§120 魂の器 1/27 (sun)
「消……えた?」
ヘルメットの光の中で男がマントを翻し、その影に隠れたかと思うと、翻ったマントはそのまま重力に従って伊織を包むように落ちて、他には何も残されていなかった。
駆け寄った隊員は周囲を入念に探したが、そこにいたはずの男はどこにも見つからなかった。マントが残されていなければ、幻だと思いこんでしまいそうな状況だ。
「鋼1曹、今のは……」
「さあな、どこかの探索者なんだろうが……」
「どこかのって、あんな事の出来る探索者がいるんですか?」
「お前も見たろ? それが全てだ。それより伊織を運ぶぞ。担架もってこい」
「君津2尉、大丈夫でしょうか」
「いつもの『やりすぎ』だ。心配ない」
鋼は、そう言いながら横たわっている伊織を見た。
服の右袖部分はきれいに切り落とされており、その周囲には出血の後もある。
普通に考えれば、デスマンティスに切り落とされているように見えるが、右腕は健在だ。ポーションでくっつけたにしては、右手首のバイタル確認用の腕輪がない。傷一つ無いそれは、まるで新しく生えてきたようだった。
右足の先も似たようなもので、しかも履いている靴は隊の装備品ではなさそうだ。
心配ないとはとても言い難い状況だが、すでにその全ては修復されているように見えた。
伊織に聞いてみなければわからないが、もし失われた部位を再生したのだとしたら、最低でもランク7のヒールポーションが必要だ。
「ランク7を常備している組織なんか聞いたこともないぞ……」
欠損を復元してしまうランク7以上のポーションは、その存在そのものが秘匿される傾向にあった。政府でも軍でも、そのことが知られると、有力者の働きかけが増えるからだ。
だから値段など付けようがないが、機械的なポーションの価格決定式(ひとつ前のランクの価格xそのランク)を適用しただけで50億を超える。
名前も告げずに消えたってことは、それを請求する気がないってことなのだろうか。もはや意味が分からなかった。
「ま、請求されたところで、年度末も近いこの時期に、そんなカネが右から左へぽんと出てくるわけ……ん?」
伊織を担架へと乗せようとしたとき、胸の上で固く握られている手の中に何かがあることに気がついた鋼は、それを調べようと、伊織の手に触れた。
「ん……鋼さん?」
それが切っ掛けになったのか、気がついた伊織が目を開けて彼の名前を呼んだ。
「隊長。大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ。大丈夫です。鋼1曹、状況は?」
伊織は、上半身を起こして辺りを確認した後、担架を断って立ち上がると、そう言った。
「隊長と、あの仮面の男のおかげでなんとかなりましたよ」
「損害は?」
それを聞いて、沢渡2層が報告した。
「死亡2名。通信兵のふたりが、救援を頼んだ後物資を持って戻ってきたとき、洞窟の入り口にライトを設置しようとして、デスマンティスに……」
「そう」
ダンジョン攻略群は、現在自衛隊でもっとも損耗率が高い部隊だ。
とはいえ、こればかりは、何度経験しても慣れなかった。
「簡易陣地に籠もった後の犠牲者はいません。もっともポーションの在庫はほぼゼロになりましたけどね」
「また、補給の連中に文句を言われそうだな」
「それで、あの方は?」
「あの方?」
「ほら、オペラのタイトルロールみたいな人」
鋼は伊織の言い方に驚いて復唱したのだが、彼女はそれが誰のことなのかと聞かれたものと解釈した。
「ああ……わかりません」
「わからない?」
「隊長と二人であのデカブツを倒した後、その……消えたんです」
「消えた?」
「ええ、文字通り」
そう言って、鋼は、伊織が倒れた後何があったのかを話した。
伊織は、残されていたマントに触れながらそれを聞いていた。
「そう」
「それで、何があったんです?」
「それは後ほど文書で報告します。それより、今は……これね」
そう言って、伊織は、仮面の男に渡されたアイテムを皆の目の前にかざした。それは、細長い六角柱の形をした15cmくらいの棒だった。
「それは?」
「あの方が残していったアイテムね。おそらくあのデカいのからドロップしたんでしょう」
伊織はそれを鋼に渡した。
「門の鍵(32)?」
「俺にも見せてくださいよ」
興味深そうにそれを覗き込んだ、海馬がそれを受け取ると、くるくると回した。
「32層への鍵みたいですけど、何処で使うんでしょうね?」
どこかに差し込むようなデザインだが、なにしろ直径は1cmもない。これが嵌りそうな場所を31層全体から探すとなると相当な手間になるだろう。
「どっかに門みたいなものがあるんですかね?」
「門と言っても、魔法陣みたいなものの可能性もあるから、一概には言えないわね」
31層はまだ神殿2つ分しか探索が行われていない。塔にもっとも近い神殿と、その隣のここだ。他の神殿のどこかにこれを使うような場所があるのだろうか?
「しかし、これを使う場所を探すのは――」
「ちょうどいい人がいるわ。彼女に見てもらいましょう」
難しいと、鋼が言おうとしたとき、伊織が洞窟の入り口の方を見ながら言った。
チームIの3人は、彼女の視線を追って振り返ると、ああ、と納得した顔をした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
洞窟の入り口では、集まった探索者たちが、目の前で起こった光景について口々に話していた。
『終わったのか?』
巨大なモンスターが派手に倒されて、覆われていた闇が消えて無くなった。
高速で飛び回っていたデスマンティスも、もういない。
『たぶんな』
『なんとまあ』
『駆けつけてきた俺たちって、いい面の皮?』
『ま、一応義務は果たしたってことで、各国の面子は立ったし、損害もなくて万々歳だろ』
なにしろ取り巻きに、エバンスのボスキャラが4体いることが分かっていたのだ。
条約に基づいて救援に駆けつけてきた探索者たちは、口では色々と言いながらも、全員何らかの損害を覚悟していた。ただ、それが自分の身に起こると考えている者はひとりもいなかった。
さすがはトップエンドの探索者たちだ。もっとも、眼下で起こっていた戦いを直接見ていただけに、安堵の色も濃かった。
『あの男は何だ?』
ドミトリーが目をギラギラさせながら、隣に立っていたサイモンに聞いた。
いや、そこは「誰だ」じゃねーの、と考えながら、サイモンは、ドミトリーがこれほど激しい興味を他人に見せたことに驚いていた。彼はよく言えばクール、悪く言えば人に興味がない男なのだ。
『見ただろ? たぶんあれが、あんたから1位の座を奪った男さ。他には考えようがない』
サイモンが、煽るようにそういうと、ドミトリーは異様な目の輝きをそのままに『そうか』とだけ答えた。
そのあと『やはり代々木にいたのか』と続けられた言葉は、ロシア語だったためサイモンにははっきりと聞き取れなかった。
『で、アズサは1人なのか? ヨシムラは?』
『先輩ですか? 21層ですよ。そろそろ晩ご飯でも食べてるんじゃないですかね』
『21層?』
『うちの契約探索者の引率ですよ』
それを聞いてサイモンは変な顔をした。
もちろん彼は、つい今しがたまでそこで大暴れしていたのが芳村だと確信していたのだ。
『なら、あんたはなんでここへ?』
『え? えーっと……ほら、私は仮にもSランクですからね。義務を果たしにですよ!』
三好はこれ見よがしに胸を張って答えた。
『ほう』
軍属ならともかく、Sランク探索者といえど一般人にそんな義務はない。
それに、自分達は17層の通信所で救出の依頼を受けた。
18層にいた連中も18層の通信部隊からそれを伝えられて、陣容を整えた後、すぐに31層に向かったはずだ。
アズサはどうやって我々の誰よりも速くこの状況を知って、31層へやってきたんだ?
サイモンは、うっすらと笑いながら言葉を継ごうとした。それがちょっと捕食者の顔っぽくて、ヤバいかなと三好が思ったとき、救世主が現れた。
「失礼ですが、三好梓さん?」
その時縄梯子を上がってきた男が、三好の名前を呼んだのだ。
「はい、そうですけど」
「少しよろしいですか。うちの隊長が呼んでいます」
「私を?」
「ええ」
『なんだ? 何かあったのか?』
『いえ、なんだか私が呼ばれてるみたいで』
『イオリにか? そりゃご愁傷様』
『なんです、それ?』
『あの堅物はゴーゴンみたいなやつなんだ。見つめられたら最後、セッキョウされて石になるんだぜ?』
くわばらくばわらと、サイモンは奧へ引っ込んだ。
「ゴーゴンって」
三好は苦笑した。
「三好さん?」
「あ、今行きます」
三好はノートをリュックにしまうと、男の後を追って縄梯子を下りた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なあ、ドゥルトウィン」
「くぅーん?」
「俺たちどうしたら良いんだと思う?」
俺は、ピットの闇の中で仰向けになって、頭の上から覗いているドゥルトウィンと鼻面を付き合わせていた。
みんなの前から消えたはいいが、シャドウピットの移動は空間を越えられない。
つまりこの神殿内以外に移動することは出来ないのだ。現在、外は探索者だらけだ。10層と違ってどこにも行く場所がなかった。
「上の連中がいなくなるまで、ここで待機なのか?」
ドゥルトウィンが、しょうがねぇなあという顔をして、俺の額をてしてしと2回叩いた。
「それって、魔結晶2個で手を打つよってこと?」
「がうっ」
「さいですか」
とはいえ、外の連中って、いついなくなるんだよ? 状況が状況だし、しばらくは無理かなと、俺はため息をついた。
腹も減ったけど、何かを食べるのもためらわれた。
なにしろいつまでここにいる必要があるのかわからないのだ。願わくば尿意や便意に襲われませんことを……
◇◇◇◇◇◇◇◇
「よく来てくれました。三好梓さん」
三好は伊織と軽く握手をして挨拶を交わすと、すぐに用件を聞いた。
「はい。それでどういったご用件でしょう?」
三好は伊織の右足を見て、あれは先輩の靴だと気がついた。
それを買った場所と靴の希少性について、一瞬思いを巡らせたが、特に問題はないはずだと結論を出した。
「実はこれを鑑定していただきたいんです」
そう言って伊織が取り出したのは、細長い六角柱の形をした15cmくらいの棒だった。
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門の鍵(32) The key to the 32nd floor.
32層へと到る道をつくる鍵。
入口と出口は表裏一体。門と鍵は分かちがたく結びついている、探索する者にはすぐにそれと知れるだろう。
尋ねよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見いだされん。叩けよ、さらば開かれん。
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「門の鍵ですね。32層へ下りるときに使うようですよ」
三好はそれをちらりと見て答えた。
芳村ならここで、そういった個別の依頼はお断りさせていただいていますなどと原則論を振りかざすところだが、自衛隊に現場で逆らっても良いことはない。近江商人は柔軟なのだ。
「触れる必要もないのか……」
伊織の隣で、鋼が驚いたようにそう呟いた。
鑑定の詳細は未だに明らかにされていない。ごく簡単な説明だけがJDAのデータベースに書かれていた。
「それで、扉は何処にあるかわかりますか?」
三好は筆記用具を借りると、鑑定結果を書き出して彼女に渡した。
「マタイ伝?」
伊織は、アイテムの説明にマタイ伝が引用されていることに驚いたような顔をした。
「つまり神に祈れと言いたいの?」
有名な7:7は、要約すれば神に祈りなさいという意味だとされている。
「フレーバーテキスト部分はいつもそんな感じです。意味があるのか、ただの雰囲気なのかもわかりませんから」
「言葉通りの意味かもってこと?」
「はい。そういうわけですから、場所はたぶん最初の入り口のあたりでしょう。鍵を持っていけばすぐにわかると、そういうことだと思います」
たぶん、それで、そう大きく間違ってはいないだろう。
その答えを聞いた伊織は、チームの一員らしい少しチャラそうな男に目配せした。男はすぐに縄梯子を上がり始めたから、きっと確認に行かせたのだろう。
「えーっと。じゃあ、私はこれで」
「え? お代は?」
「私たちは今のところ鑑定を商売にしていません。きりがないので」
三好は肩をすくめて、ランスに言ったのと同じ台詞を繰り返した。
「そう。じゃあ借りておきます」
そう言って彼女は微笑んだ。
なんだ、良さそうな人じゃんと三好は思った。ゴーゴンだなんて、サイモンさんも大げさ――
「ときに、三好さん」
「はい?」
「あなた、31層になんて格好で来てるの?」
「はひ?」
三好は、その後、海馬が鍵穴らしきものを発見したと報告にくるまで石にされていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「隊長。ほら、ここに……」
海馬が指し示した場所には、ちょど門の鍵が差し込めそうな穴があった。
それは塔の出口の横に位置していて、鍵を持って近づくと、柔らかい光につつまれた。
周囲には救援に来た探索者たちが勢揃いしていた。時間的にはもう夜だ、今から戻るのも面倒だし、ついでに自衛隊の情報なども収集しようと考えているのだろう。
「入れてみた?」
「いや、それが……」
「なんだ? 歯切れが悪いな」
鋼が訝しげに言うと、海馬は困ったように答えた。
「いや、これ、どっちが前なんでしょうね?」
「どっちって。入れてみればいいだろ」
「それが……」
海馬がその穴に鍵を差し込んだが、鍵はどこまでも深く刺さっていく。最後に1cm程度を残してみたが、さらに奧まで入りそうだった。
「これ以上押し込んで、もし逆で開かなかったりしたら、取り出せなくなりそうなんですよ」
「ふむ」
穴は、まさにあつらえたかのようにぴったりとその鍵の大きさだった。確かにこのまま最後まで押し込んで、掴むところがなくなったら、取り出すのは容易ではなさそうだ。
いくらお調子者の海馬でも、仕事となると慎重になるらしい。しかし前後を知る手段がない以上、入れてみなければ正解かどうかは判断できなかった。
「確率は50%なんでしょう?」
そういうと、伊織はドンと拳でそれを押し込んだ。
「「ああ?!」」
意外と雑な伊織の行動に、ふたりは思わず声を上げた。
「あれ? 何も起こらない?」
逆だったのかと伊織が額に汗を浮かべたとき、地の底から響くような、ゴゴゴゴゴという音が聞こえてきた。
チームIの面々は、すぐに塔から離れ、戦闘フォーメーションをとって辺りを警戒した。当然周囲の探索者チームも同様だ。
その音は地下深くから近づいていくるように、徐々に大きさを増して、最後は塔の入り口の横に亀裂を入れた。
「なんだ?!」
塔の壁が後ろから叩かれたように、手前に崩れると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。
その瞬間、なにかが吠えるような声が微かに聞こえて、広場の周囲にあった、
の文字が淡く緑に輝いた。
それを見回した探索者たちは、1カ所だけその文字が赤いことに気がついた。
それはさっき全員がそこから出てきた神殿の前の文字だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん? どした?」
ピットの中のドゥルトウィンが、上を見上げると、きょろきょろし始めた。
そうして、突然、ぺっと俺を元の空間に吐き出した。
「いて」
「あ、いた! 先輩!」
ピットの中と外では空間が違うからか、念話は繋がらないが、ピットに小さな穴でも開けておけば同一空間とみなされる。制限は普通の空間と同じだ。
ピットを作ったアルスルズは、それが作られた空間の情報をピットの中から察知することができるようで、ピットに潜ったまま移動も可能だ。
また、アルスルズと三好の間は、念話とは別の、召喚魔法によるつながりがあるらしく、ピットの中にいても何かを感じるらしかった。
「お、三好。もう誰もいないのか?」
「全員、階段のある広場へ移動していきましたよ。先輩でしょ、あの鍵を渡したの」
「鍵? ああ。だって俺たちが持ってても仕方ないだろ? ここはメインの人達に頑張ってもらうって事で」
どうやら、連中、鍵穴を探して、その鍵を利用するために、広場へと移動したらしい。
探索者たちは、これを見逃してなるものかと、それに付いていったそうだ。
「で、お前は?」
「やだなあ、先輩。先輩のことが心配だったんじゃないですか」
三好は、わざとらしく棒読みでそう宣った。
「その心は?」
「アルスルズのピットの中を、なにかで汚されたらやだなと」
小さいのとか大きいのとかある、所を嫌わないアレだな。
俺は笑いながら、「実は、ちょっとヤバかった」と言って、急いで君津2尉が閉じこめられていた割れ目の奧に飛び込むと、奧を向いてじょじょーっと川を作った。
もちろんふりかけは、ふりかけましたよ。
「はー」
水魔法で作った水球で手を洗うと、タオルを出して手を拭いた。
割れ目から出ると、展開してしまった簡易陣地のパーツなどはそのままだったが、死体やそのほかの装備などはきれいに片付けられているようだった。
「腹減ったな」
「もうすぐ21時ですからね」
イベントてんこ盛りで、随分経ったような気がしていたけれど、実際は21層を出てから3時間くらいしか経っていない。
見上げれば18層で見たような、壮大な星空が広がっている。粘り着くような真の闇だったのが嘘のようだ。
「ところで、三好。ここ大丈夫かな?」
「キメイエスのリポップですか?」
「そそ」
「どうですかねぇ……32層への鍵をドロップしたってことは、ユニークなボスキャラって気もしますけど……」
一応、特殊なユニークボスは、リポップしないと言われている。
もしかしたら、リポップに何年もかかるだけなのかも知れないが、そこはよく分かっていない。なにしろ倒された数が少ないのだ。
「万が一もありますから、ちょっと洞窟の入り口まで下がっておきますか」
「だな」
そこにあった縄梯子は、すでに片付けられていたが、4mくらいなら――
「よっと」
俺は三好を、ひょいと小脇に抱えるとジャンプして洞窟の入り口へと飛び上がった。
「御苑の時も思いましたけど、凄いですよね」
「ステータスさまさまだよな。あのときと比べても、力や素早さは倍になってるし、余計だな」
「それで、御苑の時もいいましたけど、なんで荷物扱いなんですか」
「いや、緊急事態やファントムじゃないときにお姫様だっことか絶対ムリ」
「むむむ、そう言われれば確かに恥ずかしい気がします」
アーシャの時は緊急だったからああしたが、その後、三好達に散々突っ込まれまくった。
「それで、先輩。オーブはどうでした?」
「ああ、それな」
俺はキメイエスが持っていた、たった二つのスキルを書き出した。
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スキルオーブ 異界言語理解 1/ 6
スキルオーブ 支援(キメイエス) 1/ 6
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「1/6? 完全に採らせに来てるって感じですね」
「ユニークだしなぁ。もっともLUC100なのにどっちもドロップしなかったのは解せぬ」
「それで、どちらを?」
「異界言語理解は当面いらないだろ?」
「ヒブンリークスありますしね。今ばらまいたら、逆に碑文が集まらなくなりそうです」
「だよな。で、これなんだ」
俺は支援を取り出して、三好に見せた。
三好は、それを鑑定すると、さらさらと内容を書き出した。
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スキルオーブ 支援(キメイエス)
自分のAGIー1%毎に、パーティメンバのAGIを10%増加する。最大100%。
パッシブ。
輝ける喉を持った針の尾の力が、仕えるものたちに与えられる。
技巧を捧げれば、配下に使える者達にもその力が与えられる。
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「これはキメイエスの説明にあった、従者が素早く海や川を渡れるようにする、ってやつですかね?」
「たぶんな。しかし序列66位とはいえ、最大100%は凄いな」
「従者が人間なら、10が20になるだけですよ」
そう言われると大したことがなさそうだが、100が200になるのは脅威だろう。
「んで、輝ける喉を持った針の尾の力ってなんだ? 深海魚にサソリの尻尾でもくっつけた生き物か?」
「それ、素早いんですか?」
「とてもそうは思えんな……」
「まあそれは後で調べておきます。いずれにしろ、先輩向けのオーブですよね」
「うーん」
「どうしました?」
「子パーティへの影響がなぁ」
「ああ」
俺のパーティメンバは、三好とキャシーと三代さんだ。
そうして、孫メンバには、ブートキャンプの面々と、小麦さんがいる。
問題は、ブートキャンプの面々なのだ。ブーストが子パーティにも影響するとブートキャンプ参加時にいくばくかの増加が行われてしまう。
もしそうだとしたら、訓練終了時にAGIの上昇を感じることが出来ないんじゃないだろうか。
場合によっては、訓練中に比べて遅くなったような気すらするかも知れない。
「フレーバーテキストを見る感じ、DEXを捧げなきゃ子には影響がない気もするんだがなあ。無理矢理持ってかれたらどうにもならん」
まあ、後で具体的に検証してみるしかないか。
「もしだめだったら、開始時に訓練を効果的に行うためのブースト薬だとか言って、水でも飲ませておくしかないですね」
「そうだな。コップの底に魔法陣でも描いておくか?」
「いいですね! 今度各種ステータス用のシジルを作っちゃいましょう」
「どこの秘密結社だよ」
18世紀のイギリスには、こういった子供の作った秘密基地と精神的には変わらないような上流階級の社交クラブが結構あったらしい。違いはカネのかけ方くらいだ。
有名なヘルファイアクラブなんかもそうだが、悪魔主義の標榜は、大抵エロエロな儀式を行うための雰囲気作りのようなものなのだ。
「そのうち、東方聖堂騎士団だの、ゴールデンドーンだの言われそうだな」
「さしずめ先輩は、世界で最も邪悪な男(*1)ですね?」
何しろまおーですし、と三好が腕を組んで、うんうんと頷いている。
「麻薬と淫行に耽るのはちょっとな。第一それって、現状ならお前の役所だろ」
「そうでした! 傀儡を仕立てて影から暗躍する男。うーん、ますますそれっぽくなってきましたね」
「あのな……」
俺はそのいいぐさに苦笑しながら、オーブを保管庫に仕舞った。どうしても今すぐに必要な力というわけでもないから、使用は保留したのだ。
今日やらなくても良いことは、今日やる必要はない。先送り万歳。
「で、アイテムはこれ」
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キメイエスの指輪 Ring of Cimeies
利用者はトリビウムを完全にマスターする。
Auto Adjust
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「トリビウム?」
「キメイエスの説明にあった、文法と論理学と修辞学のことでしょう」
ヨーロッパ中世の学問分類は、全体を7つの科目に分けていたらしい。
うち言葉に関する3つをトリビウムと言って、文法と論理学と修辞学を意味していた。
そして、数に関する4つをクアドリビウムと言って、算術と幾何、それに天文学と音楽がそれにあたるそうだ。音楽は数学だったのだ。
「文法って何語のかな?」
「時代を考えれば、ラテン語ですよね。もしかしたら、ヘブライ語やギリシア語かもしれませんけど」
「言葉の指定がないってことは、もしかしたら全ての言語なのかもしれないぞ?」
「ソロモン王の指輪なら、動物とだって話せたっていいますけどね」
あれは、天使だって悪魔だって使役できちゃう、チートリングだからな。
「ま、これは俺が持ってても意味がなさそうだし。三好が使えばいいだろ」
「どんな言語でも理解できる機能が付いてれば欲しいですけどねー。理解できる言語にだけ有効なんて機能なら、鳴瀬さん向きじゃないですかね」
「そうだな。ま、とりあえず持っといて、使い勝手を見ながら誰が使うか決めてくれ」
別に使用者にバインドされたりしなさそうだし、色々とテストしてみればいいだろう。
「わかりました」
そう言って三好は指輪を受け取ると、自分の指にははめずに収納した。
最後はあれか。しかし、あれなぁ……
「んで、最後はこれなんだが……」
俺が取り出したそれは、小さな壺のような形をしたアイテムだった。
壺の口の部分には、何の変哲もない丸い穴が開いていた。
三好はそれを見て一瞬唖然としたが、すぐに内容を書き出した。
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魂の器 the Soul Vessel
魂を入れよ、さすれば扉は開かれん。
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「えーっと、三好さん?」
「なんですかな、芳村どん」
「魂って、何?」
「それはまた、哲学的な問いですなぁ……」
って、なんだよ、このアイテムは?! しかも説明なしかよ?! 超怪しいわ!!
「魂を込めたら扉が開くって、死んだら天国へ行けるってことか?」
「試してみます?」
「あと80年くらい後で、1回だけなら試してもいいぞ」
「先輩、100年以上生きるつもりなんですか?」
「俺は、子孫に囲まれて、やっと逝ってくれるのかとうれし涙を流されながら大往生するのが夢だ」
「長生きはともかく、そりゃ、難しそうですね」
「なんで?」
「だって、まずは子供――あたっ!」
俺は三好のつむじに拳固を落とした。
「い、今のグーでしたよ!」
「くっくっく。口は禍の門で、舌は身を斬る刀だというぞ?」
「もー」
「牛か。んで、これどうする?」
「どうするもなにも使い方がわかりませんよ」
うーん。魂。魂ねぇ……俺は、なにか引っかかるものを感じていたが、それが何かはよくわからなかった。
「相手に向けて、そいつの名前を呼ぶとか?」
「どこのひょうたんですか」
その時、地の底から響くようなゴゴゴゴという音が聞こえてきた。
「なんだ?!」
俺たちは立ち上がって身構えたが、特にキメイエスがリポップするわけでもなかったし、微かな振動と音だけで、それもすぐに消えて無くなった。
「今のは一体?」
「タイミング的に、広場の方で何かあったんじゃないですか」
「え? あっちとこっちじゃ別空間のはずだろ?」
「とにかく行ってみましょう」
「それはいいけど、俺が31層にいちゃ拙いだろ。誰かと会いそうになったら、すぐにピットに落ちるから。頼むぞドゥルトウィン」
「がう」
ふたりと3匹は、辿ってきた道を引き返し始めた。
*G1) フェニキア文字で書かれた、CIMEIES の画像が入っています。
*1) 世界で最も邪悪な男(the wickedest man in the world)
アレイスター・クロウリー (Aleister Crowley) のこと。
ゴールデンドーン出身で、実際に大衆新聞でそう断じられた。たぶん近代で世界一有名なオカルティスト。




