1-15 使い魔ネモは今日もあくび~千年魔女と現代ダンジョン~
使い魔のネモは、しなやかな三又のしっぽと艶々な三色の毛並みが自慢の猫型妖魔。イベリスという名の魔女に仕えて凡そ千年となるが、彼女は今日、五度目の転生の儀式に入るそう。
転生後も共にする使い魔のうちの一匹に選ばれたネモは、溜息をつきつつ転生直後の弱々しい魔女を守るために備えた。
しかし魔女は、元の魔女の小屋ではなく全く身に覚えのない場所で目を覚ました。
「転生自体は失敗してない。魔力の弱体化も予定の範囲。だけどここはどこなの?」
魔女イベリスと使い魔のネモたちはやってきた。
この、ダンジョンが出現した地球の日本に!
「なんだか分からないけど、せっかくだから楽しむわよ!」
「ふにゃあぉお?!」
最強無双の魔女イベリスに振り回される、使い魔ネモたちの挑戦が始まった――かに見えたが?
「は? これ何?」
ネモは今日もワガママ魔女のフォローに走る。
そろそろ転生の時期かねぇ、とイベリスが言い出したのは、ロドンの森の麓の村人が、冬支度を始めた頃だった。
「足腰の軋みが酷くなり始めたし、昨年の冬だって底冷えが堪えた。歳を取ればとるほど魔力はまろやかで扱いやすくなるけれども、魔女だって体が資本だからねぇ」
魔女イベリスは今まで四度の転生の儀を成功させている。その度に若く艶っぽい、全ての男を魅了するような黒髪の美女に立ち戻る。そこから三百と数年を過ぎた頃、イベリスは急激に歳を取り、今のような年齢の分からぬ老婆に変わる。そのまま数十年を過ごし、そしてまた老婆の姿に飽きた頃、転生の儀を行うのだ。
ネモが魔女イベリスの使い魔になったのは、二度目の転生の儀を行う少し前だった。転生の儀を行った直後は酷く弱体化するのに気づいたイベリスが、自身の体を守るために契約したのがネモだった。
それから三度、ネモはイベリスの転生の儀に付き合っている。他にも共に転生の儀を果たした使い魔は何匹かいるが、ネモが最古参だ。
魔女の使い魔としての猫型のモノは黒猫が多いが、ネモは珍しく三色の毛を持つ三毛猫である。珍しい物好きのイベリスにはこれが受けた。
転生の儀の準備を整えた魔女が、ウキウキと布面積の少ないドレスを広げている。
「ふふふ、セルピエンテの新しい王は、とんでもない美男子だと言うじゃないか。先々王には世話になったのだもの。惑わしに行ってやらねば」
……それが本音か。
ネモは大きくため息を吐き出すと、自慢の3本のシッポを丁寧に手入れし始めた。
魔女の小屋の中に転生の儀のための呪文が響く。
今回イベリスについて行くのは、ネモの他、ホヤとレタ。
コウモリ型のホヤは見張りとして最適だし、ネモの次にイベリスとの付き合いも長い。けれどワニの姿をしたレタは違う。一番若くて、年老いた姿のイベリスしか知らないからだ。
そう、若い姿のイベリスを見て驚く役をさせるために連れていく。
ネモは、大仰に逆巻く魔力にその大きな目を輝かせるレタを憐れみつつも、興味のないふりをしてあくびした。
それが魔女の小屋での最後の記憶。
「……どこ、ここ」
薄汚い路地裏に転がった少女が目を見張っている。
その年齢、12~3歳か。艶やかな黒髪はいつも通り。けれどもいつもなら長く伸ばされているそれは肩口で切りそろえられている。紫水晶に例えられる瞳はなんの遠慮もなく見開かれ、震える唇は紅を引かずとも赤い。その肌にはシワのひとつもなくハリとツヤを誇っている。
いつもとは違う。だが紛れもなくそれは魔女イベリスだ。
転生の儀は成った。けれどここは魔女の小屋の中ではない。
「ここどこ。転生自体は失敗してない。魔力の弱体化も予定の範囲。だけどここはどこなの!?」
駆け出したイベリスに、ネモたちは慌ててついていった。弱体化した魔女を危険にさらすわけにはいかない。ましてやここはネモたちにも未知の場所。だが、ネモたちが止めるまでもなく、イベリスは路地から出る手前でへたり込んでしまった。
「なにここ、魔素濃度が低すぎる……ほとんどないじゃない。これじゃ、魔力が回復するどころか抜けていくばかりだわ!」
イベリスの血の気の引いた青い顔に、ネモも危機感を覚えた。慌てて広げていた3本のしっぽをひとつに纏める。これで魔力を体内に留めておける。魔力の節約モードだ。
レタも二足歩行から腹ばいになり、ホヤも羽を畳もうとして、慌ててネモの背中に乗ってきた。羽を畳んでは移動出来ないからだ。またいつイベリスが駆け出すかわからない。
「なんてこと、なんてこと! 転生直後に必要な魔力が補われないと……普通のヒトになってしまうじゃない!」
魔素、魔素と目を泳がせるイベリスを下から見上げ、ネモはにゃあ、と鳴いた。使い魔としては珍しく、ネモは人語を話さない。その力の全ては魔法に使われる。だが、だからこそ、ネモはイベリスの危機感を最も感じていた。
どこか、早急に魔素を補える場所を見つけ出さなくてはならない。
ふと、気を張っていたネモの嗅覚に、微かに気配が引っかかった。
「にゃん」
「ネモ? なにか見つけたの?」
イベリスを今度はネモが路地から連れ出そうとした。ふらりと立ち上がったイベリスは一歩出て、直ぐに目を見張る。
路地から出たそこは別世界のようだった。
人、人、人。王都の大通りのような賑やかさ。見慣れない服装の人間。やけに短いスカートの女たち。ざわめきと聞きなれない音楽が混じり合う雑踏。色とりどりの看板がどういう技術を使っているのか光を放っていて、見慣れない商品が店頭に並んでいる。
ヨロヨロとした足取りで路地から出たイベリスは、初め唖然としていた。が、その人ごみの向こうからかすかに漂ってくる魔素の気配にハッとする。
「魔素。魔素の気配だわ。どこから……」
「みゃあー」
ネモも魔素の気配を追った。転生に着いてきただけのネモは一行の中で最も体内魔素の含有量が高い。つまり最も余裕があるのだが、主のイベリスが動けなければ使い魔に意味は無いのだ。
全く見覚えのない景色の中、とにかくまずは魔素の確保が最優先。状況把握は後回しにされた。ネモは駆け出す。
「ネモ、魔素の気配を探りなさい。何としても確保するのよ!」
言われずともネモは気配のする方へイベリスを導く。背中のホヤにイベリスを見失わないように、レタにイベリスの側から離れないように依頼して。
乱雑な人混みの、その足元をスルスルと潜り抜けながら、ネモは一番最初に気配の元が何かを悟った。
「……うにゃん」
たとえそこが危険な場所であろうと、ネモには彼女を守りきった上で、魔素を取り込ませる自信がある。あるが、それでも危険に自ら導くのには躊躇いがあり、思わずその手前で足を止めてしまった。
「ネモ、どうしたの」
追いついたイベリスは息を弾ませて言った。そしてあたりの気配を探る。探ってしまった。
「これって……異界の洞穴?」
イベリスも直ぐに魔素の元に気がついたようだ。異界の洞穴は、魔素で形作られた迷宮のようなものだ。入ってくるものを惑わせ、迷わせ、取り込もうとする。
ネモは顔を顰めた。あれは神の悪戯で出来たパズルであって、簡単に抜け出せるものからとんでもない難易度のものまで様々ある。
以前のイベリスならそれでもどうとでも出来ただろうが、弱体化しているイベリスは魔素を補えたところでどうなるか分からない。
そこに、導いて良いものか、ネモは悩んだ。
しかし、イベリスはニィと笑った。
「なるほど、ずいぶん純粋な魔素だと思ったらそういうこと。面白いじゃない」
そうだ、イベリスはこういうヤツだった、とネモは天を見上げた。
面白いことが第一。自らへの危険は二の次なのだ。振り回されるネモたちの身になってほしい。
イベリスはその足に魔力を纏わせて駆け出した。ネモは慌ててその後を追う。
何も考えてない、と焦るネモ。イベリスは悪い笑顔でダンジョンの気配がする建物へと突き進む。魔力を節約しなければいけない今、そんなふうに纏わせて使用していればすぐに魔力は底をついてしまう。ダンジョンに辿り付けないまま魔力が底をつけば、イベリスはただのヒトとして残りの人生を歩むことになってしまう。
――ネモたちと、契約したまま。
魔力の無いただのヒトと契約する旨みは、使い魔には無い。ネモは歯噛みをして、イベリスを追う。辿り着かせれば良いのだ。そう、無理やりに意識を変えて。
扉が開け放たれたままの建物に入ると、すぐにダンジョンの方向に向かう。
「あっ、キミ! 待ちなさい」
すると直ぐに制止の声がかかる。
ダンジョンの前にはゲートが作られていた。その守衛らしい男。
「ダンジョンに入るなら手続きをしなさい……いや、キミ未成年だろう。家の人の許可は?」
「何? そこをどいて!」
イベリスは、掴まれそうになった腕を振り払った。
ネモも威嚇する。イベリスの残り魔力が尽きる前にダンジョンに入らなければならない。
周りの人間の視線が集まるのを感じる。目立つのは不本意だが、それよりも魔素を取り込むことが先決だった。
「待ちなさい!」
「いやよ!」
イベリスはゲートの、腰の辺りの高さの戸板を飛び越えた。周りにブザーの音が鳴り響く。
「あっコラ!」
「待ちなさい……止めろ!!」
慌てる男たちの前をすり抜けて、ネモとレタはゲートを潜り、イベリスを追った。
ダンジョンまで後少し。
そこで、ダンジョンに入ろうとしていた別の男に声をかけられる。
「弾かれるだけだぞ! ダンジョンは16歳にならないと入れない!」
年齢制限付きのダンジョン? だが、イベリスは数千年の時を生きる大魔女だ。そんなもの――。
――待て。今のイベリスは転生直後。そして見目は12かそこら。
ゾッとして声をあげようとした瞬間――





