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Dジェネシス ダンジョンができて3年(web版)  作者: 之 貫紀
第7章 変わる世界

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151/218

§150 佐山繁とネイサン=アーガイル 2/8 (Fri)

「はじめまして。佐山と申します。今回はよろしくお願いいたします」


そう言って、手を差し出したのは、少し顔色の悪い細面で眼鏡をかけた、いかにも学者然とした男だった。


「芳村です。こちらは、パーティメンバーの三好です。こちらこそよろしくお願いいたします」


先日、商務課のヘイト管理に引き受けた依頼通り、農研機構の研究者が本契約にやってきたのは、それからわずか二日後のことだった。

7日の講習会を受けて、WDAカードは二日後の明日、取り置きで受け取ってそのまま出発という強行軍らしい。


なにしろゲストは完全な初心者で、しかも中年だ。21層まではどう頑張っても2日はかかるだろう。最短でも往復4日。下手をすればそれ以上かかることになる。


「まずは契約内容の確認ですが――」


指名依頼の仮契約はJDAと依頼者の間で交わされている。

料金は、JDAに標準的な計算式があるのだが、著しく問題のある金額になる場合は、相談のもとに決定するということになっている。実は今回はこれにあたるため、直接面会しての契約と相成ったわけだ。


「契約内容は、研究者1名をできる限り安全に21層に連れて行って、そこで活動後、地上へと連れて帰ること。また、ダンジョン滞在中の一般的な食と住の提供。それでよろしいですか?」

「はい」

「ところで、活動というのはなにを?」

「主要な用件は、いただいたせとかの木の枝を持ち帰ることです」

「枝?」

「はい。あまりに不思議な柑橘だったので、果樹茶業研究部門で挿し木してみようということになりまして」


俺は鳴瀬さんを見て、JDA的にそれが許される行為なのかどうかを確認した。

彼女は微かに頷いてJDAがそれを許可していることを教えてくれた。


「分かりました。まあ、ダンジョン内でホテルや旅館のような待遇を期待されても困りますが、標準的な探索者の待遇くらいは保証しますよ」


緊張をほぐそうと、軽いノリで付け加えた俺のセリフを、佐山は神経質そうに眼鏡のブリッジを押し上げ、瞬きをしながらまともに受け止めた。


「よろしくお願いします」


今回の依頼は、俗にいう護衛依頼だ。

つまり俺たちは、道中の安全を保障するのが仕事で、彼の研究や仕事にはタッチしない。

以前はその境界があいまいだったらしいが、研究内容をめぐってトラブルが起こってからは、ノータッチが基本になっているようだ。もちろん手伝いのための依頼があれば、それは別だ。


「では、こちらにもサインを」


俺は三好から受け取った書類を彼に差し出した。


「なんです、これ?」

「NDAです。この探索の間に見聞きした我々の情報には守秘義務が生じるというものですね」

「守秘義務?」

「例えば、彼女が魔法を使ったとします」


俺は三好を掌で指して言った。


「え?」

「あなたは、彼女がその魔法を使ったことを誰にも伝えることができません」


探索者のスキルや行動は、基本隠蔽される傾向にある。

誰しも切り札は他人に知られたくないものだからだ。それが命にかかわるとなれば、なおさらだ。


「もし、伝えた場合は?」

「活動に支障が生じたとして、過去1年分の我々の収入と同額が賠償金額となります」

「え? 1年分ですか?」

「はい。本来ならそれ以降の探索活動全体にかかわる問題ですが、さすがに生涯年収の減額分を請求するのは躊躇われましたし、計算も難しいので1年分でよしとしました」

「すでに周知の事実の場合は?」

「例えば彼女が鑑定を持っていることは、知られた事実ですので、そういう情報はNDAの範囲外です。もっともその鑑定の詳細については、NDAに含まれますのでご注意ください」

「わかりました」


佐山は別にそんな話を他人に吹聴するつもりはなかったし、多くても1千万くらいだろうと、漠然と考えてサインした。

単一パーティの過去1年の収入が、今に限って言えば、バーレーンの歳入規模に匹敵するなどとは夢にも思わなかったからだ。


NDAの締結が終わると、鳴瀬さんが後を引き取った。


「それで、依頼料のことですが――」

「え? 商務課の方にはJDAの標準価格ということで話を伺っていますが」

「JDAの指名依頼基準ですと、そのパーティの、過去1年間の収入の日割が標準価格になるのですが――」


鳴瀬さんが、そう説明した。

もっとも、依頼によっては、様々な手当てがついたり、逆に安くなったりすることもあるそうだ。あくまでも目安ということだろう。


「そう伺っています」

「ただ、それで金額に問題が生じる場合は、契約時にお互いの話し合いで決めるのが通常の手続きなのです」

「問題? プラスアルファが必要だということでしょうか?」


佐山は自分たちの依頼を振り返って訊いた。

なにしろ初心者まるだしの一般人を、つい最近までは深層と呼ばれていた21層まで安全に送り届ける仕事だ。危険割り増しがあってもおかしくはない。


「佐山さん。Dパワーズの過去1年間の収入を日割りすると、大体12~13億円になるんです」

「は?」


佐山は自分の耳を疑った。

日給12億? イラクディナールでもソマリアシリングでも、絶賛下降中のボリバル(*1)だったとしても、とても支払えるような金額ではない。

もし、それが本当なら……、とそこで彼は、先ほど交わしたNDAの内容を思い出した。


「ちょ、ちょっと待ってください。じゃ、さっきのNDAの違約金って……」

「4500億円ちょっとですね」

「ゔぞっ……」


佐山は目を点にして固まった。


「まあそれは守秘義務を守っている限り課せられないわけですから問題ないとしてですね、さすがに標準価格での依頼には無理があると思うのですが……」

「い、一般的にこの仕事をこなされる程度の探索者さんの平均はどのくらいでしょう?」

「そうですね。パーティ単位ですと、1日の最低ラインが20万円くらいでしょうか」


月に20日稼働するとして、1日20万なら月収400万だ。

大金のように思えるが、6人パーティなら、一人66万程度にしかならないわけで、20層を超えられる探索者の収入としては格安といえた。


佐山はその金額に慌てた。経費も込みだとすると、どう考えても100万を超える可能性がある。


「ちょ、ちょっと上司に連絡して確認してまいりますので、少し待っていていただけますか?」

「はい。会議室内は携帯が使えませんので、ロビーでどうぞ」

「わかりました」


そう言って、佐山は汗をかきながら部屋を出て行った。


その後姿を見ながら、俺は鳴瀬さんに言った。


「鳴瀬さん。彼、まさかあのまま潜られるんですか? せめて初心者セットくらいは用意していただかないと……」

「それを芳村さんが言いますか」


彼女は思わず苦笑した。

たしかに普段着でふらふらと入ダンしていたのは自分だが、あれはダンジョン内のことをよく知らなかった頃の話だし、さほど危険のない1層にしか行かなかったからという理由もある。

とはいえ、2層以降でフロアに比して防具が貧弱だと、親切心を全開にするおせっかい探索者は非常に多く、俺たちも散々アドバイスという名の説教を受けた。

行き先が21層なのに、防具なしは、探索者のおせっかい心に火をつけるのに十分な状況だ。


「護衛依頼では、護衛対象の服装に規定はないんです。それが原因で負傷した場合は自己責任ですね」

「意外と厳しいんですね」

「危険地帯へ行くのに準備を怠ったのが原因で負傷したら、大抵は自己責任だと思いますよ」


サファリパークで、勝手に自動車から出てライオンに襲われた場合、その責任までパークは取り切れないってことだろう。


その時、部屋の外から、バタバタと走る音が近づいてきた。


「戻ってくるにしては、早くないですか?」


三好がそう言った瞬間、勢いよくドアが開くと、赤毛の髪を無造作にカットした、エネルギーにあふれている男が飛び込んできた。


『ひゅー、どうやら間に合ったみたいだぞ』


「え、ロビン・ウィリアムス?」


その男の顔を見て三好が思わずそうこぼした。確かに似ている。が、もっと似ている肖像画を見たことがあるぞ。


「というよりこれは……あの偉大な数学者」

「ああ!」

「「ガウスだ!」」


俺と三好は顔を見合わせながらそう言った。

そう、その顔は、クリスチャン・アルブレヒト・ジェンセンが描いたガウスにとてもよく似ていたのだ。髪型は違っていたが。


『ガウス? 惑星怪獣じゃないだろうね?』

『怪獣?』

『あれ? 去年までクランチロールでやってたけど、あれって、日本のトクサツじゃないの?』


研究機関の人?がクランチロールでトクサツをチェックしてるとは、時代だなぁ……(*2)


『いや、俺たちが言ったのは、数学者の方ですけど……』

『そいつは光栄だ。そういやちょっと似てるかもしれないな』

『ミスター・アーガイル。挨拶どころか、ノックもしないで、何をやってらっしゃるんですか』


飛び込んできた男が、まんざらでもなさそうにほほ笑む後ろから、いかにもできる女然とした、シックにモノトーンでまとめた背の高い女性が現れて、彼の行動に突っ込みを入れた。


『あ、これは失礼。あー、私はネイサン=アーガイルだ。ここはDパワーズの打ち合わせに使われている部屋であっている?』


「ネイサン=アーガイルって……」


鳴瀬さんが、驚いたように目を見開くと、つかつかと彼の前に出て言った。


『失礼ですが、DFAのアーガイル博士ですか?』

『そうだ。君は?』

『JDAのミハル・ナルセと申します。Dパワーズの専任管理官を拝命しています。博士が来日されるという話は、私も耳にはしていましたが、どうしてここに?』


WDAの大物が来日するとなると、通常その相手をするのは国際協力課だ。

この課はダンジョン管理部の下にある課で、主にWDAとの連絡や連携を主要な業務にしている。


『もし、場所をお間違えなら、国際協力課までご案内させていただきますが』

『いや、目的はここであっている。デミルから聞いたんだが、今日ここでDパワーズの指名依頼の話が行われてるんだろう? 21層へオレンジを取りに行くっていう』


「デミル?」と、俺が呟くと、鳴瀬さんが、「デミル=アンダーソンは国際協力課の課長です」と簡潔に補足してくれた。


『確かにそうですが、それと博士がここにいる関係がよくわからないのですが』

『簡単さ。私たちも便乗させてもらおうと思ってね』

『はい?』


「おい、三好。今便乗させてもらうとか言わなかったか?」

「奇遇ですね、先輩。私にもそう聞こえました」


『お待ちください、博士。現在は、指名依頼の契約の真っ最中ですよ。便乗と申されましても……』

『固いこと言うなよ。ちょっとだけ、な!』


親指と人さし指で、ちいさい隙間を作って、目の前でちょっとだけポーズをとっている。


「なんだか、めちゃくちゃフリーダムな人っぽいぞ」

「このいい加減さで、よくWDAの偉い人になれましたね……」


『普段は、きちんとした方なんですけど、今回はちょっと舞い上がってまして』


俺たちの話を聞きつけたのか、彼についてきていた女性が、すまなそうにそう言った。


『え、日本語は――』

『少しだけ』


しまった。うかつなことは言えないな。

というか、アーシャと言い、日本語が話せる人って意外と多いんだな。


『それはどうも失礼しました。私はDパワーズのケイゴ・ヨシムラです。彼女はアズサ・ミヨシ。ワイズマンって言うほうが有名ですけど』

『うわぁ、ご高名は存じております。私は、シルクリー=サブウェイです。博士のアシスタントをしています』


ご高名ときたか。さすがはワイズマン。その名前は、WDAにも鳴り響いているようだ。

鳴瀬さんと博士が、微妙にかみ合わないやり取りをしている間に、俺たちは、シルクリーさんから、彼が今回来日した理由について説明を受けていた。


『じゃあ、あのレポートを読んだんですか?』

『はい。最初はなんの妄想かと思いました』

『確かに。私たちも自分たちの身近で、それが起きるまでは信じられませんでしたから。それにしても対応が早かったですね』

『それは提出者があなたたちだったからですよ』


シルクリーさんがまじめな顔でそう言った。

彼女によると、世界唯一の鑑定持ちがいるパーティが提出した、驚愕のレポートで、しかもその証拠が代々木に存在しているという。

これが世界に与える影響は、非常に大きなものになる可能性が高く、すぐにでも証拠を確認に行かなければという話になったらしかった。


『すでにレポートのことを小耳にはさんだFAO(国際連合食糧農業機関)が大きな興味を持っているようで、確認を急いでほしいと、内々とはいえ、矢の催促だそうです』


「また、えらいことになってんなぁ……」

「予想はしてましたけど、現実になるとびびりますね」


『では、農園の確認にいらっしゃったんですか?』


その言葉を聞いたアーガイル博士は、鳴瀬さんとの話の途中で、こちらを振り返った。


『そうだ。そのクレイジーな農園が、代々木の2層にあるんだろう? もちろんそれを見に来たんだ』


彼は、そう状態に見えるくらい大仰な身振りでそう言った。


『君たちの申請を見た後、とにかくすぐに飛行機に飛び乗りたかったんだが、引継ぎだのなんだの、厳しい監視者がいてね。とにかく最短で出発したんだが、成田に着いたら、まだ15時じゃないか』

『時差ボケで眠くて死にそうになりながらJDAに問い合わせたら、次の日――今日だね――に君たちが、ネミの湖のほとりに、聖なる木立の枝を切り取りに行く(*3)契約をすると聞いてね。これは便乗しなければと、職権を乱用して割り込んだのさ!』

『職権を乱用って……』

『ミスター・アーガイルは正直な方なのです』

『はあ。でも、我々は、逃亡奴隷になって、森の王を殺しに行くわけじゃありませんよ?』

『なに、世界の秘密が、そこで待っているってところは同じだろ?』


そうして彼は、秘密を共有するように、小さくウィンクした。


『麦を確認に来たら、オレンジまで登場しているとは、DFAとしては興味が尽きないね』


とにかくそれで現物を確認したら、暫定的にパテントを認めてすぐにでも公開したいんだと彼は言った。


『こいつはすごいことになるぞ』


博士は興奮したように宙をにらむと、こぶしを握った。


『パテントはともかく、麦畑に関して、我々は先物市場の混乱などを心配しているんですが、構わないんですか?』

『馬鹿を言え。世界から貧困が、少なくとも食の上では消滅するかもしれない事実の前に、ブルジョアどもが流通を牛耳って遊んでいる市場がどうなろうと知ったことか』

『ええ?! 本気ですか?!』


この人、アナーキストかなにかなのか?

先物市場は本質的にヘッジ市場だ。高価格で推移している現在の穀物市場をにらんで、先物市場で買い持ちしている人々は多いに違いない。

もし、この情報で、穀物価格が暴落したりしたら、その人たちは大損を――


『まっとうなリスクヘッジが目的で先物を運用しているのだとしたら、上がろうと下がろうと大した問題じゃないさ。それがリスクヘッジというものの本質だろう?』


――言われてみればその通りだ。それで儲けようなどと思っていない限り、ただ上振れするリスクが発生せず、保険代が無駄になっただけみたいなものか。

だんだん俺もそんな気がしてきたぞ。


『まあ、リスクヘッジ以外が目的のやつらにとっちゃ、どうだか分からないけどな』


……そっち方面の方のほうが、恨みパワーも実行力も大きい気がするんですけど。


『実際、地球上の食料は、穀物に関していえば、全人類を賄える程度に作られている。しかし、問題は偏在だ。FAOの報告は?』

『いえ、お恥ずかしいことに』

『心配ない。世界の大勢は君たちと同じで、そんな報告書に目を通したりはしないよ』


博士がそう言って説明してくれた内容によると、世界は、総人口の継続的な増加と途上国を中心とした所得水準の向上に伴う食用・飼料用需要拡大に加えて、バイオ燃料原料需要の増加に伴い、今後も需要が供給を上回る状態が継続して食料価格は高止まりするという。

そして、各地域とも生産量は拡大する見通しにもかかわらず、アジア・アフリカ・中東地域において、それは消費量の伸びを下回ることになるそうだ。


『その結果、アジア・アフリカ・中東地域の純輸入量が拡大して、食料の偏在化傾向は拡大していくことになるだろう。そこでこれだ』


彼はシルクリーさんから折りたたんだ紙を受け取ると、それを机の上に広げた。


『これは?』


そこに広げられたのは、世界地図だった。


『赤いバツが、世界中で確認されている一次ダンジョンの位置だよ』


世界中のダンジョンは、ほぼ1日の間に現れたとされている。それらのダンジョンは、便宜上一次ダンジョンと呼ばれていた。

それ以外に、年にいくつかずつ増えていくダンジョンは、それに即して、二次ダンジョンと呼ばれている。


一次ダンジョンは、北緯35~40度あたりを中心に散らばっていて、エリアIDが増えていくほど両極方向へ広がっていた。さらに不思議なことに人が全くいない地域を避けるように配置されている。

もっとも人がいないから見つかっていないだけなのかもしれないわけだが、そう考えて探しに行った探検隊の成果は3年たったいまでも、ほぼゼロだ。


『こうしてみると、日本が特に多いのも不思議だね』


彼は、指で太平洋上の北緯35度線を日本の方へとたどりながら言った。


『まるで、太平洋を渡ってきたダンジョンを作る何かが、日本にぶつかって、南北に分かれたようじゃないか』


博士の指は、日本にぶつかると、そのまま日本列島を南にたどり、東南アジア方面に進んでいった。

そうして、その面積に比して、発見されているダンジョンの数がとても少ない東アジアに、くるりと指で丸を描いた。


『そして青いバツが二次ダンジョンだ。不思議なことに、2次ダンジョンは、巨大な1次ダンジョンの側か、そうでなければ――』


彼はサヘル地域を指さした。

そこには、先日話題になった、ダーコアイダンジョンを始めとする4つの青いバツが記されていた。


『――貧困地域にできることが多いんだ』


確かに世界の貧困地域に青いバツが散見される。


『まるで、ダンジョンが、この発見のためにそれを作ったみたいにすら思えるね』


彼は冗談だか本気だか分からない様子で、そう言った。

それを聞いた鳴瀬さんが、博士の話に割って入った。


『ちょっと待ってください。博士は、Dパワーズが提出したパテントの調査のために、代々木2層にある麦畑を確認しに来日されたんですよね』

『まあ、建前はそうだ』

『大変興味深いお話でしたが、それはそのお仕事と関係ないのではありませんか?』

『直接的には、そのとおり』

『では、そのお話はそこまでにしてください。今は指名依頼の契約中です』


そう言って、鳴瀬さんが入口の方に視線をやると、そこには佐山さんが所在なさげに立っていた。


『彼は?』

『今回の本来の依頼者ですよ。アーガイル博士風に言えば、逃亡奴隷役の方』


三好が、そう彼に説明した。


「え、えーっと。お邪魔では?」


佐山さんは恐縮しながらそう言った。


「佐山さんとの契約中です。邪魔なのは、こちらの方々ですから、大丈夫ですよ」


鳴瀬さんがWDAの大物に向かって、身もふたもない発言をした。

シルクリーさんは日本語がわかるわけだし、あとで問題にならないかちょっと心配だ。


「それが、先ほどの件を上司と相談したんですが……」

「それで、どうされました?」

「最大で1日10万円以上の経費は難しいということでして」


何しろ年度末だ。どうやら予算が乏しいらしい。


「その金額で、20層から先への護衛依頼というのは、おそらく引き受け手がいないと思われますが……」

「そうですか……とりあえず私が私費で建て替えるにしても……」


『なんという好都合な話だ! あ、いや……これぞ天の配剤か!』


その様子をシルクリーさんに翻訳してもらいながら聞いていた博士が、突然話に割り込んできた。

鳴瀬さんは、あまりの唐突さに眉をしかめて非難を表明した。


『アーガイル博士……』

『そう渋い顔をするな、ミハル。話は聞いたぞ、その男の――あなた、名前は?』

『え? 私ですか?』


突然名前を聞かれて、焦った佐山さんは、少し噛んだ。


『シ、シゲル・シャヤマです』

『そうか! シゲル、私は、ネイサン=アーガイルだ。今回はよろしく頼むよ!』

『は? よろしく?』

『依頼料で揉めているのだろう? 私のところと共同依頼にしてもらえれば、依頼料はこちらで持とう。20層へ行ける探索者なら、1日3500~4000ドルってところだろう?』


うお、さすがアメリカ。標準価格の最低ラインの倍くらいが相場なのか。


『え、そ、それは助かりますが……何か条件が?』

『なに、あとから割り込むのは我々だ。最後にちょっと2層まで付き合ってもらうかもしれないが、嫌なら先に帰ってもいい』


二人の様子を見て、俺は軽くため息をつくと、三好に確認した。


「三好、NDAの英語版って用意してあるか?」

「一応。出力しないとだめですけど。鳴瀬さん、印刷ってできます?」

「それは大丈夫ですが……本当にすみません」

「まあ、向こうで話がまとまりそうですし、仕方がありませんよ」

「あの、あまりにイレギュラーな話ですから、お断りすることもできると思いますが……」


鳴瀬さんにそう言われて、俺は、向こうで交渉をしている男たちをちらりと見た。


「ここで断っても、職権を乱用して依頼を押し込んできそうですから。まあ、JDAさんへの貸しひとつってことで」

「先輩。ダンジョン管理部をフル回転させてるんですから、ここは恩返しってことにしておいた方がよくないですか?」

「それは一見もっともだが、普通の職員は、これを恩だと感じてくれないと思うぞ」

「むむっ。そう言われれば、引き受けようと断ろうと、自分の業務には関係なさそうですもんね」


俺たちのやり取りを聞いて苦笑しながら、彼女は三好が渡したNDA書類のデータを課内のプリンタで出力して、届けてもらうよう依頼していた。


その後、それが届くと、博士は、ろくに文面を読みもせずにサインした。

アシスタントの彼女が苦言を呈しながら文面を確認して、具体的な賠償金額を聞いたときもう一度博士に力説した。


『ミスター・アーガイル。たとえ同僚でも、絶対に口を滑らさないでくださいよ! そんなことをしたらうちの予算がゼロになっても足りませんからね!』


普段はおとなしい彼女の恐ろしい剣幕に、彼はたじろぎながらも、うなずいていた。



*1) ベネズエラのボリバルは、2018/11終わりごろまで1JPYが0.7VESくらいだったが、あっという間に急落が始まり、丁度このころ29-30VESくらいになった。

その後も急激に下落していて、2019/11/25現在298.30VES。FXが存在するなら売っておけば必ずもうかるはずなのだが、世の中そんなに甘くはないのである。

*2) gaus (ultraman 80 / episode 19)

*3) The Golden Bough / James George Frazer

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書籍情報
KADOKAWA様から2巻まで発売されています。
2020/08/26 コンプエースでコミックの連載始まりました。
作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
野菜を育てたことがある人間からすると、ふざけてるなと思うけど。 貧困は確かに無くなってほしいけど、正常に農家さんが農家を辞めなくてもよいようにしてほしいものです。 パソコンで仕事してる人が明日から全て…
どんなに偉かろうが良いこと言ってようが、 他人の契約に割り込むやつを受け入れるのが個人的には分からない
[一言] 良いですか、落ち着いて聞いてください あなたが支払う護衛料は、1日あたり12億円です
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