§136 パテントの波紋 2/2 (sat)
WDA(世界ダンジョン機構 World Dungeon Association)の本部は、その設立経緯から、国連本部ビルの2フロアを間借りしていた。
手狭なこともあって、各局は、世界中の協力機関の近くに分局を作っていたが、現在は、すぐ南側の土地に本部ビルが建築中(*1)で、そろそろ引っ越しと局の再編成が行われる予定だった。
DFA(食品管理局 the Department of Food Administration)は、人類にとっても重要なポジションだけに、二つの分局が、メリーランド州のホワイト・オークと、イタリア、パルマのドゥカーレ公園の隣に作られていた。
前者はアメリカのFDAに、後者はEUのEFSA(欧州食品安全機関)に間借りして協力体制をとっているわけだ。
「何度見ても、出来の悪い冗談だとしか思えないな、これは」
イースト川を見下ろす、DFAの本局では、主席研究員のネイサン=アーガイルが、緊急・最重要扱いでPO(知財局特許課 Patent Office)から回ってきた資料を見て思わずそうこぼした。
エイプリルフールはまだ1か月以上先のはずだ。
「ミスター・アーガイル。どうされました?」
アシスタントの、シルクリー=サブウェイが、彼の様子を見てそう尋ねた。
親しい人たちは、みな彼女のことをシルキーと呼んだが、思春期を過ぎた後、モノトーンの服が好きだった彼女は、その亡霊や妖精を思わせる呼ばれ方をあまり好きにはなれなかった。もちろんそんなそぶりを見せたことはない。
今ではそれを気にするようなこともなくなり、研究で徹夜をした翌日に、モノトーンのワンピースでガラスに映る姿を見ると、うんシルキーだよねと苦笑をするくらいだ。
初めて会った時から、ネイサンは、彼女のことを堅苦しくミス・サブウェイと呼んで、親しくなった今でもその呼び方は変わっていない。
彼女は、彼の口から、堅苦しくミスと呼ばれるのが、今では結構好きになっていた。それに倣って、彼女も彼のことを、ミスター・アーガイルと呼んでいたが、周囲の研究者たちには、もしかして仲がうまくいっていないのだろうかと心配されてしまうことさえあった。
もちろん、二人ともそんな雑音に耳を貸したりしない性格だったから、ある意味、割れ鍋に綴じ蓋と言える関係なのかもしれなかった。
「いや、POに提出された出願情報のチェックが回ってきたんだが……」
「それは珍しいですね」
ダンジョンから産出する食品の安全性の確認や管理がこの部署の仕事だが、ダンジョンから産出するアイテムに、食べることが前提のものは、今のところそれほど多くはない。
本格的な稼働は、例の5億人登録後の浅層ドロップが開始されてからだろうと、誰もが思っていた。
そのため現在は、協力している機関から安全性試験の下請けをテストがてらに引き受けたりするくらいには暇だった。
「そういえば、ミス・サブウェイの専門は、分子生物学だったかな?」
「はい」
「この件をどう思う?」
ネイサンは、自分が見ていたモニターのドキュメントを、タブレットで開きなおすと、それを彼女へと差し出した。
そこには、定型の書式で記された、POの申請書類がそのままクリップされていた。
「Dファクター?」
「そうだ、提出者の主張によると、ダンジョンは独自の管理機構を持っていて、ダンジョンに属するオブジェクトを管理しているそうだ」
「モンスターのリポップなどを管理と呼ぶのでしたら、そういうシステムがあると考えるのは妥当だと思いますが」
「まさにゲームシステムだな。それで、その管理機能の根源には、提出者たちがDファクターと名付けた物質があるそうだ」
管理機能の根源? シルキーには意味が分からなかった。
電気のようなものだろうか? いや、仮にコンピューター社会でも、それを根源と呼んだりはしないだろう。では管理者としてのAIのようなものだろうか。いや、それをファクターなどと呼ぶのはいかにも変だ。
「ダンジョン碑文の翻訳に表れる、『魔素』などと訳されているもののようなものでしょうか?」
魔素が魔法の発動にかかわっているという仮説は、すでに立てられていて、一応研究はされていた。
しかし、魔法スキルを得た人間の数はとても少ない上に、大抵はダンジョン攻略におけるVIPとなっている。さらに、実験でその意識を暴走させたりしたら、実験者を無意識に殺害することなど、簡単に行える存在だ。脳にプローブひとつまともに落とせず、研究は遅々として進んでいないと聞いていた。
「提出者の主張によると、そのDファクターは、魔法だけでなく、あらゆるダンジョン内オブジェクトの構成に利用されている。言ってみれば、自由に構成を変えられる原子のような存在らしい」
「それはまた、なんというか……大変夢のある、お話ですね」
その、あまりに遠慮した言葉の選び方に、ネイサンはくすりと笑みをこぼした。
つまり彼女は「馬鹿じゃないの?」と言ったのだ。
「そこに書かれていることが事実なら、ダンジョンは、Dファクターを自由に構成することで、あらゆるものを作り出していると、そう想像できるわけだが……」
「さすがにそこまで来ると、ほら話にしか聞こえません」
「しかし、ただのほら話なら、POからここまで、緊急かつ最重要扱いで送られてきたりはしないよ。それがたとえアメリカ大統領の発言だったとしてもね」
つまりその内容は、あらかた妥当だと判断されたのだ。
そしてPOとしては、ディテールを補ったり、確認された結果が欲しいわけだ。しかも早急に。
それがなぜなのかは、提出された書類を見ればすぐに理解できた。
「しかしそれなら、なおさらうちに送られてくる理由がわかりません。DD(ダンジョン局 the Department of Dungeon)あたりが妥当だと思いますが」
「そのわけは、その先を読めばわかる。そのパテントは、Dファクターに関するものではないんだ。その部分は、あくまでも前提としての説明にすぎない」
シルキーは、前提の説明に素早く目を通しながら、ページをめくった。
そうしてそこに書かれているアブストラクトを読んで、思わずタブレットを取り落としそうになった。
「D……進化?」
ネイサンはもみ手をしながら、大きくうなずいた。
「そう。そのパテントの主要な部分は、我々の現実に属しているものが、D進化と呼ばれる工程を経ることで、ダンジョンの管理に組み込まれるというところにあるんだ」
「それはつまり……死んだらリポップする人間が作れるってことですか?!」
「額面通りに受け止めるなら、可能性はある」
そう言って微かに肩をすくめた彼は、今でこそ落ち着いた大人としての名声を勝ち取っていたが、実はブリティッシュパンクで育った男だった。
ダムドやセックスピストルズの結成とともに、この世に生を受けた彼は、成績は良かったが、どちらかと言えばライ麦畑に共感するようなタイプの少年だった。
そして、思春期にパンクに出会い、その強烈なインパクトに一発でノックアウトされた。つまりその時の彼は厨ニ病だったのだ。
その後、世界が、水の中で1ドルの餌に飛びつこうとしているスペンサー・エルデンに熱狂し、ロック史上もっとも有名な作り手と聞き手の間の行き違い(*2)が起こっていたころ、彼は「グランジ? パンクについていけない連中がひねり出したクソだろ」とうそぶいていた。要するに彼はこじらせたのだ。
そういうタイプだったとはいえ、行きたい大学ならどこへでも、他人のお金で行ける程度には頭の出来が良かった彼は、きちんと自分と社会に折り合いをつけ、順調にキャリアを重ねて、今ここにいた。
そんな彼が、目の前に現れた、まさにファンタジーとしか形容のしようのない可能性に、大人のままでいられるはずがなかった。
そこには未知の可能性という名の、性悪だが飛び切り美しくセクシーな何かが横たわっていた。まるでフェロモンの塊のような体つきで彼を誘惑するそれは、思春期の抗いがたい性への衝動にも似た何かを、強烈に刺激していた。
「もっともリポップした人間が、元の人間の記憶を持っているかどうかは分からないけどね」
「まあ、それは」
そんな夢物語の可能性に、相槌を打ちながら、彼女さらにページをめくった。
そうして、そのパテントに関連する別のパテントと、それに添えられたレポートの内容を見て、大きく目を見開いた。
「!!」
「そいつがまさに、それがここに送られてきた原因さ」
そこには、『ダンジョン内作物のリポップと、現行作物のダンジョン内作物への変換』が、厳かに添付され、外部の専門家たちの評価を待っていた。
「ミス・サブウェイ」
「は、はい」
「すぐに、飛行機のチケットを取ってくれ」
「東京行きですか?」
彼女はパテントの申請者を見てそう言った。
「そうだ。そこに、そのレポートにある農園があるそうだ」
「しかし、急ぎでやりかけの仕事を放りだすわけには……すぐに移動するのは許可が下りませんよ」
「むぅ……すぐにけりをつける。そしたら、すぐにだ。できるだけ早い便を頼む」
彼は、さっそくたまっている雑事にけりをつけるために、仕事を再開した。
「人類史上に残るような問題は、自分の目で確かめないわけにはいかないだろう? チャンスは鳥のようなものだそうだよ。君も同行するかい?」
顔も上げずに問われた言葉だったが、彼女の答えは最初から決まっていた。
*1) 10年以上にわたって空き地ですが。現在はSOLOW BUILDING COMPANYが所有している場所のようです。ドラマでもおなじみのソロービル最上階の地権者ですね。
*2) Smells Like Teen Spirit / NIRVANA




