§073 情報公開 12/24 (mon)
翌日、階段を下りると、三好が頭だけ出した2頭のアルスルズを前にして、難しい顔をしていた。
何かを口に放り込んで、餌づけをしているわけでもなさそうだった。
「おはよう、三好。一体何やってるんだ?」
「あ、先輩。おはようございます。実は――」
エンカイと戦う前に話題になった、物を身につけたままの移動について研究中なのだそうだ。
「まあ見てて下さいよ」
そう言った三好は、ふたつの色違いの巨大といえる細い首輪を取り出した。
「よくそんなでかい首輪があったな、一体何処で売ってたんだ?」
トラ用かな?
「特注ですよ。だから10日もかかったんです」
それは少し強めに引っ張るだけで簡単に外れるよう工夫されていた。とっさの時邪魔にならないような配慮だろう。
首輪自体は、外に連れて行くとき、リードをつけたり、鑑札や注射済み票をつけるのにどうしても必要なのだそうだ。
外に連れて行く気なのかよ?!
「それで、赤い方を左のカヴァスに、青い方を右のアイスレムにつけます」
言葉通りに、三好は2匹に首輪を取り付けていった。
連中も、大人しくそれを受け入れていて、特に嫌がってるそぶりはみせなかった。
「はい、入れ替わって!」
二匹は影に潜ると、すぐに再び現れた……あれ?
俺の目には影に潜ったときと同じ装いの2匹が、再度現れただけに見えたのだ。
「なあ三好、これって入れ替わってるのか?」
「もちろんです」
左側で赤い首輪をつけているのはアイスレムで、右側で青い首輪をつけているのがカヴァスらしい。
「つまり中身だけが入れ替わるってことか?」
「そうなんです」
連絡するアイテムを持たせても、身につけたものはそのままに中身だけが入れ替わるのでは意味がない。
「凄く不思議だが、入れ替わるという観点からは納得できそうな結果だよな」
もくろみはうまくいかなくて残念だけど。
「ですよね。でも先輩、実はこの先があったんです」
「先?」
「はい。いいですか、見ていて下さい」
三好は、メンディングテープを取り出すと、短く切って、カヴァスの鼻背へと張りつけた。
「メンディングテープなんて、よく持ってるな」
「資料に張りつける付箋には、なかなかいいんですよ」
付箋紙だと剥がれてわからなくなったりするそうだ。なるほどね。
「じゃ、もう一度お願いね」
先ほどと同様、2匹が入れ替わると、今度は右で青い首輪をつけているアイスレムと、左で赤い首輪をつけているカヴァスに……あ、あれ?
そこには、鼻背にメンディングテープを張りつけたカヴァスが、ちょこんと顔を出していた。
「テープは入れ替わらない?」
「そうなんですよ!」
三好の説明によると、アルスルズが身につけたものは、体に触れている部分から連続した領域が、一連の物として取り扱われるそうだった。
「で、その物の質量が問題だったんです」
「質量?」
「はい。ある程度以上の質量を持ったものは、入れ替わりの時に置き去りにされるんですが、それ未満の質量ならくっついて移動するんですよ」
「じゃあ、その質量によっては連絡媒体として利用できるってわけか! で、その質量って?」
「大体1gでした」
いちぐらむぅ?
「そりゃ、薄紙1枚……いや、体に固定するアイテムを考えると、それも苦しいか」
そう言うと、三好は不敵な笑みを浮かべて、ちっちっちっちと右手の人差し指を振っている。
「先輩。今は2018年ですよ?」
そういって、小さなチップのような物を取り出した。
「マイクロSDカード?」
「マイクロSDカードの重さは、大体0.4gなんです」
え、マジで? そんなに軽いの?
「いや、だけど身につける器具が問題だろ? クリップで挟むにしても、0.5g級のクリップなんてあるのか?」
「ありませんでした」
「うーん。さっきみたいにメンディングテープとかで、鼻背に張りつけるか?」
それなら1gを切るかもしれない。
「それだと外れたときが怖いですよね」
「まあな」
身につけたものは入れ替わるだけだろうが、はずれて落ちたらいったい何処へ行くのか?
認知不可能な空間を永遠に漂ったりしてそうだ。
「それでね、先輩。釣りに使われる1号のラインって、大体200デニールなんだそうです」
なんだいきなり?
「デニールってストッキングとかの?」
「です。因みにこれが40デニール」
多少透け感が残ってますよね、と言って、自分のタイツをつまんで持ち上げるとぱちんと放した。
ストッキングはメーカーにもよるが、大体25デニール以下なのだそうだ。
「デニールって、糸の太さの単位なんですけど、同じ直径の糸が同じデニールになるとは限りません」
「意味がわからん。なんでそれで糸の太さが表せるんだ?」
1m長さが、物質によって変わったりしたら単位として成立しないだろう??
「デニールは、kg/mの900万分の1で定義されてるんですよ」
「糸1mの重さだったのか」
「糸の直径を測る手段が無かった時代だったんでしょうね。まあそういうわけなので、200デニールの糸1mは、0.02gちょいだってことです」
そうして三好が、透明な紐のような何かを取り出した。
それはラインで編んだ小さな籠付きの首輪だった。
「それでポシェットを作ってみました! 重さは大体0.3gです!」
糸よりも籠を組み立てる際に利用した接着剤の方が重いかも、だそうだ。
それにマイクロSDを詰めた三好は、早速2匹に入れ替わりを支持していた。
超軽量ポシェットを装着したアイスレムは、見事にそれを装着したままカヴァスと入れ替わった。
「凄いじゃん!」
「あとは、ポシェットと他の装着物がふれないよう注意するくらいですかね。触れてると失敗します」
そうすると、ひとつの物体とみなされるらしかった。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「おはようございます」
ロックを外すと、何かの書類を小脇に抱えた鳴瀬さんが、ドアを開けて入ってきた。
「おはようございます。早いですね」
「ええ、丁度土地の件が暫定ですが、まとまったのでご報告に」
鳴瀬さんは以前話していた、2層の土地利用に関する賃貸資料を携えて来たようだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「坪3万?!」
「はい」
だが、その内容を聞いた、三好は、憤懣やるかたないといった様子で、抗議していた。
「坪3万ったら、新宿3丁目とか六本木レベルですよ?!」
「それって高いのか?」
「先輩。先輩の前のアパート何坪ありました?」
「ん? ダイニングが6+2の奧が6畳。後は風呂とかの水回りがあるから、10坪ってところか?」
「そう。平均的な1DKなら、32㎡くらいですよね。坪3万だと、家賃30万です」
「高っ!」
「へたすりゃ銀座と変わりません。大体どういった算定根拠なんですか、それ?」
三好が鳴瀬さんに食ってかかっているが、彼女だって、言われたことを伝えてるだけだろうしなぁ。
「まあまあ、三好。ここで鳴瀬さんに食ってかかったって、仕方ないだろう」
「そりゃそうですが、いいですか、先輩。代々木の1フロアが、半径5kmの円だとしたら、その面積は、5000x5000x3.14㎡です」
「そうだな」
「つまり、その賃料で1フロアを全部貸し出したとしたら、月の家賃収入は、7000億円を超えるんですよ? いくらなんでもボリ過ぎです」
計算早いな!
「その辺はこれから例のセーフ層の話と絡めて詰められると思いますが、営利企業に貸し出す場合の暫定金額だそうです」
鳴瀬さんも申し訳なさそうに言っているが、三好はぶーたれたままだ。
「よし、なら1坪だけ借りようぜ」
「1坪、ですか?」
「そう。約3.3㎡。2畳とも言うな」
結局確かめたいことは、ダンジョン内の植物を切った時、復活するのかってことと、復活するなら、植えた植物はどの辺からダンジョンの中にあるものとみなされるのかという2点だけだ。
それほど大きな土地は必要ないだろう。
「わかりました。じゃあ一坪借り受けます。場所は適当に決めていいんですか?」
「はい。2層から3層に到るメインルート以外なら構わないそうです。あとで鑑札をお持ちしますので、それを使用している土地の何処かに設置して欲しいそうです」
「わかりました」
よし、これで農園のテストが出来るぞと、俺は、結構ワクワクしていた。
実に微妙で面白そ……げふんげふん。もとへ、世界を救うかも知れない実験だ、大変やりがいがある。午後にも場所を探そうと心に決めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「と、言うわけで、Dパワーズとは1坪の賃貸契約をしました」
JDA本部に戻ってきた美晴は、ダンジョン管理課の管理職用ブースで、斎賀課長に書類を提出していた。
現在Dパワーズ関連は、全て課長案件になっていた。なにしろおおっぴらに出来ないことが多すぎるのだ。
「いや、鳴瀬。それは分かったんだが……この報告書は……なにかの創作か?」
「そうだと良かったんですけど」
クリスマス前日になり情報が解禁された結果、彼女が一気に書き上げた報告書は、常軌を逸脱した内容がずらりと並んでしまったのだ。
「三好梓が、ヘルハウンドをペットにしている?」
「JDAには、サモナーやテイマーに関する規定がありませんでした」
「そりゃあないだろう」
そんなスキルを持った探索者は、いままでいなかったのだ。
常に後手後手にまわらざるを得なかったダンジョン協会が、存在するかどうかもわからないスキルを想定して、あらかじめ法的な仕組みを準備しておくなんてありえなかった。そんなリソースはないのだ。
「特定動物リストにも特定外来生物等一覧にも掲載されていませんでしたので、単なる犬として処理しました」
彼女が言っていることは、きちんと法に則っていた。ただ、法の方が現実に追いついていないだけなのだ。
日本では憲法の39条で、法の不遡及が保証されている。そのペットがなにか問題を起こさない限り、いまさらヘルハウンドがNGと言うわけにはいかないだろう。
「あ、ああ。で、その犬? は、大丈夫なのか?」
「可愛いです」
美晴は、翻訳中一緒にいた彼らにすっかり骨抜きにされていた。もふもふは正義なのだ。
「そ、そうか。まあ、土佐犬みたいなものだと思えばいいのかもな」
地獄の犬だが。
「そうですね。体高は3倍くらいありますけど」
「3倍?!」
土佐犬の体高は50cm~60cmくらいだ。つまり……
「体高が150cmもあるのか?!」
「それくらいはあるかもしれません」
体高1m、最大級のベンガルトラが300Kgほどだ。アムールトラでも350Kgといったところだ。
馬のシャイヤー種だと考えるなら、体重が1tを超えていてもおかしくない。それが、犬?
「それって犬なのか?」
「見た目はともかく、行動は犬でしたね」
「そ、そうか。で、その三好梓だが、鑑定持ちだというのは……」
「Dカードを確認しました。間違いありません」
そこには鑑定の機能の聞き取りも含まれていた。
曰く、ダンジョン内のドロップアイテムやオーブの詳しい説明が得られる機能らしい。
「これがあれば、未知のスキルやアイテムも、いままでよりもずっと安全に取り扱えるわけか」
「そうですね」
「ドロップ対象が、さまよえる館のアイボールとあるが……」
「はい。ダンジョン情報局にアップした動画にもある、あの館です。あれの軒先に大量にぶら下がっていた眼球ですね」
「そりゃ、採りに行くのも大変だな」
「三好さんは、この情報でさまよえる館にある、本のページめいた碑文が、数多く手にはいることを望んでいるようでした」
「なるほどな。で、そのスキルを利用して、ステータスを表示するデバイスを作ったってことか」
「はい」
そこには、ステータス表示デバイスの開発に関する概要が記されていた。
研究者の間で、あるんじゃないか程度に知られていたステータスが、はっきりとあることにも驚きだが、それを数値化して表示するデバイスと来ては、もはや他の研究者とは隔絶したレベルと言って良い。
未来から来たネコ型ロボットがバックにいてもおかしくないレベルだ。
「これに関しては、JDAも噛みたがるだろうが……」
「Dパワーズには、技術も資金もありますから、噛むと申されましても……」
まったくだ、と斎賀は苦笑した。
噛むどころか、こちらが頭を下げて教えを請わなければならないことだらけなのだ。
「これを知られると、又候、瑞穂常務あたりが暗躍しそうだな」
「異界言語理解の件で、随分と評判を下げたと伺っていますが」
あの局長級の会議を巡って、上の方では色々あったらしい。
「その汚名を挽回するチャンスだからな」
斎賀は迷惑そうに顔をしかめた。
日本のために、などというお為ごかしが今更通用するはずがない。相手の気分を害するだけだ。ものはUSに持って行ってもEUに持って行っても、はたまたCNに持って行ってもいいのだ。
本当にそう願っているのならまだしも、ただのお題目では、聞く耳を持って貰えるはずがない。ただ、嫌われるだけだ。
いずれにしても、三好梓の価値は、今回の件で跳ね上がった。
今や、日本のNo.1VIPエクスプローラーだと言っていいだろう。イノベーションがあまりに集中しすぎていて、危険なほどだ。
事実、何処かの国が暗殺を謀った、なんて噂がまことしやかに流れていた。
「しかも、極めつけがこれか」
そこにはヒブンリークスの情報が記載されていた。
「これも冗談じゃないんだな?」
「はい。公開前のサイトを確認しました」
「誰が翻訳してるんだ?」
「そこは、わかりません」
美晴は内心課長に謝りながら、首を振った。
付帯資料として添えられた、主な碑文の抜粋には、RUから出たと言われる資料にあったものも、なかったものも含まれていた。
そのことが、逆に、文書の信憑性を高めていた。RU22-0012に到っては、おそらくRUが故意に伏せたであろう情報だった。
「鉱石のドロップね……」
「マイニングは18層で確認されました。またそれを利用して、20層でバナジウムがドロップすることも確認されています」
斎賀は、頭を振りながらその話を聞いていた。果たして3ヶ月前に情報を伏せたRUがそこまで進んでいるだろうか?
おまけに、発見されている碑文の全訳が、明日公開されるだと? WDAとは無関係な場所で?
「こいつら、ダンジョンの悪魔に魂でも売り渡してるんじゃないだろうな?」
先日ダンジョン内の土地の貸与についての話をまとめたばかりだというのに、こいつ等のせいで、今後一体どれだけの新しいルールが必要になるのか、見当も付かなかった。
「いっそのこと鳴瀬の頭がおかしくなって、報告書に妄想が書かれていたと言うことにした方が、丸く収まりそうだな」
「酷いです、課長」
そう言って美晴は笑ったが、実は同じ事を考えていた。
あまりの情報量に、何を何処に上げればいいのかすら悩むレベルだ。
「またまた荒れそうだなぁ……」
斎賀は背もたれに体重を掛け、のけぞりながら、窓の外を見た。しかし、昨日とは打って変わって、東京の空はきれいに晴れ渡っていた。




