§163 金枝篇 JDA 2/15 (Fri)
「斎賀課長、ちょっとよろしいでしょうか」
もうすぐ昼休みになる時間に、主任の坂井が、斎賀のスペースへとやってきた。
何か心配事があるのか、顔色はあまりよくないようだ。
「なんだ、坂井。珍しいな。入試対策委員会でなにかあったのか?」
「いえ、機器の納品自体は予定よりずっと前倒しで納品していただいているので、問題はないのですが……」
きょろきょろしながら言葉を濁す坂井を見て、なにかこの場で話しにくい内容があるんだろうと判断した斎賀は、彼を昼食に誘うことにした。
「そろそろ昼か。じゃ、ちょっと外へ行くか」
「わかりました」
ふたりで連れ立って、課長用のパーティションから出ると、ここのところ斎賀の秘書的な役割をしている九条紗香が彼に声をかけた。
「あ、課長。真壁常務が連絡が欲しいそうです」
「俺? 橘さんじゃなくてか?」
橘三千代はダンジョン管理部の部長だ。部の話なら、普通は彼女と話をするはずなのだ。
「はい。午後のいつでもいいそうです」
「わかった」
「それと――」
「千客万来だな」
坂井に向かって、冗談めかして言うと、彼女の報告の続きを聞いた。
「アンダーソン課長から、WDAからの協力要請について打ち合わせがしたいそうです」
「WDA? なんでうちと?」
「DFAの要請で、ミハル・ナルセの協力が欲しいそうです」
「はぁ? ……ちっ、あのおっさんか」
「課長、お言葉が……」
紗香は、眉をひそめて笑いながらそう言った。
「わかった」
「後――」
「まだあるのかよ……」
斎賀が天を仰いでくるくると目を回してみせると、綾香は微かにほほ笑んだ。
「雨宮さんから、プロジェクトの進め方についてすり合わせをとのご連絡が入っています」
「あいつら、まさか一日中会議しかしてないんじゃないだろうな」
ここのところ、振興課からの会議の要請で時間を削られまくっている斎賀は、嫌そうな顔でそう言った。
それを聞いていた二人は、笑うわけにもいかず、神妙な表情を取り繕っていた。
「分かった、午後から随時こなしておくから、アポを――」
取ってくれと言おうとして、取りようがないことに気が付いた。
なにしろ話の内容がどれもはっきりとしないのだ。つまりかかる時間もはっきりとはしなかった。
「――取らなくてもいいや」
「は?」
「いや、どれがどのくらい時間がかかるのか分からないものばかりだからな。その都度連絡してみるよ」
ひでー仕事だと、ぶつくさ言いながら、彼は坂井を連れて部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
JDAのほど近くにある蕎麦屋に入ると、ざるそばを二人分注文した。
店の隅のテーブルで、斎賀は早速坂井に尋ねた。
「それで?」
坂井は言いにくそうにしていたが、意を決したように斎賀を見て言った。
「課長。ここだけの話ですが、例のデバイス、どうも持ち出されているような気がするんです」
「持ち出されてる?」
斎賀はその根拠を尋ねた。
「デバイスの数が合わないとかか?」
「数字の上ではあってることになっています」
「何か別の状況証拠があるのか?」
そう言われて、坂井は、自分のスマホを取り出して、どこかにアクセスすると、おもむろにその画面を斎賀へと向けた。
「これなんですが」
彼がスマホで表示したのは、御殿通工のチャートだった。
「お前、株なんてやってたのか」
「いえ、まあ……」
斎賀は笑って、「ほどほどにしとけよ」と言ってそのチャートを見た。
「これはなかなか凄いな」
そこに示された1時間チャートは、右肩上がりで激増していた。
「今週に入ってから、ずっと終値ベースでストップ高を更新し続けています」
値幅制限は、株の値段にもよるが、大体15%~30%程度だ。場合によっては、大体3日で株価はほぼ倍になる。
その後、売買が成立しない日が3日続くと、値幅制限が拡大され、今度は上り幅が倍、つまり30%~60%になるのだ。
「それに、月曜日に売買が成立して以来、今日まで午後立会終了時にしか売買が成立していません」
「俺は株のことなんかよく知らんよ。分かりやすく言ってくれ」
「ずっとストップ高で来ていて、昨日から値幅制限が拡大されていますから、もしこのまま行くとしたら――」
「したら?」
「来週中に株価は10倍に、再来週の終わりには100倍近くになりますね」
「そりゃ凄い。だが、それがデバイスの数が合わないことと関係があるのか? それとも、この株を買えと言いたいのか?」
坂井は思いっきり顔を振って、そうではないと強調した。
「いいですか、課長。この株は上がる要素が何もないんです」
「何もない?」
「はい。少なくとも業績予想や、プレスリリースを見る限り、まったく何もありません。むしろ緩やかに下がる方が自然です。もっとも今では、隠された何かがあるんじゃないかと注目されていますが」
今の大きな話題と言えば、ソフトバークグループが、上限1億1200万株(6000憶円)の自社株買いを発表して、昨日までに5575万株(5999億円)を買い取ったことくらいだろう。
今度は、上げた株価を背景に、それを再放出するのではないかと言う懸念が高まっていた。(*1)
その他には特に、大きな話題はなかった。
「株式市場で不思議なことが起こっているというのは分かった。それで、結局何が言いたいんだ?」
坂井はテーブル越しに身を乗り出して、小さな声で囁いた。
「課長、例のデバイス。あれに使われている主要なセンサーが、御殿通工の製品で、その特許も御殿通工が保有しているんです」
「……調べたのか?」
斎賀の目つきが鋭くなったことに気が付いた坂井が、こともなげに言った。
「そんなことをしなくても、ふたを開けりゃ分かりますって」
確かにPP外装に、むき出しの基板だ。
シールもされていないから、ふたを開ければわかるだろう。そうしてそれは持ち出せさえすれば誰にでもできるのだ。
さすがに使用中にふたを開けるやつはいないだろうが。
「値上がりの原因はそれか?」
「想像ですが」
「つまり、バイトか社員の誰かがそれに気が付いて株を買っている?」
坂井はゆっくりと頭を振った。
「そういう買いがないとはいいませんが、それだけと言うのはいくら何でも無理がありますよ。凄い大金が動いてますから、よっぽど大きなところがバックにいないと」
「じゃあ――」
「Dパワーズが買っているか……そうでなければ、うちから情報を漏らしたやつがいるか、でしょうね」
斎賀は腕を組んで考えた。
「仮にDパワーズの連中だったとして、インサイダーには?」
「あたりません。インサイダー取引は『上場会社の関係者等が、その職務や地位により知り得た、投資者の投資判断に重大な影響を与える未公表の会社情報を利用して、自社の株式等を売買する行為』ですから」
「御殿通工と無関係のDパワーズがどうしようと、インサイダーにはあたらないってことか。だがなぁ……」
Dパワーズの連中が、こんな株の買い方をするとは全く思えなかった。
そもそも株をやり取りするよりも、オーブを売った方が儲かるはずだ。
「連中がこんな株の取引をするとは思えないんだが」
「それじゃ、情報はうちから漏れた可能性がものすごく大きいですね。どうします、これ?」
「何かの法に引っかかるか?」
「まったく。うちから漏れた情報でどこかの誰かが大儲けすることを、Dパワーズが許容するなら、ですが」
もしもDパワーズが特許をとった後なら、投資家には公平に御殿通工を買うチャンスが与えられただろう。
しかし、今は特許をとっていないのだ。
それを知った奴は、いずれあいつらが特許をとるはずだと考えているだろう。そうして、そうなれば、御殿通工の株は天井知らずに上がるに違いない。
「買い手が誰なのかはわかるのか?」
「大量保有報告書が出ればわかりますが、御殿通工の株を5%も市場から買い付けるのは相当難しいと思いますよ」
もしもそれがうちから漏れていて、しかも買っているのが反社会的な勢力だったりしたら、結構な問題になりそうに思えた。
だが、わからないのなら仕方がない。
「うちとDパワーズのNDAはどうなってたかな……」
「お待たせしました」
斎賀が契約の内容を思い出そうとしたとき、店員が、ざるそばをふたつ持ってきた。
寒い日でも、ざる。それがおっさんの矜持なのである。だが――
「なんだか食欲がなくなって来たぞ」
「私もです。Dパワーズが買っていることを祈りましょう」
「一応それとなく探らせてみよう」
鳴瀬にな、と、斎賀は割り箸を割った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
午後は、まず真壁常務へと会いに行った。
案の定、セーフエリアに運び込みたい資材の話で、斎賀はそのリストを受け取った。
「常務、これはいくら何でも多すぎませんか?」
「取り急ぎ、必要だと思われるものをすべてリストアップさせたからな」
「制限のことは報告しているはずです。これ、ひとつにまとめられるんですか?」
現代ではコンテナの大きさは統一されている。
最大の53フィートコンテナでも、16メートル×2.4メートル×2.9メートルだ。
「ガスタービン発電なんか持ち込んだら、それだけで一杯になるんじゃ」
「カワサキのMPUシリーズなら、セミトレーラーでけん引できるんだ。大丈夫だろう?」
「他のものはどうするんですか」
「K2HFが協力を申し出てる。つめられるだけ詰めたら、小物はポーターでキャラバンでも組むさ」
「32層ですよ? 誰が護衛するんですか、それ」
「まあ、自衛隊だろうな。それに――」
斎賀は嫌な予感がした。
「コンテナ数個にまとめて、何回か運んでもらえればOKだ」
OKじゃねーよと内心憤慨したが、表面上は落ち着いて答えた。
「支払いはどうするんです?」
相手が仕事をさせてくださいと申し込んできているならともかく、この仕事の報酬の最低ラインは、まとめて運んでもらえないときにかかる費用と同等になるだろう。
期間的な事を考えれば、プラスアルファが必要なるはずだ。
「金じゃだめかね?」
「金で動くような連中なら楽なんですけどね」
拗らせたらアウトだということは、口を酸っぱくして伝えてある。
まさか真壁常務ともあろう人が、馬鹿なことはしないと思うが、瑞穂常務の例もあるから、なんとも安心できないところだ。
「USが横田に奇妙な設備を持ち込んで、何かを組み立て始めているんだ」
「は?」
「かなりの部分は、直接USから運ばれているようだが、日本から調達した部品もあってな」
「はい」
「部品から想定した結果、発電所付きの滞在研究施設ではないかと言うことだ」
常務がどこからその情報を仕入れてきたのかはわからない。だがそれがもしもセーフエリアに持ち込むために作られているとしたら、運ぶ方法は限られている。
組み立てた後、パーツごとに分解してポーターで持ち込むか、そうでなければ――
そういやサイモンとは仲が良かったなと内心苦笑しながら斎賀は言った。
「それが?」
「もしもそれの運搬方法が、うちと同じなら、どういった報酬で引き受けたのか興味があるだろ?」
「わかりました。探りを入れてみます」
そう言って、心の中で、ため息をついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お疲れですね」
3件の打ち合わせをこなした後、部屋に戻ってしばらくした頃、美晴が斎賀の部屋の扉をたたいた。何かの報告だろう。
「ああ、鳴瀬か。俺はどうも駆け引きとか陰謀とかに向かなくてなぁ」
美晴は課長が向いてないなら、向いている人なんかいないでしょと内心苦笑しつつ、最近紙書類が増えたなぁと思いながら、報告書を提出した。
「なんだ、また紙か?」
お前の紙提出は、こないだからろくなことがないからなと、それを受け取って、ぱらりとめくった。
「つくば? 報告のあった木の件か? あれはうちの管轄外だって話だろ?」
「それがそうも言ってられない状況で」
「なんだと?」
レポート形式まとめられた報告書のアブストラクトを流し読みした。
「魔結晶の消失原因だと?!」
「今の段階では、三好さんたちの推測です。ただ、木が再生した時間と、魔結晶が消失した時間を比べれば一目瞭然だろうと仰ってました。どうします?」
「いや、お前……どうしますったってなぁ……」
この話をどこに持ち込むんだ? だが、各研究所をまとめている組織なんかあるはずがない。
JDAがこれに、直接的な関与ができるはずもない。勧告として発表するか?
「向こうでは、当面、木へのアクションはやめて、囲いを作ることに専念するようですが――」
「なんだ? レポートによるとそれで当面の魔結晶消失は避けられるんだろ?」
「――実は、今日のニュースで見たので、レポートには書かれていないのですが、つくばのみかん農園で、季節外れのみかんが一斉に実をつけたそうです。突然に」
「マジかよ……」
斎賀はその原因を推測して頭を抱えた。
「凄い品質の温州みかんで、農家の方がその不思議さに頭をひねりながらも、収穫したそうですが――」
「どうした?」
「ひとつの木の収穫を終えてしばらくすると花が一斉に咲いて、すぐに結実したそうです」
「――は?」
「それで農家の方は狂喜して、収穫を繰り返しているそうです」
「このレポートが正しければ、どこかの研究所の魔結晶がそのたびに消失している……ってことか?」
「おそらく」
「まあ、最悪、農家に魔結晶を買わせて農園の側においておけばいいんだろうが。肥料みたいなもんだしな。ただ……そのみかんって、食べて大丈夫なのか?」
「わかりません。すぐに収穫を止めさせて、DFAに送るべきだと思いますが――」
「JDAにはその権限がない」
斎賀はすぐに内線の受話器を上げて、部長の番号を回した。
「あ、橘部長ですか。斎賀です。はい、はい。実は、すぐにダンジョン庁経由で処理しなければならない案件が。はい、はい。わかりました。すぐに」
斎賀は、内線を切って、立ち上がると言った。
「ダンジョン庁に連絡を取って、農林水産省と協議させ、すぐにつくば周辺の農家のみかん収穫を止めさせる。それまでこの件は口外するな」
「了解です」
「あのな、鳴瀬。こいつはみかんとかいう問題じゃすまないぞ」
「え?」
「これは要するに、ダンジョンから持ち出された何かが、魔結晶があればダンジョンの外でも不思議な現象を引き起こせるってことの証明だろ」
「あ」
「持ち出された何かや、魔結晶の数によっては、何が起こるかわからんぞ」
そう言って、すぐに部屋を出ようとした斎賀が、ふと足を止めて振り返ると、美晴に言った。
「ああそうだ、Dパワーズの連中に、USの荷物を運ぶのにどんな報酬を貰ったのかをさりげなく訊いておいてくれ」
「はい?」
「それとな、現在御殿通工の株を買い占めたりしてないかどうか、これもさりげなく頼む」
「はい?!」
「後、DFAのわがままな博士が、お前の協力が欲しいと言っていたから、いいように対応してくれ。詳しくはアンダーソン課長に訊け」
「はいぃいい??」
「じゃ、頼んだからな!」
「いや、頼んだって……課長!!」
美晴の声を無視して、部屋を出て行く斎賀の口元は緩んでいた。
無理難題は、持ちつ持たれつだよな。なにしろ、課長補佐なんだから、とそう考えながら。『待遇』の二文字はきっとどこかに置き忘れたてきたに違いなかった。
*1) 実際は2019年5月30日に、その株式はすべて6月10日に消却すると発表されました。発行済み株式総数の約5%にあたります。
あ、でも作中の企業はソフトバークですからね! 関係ないか(w
書き直した3か月部分を除いて、とうとう100万文字を超えました。
これも皆様のご愛読のおかげです。ありがとうございました。
少しずつ辻褄の合わない箇所も出てきていますので、まだ読まれていない方は、よろしければ書籍版の1巻もお読み頂けるとありがたいです(たまには宣伝)
ではまた!




