち掛けて来た。


「あちらの家や家財はどうするの?」


 フォルウィーク王国では、土地や農地は領主様からの借り物。そこに建てる家や厩などは自費になる。あの広い家は王家からの口止め料の一環だったから建てられたのであって、普通なら我が家には不相応なものだった。なんでも、村長さんの家より大きくて、しばらく居心地の悪い思いをしていたそうだ。それだけに父達には愛着が湧かなかったらしい。


「空き家があるそうなんだ。必要な物だけ持って来て、後はこちらで用意しようかと思ってな…家は、あれだけの物だから高く売れるだろう」

「でも……」

「もう、アレックス様の許しは貰ってある。と言うより、当分はここで暮らしたらどうかと言われていてな…」


 その後を、側で私たちの相談を見守っていた母が継いだ。


「…お前を知っている人もいるだろう?聖女の家族と知られてしまったら、どんな扱いを受けるかと思うと…ねぇ?」


 確かにそうだった。以前住んでいた村でも先日まで住んでいた村でも、私の顔を見知った人たちがいる。王都での騒ぎに合ってしまった人から話が流れて耳にした時、彼らがどんな反応をするか分からない。

 あれだけの事があったのだし、聖女の家族を疎かにはしないだろうけど、只の農民でしかない父達が、良いも悪いも特別視されることは予想がつく。そんな生活を続けさせるのは、私の本意じゃない…。


「それなら、父さんたちの好きにしたらいいわ。私は側に居てくれて嬉しいし」


 本当に嬉しかった。何年も会えない距離に離れて暮らして来たのだもの。そして、あの旅立ちの日、私も家族も生涯離れ離れになるのだと諦めていたのだから。


「それで、お前はお城で暮らすんだよな?」


 にこにこと満面の笑顔で兄が訊いて来た。


「え?」


 何?その断定的な言い方は?



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