16.戸木の拐かし
羊の刻を丸々剣技の修練を終えた道仁、一益、具政たち。夜には雪も降るようなこの頃で、3人の身体からは白い靄が立ち昇ている。
今朝の小坊主達が冷たい井戸水を汲むのを躊躇っていたのが嘘のように、修練終わりの3人はその井戸水で身体を清めていた。
『おぉ! これはこれは! 主玄様の御親戚の御武家様。お久しぶりでございます。安濃津の紅葉屋伍助で御座います』
そんな3人に気づいてやってきたのは、人の良さそうな笑みを浮かべ、紅葉の描かれた前掛けの商人姿の紅葉屋伍助であった。
『おぉ紅葉屋さんではないですか。そういえば以前会った時は源浄院の親戚ってだけで名乗ってなかったような。某は滝川彦九郎。こちらは先日一緒にいた陰陽師の蘆屋道仁殿。こちらは木造家当主、木造侍従様でいらせられる。それで、件の鉄砲とやらがもう手に入ったのですか? 』
つい1ヶ月前にお願いしていて貴重な鉄砲がもう手に入ったのかと思った一益が、少し驚いた様な顔で問いかけた。
『な、なんと。木造御所様が居られたとは……それとは知らず失礼致しました。お初にお目にかかります。安濃津商人、紅葉屋で御座います。以後お見知り置きを』
紅葉屋は予想外の同席者であったが、木造具政に丁寧に挨拶をすると改めて、一益の問いに答えた。
『いやぁ滝川様、申し訳ございませんが、鉄砲はそう簡単には見つかりませんで。今日は木造近隣の村々を廻る行商の帰りでございます。主玄様のお耳に入れておきたいことがございましてね』
『主玄殿とはお知り合いだったのですか? 』
行水を終えた道仁は、着物を整え碧の藍染羽織を羽織りながら問いかけた。
『主玄様とは木造当主であったころからの商いのお付き合いでございます。2月に一度の行商の際には、最後に立ち寄って村々の様子や困ったことがなかったかお話しするのが約束事のようになっておりまして』
道仁らと紅葉屋がそんな話をしていると、宿坊の方からこちらに気づいた主玄がやってきた。
『おぉう! 紅葉屋! 来ておったのか。今回は村々を廻るのにちと時間がかかったか』
『主玄様! 今回は途中で雪が降ってきたので少し時間が掛かってしまいました』
『そうかそうか。しかし、無事廻れたようなら何よりじゃ。村々の者らも助かっただろう。毎度、すまぬな。彦九郎殿らと親しげにしてあったら知り合いであったのか? 』
『源浄院を訪ねる前に安濃津にて紅葉屋さんに寄ったことがありまして。以前酒の席でお話しした鉄砲という南蛮渡来の飛び道具の件です』
一益が主玄にそう説明をした。
『なるほど。安濃津の中で大店ではないが、紅葉屋は信頼の置ける商人である事は間違いなし。よい店選びをしたな。はっはっはっ』
『いえいえ。私共も儲けはいただいておりますので。それで、主玄様。本日罷り越しましたのは、此度の行商で聞いた話でご報告したい事がございまして。なにやら戸木の村々で時々、女子の拐かしがあるようです』
紅葉屋伍助は誰に聞かれるわけでもないが、声を落として主玄にそう報告した。
『なに? 賊の仕業か? 』
主玄はその報告に眉を顰めて聞き返した。
『それが、物取りなどはなく、ある晩、急に女子だけが消えるとの話でした。なんでも大きな男が女子を担いで連れてゆくのを見たものや、猿の様な姿だったと言うものなど居りまして、詳しくはわからないのです』
紅葉屋は曖昧な証言しかなく申し訳なさげに答えた。
『助かった者か、拐かした者を目撃した者が居るのですか? 』
木造具政も身支度を終えて、紅葉屋に尋ねた。
『はい、侍従様。明け方に拐かしにあった女子がおりまして。なんでも物音がして目が覚めるとそこには毛むくじゃらの大男がいたそうです。助けを呼ぼうと声を上げるととんでもない力で顔を張られたそうで、そのまま担がれ、連れていかれかけたと申しておりました』
『その女子は連れて行かれかけたと言う事は、実際には助かったのですね? どの様に助かったのでしょう』
具政は、顔を張られただけで抗えなくなるような女子が、その後、対抗して賊の手から1人で逃げられるとは思えなかった。
『それがなんとも不思議な話なのですが、その女子は村の外れにある鶏小屋の鶏に助けられたと言うのですよ』
紅葉屋は困った様に少し苦笑いでそう答えた。
『鶏が賊と戦う訳もなし、一体どう助けたというのでしょうか……』
具政の疑問に紅葉屋、一益、主玄らは、皆同様に首を傾げて答えに窮するのだった。
そんな男達に答えを出したのは道仁であった。
『おそらくですが、その賊は人ならざるものでございましょう』
『人ならざるものでございますか。そういえば、蘆屋様は陰陽師でいらっしゃるとか。なにか心当たりが御在りですか? 』
紅葉屋の問いに道仁は頷き、答えた。
『まず、鶏が助けたとの話ですが、これはおそらく明け方の鶏の鳴き声によるものでございます。まず、ここ伊勢にはお伊勢さんとして親しまれる神宮が御座います。祀られているのは、天照大神様で御座いますれば、その神使は鶏で御座いましょう』
『なるほどなるほど。木造の村々では伊勢神宮へ参るものも珍しくない。商家などでは神棚として祀っておる者も居りますな』
主玄は然りといった具合に、頷きながら道仁の説に同意した。
『神宮のお膝元で天照大神様を奉る神棚のある村の鶏が鳴いたとあれば、悪しき妖など、それはもう耐えられぬことでしょうな。菅公を祀っている天満宮の神使が牛である様に、天照大神様の神使は夜明けと共に鳴く鶏なのですから』
道仁の説明に皆が納得した様に頷いたが、具政は件の賊の正体が気になった。
『賊が妖である事は分かりましたが、結局その正体はなんなのでしょうか。まるで人の大男の様であるとの話でしたが』
『そうですなぁ。定かでは御座いませんが、毛むくじゃらであった事、大男の様であった事、女子だけを攫うことから、狒々という妖ではないかと存じます』
『狒々……で御座いますか』
一同は聞いたことがない妖の名前に、一様に眉間に皺を寄せ首を傾げた。
『私もこの妖には出会ったことは御座いませんが、唐の時代の書物によりますと、老いた猿が妖になったのが狒々だと言われております。古よりいる妖で、人を喰う妖として私共には知られております。また、女子を好んで喰う妖ですので、此度も村の女子を狙ったのではないかと』
『賊ならば木造家主導で根城を見つけてやることもできようが、妖ではなぁ。しかも木造の領内仕置きを出家した拙僧がする訳にも行かぬしな』
主玄は綺麗に剃られた自らの坊主頭を撫でながら、困った様にそう呟いた。その横で難しい顔をした具政は、道仁に向き直ると、
『道仁殿。陰陽師である貴方様であれば、この狒々を退治できましょうか。民を護るは本来、領主の役目。城で政を行う我が家臣、特に北畠家からの目付役達の領内不行届きの始末をお願いするのは筋違いでは御座いますが、狒々退治を手伝って頂けませぬか』
折目正しく道仁に頼むのだった。また、主玄もこれに倣って同様に頼み込んだ。
『拙僧からもお願い致します。しっかり雇い賃は源浄院と木造家から出しましょう』
『そこまで言われたとあっては私も引き受けましょう。また被害が出る前に退治するためには、今夜、戸木の村へ向かわねばなりませんな。さて、一益殿。一緒に征きますかな? 』
道仁は具政と主玄の申し出を頷いて受け入れると、お前ももちろん征くのだろうとニヤリと笑って一益を見やった。
『おう! もちろん共に征こう』
一益は、己の胸をどんと叩いて道仁の誘いを受けたのだった。
『では暗くなる頃には戸木に着けるよう馬の準備をいたしましょう。戸木までの道案内は拙僧が務めましょうかね。侍従様は傅役の三郎左衛門にもこの話をしておいた方が良いでしょう。彼奴は座敷にて書き付けをして居るはずです』
『三郎左衛門は心配性ですからね。なんとか私の同道を許してもらえるといいのですが』
そういうと具政は保重に今回の狒々退治の同道を許してもらいに、寺の中へと消えていった。
『はてさて、主玄殿。この近隣で猟犬など、犬を飼ってある者はいますかな。もし居れば、今夜一晩、その犬らを連れてゆきたいのですが』
馬の支度を小坊主に言いつけた主玄に、道仁が尋ねた。
『たしか戸木村の近くに猟師が居って、そこに数匹犬が居ったような覚えがございますな。行きがけに寄ってみましょう』
こうして紅葉屋のもたらした木造領内での人攫い騒動は、道仁らによる妖退治へと発展したのだった。忍びの具足を確認する一益、懐紙の式神を用意する道仁、傅役を説得して妖退治に同行するつもりの具政など、各々が夜の狒々退治に向けて準備を進めるのだった。
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