§151 探索前日 2/8 (fri)
「強烈な人でしたねぇ……」
「エネルギーに満ち溢れてるって感じだったな」
本契約を済ませた俺たちは、明日からの冒険の準備をするために、事務所へと戻ってきていた。
「用意するのは、日常的な消耗品だけでいいか」
「あ、私はちょっと変装していかなきゃいけないところがあるんですよ。だから消耗品の準備は、先輩にお願いできますか?」
「それはいいけれど、変装?」
「ほら」
そう言って、三好は、黒のロングヘアのウィッグを取り出した。
「マスコミ向け三好梓に化けて、何の用なんだ?」
「実は、氷室氏にスクープを差し上げようかと思いまして」
「氷室氏って……あの怪しげな制作会社の? 大丈夫なのか?」
「先輩、いまさら面と向かって私たちをどうこうできる人なんか、世界を見渡してもほとんどいませんって。それにカヴァス達もいますから」
「まあそうかな……」
とは言え三好のステータスは、INTとAGI以外は、普通の人間の倍くらいしかない。STRに至っては凡人だ。
スキルとアルスルズでカバーできればいいけどな。
「例の投資事業の件か?」
「そうですね。後はステータス計測デバイスの発売日とか、NYのイベントについてだとか、あとは答えられそうなことを聞かれたらぼちぼちと」
ステータス計測デバイスは3月1日予約開始だと、こっそり発表されているが、発売や生産量については、まだ未発表だ。
独自にマスコミへ流すルートがあっても悪くはないので、そこは問題ないのだが――
「ああいうタイプの人は、ちょっと拗らせちゃった元まじめ人間が多いんですよ。だからたぶん大丈夫ですよ」
「そうか。まあその辺の情報管理は、近江商人様にお任せだ。ともかくマスコミ向け三好は有名なんだから気をつけろよ」
「仮に、何かで気絶させられたって、カヴァス達のピットに落としておいてもらいますし、後は先輩に連絡すれば助けに来てくれるでしょう?」
確かに、何かで意識を刈り取られたとして、ピットに落ちてしまえば突然消えたようにしか見えないだろう。
そのまま移動するのは難しくても、助けが来るまで、その中にいればいいだけなのだ。
「そりゃ、行くけどさ」
「頼りにしてますって」
三好がポンポンと俺の肩を叩きながらそう言うと、俺の顔を下から覗き込んだ。
「何照れてるんです?」
「やかましい」
「あたっ」
俺は三好の頭にチョップを落とすと、購入品のリストを作り始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ワンショルダーのボディバッグを肩にかけ、顔を隠すようにマフラーで覆っているやせた男は、指定された古い喫茶店のドアを開けた。
アーバンミュージックが流れる、やや薄暗い店内では、やる気の薄い声が、好きな席に着けと告げた。
まばらな客たちが、ちらりとこちらに視線を向けたが、特に気にする様子もなく、すぐに自分たちの世界へと戻っていった。
きょろきょろと何かを探すように席を見渡す男の目が、部屋の奥で小さく手を挙げている、小柄でややふくよかな男の姿を捉えた。
「どうもどうも。ご足労いただきまして」
ふくよかな男は、嘘くさい笑みを満面に浮かべながら痩せた男を出迎えた。
「早く……してくれ、30分くらいしかないんだ」
痩せた男は、ボディバッグから、なにかのパックのようなものを取り出すと、テーブルの下でふくよかな男の方にそれを突き出した。
「いらっしゃいませ」
ふいに横から聞こえてきた女の声に、痩せた男は、びくりと体を震わせて、女の方を振り返った。
その様子を見たウェイトレスは、なにかやばい取引でもやってるんじゃないでしょうねと内心思ったが、プロフェッショナルな姿勢でそれを押し殺しながら、新しく来た客の注文を待った。
「そういえば、昼ご飯も食べてらっしゃらないでしょう。そうだな、ホットサンドのセットを1つ。飲み物はなんにします?」
「そんなもの、なんでも! ……あ、いや。じゃ、ホットコーヒーを」
一瞬いぶかしげな視線を投げかけられた男は、気を取り直したように、最も無難な飲み物を注文した。
「かしこまりました。ホットサンドセットワン、ブレンドで。少々お待ちください」
女が注文を取って去った後、ふくよかな男は哀れむような目つきで痩せた男を伺いながら言った。
「落ち着いてくださいよ。おかしく思われて困るのはあなたの方でしょう?」
「時間がないんだよ!」
痩せた男は、泣きそうな顔とかすれた声で小さく叫びながらそう訴えた。
「分かっていますよ」
わざとらしい笑みを張り付けたふくよかな男は、その細い眼を開くと、急に雰囲気を変えて低い声で言った。
「たった30分で、あんたの過ちが帳消しになるんなら、安いものだろ」
「ひっ……」
一瞬で本性をひっこめた男は、机の下で受け取ったパックを目の前に取り出すと、そのふたを開けて、中の基板を詳細に改めながら、写真に撮り始めた。
痩せた男が、おびえた視線を正面の男に向けてしばらくした頃、さっきのウェイトレスが戻ってきて、目の前にホットサンドを置いて去って行った。
「冷めますよ?」
ふくよかな男は、こちらを見もせずにそう言った。
「あ、ああ……」
痩せた男が、半分にカットされたホットサンドを手に取ったとき、店のスピーカーから、ジェイ・ショーンが歌うストールンが流れはじめた。
繰り返される、stolen(盗まれた)のコーラスにまるで責められているような気分になりながら、『狂ってる、だけど俺もすぐそうなる』と言われて、まったくだと暗い笑みを浮かべると、手に持っていたものを口に入れた。
しばらく基板を詳細にマクロ撮影していた男は、パックを閉じると、彼にそれを返した。
「本来なら、それをそのままいただきたいところなのですが」
「無理だ。返却時のチェックがやたらと厳しいんだ。ここまで持ってくるのだって、綱渡りみたいなものなんだぞ」
しかも、命綱はついていない。
「しかたありませんね」
ふくよかな男は、本当に仕方なさそうに言うと、元のようにわざとらしい笑みを顔に張り付けた。
「しかし、あなた方が急がせてくださったおかげで、部品はすべて市販のもので、配線の隠蔽もまったくありません。助かりましたよ」
「それは俺のせいじゃない」
「もちろんですとも。ではこちらを」
ふくよかな男がにこやかに何かを差し出すと、痩せた男はむしり取るようにそれを奪い取った。
「コピーは?」
「この商売は信用が第一ですから。あなたも、羽目を外されるのは、ほどほどにされるのがよろしいかと思いますよ」
「くっ……お前らが!」
「お時間がないのでは? お会計はサービスしておきますよ」
怒りで顔を赤くした痩せた男は、パックを素早くかばんに押し込むと、残ったホットサンドには目もくれずに立ち上がり、まるで深い水底に取り残されたものが、空気を求めて、1秒でも早く水面に上がろうとするかのように、足早に出口へと向かって行った。
スピーカーから流れだす声に、『もう一度やり直せたら』と言われたが、それは無理だと自分でもわかっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「おい、あれ見ろよ!」
「あれ? って、あれ、USのサイモンチームじゃないの? 最近あちこちで、ちょくちょく見かけるようで、SNSでも話題になってたよ」
彼らの視線の先では、サイモンチームと共に、2メートルくらいある胴体に、6本の足が付いた、尻尾のない太いナナフシのような機械がガチャガチャと歩いていた。
サイモンたちが、それを連れている姿は、ここ一週間でダンジョンのあちこちで目撃され、写真に納められていた。
ネットでは、その機械が検証され、発表が近いと噂されているファルコンインダストリーのポーターじゃないかと言われていた。
メーカーがダンジョン内でテストを行うことは珍しくないが、わざわざUSが日本のパブリックダンジョンに持ち込むというのは希だった。
それが発見されたセーフエリアと無関係ではないというのが、それを見た者の一致した見解だった。
「あれがファルコンインダストリーのポーターか」
「日本の自動車メーカーあたりも開発してるって話だけど、やはりダンジョン内はタイヤじゃなくて足なんだね」
「一応足の先にはタイヤみたいなのが付いているようだけどな」
前足と後ろ足の対は、先がダブルタイヤの中央に軸がついている、椅子のキャスターのような構造になっていた。道が良ければあれで走れるのかも知れない。
「しかし、あの上に乗ってるのって、ガトリング砲か?」
「うーん、砲身が3本だから、M197じゃないかな」
「20ミリかよ! 重さ的には、NATO弾を使うM134とかの方が有利な気もするが……あれじゃ、弾数もそんなに載せられないだろ」
「駆動系が結構場所を取りそうだしね。だけど最深部は32層だし、小銃はほとんど通用しないんじゃないの? ミニガンでも辛いって判断なのかもね」
CIWS然としたたたずまいを見せるそのバルカンだが、さすがに捜索レーダーや追跡レーダーまでは装備されていないようだった。
ダンジョン内では電源の制約が厳しいからだろう。
「しかし、30層あたりで、あんなのが必要になるんじゃ、俺たちには深層なんてまるっきり無理じゃないか?」
「最深部まで行かなくてもいいでしょ。マイニングでもゲットできれば、22層前後でも十分美味しいって」
「まあ、武器としてはともかく、プラチナを運ぶカートとしては、俺たちも欲しいよな。いくらくらいするんだろうな?」
「その辺はもう発表されてるよ。最小構成なら、乗用車くらいだってさ」
「意外と安い……のか?」
「20層台なら、あんなにゴツイ武器じゃなくて、7.62ミリのバージョンでも通用しそうな気がするけど……みんながあれを使うようになったら、誤射と階段の渋滞が大変なことになりそうだけどね」
「それよりも、JDAの格納庫が奪い合いになるんじゃないか?」
日本では、銃器はJDA預かりになる。携帯許可証を取得することもできるが、ダンジョン外に持ち出すとなると銃刀法を始めとする規制により、いろいろと面倒な手続きも多いため、預けてしまう人が多いのだ。
しかし、小銃や拳銃ならともかく、ポーター全体となると結構な面積が必要になるだろう。地下駐車場のような大きな格納庫でも新設しないと、対応しきれなくなることは明らかのように思えた。
「ま、俺たちがあれを手に入れられるのは、まだまだ先だから」
「とりあえず18層に行けるようにならなきゃねぇ」
「だな」
二人は一応、サイモン達の様子を撮影しようと、携帯を向けた。
それに気がついたサイモンが、ポーターの前で、サムズアップしてポーズを取ったのは、彼らにとっても嬉しい出来事だった。
「サービス良いねぇ、さすがプロってことかな」
「ファルコンの広告塔も兼ねてるってことだろ。ああ、ダンジョン内で携帯が使えりゃ、すぐにでもアップするのになぁ……」
「ま、無い物ねだりはそのくらいにして、俺たちもアイテムをゲットしに行こう」
「了解」
そう言って、二人はサイモンたちとは反対の方向へと歩いていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「しかし、こいつは、使えるのか使えないのか分からんな」
ファンの撮影にサムズアップで応えたサイモンは、彼らを見送ると、ポーターの腹を叩きながらそう言った。
ファルコンインダストリーのDポートシリーズは、ダンジョン内での頼れるパートナーとなるべく作られた、荷物運搬用の機器だ。
その上部に、武器アタッチメントとして、M197をくっつけたのが、このポーター、DポートM197だった。
サイモンとジョシュアの二人で、地上からポーター用の燃料や弾薬を、ポーター自身に積んで18層へと輸送中だった。
メイソンとナタリーは、マイニング使用者のモーガン=ルーカス――DADの次代のホープを期待されている男――と共に、別のポーターを連れて22層でプラチナを狩っているはずだ。
ファルコンインダストリーは、18層に、今回のテスト用の簡易基地を展開していた。
探索者が集まってキャンプを構成しているために、危険な魔物が近づいてこないうえに、それなりに一線級の探索者ばかりが集まっているその場所は、ポーターのお披露目に丁度良く、まるでショールームのような様相を呈していた。
「便利は便利だろ。とても持って行けそうにないものや、持って帰れそうにないものが運べるんだから」
斥候役のジョシュアは、荷物がなければないほどありがたいのだろう。気楽そうにそう言った。
サイモンは苦笑しながら、「燃料が尽きなければな」と言って、もう一度ポーターを小突いた。
ポーターの心臓部には、いろいろなものが検討されたが、コスト的なこともって、結局インバーター発電機が搭載されていた。
そのためバッテリーや燃料電池に比べて、それなりの音がする。メーカー公称値で40dBということだった。
ただし、増槽なしでの駆動時間は、せいぜいが6時間といったところだ。
平坦な場所――つまりタイヤで走れる場所――では、結構な速度が出るが、そうでない場所では、徒歩で歩く速度と大きく違わない。
18層まで1日で行くのもなかなか難しかったし、2台をペアで運用して、片方を燃料などの物資運搬専用にしなければ、深層では実用的とは言えないかもしれなかった。
「最初見たときは4ストロークのデカイ発電機が乗ってて、パワーはありそうだったが、あれじゃダンジョン中からモンスターを引き寄せそうなありさまだったからな」
「マッチョは正義だからな」
「それに、20ミリはやり過ぎだろう。31層のボス部屋なら活躍しそうだが、22層じゃオーバーキルだし、相手が素早すぎてまともに当たらん」
「マッチョは正義だからな」
ファルコンインダストリーは、その話を受けて、急遽M134バージョンを作成し、次のパトリオット(つまりは、明日だ)で到着するらしかった。
「DポートM134が届けば、もう少し22層での立ち回りも上手く行くようになるかな?」
「そしたら、こいつは、31層に持っていって、ボス戦をやろうぜ。ちょっとポーションの備蓄も増やしておきたいしな」
サイモンは、アズサたちとの会話を思い出していた。
宝箱にあったのは、ランク5のポーションだったらしい。是非備蓄しておきたい逸品だ。
「DoDもエクソスケルトンを持ち込んでたみたいだが」
「テストだろうけどな。あんなの、戦闘に使えるもんか。だが、運搬なら結構使えそうだったぞ。ぜひでっかいバックパックを作って、物資の運搬を担って欲しいぜ」
「もともと資源関係の組織だから、そっち方面の運用を考えた開発だったんじゃないか?」
「それをなんで、ダンジョン攻略に使おうとするかねぇ……」
エクソスケルトンは、力はあるが、現状だと細かい動きや素早い動きは苦手としている。
22層では、トンボのモンスターにいいようにされていた。
「きっと長官が、ハインラインのファンだったんだろうぜ」
「スターシップ・トゥルーパーズかよ」
確かに相手は昆虫っぽいなと、サイモンは笑った。
「しかし、ファルコンも、あまり入れ込みすぎると代々木から離れられなくなるんじゃないか」
ジョシュアが他人事のようにそう言った。
「世界で一番深い階層まで到達してるんだぜ? 武器のテストをするならどうせここになる。32層に研究開発部署を置く計画もあるようだぜ」
「ファルコンが? 日本法人なんてあったか?」
「ルールにさえ則れば、外国籍の企業も政府もOKなんだとさ。さすがパブリックダンジョンってところだな」
「ふーん。いずれはニュルみたいになるのかもなぁ。インフラとかどうするんだろうな」
「JDAが主体で開発するようだが、とりあえずは電源だろうな」
「ケーブルを引っ張るのか、小型発電所を作るのか。どっちにしても茨の道には違いない」
「せいぜいノウハウを積み上げて、後の世界に貢献して欲しいね」
そう言って彼らは、16層へと向かう階段を下りていった。




