§192 今後の展望 3/12 (tue)
翠さんが昼食を食べてから帰宅した後、俺は事務所のソファでグラスと一緒にダラダラしていた。
今日もブートキャンプは行われているが、最近では第2が時間差で稼働している。教官が一人しかいないため、同時間の開催は出来ないからだ。
教官を増やすという話もあったのだが、終了時間を通知するグレイサットは1匹しかいない。だから一人の教官に張り付けておくだけで済む現体制が望ましいのだ。
もっともキャシーが前面に出るのは、最初の説明と最後のメチャ苦茶を飲ませるところ、そうしてトラブルが起こったところくらいで、個々の訓練についてはアルバイトのアシスタントを雇ったらしい。
一般から公募したのかと思ったら、DADの後輩なんだとか。それでいいのかDAD。
「とうとう、ダンジョン内で通信ができるようになりましたけど、この後はどうします?」
三好がダイニングから、コーヒーを二つ持ってやってきた。
「そうだな。ダンジョンの中だけに限っても、転移石31の作成に、アメリカの荷物運びもそろそろだろ?」
「インフィニティファームシステムも、試作機ができてるそうですよ。どこに設置して試験します?」
「横浜は大きさ的に難しいか?」
「ロビーや踊り場に置くのは、ちょっと無理ですね。あとDファクター濃度的にもあんまり適してない感じです」
「リポップが遅いのはなー。じゃあ、代々木しかないだろ」
「そうなんですけど、放置しておくといつの間にかなくなったりしませんか?」
「機器が大きくなると、スライム対策も面倒になるか」
「大きくてもDPハウスみたいな、最初からそれ対策をした形状なら問題も少ないんですが……」
それを聞いた俺は、兼ねてから考えていたことを実行に移すことにして、きちんとソファに座りなおした。
「なあ、三好」
「なんですか、改まって」
「丁度、通信ができるようになったら、次は建物だと思ってたんだよ」
「なんですか、その飛躍は」
「いや、だって、ダンジョン内の残骸の消滅トリガが観測なのは良く知られているだろう?」
「初期のころの研究ですね。見張っている間はスライムが現れなかったってやつ」
「そうだ、それをもとに、エクスペディションスタイルの通信拠点防衛なんかが比較的安心して行われてるわけだ」
「あれも不思議ですよね。スライムが溶かしているだけとは思えない速度でなくなっちゃいますから」
それでもスライムがトリガになっていることだけは間違いない。
もしもそうでなければ、スライム防衛だけしている、21層のDPハウスはとっくになくなっているだろうからだ。
「そうだな。だがまあ原理はいいよ。ここで問題なのは、『観測』とはなにかってことだ」
「なんですなんです? いきなり哲学とか量子力学の話?」
「普通、見ているっていうと、誰かが対象を目で捉えて脳で認識している状態だろ?」
「まあ」
「なら、カメラはどうだ?」
カメラが対象を捉えているとき、それは見ていることになるのだろうか。
例えば、そのカメラからの映像を録画しているときと録画していない時では、同じカメラを利用していても、見ていることになったり見ていないことになったりするのだろうか。
「後で人間が確認するために録画をしているのなら、見ていると言ってもいいんじゃないですかね?」
「それならばっちりなんだがな」
通信ができるようになったということは、そこに設置したカメラの映像を飛ばせるということだ。
もしもカメラを利用して遠隔で映像を見ていても、ダンジョンがそれを観測だととらえれば――
「永続的な建物がダンジョン内で建てられる?」
「かもしれない。だから実験だよ」
最初の実験プランは、次の五つのバリエーションを比較的近くに配置して、カメラと人工物Aがどうなるかを確認するのだ。
1.人工物Aのみを配置した状態
2.1台のカメラで、人工物Aを監視している状態。
3.2台のカメラで、お互いを監視して、中央に人工物Aが置かれた状態。
4.3と同様だが、録画しない。送られてきた映像も見ない。
5.3と同様だが、スタンドアローンで録画する。
5は、まあ、オマケだ。もし5でも許されるんだとしたら、代々木以外のダンジョンでも使える手法になるってことだ。
しかし5は、すでに誰かがやっているような気もするな。
「代々木ですよね?」
「横浜じゃ、電波飛ばないからな」
これが思った通りの結果になったとしたら、ダンジョンの利用はさらに広がることだろう。
「だけど普通の解像度じゃあっという間にパケットを使い果たしちゃいますよ。128kbpsで転送できる解像度で、観測って言えますかね?」
確かに、通信量が爆発してるってことは分かるけれど、あれだけ動画コンテンツだのゲームだのをプッシュしておいて、制限速度が128kbpsというのは時代遅れなんてレベルではないよな。
最低でも古いADSL並みの、1.2Mbps程度は確保してほしい。
5Gだのなんだの景気のいいことを言ってはいるが、今のサービスでどうしろというのだろう?
10Gbpsを超える通信速度? それって、大容量サービスの10Gバイトを食いつぶすのに、たった8秒ってことだよ? 開始数秒で転送量をすべて食い尽くして、あとは1か月間128kbps? はっきり言ってバカだろう。
回線とコンテンツと、サービスが乖離しすぎる時代はすぐそこだ。
「ワンセグの映像って、H.264で、128kbpsじゃなかったか? 320x240だけど」
「あれ、15fpsですよ」
もしも、画像の転送に数秒かかったりしたら、その数秒で何かが起こるかもしれないが、さすがに1/15秒なら大丈夫……なんじゃないだろうか。
「いくらなんでも1/15秒で、消えてなくなるってことはないと思うが……無制限SIMの低速プランで500kbpsってのがあったはずだぞ。500kbpsなら、30fpsでいけるだろ。H.265ならなおさらだ」
「じゃあそれで、えーっと、5回線ですね。機材を探してみますが、H.265が使えるようなカメラって、低解像度がないものが多いんですよね……」
ぶつぶつ言いながら、三好が間尺に合いそうなカメラを検索していた。
「いざとなったらPCを括り付けて対応しますけど、問題はバッテリーですよね……」
動画のエンコードを延々やって、電気を食わないわけがない。せめて48時間くらいは持たせたいのだ。
「バッテリーと言えば、タイラー博士が何とかするって言ってたのって、どうするつもりなんだろうな?」
「そりゃ、館にコンセントを作り出すんじゃないですか?」
「いや、コンセントってなぁ……まさか、Dファクターの直接電気化か?」
「どっかの誰かが、やろうとしてたやつですね」
「やけくそで、魔結晶に電線張りつけて豆球をつないでみるかって言ったのはお前だろ」
「先輩。もしも本当に博士が直接電気化をやっていたとしたら――」
「誰でもそれを再現することができるようになっているかもな。塩化ベンゼトニウムのことを考えても、十分ありえる」
「でも、どうやって?」
「そこだよなぁ……」
「祈りと言い、バッテリーと言い、分かんないことがいっぱいですよー。マニュアルが欲しいですね」
「そうだなぁ……ただまあ、もしもそれらが全部上手くいったとしたら――」
「したら?」
「ダンジョンの中に、地球とはあきらかに違う世界が現出することは間違いないな」
無償で無限のエネルギー、移動は瞬間移動、ついでに祈りで何でも作り出せる世界が。
「こいつはまるで、夢の研究室だな」
「核爆弾が爆発するような事故が起こっても、被害はそのフロアだけですし?」
「よせよ」
三好は笑いながら、カップを下げようと立ち上がった。
「じゃあ、実験の場所については、鳴瀬さんが来たら相談してみます」
「そういや、あの『備品』申請は通ったかな?」
「今のところ、他に代案がありませんからね。通ると思いますけど……」
「鳴瀬さんが、ダンツクちゃんのマムになる日は近いな」
俺がそう言って頭の後ろで両手を組んだ瞬間、呼び鈴が鳴った。
その人物を確認した三好が、「噂をすれば影ってやつですね」と言って、ドアに向かった。
『よう、久しぶりだな』
『お久しぶりです、サイモンさん』
『そうそう、もうこき使われまくって、しばらくアズサのコーヒーすら飲みにこれなかったサイモンだ』
サイモンは、クンクンとその残り香をかぎながら、さりげなく三好にコーヒーを要求した。
『なんですその説明的なセリフは。18層と22層で大暴れしているって聞きましたけど』
『あとは物資の輸送のために、地上との間をキャラバンしてたりな』
そういえば、時折キャラバン中に撮られた、彼らのサービス精神旺盛な写真がSNSを賑わしているようだった。
『それで今日は?』
『おお、セーフエリアの分割も決まって、開発も始まったみたいだし、そろそろ輸送してくれってよ』
『それを言うために、わざわざ? 忙しかったんじゃ?』
『いやいや、俺にもたまには息抜きが必要だろ?』
そう言いながら、三好の入れたコーヒーを受け取って、匂いをかぎ、それを満足そうに口に含んだ。
『それに、お前らのところキャンプが、やっと本格稼働しただろう?』
テストオープンは2月の終わりだったが、本格的に受講者を受け入れ始めたのは3月4日からだった。
変な夢を見たり、転移石のことで忙しかったから、少しずれたのだ。
『おかげさまで、第2はDAD専門みたいになってますよ』
『まあまあ。キャシーだって、うちの連中をアシスタントに使ってるみたいじゃないか』
それを言われると言葉もないのだけれど、あれ、ちゃんとバイト代を払ってるんだろうな……ちょっと不安になって来たぞ。
『うちの秘密が盗めていいじゃないですか』
『そう思うだろ? ところが全然再現できないんだとよ。お前らどんな魔法を使ってんの?』
『いや、それ言っちゃダメなやつでしょう?』
あまりにあけすけな様子に、俺は思わず苦笑した。
『なに言ってんだ。最初にキャシーに、『業務中に知りえたことは元の上司に話していい』とか言ったのはお前らだろ』
『まあ、そうなんですけど』
『おまえらの準備ができるのが遅いから、民間人を装って、新しくできた代々木ブートキャンプにも試しに人を送り込んでみたんだが――』
『どうでした?』
サイモンは言いにくそうに肩をすくめ、口をへの字に曲げた後、ポツリと言った。
『――ありゃ詐欺だな』
自分たちで再現してみたブートキャンプと同じで、効果はまるで感じられなかったそうだ。
『ともかく、そういうわけでな。第2の訓練が終わった奴が本格的に活動を始めたから、俺たちは雑用から解放されたってわけ』
『はぁ、それはおめでとうございます』
『評判は上々だぞ。もう一度受けたいというやつも大勢いるそうだ。商売が繁盛して結構なことだな』
『いいですけど。あの訓練を受けたら代々木で1年間攻略に力を貸す必要があるんですよ?』
『まあ、1年くらいなら、いい経験になるだろ。一応ここは、世界でもっとも深いところまで到達しているダンジョンだし、金も儲かる』
『アメリカって、そんなに緩いんですか?』
『米軍は、日本やNATOにも駐留してるだろ? 大差ないって。きっと手当も出るぞ』
そう言われれば、日本にも5万人以上の米兵が駐留している。任期の平均がどのくらいかは知らないが、1年くらいなら普通なのかもしれないな。
DADは軍とは少し系統が違うようだが、基本的なところは似たようなものなのだろう。
『それで、なんだ? 俺たちが真面目に働かされていた間に、代々木はずいぶんと面白いことになってるじゃねーか』
『面白くないですよ。フランスチームは犠牲になりましたし』
『ああ、ヴィクトールのところだろう? 話を聞いても信じられなかったぜ』
『アッシュを過信したんでしょうか』
『フランスのポーターか。……かもな。ファルコンのポーターも、やはり連れてるともっと先まで行けそうな気分になるぜ。弾薬の数の余裕が原因かもな』
部屋には少ししんみりとした空気が流れた。俺たちはフランスの探索者とまるで接点がなかったが、サイモンはおそらく知り合い程度には接点があっただろう。
ある日突然知り合いがいなくなる。普段はまるで意識していなくても、意識した瞬間になんとなく寂しい気持ちになるものだ。
『ま、あいつら足が遅すぎて、はっきり言って邪魔だから、よっぽどでないと連れて行かないんだけどな』
『よっぽどって?』
『遠距離で12.7ミリが効果的な相手、とかだな』
12.7ミリが効果的な相手? 7.62ミリが豆鉄砲みたいに感じられるやつか。
キメイエスみたいなやつが定期的に出るなら効果があるかもしれないが、あれの場合はデスマンティスの餌食になるだけのような気もするな。
エンカイにはそもそも当たらないだろうし……
『いますか? そんな奴』
『31層の各ボス部屋辺りでは役に立ちそうな気がするんだが』
『もう試されたんですか?』
『いんや、これからさ。やっとプラチナ小僧のお守りから解放されたところだからな』
そういえば、22層でポーターのテストをしていたっけ。
『そういや、代々木はどうなってんだ? 突然ダンジョン内で携帯が使えるようになった時には何事かと思ったぞ? どうせあれもお前らのせいなんだろ?』
『ええ? えーっと、違うというか、そうだと言うか』
『意味わかんねーよ。あれって、他のダンジョンでも使えるようになるのか?』
『それはなんとも。あれって、代々木特典みたいなものですし』
『特典ってな……』
サイモンは呆れたように、ソファに深く体を預けて足を組みなおしたが、なにかを思い出したようにカップを置くと、人懐っこい笑顔で、体をおこした。
『そうそう、SMDの初期ロットも回してくれよー』
思わず肩に手をまわしてきそうな距離感に、俺は、スススと距離を取りながら、横目できっぱりと断った。
『うちにそういうコネルートはありません』
『そう言わずにさぁ』
さらに詰めよってくるサイモンから逃げていると、三好が笑って、あたらしいカップを置きながら言った。
『そういえば先輩。キャシーが、従業員枠で何台か確保してましたけど、あれがDADの分ってことじゃないんですか?』
サイモンはナイスとばかりに小さくガッツポーズを作った。
『よっし、どこの所属かちゃんと忘れてなかったようだな』
『そりゃそうでしょう』
『いや、お前らのところの方が給料がいいし。あと、教官として俺たちを罵倒できるし?』
『そこ?』
『日頃の恨みってやつは怖いんだぜぇ』
そういや、キャシーっていつまで代々木にいるんだろうか。とりあえず初回の契約は1年って話らしかったが……
新しい教官を雇うのも面倒だし、数年やってくれないかな。
『じゃあ、もう横田に取りに行っていいんですね?』
三好が立ったまま、腰に手を当ててそう訊いた。
『おうよ。頼んだぜ。いつごろ下に届く?』
『うーん、じゃあ、きょうこれから受け取りに行きますよ。下へは――なるべく早く?』
『なるべく? まあいいか。じゃあ、横田に行くんなら一緒に行くか?』
『いえ、俺たちは鳴瀬さんを待たないと――』
サイモンが三好を誘って、俺が割り込んだところで、また呼び出しのベルが鳴った。
「噂をすれば影、パート2ですね」
三好がそう言って、鳴瀬さんを迎えると、これからの予定について説明しているようだった。
『ところで、ありゃなんだよ?』
その隙にサイモンが、前は存在していなかった、隣の16畳間の半分を占拠している怪しい消音室を親指で指さして言った。
『あー、コンピュータールーム、ですかね?』
『こんな一般家屋に、一体何を持ち込んでるんだよ?!』
『DADにもあるでしょう?』
『そりゃ、研究部署にはあるだろうさ。だが、俺達にはあんまり関係ないからな』
『いろいろとあるんですよ』
『人に言えない計算が、か? 悪の秘密組織みたいでいいな、おい!』
彼は、バンバンと俺の背中を叩いて喜んでいた。




