第49話 破綻する心
真一と美咲はDNA鑑定をしたが、その結果は――
『父権肯定確率 0.0000000%』
『被験者同士は生物学上の親子関係が認められません』
――残酷な事実を真一に突き付けた。
確かに真一と美咲は似ていない。でも、そんな親子はどこにでもいる。この十数年間、何の疑問も抱かずに親子として一緒に暮らしてきたのだ。愛情のすべてを注いで。
しかし、そこに妻である亜希子の不倫。しかも、その現場を娘の美咲が見てしまった。母親にすべてを裏切られた娘が、自分の出自に不安を持つのは必然だ。ただ、まさかその結果が、本当にこんなことになるとは真一も思っていなかった。
では、美咲の本当の父親は誰なのか? 真一は目眩がして、椅子に座り込んだ。頭は大混乱で、何が何だか訳が分からない。
「お父さん」
一気に目眩が晴れる。バッと視線を声がした方へ向けると、居間の入口に制服姿の美咲が立っていた。今のこの状況を誤魔化そうとしてもその言葉が出てこない。
「DNA鑑定、結果が出たんだね」
真一の額に冷や汗が流れる。
美咲はもうすべてを察したのであろう。
「そっか……」
困ったような微笑みを浮かべる美咲。
「どうしよう……あぁ、えーと……うぅんと……あのね……あれ……どうしよう……あれ……何言ってるんだろ……」
美咲は静かにパニックを起こしている。
そして、真一の目の前にゆっくりと正座した。少しうなだれて、視線は床を向いている。
「……お父さん……あっ、もう、こう呼んじゃダメだね……」
「美咲、そんなこと――」
顔を上げた美咲。
涙をこらえながら、声を震わせる。
「……私に、たくさんの、愛情を、注いでくれて、幸せでした。いままで、私を、育ててくれて、ありがとうございました……本当に、本当にごめんなさい、真一さん」
美咲はそのまま両手と額を床につけた。
自分の目の前で、娘が涙ながらに土下座している。「お父さん」と呼んでくれない娘のその姿に、真一は――
ガダンッ
――椅子をひっくり返して立ち上がり、美咲の下へ駆け寄った。
土下座をやめさせようと美咲の身体を起こし、両肩を持つ真一。
「美咲! いいか! この世には血の繋がりよりも強いものがあるんだ! DNAがなんだ! オレたちは家族じゃないか!」
涙を零しながらうなだれる美咲。
「こっちを向きなさい」
美咲は顔を上げられない。
「美咲! お父さんを見るんだ!」
ゆっくりと顔を上げた。
「いいか、美咲。お父さんは、これからも美咲のお父さんだ。どんなことがあってもだ」
「……私、一緒にいてもいいの……?」
「当たり前だ」
「……本当に……?」
「美咲が嫌がっても、無理矢理一緒にいてやる」
「……ずっと一緒だよ……?」
「お父さんも美咲を離さないよ。お嫁に行くまではな」
真一に抱きつく美咲。
「おどうざん! おどうざん!」
美咲の背中に手を回して、強く抱き締める真一。
「ここにいるよ、美咲」
「おどうざん!」
もう誰が本当の父親かなんて関係ない。誰が何と言おうと、美咲は自分の娘なんだと、真一は胸に刻んだ。
真一の言うように、血の繋がりよりも強いものは確かにあるのだ。お互いを必要として抱き締め合う父親と娘。血の繋がりはなくても、そこには確かに家族の絆がある。離婚した亜希子の母親である沙織もいる。彼女も新しい家族の一員だ。このマンスリーマンションもあと半月で退去し、以降は沙織の家で暮らすことになる。衝撃的な事実を乗り越え、真一と美咲は沙織と共に新しい『幸せの形』を築いていくことになった。
ただ、真一は美咲の心のことが気掛かりだった。DNA鑑定前の段階で、美咲の心は壊れる寸前の状態だったからだ。実際、血の繋がりがないことが判明した後、美咲は明らかにおかしくなっていった。部屋の中では真一から離れなくなり、夜もひとりでは寝られないと、真一の布団に潜り込んでくるので一緒に寝ていた。寝ている時も美咲には異常な行動が見られ、自分の親指を咥えて離さなかったり、突然泣き出すような、いわゆる幼児退行の傾向が見られ始めたのだ。
沙織の家へ引っ越した時、真一が心に何かを抱えたように沙織が見えたのは、それらが原因だった。真一は、引っ越し後も症状が酷いようであれば、沙織にも相談し、カウンセリングへ一緒に行こうと考えていた。が、その後は症状が急速に治まっていく。沙織という新しい心の支えを得るなど、きっと環境が変わったことが大きいのだろう。真一はそう考え、美咲の様子に安堵した。
――しかし、真一は見誤っていた。
沙織の家に引っ越した頃には、美咲の心は完全に壊れていた。少女から大人の女性へと変わっていく多感な時期に体験してしまった母親の不倫の目撃、家族の崩壊、父親と血縁関係がないなどといった美咲の身に起こった人生を揺るがす重い出来事の数々は、美咲の心を完膚なきまでに破壊したのだ。
真一がそのことに気付くのは、もうしばらく先の話である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
美咲の話に、亜希子は愕然としていた。
美咲が真一の血を引いていないことを亜希子も知らなかったのだ。
空に夜の帳が降りていく中、観覧車はゆっくりと亜希子と美咲をその頂きへと運んでいく――
<次回予告>
第50話 愚者は踊る




