§154 金枝篇 18層 2/10 (sun)
『おお、ナショナルジオグラフィックで見たヒマラヤのベースキャンプのようだ』
『本当ですね』
そんなことを言いながら、はためくタルチョの前で、無理やり佐山さんと一緒にポーズをとるアーガイル博士を、シルクリーさんが写真におさめている。
麦畑の確認に来ただけのはずなのに、一体こんなところで何をしているんだろう、あの人たち。
とはいえ、今の18層は観光地にふさわしいと言ってしまってもおかしくない。俺と三好は、そのフロアのあまりの変貌に前回同様、驚いていた。
数多くのカラフルなタルチョが結ばれて、今にもプジャ(儀式)でもやりそうな風景は前のままだったが、探索者のキャンプの方が――
「なんの展示会ですか、あれ」
三好が目を丸くして言った。
「コンパニオンサンハドコダ?」
「きれいなお姉さんの代わりに、機械が愛想を振りまいてるみたいですよ?」
そこは、ファルコンインダストリーを中心に、ダンジョン用ポーターの展示会場と化していた。
各国の探索者が見守る中、前足をフリフリ降りながら愛嬌をふりまくポーターたち。その背中には――
『ありゃ12.7ミリか? こいつは、ごつい武器を持ち込んだものだな。こっから先はあんなのが必要なのかい?』
唖然としている俺たちの後ろから、記念撮影を終えたアーガイル博士が声をかけてきた。
『どうでしょう。31層で7.62ミリは、確かにほとんど効果がなかったようですが』
『ん? 行ったことがあるのか?』
『うちの三好が、ですけどね』
『ほう。さすがはSランク探索者だ』
「JDAが代々木の裏手に建物を増築してるわけですよ。あんなのが普及したら格納庫のスペースが足りません。絶対に」
「まったくだな」
とはいえ、まさかバルカンがのっかってる機械の馬みたいなやつに、日本の道路を歩かせるわけにはいかないだろう。そもそもナンバーがとれるはずがない。
おそらく、ポーター用のポーターを用意しない限り、代々木で預かるしかないはずだ。
『君たちはああいうものを使わないのか?』
アーガイル博士が興味深げに訊いてきた。
『俺たち、そんなに大層な探索はしませんから。命あっての物種というやつですよ』
『昨夜の建物みたいなものをダンジョン内に持ち込めるパーティには不要なものか』
昨夜は13層でDPハウスを設置したのだ。さすがの博士たちも佐山さんと3人で、唖然とした顔でそれを見ていた。
彼がそう呟いた瞬間、シルクリーさんが飛んできた。
『ミスター・アーガイル!』
『な、なんだい?』
『どこに耳があるかわからないんですから、不用意な発言は控えてください。うちの予算が蒸発してもいいんですか?!』
『わ、悪かった。き、気を付けるから』
『お願いしますよ!』
さすがは訴訟大国のアシスタント、なかなか厳しい突込みだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『あら。あれって、ヨシムラたちじゃないの?』
探索から戻ってきたところで、ナタリーが上りの出口の方向を見ながらそう言った。
『んん? そうだな。なんでこんなところにいるんだ?』
『あ、じゃあ、私は先にキャンプにプラチナを届けに行ってきます』
銀に近いプラチナブロンドの、少し年下に見える男が、サイモンに向かってそう言った。
『お? おお。モーガン。お疲れさーん』
DADのマイニング使用者、モーガン=ルーカスは、きれいな姿勢で敬礼すると、キャンプへと向かってポーターを伴って歩いて行った。
その後姿を見ながら、ナタリーがほうと息をついた。
『誰かさんと違って、礼儀正しくていい子ねぇ』
『ナタリーの餌食にするには、ちょっと早いんじゃないっ……ごっ!』
ジョシュアが真顔でそう言いかけたとたん、ナタリーの肘が彼の左わき腹を襲った。
そのあまりの鋭さに、さすがのジョシュアも、左ひじでガードするのが精いっぱいだった。
『ジョシュアー? 何か言った?』
『い、いや、ちょおっと、イーングリッシュジェーントルマンなジョークをだな……ははは』
『あんたいつから、英国紳士になったのよ……はー、どうしてうちのチームはこんな腐れ男ばっかりなの』
『成熟した男と言ってくれよ』
ジョシュアたちのやりとりを苦笑しながら見ていたサイモンは、地上に戻った時に受けた指示を思い出しながら言った。
『成熟した男としては、仕方がない。見かけてしまった以上、上に言われた無理難題をこなしに行くか』
『ああ、オペレーション・トモダチ2? 笑っちゃうけど、アメリカ大統領が誰かと友達になるのは無理じゃないの? 立場ってものがあるでしょ』
ナタリーが匙を投げるように、身もふたもないことを言った。
とはいえ、友達になれとアドバイスした手前、サイモンにはいやも応もなかったのだ。
『それでも、やれと言われたら、やらなきゃいけないのが宮仕えのつらいところさ』
『宮仕え? お前、異界言語理解の時、上の言うこと全スルーして日本に来てなかったか?』
ジョシュアが嘘くせぇと鼻をつまみながら、突っ込みを入れた。
『俺たちゃ、一応大統領直属だからな。上はプレジデントだけ。あの時、彼はなんにも言ってなかっただろうが。それに結果は最良……とは言えないが、ほぼそれに近いじゃないか』
サイモンはあたりを見回すように腕を広げてそう言った。
『結果オーライにもほどがあるな。しかし、その作戦って誰が考えたんだ? CIAあたりのプランニングにしちゃ、ぶっ飛びすぎてるだろ。ちょっと信じがたい内容なんだが』
『あいつらの周りに、信じがたくないものなんかひとつもないんだから、別におかしくはないだろ?』
サイモンが、親指で芳村達の方を示すと、ジョシュアは、やっぱりお前か、と言いたげな視線をサイモンに投げかけた。
『それはいいが、緊張感の薄いプラチナ採取のお供はそろそろ飽きたよ。ポーターも使えそうだし、こっちはモーガンたちに任せて、さっさと31層に向かおうぜ』
日々平穏な探索の付き合いに、少々飽きが来ていたメイソンがそう言った。
モーガンが代々木の22層に慣れたら、あとは彼のチームに任せて、サイモンたちは31層でポーターの武装テストを行う予定になっている。ついでにランク5のポーションも備蓄するつもりだ。
『モーガンのチームも、もう来日してるんだろ?』
『上でブートキャンプ待ちだ。最近はキャシー教官にこき使われているらしいぞ。お題目は世界平和らしい』
『なんだそりゃ?』
メイソンが眉間にしわを寄せて訊いてきたが、まさか世界平和のために、基盤をPPパッケージに詰めるお仕事を手伝わされているとは、夢にも思わなかっただろう。
『さあな。んじゃま、とりあえず行ってくるわ。先に飯食ってていいから』
『了解。戻ってきたときは豆しか残ってないようにしとく』
『優しいお心遣い痛み入るね』
サイモンはジョシュアに向かって、笑いながら中指を立てた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『よう、ヨシムラ。久しぶり!』
そう声をかけられて振り返ると、サイモンが笑顔で手を挙げて近づいてきていた。
『あ、こんにちは。どうしたんです、こんなところで?』
『いや、お前らがここにいる方が珍しいだろ』
そういわれればそうだ。彼らは今、プラチナゲットのミッションを行っているはずだが、ベースキャンプは18層に置いたままなんだろう。
「先輩、先輩。なんだかいつもと違って、微妙に仕事の気配が漂ってますから注意してください」
「仕事の気配? なんだそれ?」
俺はサイモンを見直してみたが、いつも通りへらへらしているとしか思えないし、さりげなく立っているだけでにじみ出るような格好よさがあって、ちょっとイラっとさせられるところも、いつも通りだ。
「よくわかんないぞ」
『おいおい、英語で頼むよ』
『いや、三好が、微妙に仕事の気配があるから注意しろって』
『先輩。本人に言ってどうするんですか……』
サイモンは、苦笑いしながらぼりぼりと後頭部をかくと、『察せられちゃ、仕方がない』と切り出した。
『実は相談なんだが、ちょっとアズサたちに、32層まで運んでもらいたいものがあるんだそうだ』
サイモンが何か、紙のようなものを取り出しながらそう言った。
三好は、またかといった様子でふんと息を吐くと、腰に手を当ててて挑戦的なポーズで言った。
『そういうのはお引き受けしていません。大体ポーターがあるでしょう?』
『いや、俺じゃなくて、大統領が』
大統領?! ってUSの? 民主主義のはずなのに、世界一の権力者の?
『は? ……い、いや、私たち日本人ですし、たとえ大統領のお願いでも聞けることと聞けないことが――』
大統領のお願いかー。ひょっとしたら日本人の方が畏まっちゃいそうな気がするな、などと考えていると、命令書らしきものの先を読んだサイモンが奇妙なうめき声をあげた。
『ああ? なんだ、この報酬?』
『え? だめですよ。少々お金を積まれたって。なにしろひとつ引き受けたらきりがないんで――』
命令書から顔を上げたサイモンが、三好に目を向けると、『97のスクリーミング・イーグル1ケースって書いてあるぞ』と言った。
その瞬間三好は、背筋をピンと伸ばして、アメリカ海軍風の敬礼を決めて見せた。
『――お任せください、サー!』
「おい、三好……」
俺は、右手で眉間を押さえながら、三好を正気に戻すべく、左手で彼女の胸元にチョップを叩き込んだ。
「あたっ! え? あ……むーん。しかし……先輩、スクリーミング・イーグル1ケースですよ。しかも97。ここを逃したらもう二度と手に入らない気が……」
欲望と原則のはざまで苦悩する三好は、がりがりと頭をかきむしっている。
煩悩が人を苦しめる原因だということが、嫌というほどよくわかるシーンだ。
「たった1往復ですし、4日間の報酬としては破格……あ、いや、金額になおせばそうでもないですけど。ぐぬぬ……」
世界には金で買えるものと買えないものがある。
よく聞くセリフで、大抵は愛がどうとかいう寓話に落とし込まれていたりするわけだが、実はこの言葉が最もリアルに感じられるのは、極まった趣味の領域だ。
まあ、無制限の大金で頬をはたけばどうにかなる可能性はあるかもしれないが、そもそも本物を持っている人間を探すこと自体が大事業だ。
大金を振りかざせば、偽物が本物を駆逐する勢いで集まってくる。
「まあいいだろ。俺も1回くらい飲んでみたいし」
「先輩っ!」
三好がキラキラした瞳で、腕を胸の前で組みながら嬉しそうな顔を上げた。
「どうせ欲望に忠実に行動しているだけみたいなもんだしな、俺たち」
「え? それは先輩だけでしょ」
ええ?! フォローしてやろうとしたのに、まさかの梯子外し?!
『どうやら話は決まったようだな。持ってって欲しいものは横田にあるらしいぞ……って、なんだこりゃ?!』
『どうしたんです?』
『ガスタービン発電設備一棟?? いや、お前らが変なアイテムをゲットしたらしいってことは聞いてるが……持ち運べるもんなのか、これ?』
俺はその資料を見せてもらった。
被災地とかへ持っていくトレーラータイプに近い発電システムだ。しかもついでって感じで居住区までついている。巨大とはいえ、ホイポイに入るかと言われたら、すでにDPハウスが入っている以上、入ってもおかしくはないサイズだ。
質量的に保管庫だと難しいかもしれないが、収納庫なら大丈夫だろう。
しかし、これ、燃料はどうするつもりなんだ?
『あー、そこはまあ何とかなると思いますけど』
『そりゃ助かる』
『だけど、これ燃料はどうするんです? A重油かな? 結構食うんじゃありません?』
『それも、最初はお願いしたいと書いてあるが……』
それを聞いて三好が口を尖らせた。
『ええー? それじゃ2往復ですか? 1週間とかかかりそうですし、ちょっとパスです。地道にあのポーターで運んでくださいよ』
『それこそ何往復すればいいんだよ!?』
『いや、そこはほら、デモンストレーションってことで。何十台か連なってキャラバンにするとか』
三好は、1往復でおなか一杯といった顔で、無責任に適当なことを言い出した。
『途中でモンスターに襲われるのを防ぐ護衛任務をギルドに依頼するのか? ますますフィクションの世界化してるな……あー、一応報酬にDRC(*1)がどうとかと書いてあるが――』
サイモンはそう言ったが、三好は特に乗り気じゃなさそうだった。DRCは高価とはいえ、買おうと思えば買えるからな。特に今の三好なら楽勝だ。
『うーん、それは別に……』
サイモンはそれを聞くと、ぺらりと紙をめくった。
『正規代理店もののルフレーヴのモンラッシェ? 垂直で1ダース?』
それを聞いた三好の動きが止まった。あ、これ、やばい奴だ。
『え、うそ? 待ってください? そういや、依頼人はアメリカ大統領だったんですよね……も、もしかして2016年は?』
『んー、91から始まって、ビンテージは連続してないんだが……お、入ってるぞ。予約扱いで今年の5月以降引き渡しの注釈が――』
その瞬間、さっきの3倍くらい気合が入った敬礼を三好がした。
『なんでもお申し付けください、サー!』
『うおっ!』
そのあまりの勢いに、サイモンがちょっと引いた。
人類最強かもしれない男を引かせるとは、三好の気合もなかなかすごいな。主に自分の趣味の領域だけに発揮される気合いだが。
「シュペール! 大統領、シュペール! ですよ、先輩!」
三好は俺の肩を両手でつかんで、がくがくと前後にゆすった。
なんで、フランス語……あ、ルフレーヴだからか。
「いいですか、先輩。2016年のブルゴーニュは4月の終わりごろに大霜害に襲われて、ムルソーからシャサーニュあたりは大被害を受けたんです。特にモンラッシェみたいなグランクリュ畑は、標高が高いこともあって全滅に近かったんですよ」
三好が鼻息も荒くそう言った。
「そういう年って、生産しないんじゃないの?」
「それがブドウの出来は悪くなかったんです。しかもモンラッシェですよ? 結局単独で1樽以上作れそうなドメーヌはなくて、最終的には7つのドメーヌが自社のブドウを持ち寄って、まとめてルフレーヴで醸造したんです。たぶん二樽分くらい。都合600本(*2)ですね」
「はぁ」
「しかも、わざわざ、L'EXCEPTIONNELLE VENDANGE DES SEPT DOMAINES(7つのドメーヌによる例外的な収穫)って、会社まで作ったみたいなんですよ」
「で、当時は指をくわえてみているしかなかったと」
「そりゃそうですよ。というか、たとえ今でも直接買うのは無理だと思いますよ、たぶん。ああ、そんなボトルが私のところに。うっとり」
「いや、うっとりって……まだ引き受けてないだろ」
「これを引き受けずして、何を引き受けるというんですか、先輩! DRCのモンラッシェは買えますけど、ルフレーヴのモンラッシェは買えないんですよ!」
1991年にフルーロから買い取った畑の広さは、わずか0.0821ha。年間生産本数が約300本で、しかも半分はセラーで寝かせられるために市場に出ない――
大抵は特別な顧客に売られていくわけだ。たまに出てきても怪しい海外の酒屋やオークションでは、たぶん偽物もありそうだ。それが正規輸入代理店直。さすがは権力者。そんな話を立て板に水のごとく語った三好は、はふーと息をついて、再びうっとりしやがった。
これはダメだ、逆らうのは無理だ。
「しかしなぁ、世界中から類似のオファーが来たらどうするんだよ」
「大丈夫ですよ。同じような支払いのできる組織なんて、ほとんどないですから。むしろ個人のコレクターの方がありそうですけど、そういう人たちは世界の命運よりコレクションの方が大切なんです」
いや、それもどうかと思うけど、コレクターってのはそういうものか。
「エリゼ宮とかにならあるんじゃないか?」
「エリゼ宮のコレクションは1947年からで、現在12000本のワインがあるって言いますからね」
「なら――」
「でも、オランド大統領の時、経費節減の一環で一部の高額なワインを放出して、リーズナブルなワインを購入し残金を国庫に戻すっていう政策をとったんですよ。2013年に結構なボトルがオークションにかけられました」
「ははぁ、じゃ、とんでもないものは――」
「その時放出したのは1割ほどだったそうですが、支払いに使えるほど残ってないと思いますよ」
「なら、安心だ」
三好が酒で買収できると知ったら、どんな組織が、何をもって現れるかわからないからな。当然偽物もあるだろう。
「それより、各ドメーヌやシャトーの地下セラーや、モルドヴァあたりの、ものすごくたくさん本数を持っているセラーの地下深くには、なんだかすごいのがあるかもしれませんけど」
「19世紀末のラフィットみたいなやつ?」
「私は体験したい派なので、もはや文化財みたいなボトルはちょっと……」
さすがの三好でも、それは開けられないのか。一応TPOはわきまえるようだな。
『それで、どうするんだ? 引き受けたと考えていいのか?』
話が一段落したと見たのか、サイモンが答えを聞いてきた。
『もちろんです。しかしさすがはホワイトハウスですね。そんなストックを持っているとは』
『いや、これは、ハンドラー大統領個人のコレクションらしいぞ』
『え? そんなの放出しちゃっていいんですか? ルフレーヴだけでも売りに出したとしたら10万ドル以上しますよ?』
そもそも売りに出ないから、値段なんかあってないようなものなのだが、一応相場感というものはあるそうだ。
アメリカ大統領の給与は年40万ドル。プラス5万ドルの非課税経費みたいなのがあるそうなので、都合45万ドルだ。
もっとも、現在のハンドラー大統領は、当選前に1ドルでやるぜーと言っていたらしいそれなりの富豪なので10万ドルなんて大したことはないのだろうが……
『さあなあ。まあ金は国に売りつけた体裁をとるだろうけど、あの大統領だからなぁ……全然大丈夫じゃないから、開けるときは呼んでくれ、くらいは言い出しそうだ』
『いいですよ』
『え、いいのか?』
『2016なんて貴重ですし。いくら大統領でも、そうホイホイとは手に入らないでしょう』
サイモンは、オペレーション・トモダチ2をクリアか? と、一瞬喜びかけたが、ふと思い立って訊いてみた。
『で、それっていつ頃の話?』
『2030年代ですね。それくらいならご存命でしょうし、お元気でいてくださいとお伝えください』
『はぁ?』
それを聞いたサイモンは、ほぼ10年後の話に、からかわれたのかと目を見開いた。
『いや、だって、ルフレーヴのモンラッシェですよ? 10年やそこらじゃ、ただのしょっぱい液体というか石です。ガチガチですよ。そりゃスケールは感じられるでしょうけど、開ける意味ありません』
『そういうものなの?』
『そういうものなんです。こういうコレクションをお持ちの大統領ならお分かりだと思いますよ』
『了解』
サイモンは分かったんだか分からないんだか分からない微妙な顔でうなずいた。
『あ、それで日時なんですが、まばらにスケジュールが入っているので、すぐにとはいかないと思いますけど』
『そこは問題ない。準備ができたら連絡するから、あとはそちらのスケジュールでOKだ。報酬は先に送らせとくから』
『え、まさかの先払い?』
驚く三好を尻目に、サイモンは当たり前のように言った。
『お前らみたいなフリーダムなやつらは、ちゃんと押さえておかないと、いつ気を変えるかわかったもんじゃないからな。さすがに飲んでしまえば翻せないだろ?』
『失礼な。そんなことしませんよ』
『まあまあ。それで上が安心するんならいいじゃないか。で、いつ開けるんだ? 俺もぜひご相伴に――』
『はいはい、じゃ連絡します』
『よろしく頼むぜ。何しろキャシーのやつが、世界を救うためだなんて言いながら、うちの隊員をこき使ってるらしいからな』
にやりと肉食獣の笑みを浮かべながらサイモンが爆弾を投下した。
キャシーのやつ、どうも仕事が早いと思ったら、そんなところで人員をキープしてたのか……
『へ、へぇ~。あれじゃないですか、ブートキャンプの適性の事前調査的な』
『ほほー、事前調査「的」な、ね?』
ゴゴゴゴゴと書き文字が見えるような、肉食獣同士のマウントの取り合いにビビった俺は、さりげなく後ずさりつつ、『さて、俺たちは仕事がありますので、今日はこれで』と割り込んだ。
『仕事?』
『今日中に21層へ行かなきゃいけないんですよ』
『あの連中を連れて?』
サイモンは、俺たちの後方で、てんでバラバラに好きなことをしている3人を親指で指して言った。
『聖なる湖と、切り立ってないゆるやかな丘の下にあるアリキアならぬオレンジの木立までご案内です』
『植物関係か。そういや、金枝ってことなら、32層にあったぞ』
『それは本当かい?』
俺の後ろから突然ひょいと顔を出した、アーガイル博士が興味深げにそう訊いた。
『ええ。オークに宿る立派なヤドリギのことなら、32層に守護神の如く、生えてましたよ』
『なんと、セーフエリアか……うむむ』
アーガイル博士は腕を組んでうなりながら、ちらりちらりとこちらを見ている。子供か!
『行きませんよ』
『そこを、こう、なんとか』
『ダメです。予定外の行動は、JDAだって心配しますし、次のスケジュールだってあるんですから』
『では、その予定の後ならいいだろう』
博士はいいことを思いついたとばかりに、両手を広げて歓迎のポーズをとった。
その向こうでは話を聞いていた佐山さんが「聖なる木か……」と呟いて、考え込んでいる。ああ、そういえば、この人も植物関連の専門家だったっけ。
『ミスター・アーガイル。引き継ぎもろくにせずに飛び出してきて、何日も予定を引き延ばすのはさすがに……』
このままではまずいと思ったのだろう、シルクリーさんがそう言ってたしなめた。
『な、なら、いったん帰ってもう一度くれば!』
『お仕事が溜まっていると思いますけど』
『ぐぉおおお! 宮仕えなどくそくらえだ! 若い奴らは、スリーコードで突っ走れ!』
『若くないでしょう?』
『のおおおおおお!』
アーガイル博士は、お前はクマ先生(*3)かと突っ込みを入れられそうなポーズで苦悩を表現していた。
『そうだ!』
なにか素晴らしいことを思いついたと言わんばかりに、輝くような笑顔で立ち直った彼は、とんでもないことを言い出した。
『代々木に分局を作ろう!』
『はぁ?!』
おっさん。いくらなんでもフリーダム過ぎるぞ。
*1) DRC / Domaine de la Romanée-Conti
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ社。世界最高のドメーヌと名高い会社。
とはいえ、あのロマネ・コンティでも450ケース以上はあるし(大抵6000本弱くらい)、モンラッシェも250ケースは生産されている。
ワインで500ケース以下の商品は、ほぼ店頭には並ばないが、大枚をはたく覚悟さえすれば買えないことはないレベルだ。
ちなみに、ルフレーヴのモンラッシェは製造自体が25ケース分しかない。DRCの1/10なのだ。
しかも市場に出てくるのはその半分。
どっちがうまいかと言われると、そこは好みとしか言いようのない領域なのだが、希少性でいうと確実にルフレーヴだ(畑が狭いだけともいう)
*2) 実際には、2019年の5月下旬に683本がボトリングされた。
ルフレーヴの割り当ては57本。数が多かったのはDRCの280本で、次いでコント・ラフォンの139本。
蔵出し価格で、1本あたり5550ユーロだったが、価格はともかく、普通の顧客に手に入れる手段はない。
もちろん私にもない。ぐっすん。
*3) クマ先生
マカロニほうれん荘 / 鴨川つばめ, 1977-79 に登場するキャラクター、後藤熊男の通称。
どんな感じかは「マカロニほうれん荘 クマ先生」で画像検索プリーズ。
マカロニほうれん荘の最高にすごいところは、40年前に「完結した」漫画の単行本が絶版になっておらず、重版されているところだ。
つまり今でも普通の本屋で買えるのだ。信じがたい。




