§118 救出(前編) 1/27 (sun)
9/7 レメゲトンの原文だと、各悪魔は、悪霊(Sprit)となっているので、それに即して表記を変更しました。それにしてもS.L.M.M版ひとつとっても、本によっては誤字だらけで何を言っているんだお前は的なのが数多くあって酷い。数冊見比べないとどれが正しいかわかんないよ!
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unicode 5.0で追加されたフェニキア文字が、各種OSの標準フォントでは表示できなかったので画像にしてあります。
画像表示禁止にしている人に対して、注釈を表示する機能が無かったので、(*G?)で注釈が入れてあります。
見えている人はその注釈を無視してくれればOKです。<page|id|非表示向けメッセージ> みたいに書けるといいのにな。
「31層までの述べ距離は、ざっと20Kmちょっとってところですね」
三好が、タブレットのマップソフトで、階段間の距離を計測していった。フロア平均2kmと言ったところか。
「意外と近いな」
「でも、世界記録で走っても、56分弱かかりますよ」
「30分で行っても、トラブルが起きてから1時間弱か。無事だと良いけどな……」
「世界記録の倍で走りますって宣言しているようなものですよ、それ」
「そりゃ、走ってるの三好じゃないからな」
三好はカヴァスの上に乗っているのだ。
どうやらシャドウバインドのアレンジで落っこちないようになっているらしい。まるでケンタウロスだ。俺も乗れないかとドゥルトウィンを見たら露骨に目をそらして、俺の影の中へと潜って逃げやがった。こいつら……
「てへへ。走りながら資料に目を通したりできませんからね。これなら大丈夫です」
「俺も真似したいよ。それはともかく、三好、一緒に行くなら、これ使っとけ」
俺は走りながら三好に、昨夜取得した暗視のオーブを渡した。
もう夜になるし、31層は闇の神殿と呼ばれているらしい。必ず必要になるはずだ。
「了解です。昨夜取りにいっておいて良かったですね」
「まあな。おっと、検問だ」
21層を出た後、かなりの速度で階層を下りていく俺達にとって、自衛隊の通信部隊は非常に面倒な存在だった。
まず、時間を調べられていれば、階段間の移動時間がバレる。
それだけならまだしも、通過した人間を記録されていれば、31層で登場する予定のファントムの正体がバレるおそれがあった。
彼は何処にでも現れる。
そう言いたいところなのだが、現時点でそう主張するのは、いくらなんでも無理がある。なにしろ10層でGBっぽいチームを救ったっきり、人前に出てないのだ。
「私だけが降りてる感じで擬装しましょう。ほら、私一応Sですし、助けに言ってもおかしくないですよね?」
三好がSのところで苦笑しながらそう言った。
「んじゃ俺は、シャドウピットかなにかで、見つからないように降りるわけか?」
「ですです。通過した人は全員いるにも関わらず、いるはずのないファントム様が颯爽と現れるわけですよ。なにかこう、ダークヒーローっぽいですよね?」
「あのな……」
アルスルズのシャドウピットで移動するスキルは、それに入った空間Aと、シャドウピット内の空間Bをつなぐ通路のようなものだ。無関係の空間Cにシャドウピット内から出ることは出来なかった。
つまりそのままでは階層を越えられないのだ。階層どうしは違う空間とみなされているからだろう。
八幡の事務所と入れ替わるあれは、アヌビスによればハイディングシャドーの応用技らしい。
だから、もしもそれを使って移動するなら、上層の通信部隊に見つからない位置から階層の境界まで移動し、ピットから出て空間をまたいだ後、もう一度ピットに落ちて、下層の通信部隊に見つからない位置まで移動することになる。
これが結構な手間で、あとで連中にご褒美をたっぷり要求されそうだったが、ことここに至っては仕方がない。
俺はシャドウピットを利用して移動し、三好は呼び止められた場合、ランクSの権威を振りかざして通過した。
「権威って……もうすこし言い方というものが、ですね」
「しかし、効果はてきめんだったぞ。みんな敬礼して見送ってくれてたじゃん」
「吃驚ですよね」
世の中ではWDAランクを強さの象徴のように捉える風潮がある。
実際のところ、それはWDAへの貢献度を意味しているだけなのだが、強者の方が貢献度が高いという相関は確かにあるだろうし、強さのランクだと勘違いされても不思議はなかった。
もちろん各種フィクションの影響も大きいだろう。Sランク冒険者。それはみんなの憧れなのだ。俺たちは探索者だけど。
このタイミングでSが下層に向かうとなれば、救出関係だと思われても仕方がなかった。敬礼はその事への期待でもあるのだろう。
「だけどこれで、31層に三好がいて、俺がいないことは公然の事実となったわけだ」
「なにしろ、私が1人で下りていたってことを証言してくれるのは、現場の自衛隊員の人達ですからね」
これほど真実味のある証言もないだろう。これで多少やらかしても安心だ。
「それより、先輩どうするんです?」
「なにが?」
「先輩が倒すと、鉱石が収束するでしょう?」
「ああ――」
そうだよ! それでわざわざ小麦さん達を連れてきてたんだよ!
何でこんなことになっちゃってんの?
「――忘れてた」
「先輩……」
「うーん。31層は避けられないが、25層~30層は倒さずに駆け抜け……られないかな?」
三好はタブレットでルートを確認しながら、どうですかねぇと頭を捻った。
「やってはみますけど、私が倒してもダメですからね」
「こんなことなら、どっちかはマイニングを取らずにおくべきだったな」
「後の祭りって奴です」
「三好がダメだと、アルスルズもNGってことだろ」
「ですね」
「先が思いやられるよ」
この先の階層へ進んでいこうとした時、マイニングを持った誰かの後でなければ自分で鉱石を収束させなければならなくなる。
全フロア鉄をドロップさせかねない大ピンチだ。
マイニングをオフにするか、ドロップさせたい金属のリストを誰かに作ってもらって、それを充分に意識した上でモンスターを倒すか、そうでなければまったく倒さず進んでいくか。
なにか手当を考えておかなければ、勝手に進むことも出来やしない。
「アーシャの超回復が一時的に使用不可みたいな表記になってたろ?」
「ありましたね」
「だから、なにかスキルをオフにする方法がありそうな気がしないか?」
「あれは、一時的に体内のDファクターが大量に消費されて、それが枯渇した結果という気もするんですけど」
まあ、確かにその可能性は高い。今の彼女のDカードが調べられない以上はっきりしたことはわからないが。
俺はDカードを取り出すと、マイニングに指を添えて言ってみた。
「stop!」
「break!」
「halt!」
「disable!」
「なにやってんですか」
「いや、何とかならないかと思って」
「多分1単語のコマンドは、例のサイトでほとんどチェックされていると思いますよ」
「ああ、なんとかの単語をDカードに試すってやつな。だが、スキル項目に試してるやつは少ないだろ? 何しろ保有者がいない」
世界中を見回しても、スキル保有者は多くても3桁のはずだ。
それに、大体xHP,xMP系が4割くらいを占めているし、戦闘系のスキルは、確か年間20個もドロップしないと聞いた。魔法になると更に稀少なはずだ。
水魔法が20億以上で売れていく原因だ。
「それはそうですね。何かあっても不思議はないかも知れません。だけど1人で探すのは茨の道ですよ?」
「だよなぁ……」
「仕方がありません。どうしても戦闘が避けられなかったときのために、なにかイメージを固めておきませんか?」
「ドロップする鉱物のか? まあ、やらないよりマシか」
全階層鉄の洗礼だけは避けなければいけないのだ。
「石油天然ガス・金属鉱物資源機構が備蓄しているのは、バナジウム、クロム、マンガン、コバルト、ニッケル、モリブデン、タングステンの7元素らしいですよ」
「輸入量が多いやつってことだろ、それ。ダンジョンから産出しても、量的にどうかな……重要な資源だけれど必要量が少量で、かつ、ひとまとめに出来そうなものって言えば……ランタノイドとかか?」
「レアアースってやつですね。でも15元素をイメージするのは、ちょっと難易度が……」
ランタンを具体的にイメージしろと言われても、確かにピンと来ない。
ネオジムあたりなら、磁石をイメージすればいいんだろうか? いや、磁石をイメージしたりしたら、やっぱり鉄を引きそうだ。
ランタノイドねぇ……確か、4f軌道に電子が順番に増えていく元素群だよな。
……4f軌道?
「そうだ三好! いっそのこと物理量でイメージしてみないか?」
「はい?」
結局、それを決定する何かに、自分のイメージを伝えることが重要なわけだ。
単に伝えることだけが目的だというのなら、そこらのイメージなんかよりもずっと正確に伝わるはずだ。
なにしろアレシボ・メッセージ(*1)にだって、DNAの構成元素を記述するのに、原子番号が使われたのだ。よっぽどのことがない限り宇宙共通と考えていいだろう。
「今までは、それが勝手に俺達の抱くイメージを読み取っているという感じだったろ?」
「そうですね」
「今度は、それに対して情報を積極的に伝達しようという試みだよ」
「それが対象の抽象化だったり、模式化だったりするってことですか?」
「そうだ。ほら、ランタンそのものをイメージしろといっても俺達には難しいじゃないか。だが、陽子数が57個の原子なら模式的に明確なイメージができあがる」
「仮にダンジョンが物理量を理解したとしても、それだけじゃ同位体が混じりませんか?」
「質量数や原子量を追加するのも悪くはないが、そうしなくても、同位体の存在率がそのまま適用されそうな気がしないか?」
イメージなんかで物事が完璧に伝わるはずがない。つまり、欠損部分はダンジョンが補っているってことなのだ。
なら、その元データは、地球の自然そのものである可能性は高いんじゃないだろうか。
「陽子数が57個の原子のうち、もっとも自然界での存在率が高いやつが選ばれるって意味ですか?」
「そんな感じだ。そうでなきゃ物質が生成されるとき、自然界の存在率と同じになるよう構成される、かな」
俺達の付け焼き刃なイメージでは、ダンジョンに満足に金属の種類を伝えられない可能性が著しく高い。
どうしても戦闘が避けられないなら、やってみる価値はあるだろう。
「ダンジョンが物理量を理解するってのは斬新なアイデアだと思いますけど……そう言われてみれば曖昧なイメージよりもマシな気がしてきました」
「な」
「陽子数が57から71までの原子それぞれで構成される物質を、ランタノイドとしてイメージする……まあ、やってみますか。ダメ元ですし」
「絶対回避できない戦闘を、無理に回避しようとして怪我するよりはマシだからな」
もっとも俺たちにはそれについての愛もなければ、強い必要性や執着があるわけでもない。
ただこれをドロップしてくれとダンジョンに頼んでみるだけなのだ。うまく行くかどうかはまったくわからなかった。
「効率的なダンジョンへの伝達方法ね……」
いずれはそんな方法が見つかるといいな。
その後は、うまく進路上にあるモンスターの気配を迂回しながら進み、後少しで31層への入り口が見えてくるところまでやってきた。
「それで、31層はどうなってるって?」
「30層から下りたところは、直径が100m以上ある、円形に近い広場です。中央よりややずれた位置に立っている、高い塔の麓に出るんだそうです」
「つまり、30層へと続く階段は、その塔の中にあるってことか」
「みたいですね。で、その広場の周囲には、ちょうどあのバティアンの下にあったような、大きな神殿の入り口みたいなのが7つあるそうです」
三好は、鳴瀬さんから送られてきた資料を確認しながら言った。
「……全部が神様の処に続いてたりしないだろうな?」
「31層ですよ? それは流石に酷すぎません?」
ダンジョンに良識を期待するのもどうかと思うが、これまでのところ、人類を殺しに来ているわけじゃなさそうだった。
そうしたいのなら、もっと直接的な方法がいくらでもあるからだ。
「で、それぞれの入り口前には件のフェニキア文字のような模様が描かれているそうです」
「フェニキア文字? 例の館の?」
「これですね」
俺は立ち止まって、タブレットを受け取った。そこには鳴瀬さんがメモしたと思われる文字が、手書きで添えられていた。
「アルファベットに転写すると、MICSEIEだそうです。塔に一番近い入り口にMが、以降反時計回りに、MICSEIEと順番に描かれていたそうです」
その時、モンスターの気配が近づいてきた。俺は、タブレットを三好に返すと、再びそれを避けるコースで走り始めた。
「で、チームIがやられたっていう神殿は?」
「塔に近い側のI。つまりMのすぐ側のIだそうです」
◇◇◇◇◇◇◇◇
31層へ下りる場所に陣取っていた自衛隊の通信部隊の2名は、非常に不安そうな顔で階下を覗いたり、通信機器を弄ったりしていた。
「どうしたんです?」
「うわっ!?」
三好が声をかけると、彼らは飛び上がって驚いた。
三好はWDAカードを提示して、現状について彼らに尋ねた。
「1時間ほど前から通信機器が不調で、ここから外への連絡は出来ますが、31層の部隊へは直接繋がらないんです」
「え? もしかして、すでに全滅……」
「いえ、まだ持ちこたえているようです。下は真っ暗闇なのですが、どうも電波を阻害する何かがあるのではないかということです。あなたは下へ?」
「え? ええ、探索者の義務、でしょうか」
「ご武運をお祈りします!」
二人は揃って、三好に向かって敬礼した。
「ありがとう。すぐに他の救援の皆さんもやってくると思います。大丈夫ですよ」
そう言って、三好は階段を下りていった。
「あれが噂のワイズマンか? 以前TVで見たのとは随分違うようだったが」
「俺、Sのカードって初めて見たよ。凄く若いんだな」
「俺だって初めてだ。それに、結構可愛いかったな」
「考えてみれば、今の代々木には世界中の凄い探索者達が大勢いるんだ」
「ああ、何とかなるのかもな」
彼らは暗黒の31層に、希望の光を見たような気がしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「そういや、あいつ、ワイズマンメイクじゃないじゃん」
31層への階段の途中へシャドウピットで移動すると、そこは漆黒に塗りつぶされた闇そのものだった。暗視なしでは、自分の手足を見ることすら出来そうにない。
そのまま上の話に耳をそばだてていると、先に進んだ三好が、念話で31層の状況を伝えてきた。
(オッケーです、先輩。誰もいません)
階段を下りて31層へ出ると、そこは階段同様、まるで闇そのものに粘度があるような気すらしそうな暗黒の空間だった。
そして周囲には、三好の言うとおり誰もいなかった。
通信部隊をここに置いても、こんな闇の中では精神も電池の消耗も激しいだろうし、他の部隊と一緒にいるんだろう。
「目を閉じているのとは、全然違うな。まるで圧力があるみたいな闇だ」
「ああ、暗視がないとそんな感じですよね」
「まるでカタカケフウチョウの羽根に包まれてるみたいな気分だな」
「何ですその例え」
俺はきょろきょろと周りを見回したが、魔物の類もいなければ、何の物音も聞こえてはこなかった。
「で、問題の神殿ってどこだ? そもそも塔の入り口って、どっち向いてんだ?」
「分かりませんね。ちょっと周囲のマップを作ってみます」
100mの広場を走り回って、地面に書かれた大きなフェニキア文字を確認して回るよりも、先に全体マップを作った方が有意義だし、もしかしたら早い。
塔の外壁を登って辺りを見回すという手もありそうだが、見上げた塔は、蔦のようなものがびっしりとからみつき、とても登れそうには思えなかった。
蔦はほとんどが枯れているようで、少し触れただけで、ぼろりと崩れる部分が多かった。
三好は大き目のドローンを取り出すと、5mくらいの高度で周囲を順番にスキャンし始めた。それ以上高度を上げると、ドローンのライトでは明るさが足りないようだった。
「カメラ越しの映像に暗視は役に立たないんだな」
「そりゃ、モニタの画像は再構成されたものですからね。もし、役に立ったりしたら怖いですよ。一体どんな原理なんですか」
スキルが電子機器にまで影響を与える? そりゃ確かに恐ろしい。
「よくある設定だと、電子使いみたいな超能力者だとかか?」
二人しかいないことが分かっていても、あまりに静かな空間では、つい小さな声で話をしてしまう。
俺たちは小声で話しながら、広場のマップが完成するのを待っていた。
1分も経たないうちに完成したそれは、タブレットの上に、奇妙な図形を描いていた。
「なんだこの模様? 足が6本ある、顎の突き出た人の顔をしたフタコブラクダみたいだな」
「そう言われれば右側は人の顔っぽいですね……って、これ、どっかで」
はたと気がついたような様子で、三好は自分のノートPCを取り出すと、ブックリーダーを立ち上げて、何かを検索し始めた。
俺は作られたマップを見ながら、塔の位置に近いIの文字を探した。フェニキア文字なのでぱっと見つけることが難しいのだ。上下すらよくわからない。
そうして十秒ほど経ったとき、三好が予想もしていなかったことを言った。
「先輩。正体不明だった今度の相手、どうやら悪霊っぽいですよ」
「悪霊ぉ?」
俺がタブレットから顔を上げると、彼女は、何かの細かな図形の一覧表のようなものを、画面に表示していた。
「それは?」
「レメゲトン(*2)の初めに、ソロモン王が使役した悪霊について書かれた部分があるんです」
「ゴエティアってやつだろ」
非常に有名な書物だけに、漫画・ゲーム業界では御用達だ。情報の断片を都合よく利用している。
「って、お前レメゲトンなんてDLしてんの?」
「地球の文化が関係しているって言ったのは先輩じゃないですか。とりあえずその手の資料でデジタルデータになっている有名どころは大体DLしてざっと目は通しました。何が出てくるかわかりませんし――」
相変わらずものすごく勤勉な奴だ。
俺のサポートと役割を決めてから、ちょっと頑張りすぎなんじゃないかと心配になるくらいだ。
「――で、これです、先輩」
そこには、さっきの模式図によく似たデザインのシジル――魔術で使われる図形や紋章――が拡大されていた。
「序列66番目、地獄の20の軍団を率いる、マイティな大侯爵キメイエスのシジルだそうです」
いきなり提示された結構な大物に、俺は思わずため息をついた。
「いや、このフロアがキメイエスをモチーフにしてるだけとか……」
「だけど、黒い馬にまたがった戦士っぽいモンスターって、まるっきりそのものですよ?」
「……ダンジョン気張りすぎだろ」
「避けられないルートだとしたら、意外と現実的な強さなのかも知れませんけど」
「現実的ってどんなんだよ……まあ、ソロモン王に使役されていたってくらいだから、なんとかなるかもな。ゴエティアにその方法は?」
「一応。だけど、火曜日か土曜日の0時に、未使用の羊皮紙に童貞の黒い雄鳥の血で書く魔法陣とか用意できませんよ」
「聞くだけで厨二病を患いそうだな、それ……」
強大で倒せないような敵が出てくCoCみたいなTRPG(*3)ならきっと、そういったアイテムを集めて道具を揃えることで敵を封印できたりするんだろうが、いまさらどうにもならない。しかもそれが効くかどうかもわからないと来ている。
俺は頭をぼりぼりと掻いて言った。
「ってことは、やっぱり、十字架とかを用意した方が良いのかな?」
「どうでしょう。悪霊と悪魔って結構存在は被ってますけど……レメゲトンだとみんなSpirit表記なんですよ」
「まあ、同じと見なしても良いだろ。キリスト教の悪魔って、大抵元天使だから、もう悪霊=悪魔=天使で」
とあるギリシア人のローマ教皇が、天使信仰が行き過ぎているという理由で、ローマ教会会議で豪腕をふるった。その結果、ほとんどの天使は、なんだかんだと難癖をつけられて堕天させられたのだ。
「力無き者が王であるより、力有る者が王であるべき」なんてことを平気で言った人なので、宗教家と言うよりも政治家だったんだろうな。
「無茶苦茶ですね。でも先輩、十字架は効果ないと思いますよ?」
「フィクションの悪魔も、強力なやつは平気で十字架握りつぶしたり、恐れるふりして相手をおちょくったりしてるもんなぁ……」
「違いますよ。そもそも先輩には信仰がないんですから、十字架を持ったところでそれはただの物だと思いますよ」
「敬虔なる科学の使徒に向かってなんてことを」
「神は自然の諸効果の中に、すぐれてそのお姿を現わしたまうのである(*4)ってやつですね」
「昔の科学者は、みな自然哲学者って自称してたくらいだからなぁ。まあどっちみち十字架は用意がない」
ロザリオだと思われるものはあるが、先に付いているのはベニトアイトだ。
今後は一応持っておくべきだろうかと考えながら、レメゲトンの当該箇所を見ると、画像の説明には、CIMEIESと書かれていた。
鳴瀬さんが送ってよこした、MICSEIEは、自衛隊が探索した順番にメモしたものだ。時計回りに読めば同じ文字列が現れる。
どうやらビンゴらしい。
「侯爵ってのは強そうだが、序列66番目というのは強いのか弱いのか微妙だな」
俺は三好にノートを返しながらそう言った。
「エンカイは、仮にもアフリカの太陽神ですからね。キメイエスは、アフリカの全悪霊を従えている悪霊ですから、あれよりは大分劣ると思いますけど……」
「ど?」
三好がマップと周囲を照らし合わせて、目標の神殿を探しながらした話によると、レメゲトンは写本や引用が多いぶん内容もいい加減で、キメイエスの描写にしても、godly(敬虔)な戦士だったり、乗っている馬がgoodly(大き)な馬だったり、単語もそれが係る場所もバラバラで、何が本物なのかよく分からないそうだ。
何のレギオンなのかを記述するところが、Internal ってなんですかと憤慨している。Legions of Internals。うん、意味が分からない。たぶん、Legions of InfernalsのTYPOだろう。それに、悪霊の記述にgodlyはないだろう。
「大英図書館にオリジナルがあるんですけど、まだ電子化プロジェクトの対象になってませんでした」
MSNブックサーチの目玉として始まった、マイクルソフトと大英図書館のコラボレーション事業は、いまでも一応存続している。
「地獄と言えばプランシー(*5)は?」
「1818年版には登場しません。CHIROMANCIE(手相占い)の次の項目は、CLなんです。いろいろと追加された1863年版には出てきますけど、レメゲトンからの引用ですね」
地獄の大侯爵キメイエス。
アフリカの悪霊を従え、人に文法や論理やレトリックを教える悪霊。隠された何かや財宝を暴く力を備え、さらには、部下のAGIを強化するようなことも出来る奴ってところか。
「他にも、闇の中に住んでいる戦闘民族のキメリアンに由来しているのではないかなんてことが書かれた本もあるんですが、眉唾ですね」
「文化的なイメージの反映なんだから、ダンジョンにとっちゃ、ヨタかどうかはどうでもいいんだろ。闇の中に住んでいる戦闘民族なんていかにも31層っぽいしな」
俺が周りの闇を腕で示しながらそう言ったところで、三好が問題の神殿を特定して指差した。
「あれですね」
俺たちはその神殿に向かって歩き出した。周囲には、相も変わらず何の気配もなかった。
「ま、そういうわけで、内容はほんとうに色々なんですけど、いずれにしても、黒い馬にまたがった戦士だというのは共通の記述でした。ただ――」
「第2形態は寄せ集めのドラゴンだって言ってたもんな」
「それって、たぶんキマイラなんじゃないですかね」
「何か関係が?」
「ある、と言われています」
正確なところははっきりしませんけど、と三好が続けた。
まあ、音は似ているな。
「ギリシア神話のキマイラなら、口に鉛を突っ込めば勝手に窒息死するんだっけ?」
鉛無いけどな。
「それもに複数の説があります。いずれにしてもファイヤーブレスはあるかもしれないので、それには気をつけてください」
「了解」
エンカイと違って情報があるぶん、それぞれが曖昧で、いまいち弱点めいたものははっきりしない。だが、得体の知れない相手と闘うよりも、名前が分かっている相手の方がずっと気楽だ。
人は、ものに名前をつけることで、混沌から世界を取り戻したのだ。
「ともかくエンカイよりも弱いなら、なんとかなりそうな気もするな。お供はデスマンティス4体か」
「とにかく素早いそうです」
「キメイエスの能力でAGIマシマシになってたりするとか?」
「どうでしょう。ただ、エバンスのボスキャラと同等だとしたら、全力の先輩なら楽勝ですね」
「油断は禁物だ。囓られたら痛そうだし」
俺は、サイモンチームのメイソンのことを思い出しながらそう言った。
「後は、チームIの救出だが――」
「ポーション(5)でも、超回復でも。先輩が必要だと思うものを使っちゃって構いませんよ」
「悪いな」
Dパワーズで使うなら、後から請求も出来るだろうが、ザ・ファントムが使った場合は請求のしようがない。
三好は、「ま、必要経費ですかね」と笑った。
当該神殿の前まで来ても、一向に雑魚キャラの気配も自衛隊の気配もなかった。
「本当に、ここなのか?」
「Mの側のIならここで間違いありません。ガーゴイルの例もありますから、油断は禁物なんでしょう? 先輩」
さまよえる館に最初に登場したガーゴイルは、動き出すまで生命探知に引っかからなかった。
だが、三好の危険察知にも、アルスルズにも反応はなさそうだし、大丈夫だとは思うが……
「しかし、何でこんなに静かなんだ?」
約1時間前には、この奧でボス戦が行われていたはずだ。なのに現在は微かな銃撃の音一つ聞こえない。まさかもう全滅した後とか言うんじゃないだろうな……
「上の人達は、まだ持ちこたえているようだって言ってましたけど」
俺達は注意深く、指定された神殿の門をくぐった。
その瞬間、世界からは静寂が失われ、闇の奧から断続的に響く銃撃の音と、怒号が聞こえてきた。
俺たちは思わず、姿勢を低くして身構えた。
「どうやら、ここも別空間っぽいですね」
三好が今入ってきた神殿の入り口を振り返りながらそう言った。
「それで、通信が上まで届かなかったのか」
階段の下と同様、神殿の内と外を中継しなければダメなんだろう。
表の器械を、ここまで引っ張ってきてやろうかと一瞬思ったが、奧は一刻を争いそうな勢いだ。ケーブルの長さも足りなさそうだし。
通信の回復は諦めて、俺たちは足早に奧へと向かった。
「自衛隊に、生命探知持ちっているのかな?」
「公開されていません。いても、私たちだってばれなきゃいいんですよ。後で聞かれても、私の側には誰もいませんでしたよとしらを切りますから」
「ファントムは見えない探索者だもんな」
生命探知では、せいぜいが、マークしてそれを認識している間追いかけることが出来るだけだ。一旦探知から外れてしまうと、同一人物かどうかを判断するのは、何か大きな特徴でもない限り非常に難しかった。
俺たちはすぐに神殿の最奥に行き着いたが、そこにも誰もいなかった。
音はさらにその先にある、自然洞窟のような通路から漏れてきているようだった。
「神殿の奧に自然の洞窟なんて、なんらかの脅威が外に出てこられないように、入り口に神殿を造りましたと言わんばかりだな」
その先の通路は、それまでの人工的な構造物とは大きく様変わりしていて、自然の洞窟が緩やかなカーブを描いていた。
しばらくすると、闇の向こうから微かな光が見え始め、銃撃の音はますます大きくなっていった。
そうして、その先に広がっていた広場のような空間で、自衛隊が掲げる頼りないライトの先に、そいつは姿を現した。
「こいつは……」
「確かにキマイラと言えば言えますね。ボディは巨大な馬でしょうけど、上に乗ってるのは――」
「グロいな」
それは内側から爆ぜた人間に爬虫類を混ぜたような酷い造形だった。そこから鶏の足やドラゴンの尻尾、あとはなんだかよく分からない泡の塊のようなものがくっついていた。
俺たちがいるのは、通路が広場にぶつかった場所で、広場の床から3~4m上に離れた場所だった。
おそらく自衛隊が下りるのに使ったのだろうロープや縄梯子が入り口に掛かっていた。
壊されたライトが一つ倒れていて、その周辺には、バッテリーを初めとするいくつかの物資が積まれていた。
そして、床の色が他と異なって見えた。
腹ばいになって下を覗くと、自衛隊の部隊は、左側の少し離れた位置で簡易陣地を構築して、防御に徹しているようだった。
そうして洞窟の真下には――
「先輩?」
「三好は見ない方がいいぞ」
白黒の視界が、そのショックを和らげてくれていなければ、俺はきっと派手に戻していただろう。そこには、おそらく二人の人間がバラバラになって散らばっていた。
荒い息をつきながら、俺は仰向けに転がると、心臓の上で右手を握って落ち着こうとした。
「先輩?」
近づこうとする三好を左手で制して「大丈夫だ」とだけ言った。
人の死が、すぐ耳元で囁いているような気がした。うつろな瞳をした首だけの姿で。
「ふぅ……」
俺は上半身を起こして三好に言った。
「いいか、三好、入り口付近で灯りを漏らすな。モニタでなにかするなら、なるべく光が漏れないようにして、必ず広間との間にアルスルズを入れろ」
「……」
「どうやら、そこのライトは、それをつけようとした奴にデスマンティスが飛び込んできたときに壊れたみたいだ。連中、光に過敏に反応するようだ」
「わかりました」
「あと、真下は覗くな」
三好は何かを察したような表情で、こくりと頷いた。
キマイラは、時折蜥蜴のような口から、予想通りブレスを吐いていたが、自衛隊が展開している簡易陣地と盾で防げていたようなので、それほど大きな威力というわけでもなさそうだった。
それよりも、突然現れたように見えるデスマンティスの方が圧倒的に脅威になっているようだ。
「デスマンティスは、かなり早そうですよ。私なら避けるのが精一杯ですね、あれ」
デスマンティスの移動と、鎌の振り降ろしを見ながら三好が言った。確かに大したスピードだが――
「エンカイの10倍くらいは遅そうだから、なんとかなりそうだ」
0.1秒も0.01秒も知覚できないなら同じだが、知覚できるならまるで違う。
1分と10分がまるで違うようなものだ。
「おお、先輩。なんだか頼もしいです」
「だけどあのポジションなら、壁沿いにここまで撤退も出来そうじゃないか? なんで1時間もあそこで粘ってる?」
「どこかに要救助者がいるというのが、一番可能性が高いですね」
三好はそういうと、ドリーで使っていた、マットな黒の小さなドローンを取り出して飛ばし始めた。
「いいか、三好。くれぐれも――」
「光は出しませんよ。こっからモニタ越しにドリー方式で援護しますから」
「よし。周りはアルスルズでがっちり固めとけよ」
「先輩こそ気をつけ下さいよ。で、どうするんです? いきなり参戦しちゃうんですか?」
「まずは直接聞いてみるかな」
「え?」
「なにかお困りかね? って聞けばいいだろ? GBの時みたいに」
「ファントム様の自衛隊デビューですね! じゃあ、バッチリ録画しておきます!」
調子の戻ってきた三好の雰囲気が、俺の気分から死の気配をぬぐい去る。
「いや、それはいいから」
俺は慌ててそういうと、ドゥルトウィンのピットに落ちた。
*G1) フェニキア文字で書かれた、MICSEIE の画像が入っています。
*1) アレシボ・メッセージ (Arecibo message)
1974年のアレシボ電波望遠鏡の改装記念式典で、宇宙(M13)に向けて送信された電波によるメッセージ。
*2) レメゲトン (Lemegeton Clavicula Salomonis)
ソロモンの小さな鍵と呼ばれる有名なグリモワール。全く関係のないいくつかの寄せ集めだと言われている。
その最初にあるのが、ゴエティアよ呼ばれるソロモン王が使役した悪霊(Sprit)の一覧と説明だ。
*3) Call of Cthulhu / Chaosium Inc. ,1981
クトゥルフ神話を題材にしたTRPG。
ディレッタントになって、いろいろな謎に挑むが。拳銃ごときで出てくるモンスターに挑んだりすると、高確率で人生に別れを告げることになる。
*4) ガレリオ=ガリレイの言葉
*5) Dictionnaire Infernal / Collin de Plancy
フランス語で書かれたデモノロジーの本。
内容はともかく、迷信や悪魔についての話を多数収集してまとめた点が評価されている。
多くの項目が追加された第6版となる 1863版には、Cimeriès の項目がp.170にあるが、内容はレメゲトンのコピー。
この時追加された悪魔のイラストは、多数が、S. L. MacGregor Mathers's版のレメゲトンに逆輸入されてた。
1990年に「地獄の辞典」の書名で講談社から出版されているが、残念ながら項目数は原書の1/10くらいしかない縮小翻訳版です。




