106 脳を凍らせるお仕事
……臭い。
侵入して、真っ先に思ったことがこれだ。咳き込むほどではないけれど、かなり酷い臭いだ。
これ、汚物処理をきちんとしてないんじゃないかな。下水完備で、汚水処理を【糞喰らい】ってよばれているスライムの種類をつかっているんだから、現代日本の汚水処理と同レベルの処理能力があるはずなんだけれど。
……もしかしてゴブリン共、トイレの使い方を知らないのかしら? 知らないんだろうなぁ。というか、そういう物の必要性すら感じてないのかもしれないね。
でも見たところ、通路に汚物が散らばってるようなことはないから、多分、どっかの部屋にまとめてあるというか、そこで用を足しているんだろう。
砦……えーっと、ここはなんていえばいいんだろ。お城とかで云うところの、天守? いわゆる居住部分だ。
このアッハト砦の大雑把な形状は六角形。外壁の角の六か所が塔になっている。そして中央に天守的な建物がある。
外壁上を一周した際に、外にいたゴブリンは駆逐済み。もちろん、塔にいたヤツもしっかりと始末してきたよ。
残りはこの居住部にいる奴等だけだ。もしかしたら、砦の外に、食料調達とかに出ているゴブリンがいるのかもしれないけれど。
それじゃ、装備を変更しましょう。
【不可視の指輪】五つをインベントリに収納。遠距離から見つかるのを避けるために着けてたようなものだからね。
代わりに【夜目】と【眩惑魔法使用魔力軽減】、そして【生命探知】の指輪を装備。これで装備している指輪は【攻撃魔法使用魔力軽減】と合わせて四つ。
真っ暗だった辺りがはっきりと見えるようになる。
問題は、『世界が青に!』の状態だけれど。これ、見えるんだけれど、地味に視認し難いんだよね。
おっと、忘れるところだった。一応、用心の為に、扉に【施錠】を掛けておこう。
【施錠】。魔法の鍵を掛ける魔法。これを掛けられた扉や箱は、開けることができなくなる。うん。文字通りの魔法だ。
これも【聖水】と同様、常盤お兄さんが追加した魔法だ。解除に【開錠】か【解呪】を掛ける必要がある。
よし、これで外にでていたゴブリンがいたとしても、背後から強襲されるようなことはないハズだ。
それじゃ、暗殺して回りましょ。
寝ころんだ赤いシルエットがそこかしこに視覚化されて見える。壁を超えて見ることができるから、慣れないと壁があることを失念することが多々あったりする。
敵に撃ったつもりで、壁に矢を射るなんてことを、ゲームの時にたまにやらかしてたからね。
部屋を回り、【氷杭】を打ち込む作業開始。
そっと部屋の扉を開け、寝ているゴブリンに魔法を撃つだけの簡単なお仕事。
それじゃー、がんばりましょー。
◆ ◇ ◆
……外から見た感じ、そこまで大きく思えなかったんだけれど、中に入って回ってみると、広いね。
まぁ、数百人規模で生活できる空間なんだから、当たり前か。
というかですね。見取り図くらいなかったんですかね? 機密扱いで見せなかったのかな? ……いや、斥候させるんだから、見せないことの意味がないよね。
なんでだろ? いやがらせかな?
ひとまず一階をぐるりと回って来た。集会所、礼拝堂、各種倉庫、厨房、食堂に遊戯室。それと、多分、一般兵用の部屋。一般兵用の部屋は別棟みたいになってたね。建物が一緒だから、もの凄く規模の大きい二世帯住宅みたいな感じ?
で、倉庫のひとつ。多分、資材倉庫かな? そこが汚物溜めになってた。扉を開けて、速攻で閉めたよ。
……死ぬかと思った。あまりにひどい悪臭を嗅ぐと、気が遠くなるんだね。さすがに初めての経験だよこれ。
咳き込まなかった私を褒めたいくらいだよ。
臭い付かないかな?
征伐が終わったら、きちんと【清浄】を掛けておこう。臭いは消せるのかな? 多分、いまので鼻がイカレタと思う。少しの間は使い物にならないかな。
よし、今度、消臭剤をつくろう。確か重曹で作ることができたはずだ。問題は、配合がさっぱり分からないことだけど。水にどれだけ溶かせばいいんだろ?
いろいろと試してみるしかないかなぁ。
話を戻して、ほかの倉庫。武器庫と具足庫は空だった。もとから空だったのか、ゴブリンが装備しているのかは、現状では不明。今のところ、鎧を身に付けたゴブリンは見なかったし、武器も粗末な小剣だったしね。長剣はまともに扱えないみたいだけど。
そうそう、ゴブリンについて説明をしよう。
ファンタジー物の小説やRPGでは定番ともいえるモンスターの一種。オーク鬼、人食い鬼、スケルトンにコボルド、ゾンビあたりと並ぶ、メジャーな雑魚モンスターだ。あ、人食い鬼は雑魚ではないか。
ゴブリンは日本語訳だと小鬼と記されることもあるみたいだね。実際、子供と同じくらいの体格なんていうし。個人的には、五歳児くらいの体格と思ってたかな。
……うん、思ってたんだ。
こっちのゴブリン。おっきいんだよ。私と同じくらいあるんじゃないかな。いや、私は子ども扱いされまくってるから、こっちの人たちからしたら『子供みたいな体格』なんだろうけど。
まぁ、私はこのサイズの方が馴染みがあるんだけれど。ほら、四作目に登場してたゴブリンがおっきかったからね。
姿はあれだ。餓鬼が一番近いかな。いや、その辺の悪ガキとかじゃなくて、地獄のほうに落とされたほうの餓鬼ね。
でも、その体は餓鬼みたいにやせ衰えてはおらず、しっかりとした体格をしているよ。で、肌の色は緑色。モスグリーンみたいな色。
あ、血は赤かったよ。なにかのアニメだと、紫色だった記憶があるけれど。
ただ、頭身のバランスは子供。頭が大きい。
……実はこの事実に、私はかなり危機感を覚えたんだよね。
いや、頭が大きいんだよ。形状からして、脳が人間と同等のサイズなんじゃないかと思うのよ。
現状でも、武器を扱う知恵があって、文化的なものを原始的ながらもっていて、集団で活動し、さらには人間以上の繁殖力を持つ。
地球で人間があそこまで繁栄できたのって、いまいった理由からだと思うんだよ。要は、効果的に数の暴力を使うことができたということ。
これ、下手に放置すると、人類が駆逐されかねないよね。第一級殲滅対象生物にされていて、本当に良かったと思うよ。
ダンジョンを生みだした管理者何を考えてこんな危険生物を生みだしたんだろう? まさかとは思うけど、ダンジョンだからって、RPG黎明期のアイテム蒐集系ダンジョンRPGのモンスターを、ほぼそのまま実現したなんてことはないよね?
ゴブリン将軍とかゴブリン戦争師とかでてきたら嫌だぞ。あいつら馬鹿みたいに強かったから。
兵士宿舎? も一通り回り終え、やっと本棟の二階へと向かう。恐らく、この部族を率いている長は、最上階、三階にある司令室、もしくは司令官の自室にいるだろう。
階段を登り、一番手前の扉を過ぎ越したところで足を止めた。
違和感を覚える。
んん? なんだろう。気持ち悪い。
じっくりと周囲を見回す。無視した部屋にはゴブリンはいない。どうやら二階以降は、選ばれたゴブリンだけの居住区のようだ。
壁、天井、床と順に見る。なんとなく床に違和感がある。でも、現状【世界が青に!】の状態なので、いまひとつよくわかならない。
……色って大事だね。思い知らされてるよ。
どうにも気になって、屈んだ状態から這いつくばるような姿勢で床を調べた。
結果、やっとわかったよ。
床の一部が感圧式……といっていいのかな? 罠になっていたよ。廊下一面に、板を敷き詰めて作ったみたいだ。でも罠と云っても、多分、警報の類だと思う。天井を見た限り、破城槌みたいに丸太が降って来るってことはなさそうだし。
床を踏みつけると、引っ掛けてある紐が外れる仕組みになっているみたいだ。多分、どっかで警報が鳴るんだと思う。袋に詰めた鍋とかが落下するようなものだと思うけれど。
ん? よく引っ掛からずに分かったなって? いや、引っ掛かったよ。思いっきり踏んづけたし。というか、踏んだから違和感があったんだしね。
うん。罠を回避できたのは、【隠形】の技能のおかげだよ。感圧板に引っ掛からなくなる技能があるんだよ。さっぱり原理がわからないけれど。
だから、多分、今の私が体重計に乗ったら。体重が零キロってことになるんじゃないかな。
よし。それじゃ、気を引き締めていきましょう。殺意の高い罠じゃないのは、自分が引っ掛かっても無害なようにだろう。廊下の数メートルくらいの間一面に張ってあることから、迂回路があるはず……って、そこの扉から入って、向こうの扉から出るって感じかな。
まぁ、感圧板には引っ掛からないから。ワイヤートラップにだけ気を付けていきましょう。
そうこうして二階も処理が完了。
寝ているゴブリンの頭に【氷杭】を撃ち込み、脳を凍らせるお仕事。本当にただの作業だよ。
あ、一応、罪悪感じみたものは感じてはいるよ。ただね、なんというか『食べる訳でもないのに殺す』という方面での罪悪感なんだよね。
いや、ゴブリンなんか食べたくないけど。というか、人型の物は食べる気がしないよ。
さぁ、三階、最上階ですよ。ここには二匹しかいません。
一匹は椅子に座っているみたい。もう一匹は直立不動。
どう見ても標準的なゴブリンのサイズを超えているね。直立不動の方は、みたところ二メートルくらいあるんじゃないかな。
シルエットが見えるのは、一番奥の部屋。階段を登った真正面の部屋。
私が扉の真ん前にまで来ると、シルエットが扉に向き直った。
あちゃー。これバレテーラ。隠形の技量は五十を超えてるのに見つかるかー。
暫し考え、忍び込むことは諦めた。ならば、堂々と入ろうじゃありませんか。
私じゃないのが。
ということで、スケルトン兵を召喚!
さぁ、スケさん、あの扉を開いてきて頂戴!
スケさん、暫し私を見つめたあと、渋々ながら扉へと向かった。
君は体を壊されてもAI的な魂魄は壊れないんだから、キリキリ働きなさい。さもないと【スケ兵】さんと呼ぶことにするぞ!
スケさんが取っ手に手を掛け、扉を開く。途端、スケさんの頭部にメイスが振り下ろされた。
頭を砕かれたスケさんは、そのまま光の粒子となって消える。
スケさんを粉砕したその一際大きなゴブリンは、辺りを探るように見回している。しっかりと鎧を身に付けた、立派なゴブリン。その鶏冠付きの兜、いわゆるモヒカン兜はここの砦にあったのかな? もの凄い似合ってるんだけれど。
……これ本当に、将軍とか戦争師だ。まともに戦ったらえらい目に遭うヤツ。
でも私はまともになんて戦いませんけど。痛いのは嫌ですからね。
大ゴブリンは顔を顰めると、振り返って部屋へと戻ろうとする。すかさず私はその後頭部から背中にかけて、【氷杭】を連射する。
脳と、ついでに心臓も凍ってしまえ!
狙い違わず、視覚化された氷柱のような冷気の塊が六本突き刺さる。さしもの大ゴブリンも倒れ――ないな!?
大ゴブリンはこちらを振り向き、のっしのっしと歩いてきた。
いや、走ろうとしているみたいだけど、急激に体温を落とされたために、動きが鈍っているようだ。
どんな生命力してるのよ。凍えたどころの状態じゃないと思うんだけど。
驚きつつも、容赦なく正面にも【氷杭】を撃ち込んだ。
そうしてやっと大ゴブリンは止まった。赤いシルエットも消える。
うん、死んだ。
そして飛び出してくるもう一匹のゴブリン。こっちは貫頭衣っぽいものを着ている。どこぞの宗教の教祖の様にも見える格好だ。右手には。いかにも『らしい』ねじくれた杖を持っている。
あんな形の木って、どこで見つけて来たんだろう? などと、どうでもいいことを思いつつ、私は【魅了】の魔法を二重発動で撃ち込んだ。
問題なく魅了は効いたね。再度、スケルトン兵を召喚。明らかに魔法使いなゴブリンを抑え込んでもらい、私が手早く拘束していく。
足を縛ってー、手は後ろ手に親指を括ってー、それから引き摺って行って椅子に座らせて、ロープでグルグルと。
あと目隠しと猿轡も噛ましましたよ。
よし。ミッションコンプリート!
それじゃ、ちょっとお手紙を書くか。砦のこの状態、状況を、口頭で知らせると面倒なことになりそうだからね。
インベントリから羊皮紙とインクをだしてと。あとは、植物紙も一枚だして。
羊皮紙には、みんなでここに来て、親分の始末をしろと書いてと。もう一枚は女司祭へのお手紙だ。
よくよく考えたら、しゃしゃり出た当人だよね? 多分。
粛清者を利用したんだから、画策した者共々、覚悟しとけというようなことを書いてと。
うん。こんなもんでいいか。
あとは、ちゃんと仕事をした証拠がほしいな。この執務机の中になんかないかな。
がさごそと探す。お、ナイフ発見。なんだか柄頭に紋章がはいってるね。なんの紋章だか知らないけれど、仕事をした証拠にはなりそうだ。
さて、予想外に時間が掛かったよ。途中から始末した数を数えるの放棄したし。
それじゃ、帰るとしますかー。
◆ ◇ ◆
指揮官の天幕にまで戻ってきましたよ。
やー。危ない危ない、危うく陽が暮れるところだったよ。日没までには帰るとかいっちゃったからね。遅れたら恰好がつかないよ。
さてと、顔を合わせる気はないからね。
隠形状態のまま天幕内を覗く。うん、男爵さんはいまだに苛々してるね。禿げるよ?
スススと天幕内に忍び込む。【不可視の指輪】を五つ着けた状態だから、姿は見えないけれどね。
まずは、女司祭さんにお手紙を渡しましょ。ふふふ、スリ技術が冴え渡りますよ。事のついでに上げた技術だけど、思いのほか役に立ちそうだね。主にスリ取るのではなく、スリ渡す方面で。
気づかれずにお手紙をポケットに忍び込ませることに成功。次は、依頼達成の旨を記した羊皮紙をテーブルの真ん中にナイフで刺しておこう。
……テーブルにいきなり突き刺したらバレるかと思ったんだけれど、意外にバレないものだね。
よし、完了。帰ろ。
かくして仕事をしっかりと終えた私は、侯爵邸へと帰路についたのです。
あれ? 迎えに来てもらう連絡はどうすればいいんだろ?
誤字報告ありがとうございます。




