§114 魔王爆誕? 1/26 (sat)
その日の夜。みんなが寝静まった頃、俺はごそごそと起きだした。
「夜ばいですか? 先輩」
「なんだ三好、起きてたのか」
「まだ23時前ですからね。今日は歩いてただけで、ほとんど何もしてませんし」
三好はカバーを掛けて光が広がらないように調整したLEDランタンをつけて身を起こした。
「ま、ちょっと仕入れに」
「夜のエンカイですか? もしかしたらオラパがいるかも知れませんよ」
「いや、それはない」
「ちぇっ」
オラパの椅子があったら、コンプリートなのに、とかぶつぶつ言っているの、ちゃんと聞こえてるからな。
「さすがに18層にまで見張りがくっついて来てるとは思えませんけど、向こうのキャンプには当然夜番が沢山いるでしょうし、ばれないように気をつけて下さいよ」
「わかってるって。少し先までドゥルトウィンに送ってもらうよ。明日はすぐに21層だろ? とくに欲しいオーブもないし、地魔法も補充しておきたいしな。暗視、使っていいか?」
「灯りつけると目立ちますもんね。よかったらそれも補充しておいて下さい」
「了解」
俺は暗視のオーブを取り出すと、すぐにそれを使用した。
「俺は人間をやめそうだぞ」
それを聞いた三好が、ぷっと吹き出して、私もそんな感じです、と言った。
「なら、ついでに辞めるかどうか試してみるか」
そう言って俺は、さらに五つのオーブを取り出した。
生命探知×2と危険察知と魔法耐性(1)×2だ。
「危険察知は先輩の方が良くないですか?」
「ウルフで20日に1回だからもうリセットされてるし、俺はとりあえず生命探知の2重取りをしたらどうなるか試してみるから。耐性は1個ずつな」
「わかりました。でもそれ全部使ったら9種類ですよ? どこまで使えるんですかね、オーブって」
「さあな。俺は9種類で10個だ。Dカードの表示ってスクロールするのかな?」
そう言って俺は、魔法耐性(1)と生命探知を使用した。
三好は、生命探知と魔法耐性(1)と危険察知を、おかしな台詞を言いながら使用していた。
「俺は人間をやややめめめるるるぞぞぞーーー」
「なんだそれ」
「3個連続使用バージョンです」
俺は呆れながら、自分の体に光の粒が浸透するのを見届けてから言った。
「どうやら今回も、頭バーンは避けられたようだな」
「助かりました。もしそうなったら、どう見ても私が犯人ですよ、この状況」
「逆なら、俺だったな、犯人……」
「で、どうです? 生命探知の二重取り」
そう言われて、いろいろ辺りの気配を探ってみたりしたが、とくに大きな変化は感じられなかった。
「うーん……特にぴんと来ないな」
「同一オーブの取得って意味無いんですかね?」
「どうかな。生命探知があんまり仕事をしない、ゴーストとか、アンデッドを相手にすると違うのかも知れないし、その時がきたら確かめてみるさ」
「じゃ、帰りの10層ですね」
「だな」
これだけ使っても、生命探知はあと4個もある。ろくなものを落とさない、ゾンビとスケルトンのせいだ。
物理耐性も9個あるから、効果があるなら、これも2重で使ってみたい。とりあえず、明日、マイトレーヤの二人に使わせておこうかな。あいつらVITないから。
「で、先輩」
「なんだ?」
「今夜の狩りは、ファントムで?」
「そこかよ……うーん、確かに派手な狩りになりそうだもんな、そうするのもありか。だけど俺達が18層に来た瞬間登場とか、怪しすぎないか?」
「しかも、去ったとたんに居なくなりますからね」
「一応、自前で行って、誰かに見つかりそうになったら、仕方ないからファントム化することにするか」
「それって最初からファントムでも、結果は同じじゃないですか?」
三好は呆れたように行った。
誰も見ていないなら、素だろうがファントムだろうが関係ないのだ。
「そう言われればそうだな」
「ま、どっちでもいいですけど、一応、スペアが3着に増えてますから、渡しておきますね」
「量産してんの?!」
「だってただの服ですからね。攻撃でも受けたらすぐダメになりますよ? あとは友達への支援という意味合いも」
「支援?」
ファントムコスチュームの製作者は、ひたすら好きなことをやり続けた結果、生活費が大ピンチだったのだとか。
「腕はいいんですけどねぇ……」
「そいつ、もしかして海月マニアでタコクラゲとか飼ってたりしてない?」
「先輩、守備範囲広いですね」
因みにDカードのスキル欄は、下部にページ数分ドットが表示されて、スワイプでページの切り替えができた。
これ、好きなページに配置できるなら、スキル欄が擬装できるのになぁとちょっと思った。
「んじゃ、ドゥルトウィンを借りていく。こっちは大丈夫か?」
「アヌビス達もいるから過剰なくらいですよ。そっちは、ほら、オウヴァに必要でしょ」
三好がクスクスと笑いながらそう言った。
「アレなぁ……なんというか、こう、設定をちゃんとやっとかないとキャラがブレブレになりそうっていうか」
「素と違いすぎますからね。先輩はどうしたいんです?」
「できれば無口な方が。きざったらしく喋るの結構照れるし」
「そうですねぇ……とりあえず上から目線は鉄板だと思うんですけど、それでいて嫌みでないキャラクターってことになると」
「難しいよな」
「まったくです。今度ヅカ見て研究しておきます」
「その路線で行くのかよ!」
俺は諦めて、ファントムのコスチュームに入れ替えた。
「先輩、早替え、上手くなりましたねー」
「一応練習したからな」
「猿之助の名前を継げそうですよ。先輩って、そういうところが真面目ですよね」
3代目猿之助は早替わりや宙乗りなどのケレンを多用した舞台を作り上げた歌舞伎役者だ。
賛否はあるが、歌舞伎をエンターティンメントにしようと頑張った人なのだ。
「いやだってお前、着替えだよ? 失敗して恥をかくのは嫌だろう」
「下半身がストンしたら面白いですよね」
「どんなギャグキャラだよ、それ。んじゃま、行ってくるわ」
「お気をつけて」
俺がサムズアップすると、体全体が、足下の影にすとんと落ちた。
一瞬闇に包まれた視界が、すぐに壮大な風景を映し出す。
星降る夜空とは、まさにこのことだ。
「ダンジョンの中だってのにねぇ」
俺は灯りもつけずに、ほとんど真っ暗な世界を、散歩するような足取りで歩き始めた。
暗視は、光量増幅などではなく、全く光が無くてもものが見えた。ただし世界はモノトーン、白黒映画のようだった。
まるで赤外線や超音波を発してものを見ているような気分だが、さすがにそれはないだろう。いずれにしても、可視光の世界と、暗視で認識できる世界が重なって、とても不思議な感覚だった。
その時ふと、この夜空って、どこの空なんだろうと思った。もしかしたら、星の位置と時間で、場所が分かるんじゃないだろうか?
ただの思いつきだったが、スマホで何枚かに分けて空全体の写真を撮影してみた。最近のスマホの感度は馬鹿にならない。ちゃんと星も写っているようだった。
星あかりの下、まるで幽霊のごとく歩く俺は、誰の目にも触れることなく、以前来た小さな洞窟の入り口から地下の世界へと足を踏み入れた。
ここを選んだのは、単にここ以外の場所をよく知らなかったことと、入り口から神殿前の広場までは、それなりに距離があるため、後ろから誰かが来てもすぐにそれとわかるからだ。
そうして再び訪れた神殿前、いくつかのぼんやりと輝く地衣類の光は健在で、表よりもよほど明るかった。
地下神殿は、以前と変わらず荘厳な姿でそこにあった。もしかして、ここは探索者達に知られていないのだろうか。
もしも知られていたとしたら、あの神殿の中を調べるやつが必ず出るはずだ。そうして最後のトラップを踏むことは間違いない。
「鳴瀬さんにもらったマップに、入り口は書かれていたはずなんだけどな?」
不思議に思いながらも、俺は、時間を確認すると、大きく息を吸い込んで神殿前の広場へと進み出た。
頭の中で、パイプオルガンのペダルが奏でる重低音の第1主題が大音量で流れ始める。コープマン奏でるところのパッサカリア ハ短調 BWV582だ。
丁度第1主題が反復したところで、前回と同様、神殿の向こうからワラワラとゲノーモスたちが現れた。
そうしてその夜、神殿前の広場はファントムの独壇場と化した。
前回の探索で、ゲノーモスで館は発生しないことがはっきりしている。広大な神殿前にいる探索者は俺1人。どこにもまったく遠慮する必要がなかったのだ。
ストーンレインとも言うべき石つぶては、そもそも動いていればそれほど大きな脅威にならなかった。
以前はそれに誘導されたあげくに囲まれてやばかったが、今回はシリウス・ノヴァの大安売りだ。群れは溶けるように削れていった。
集団で現れる雑魚敵に、範囲魔法は実に効果的だった。
最初の2発で、マイニングと地魔法を手に入れると、次の2発で暗視をゲットした。
シリウス・ノヴァの消費MPは大体20弱のようだ。欠点は下二桁が分からなくなることだけだ。
俺はあまりの効率と、自分の魔法の威力に酔っていた。そして力を使えば使うほど、何かが体に馴染んでいくような気がした。
誰かが遠くで狂気じみた笑い声を上げている。
それが、解放される力の快感に酔いしれた自分の声だと気がついたとき、もしかして、俺、ヤベーやつじゃないの? と、笑う自分を客観的に見つめる自分を感じながら、それでも快楽じみた開放感にはあらがえなかった。
その洞窟の天井には細かい隙間が外まで続いている場所が無数にあった。
俺が放つ派手な魔法の光が、外からどう見えているのか、俺の上げる笑い声や魔法の発射音がどう聞こえているのか――そんなことは気にも留められるはずがなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お、おい。あれ、何だ?」
始まりは、最初の夜番をしている男が、バティアンの方を指差しながら言ったその一言だった。
そこでは、満天の星の光を塗りつぶすことでその存在を主張していた暗黒の山に、無数に点滅する光のヒビが走っていた。
まるで山の内部に閉じこめられた何かが、大きな怒りを顕わにしているような、そんな風にすら見えた。
「な……おい、全員たたき起こせ! 何かあってからじゃ遅い!」
各国のトップチームは、すぐに2マンセルからなる臨時の斥候チームを編成して送り出した。
まるで決死隊のような覚悟でバティアンに近づく彼らは、等しく英雄といえた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
最初に行動を開始した、GBの斥候チームは、すぐにバティアンの側までやってきていた。
空気には微かなオゾン臭が混じり、まるで落雷が荒れ狂った後のようだった。
時折爆発音が聞こえ、光が漏れ出す怒れる山を見上げながら、先頭を歩いていた男が言った。
『おい、何か聞こえないか?』
後ろを歩く男は、そう言われて耳を澄ませた。
何かが爆発するように響く音と音の合間に――
『……笑い声?』
『嘘だろう?』
――それは確かに笑い声だった。何かが高らかに笑う、狂気じみたそれだ。
その声は、洞窟内で反響し、まさに山が笑っているかのように聞こえた。
『何かあったのか?』
不自然に立ち止まっている彼らに、JPの斥候チームが追いついて尋ねた。
GBの後ろにいた男がJPのチームに振り返ると、口元に人差し指をあて、その後、耳の後ろに手を当てて音を聞けとサインを送ってきた。
「おい、これ……」
そこでJPの二人も、その異様な声に気がついた。
「……バティアンの地下ったら、あれだろ?」
「ああ、立ち入り禁止の……たしかこの先に小さな入り口があったはずだ」
「最初の部隊が、2度とだれも立ち入るなって言って封印したって噂のやつか」
「まさか、こいつが原因じゃないだろうな?」
二人がそう話していると、前にいたGBの男がそれを聞いて尋ねた。
『何か知っているのか?』
『俺達自衛隊が最初にここを調査したとき、酷い被害を出して、立ち入り禁止にした場所があるんだ』
『ああ、それは確認している』
『こいつはたぶん、そこから聞こえてきてるんだよ』
微かに聞こえ続ける笑い声は、そこに何かが居ることを雄弁に物語っていた。
そして、それと出会うことが死を意味することも、男達はJDAから提供された資料を見てよく知っていたのだ。
そこにDEとUSから派遣されたチームが合流した。
『一体、この声は何だ?』
『わからん』
『わからん?』
『わからんが……たぶん恐ろしい何かだ』
そう言って、GBの男が未だにちらちらと光を漏らしている山を見上げた。
『どうする?』
『どうするって、まさか確認しに行くって言うのか? あれを?』
尋ねた相棒にDEの男が指し示した山の中腹では、内部から凄い音と共に青白い光が吹き出したところだった。
『俺には無理だ』
先頭を進んでいた男がそう呟いた。
『安全マージンをゼロにしても、あそこに行って、生きて帰る自信がない』
それには他の男達も同感だった。
探索者は、基本的に自己責任だ。行くというやつを止めもしないが、行かないというやつを無理に連れていくこともない。
ただし軍は別だ。行けと言われれば、どんなに嫌でも行かざるを得ない。
状況不明の状態で、装備もなしに、そんな馬鹿な命令を下す上官がいなかったことを、彼らは神に感謝した。
『だが、こいつの正体をどう報告する?』
USチームの男は、未だに爆発らしい音が続く山を見上げると言った。
『そりゃ、見たままを報告するしかないだろう』
そう言って、バディの男が肩をすくめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
何かを放出してやれば、いずれは賢者タイムがやってくる。
「ん?」
ふと気がつくと、出口から少し離れた場所に、何人かの探索者の反応を感じた。
生命探知x2の効果か、少し探知範囲が広がっているような気もした。
「何かあったのかな? しかし、どっちみち、そろそろ切り上げないとマズいか」
最後のつもりで、シリウス・ノヴァを発動すると、入り口付近へと撤退して、布団バリアで、ウォーターランス射出に切り替えた。下二桁あわせだ。
程なく、最後のオーブを取得すると、俺はすぐに撤退を開始した。これで下二桁は00のはずだ。
洞窟の入り口付近まで引き上げると、入り口からは少し離れた場所にある10近い気配が動き始めていた。
ここからドゥルトウィンに運んでもらうこともできるだろうが、やや距離がある。外は真っ暗だし、ま、少しくらいなら平気だろう。
俺はそう考えて入り口を出ると、ヒョイと向こう側にある岩の上に飛び乗って、気配の方を一別すると、それを迂回するように走り出した。
途中、いくつかモンスターの気配を感じたが、この辺りのモンスターの密度は低いので、すべて迂回して遭遇を避け、テントの側でドゥルトウィンに頼んで寝床まで運んでもらった。
早替えで元の姿に戻った俺は、マットに倒れ込むと、そのまま朝まで目覚めなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『まて。静かになったぞ』
引き上げようとしていた探索チームは、USの男が発したその言葉に、思わず山を見上げた。そこには、笑い声はおろか、音も光も全てが消えて、星明かりを遮る闇が静かに鎮座しているだけだった。
しばらく耳を澄ませていても、聞こえてくるのは、風が辺りの草を揺らす微かな音くらいのものだ。
慎重に周囲を伺っていたGBの男が、問題の洞窟への入り口があると言われる場所の側の岩の上に、星の光を遮って浮かび上がる、人の形をしたようなシルエットがあることに気がついた。
『あれは……』
彼はそのシルエットに見覚えがあった。
こんな場所で、中折れ帽を被っているようなやつは、そうはいない。
『……ファントム?』
『なんだと?』
ドイツ語訛りの英語を話している男が、クイーンズイングリッシュを話す男に聞いた。
『あ、いや。今そこに、以前見たことのあるやつが立っていたみたいに見えたものだから、つい』
『以前見た? あんた、ファントムを知っているのか?』
『ファントム? 謎の1位の?』
JPの男が、その話に割り込んだ。
『いや、確実にそうとは言い切れないんだ。以前、それらしい男と10層で出会ったことがあるだけだ』
男は簡単にイカれた恰好をした男に出会った話をした。もちろん事実の大部分は伏せたままだが。
『その時見た男によく似た影が、あの岩の上に居たような気がしたんだ』
そうして再びそこに目を向けたとき、その場所にはすでに何もなかった。
そこにいたはずの男は、あのときと同様、まるで空気に溶けて消えてしまったかのようにいなくなっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、キャンプ地へ戻ったとき、斥候チームは質問の嵐にさらされたが、誰も山中にいたのが何なのか、まともに答えることができなかった。
『それが何だったのか俺達には確認できなかった。それは進入禁止エリアにいて、とても生きたまま近づけるとは思えなかったんだ。だが、強いて言うなら――』
やむを得ず、1人の男が言いよどんだ後に呟いた台詞が、その後、大きな波紋を生むことなった。
『まるで魔王のようだった』




