§111 渋チー、そしてクマ男 1/26 (sat)
1/26 長いですね。今回を入れてあと3回。
もうしばらくお付き合い下さい。
自衛隊の大規模ダンジョン攻略作戦時は、各階層をつなぐ階段の上と下に無線中継器が持ち込まれ、それらがケーブルで接続される。
NECの野通のダンジョンバージョンだ。それで通信環境を確保するらしかった。
もちろんダンジョン内機器の大敵であるスライムを始めとするモンスターからそれらの機器を守るため、拠点防衛に数名の自衛隊員が配置されていた。
今回、31層までそれが繋がっているとすると、100名以上の人員が動員されているということになる。
交代要員も入れると更にその倍だ。
「やっぱ組織って凄いよな」
「数は力ですからね」
うちもアルスルズの力によって、事務所との緊急連絡手段は確保しているとは言え、ダンジョン内から外部のネットワークに接続できたりはしない。
一般にも開放して欲しいところだが、クローズドな軍用だけに混ぜるわけにはいかないだろうし、作戦時以外でも常時維持するとなるとコストが折り合わないのだろう。
将来的にセーフ層が開発されたりした場合、そこから地上への連絡手段は、コストがかかったとしても実現されるだろうが。
各階層の出入り口に自衛隊員が駐留している現状は、頼もしくもあったが、時にそれが煩わしい問題を生むこともあった。
それは、ちょうど11層へ降りたところで起きた。そこにあった通信拠点っぽいものには、通常の倍くらいの人数が居たのだ。
10層の拠点に常駐することは、生者に寄ってくるというアンデッドの性質上難しいから、11層にいて、機器をカメラ等で監視、問題がありそうな場合だけ11層から派遣という運用なのだろう。
だが、通常の拠点業務に必要な倍の人員は、彼らに暇をもたらしていた。
そこで俺達は声をかけられ、思わぬ時間を取られたのだ。
原因は、俺達の恰好だった。三代さんは多少マシとは言え、俺達3人は初心者装備だったのだ。
「モロ初心者装備で深いところに潜ると目立つんだって、忘れてたよ……」
「まあ、その装備は、普通4層までですよね」と三代さんが笑った。
「俺達の体力じゃ、どうせ攻撃を受けたらアウトなんだから、紙でも板でも関係ないと思うんだけどなぁ」
「芳村さん。それはあまりに極端ですよ」
どうにかこうにか彼らを丸め込んだ俺達は、荷物の中から前に使っていたマントを取り出して装備すると、予備をマイトレーヤの二人にも渡しておいた。
11層では少し暑いが、これで悪目立ちすることは防げるだろう。
マイトレーヤのフォーメーションは、17層までは通用していた。
俺は、下ふた桁を調整した後は、基本的に彼女達に攻撃を任せてポーターに徹していた。
後は、時々ドリンクを渡して、水分を補給させる係をやっているくらいだ。
「やはり、小麦さんのドロップ率はなかなか凄いですね。先輩に迫りますよ」
と、三好がタブレットを見ながら言った。
こいつも、周囲はアルスルズに任せっきりで、自分はマイトレーヤの二人の統計を取ったりしているだけだった。
途中、グラスが、グレイサットと入れ替わってきたとき、あらかじめ予定していたとおりにキャシーの下にある各メンバのステータスをこっそりと調整した。
今日からブートキャンプが始まっているのだ。
これでうまくいってれば、この事業は、ほぼ完全にキャシーと2頭の子犬に任せることが出来るようになるだろう。
「何かあったら、メモリカードが届くはずですから、多分大丈夫ですよ」
「初回くらいは、かかわらないにしても近くにいたほうが安心だったんだけどな」
「事情が事情ですから、しかたありません」
そうして、18層への入り口が見えてきたところで、小麦さんが散らばっていた犬たちを呼び戻した。
「ウストゥーラ、戻っておいで」
「ウストゥーラ?」
アーサー王の犬だったカヴァス達が、アルスルズってのはまあわかるけど、ウストゥーラってなんだろう?
「まとめて呼ぶときは、ウストゥーラって呼ぶことにしました。クー以外は、神話からの拝借ですし、mythsというのも考えたんですが、発音が……」
まあ、th音に続いてsだもんなぁ。しかもその前の母音がiなんて、下と唇が忙しくて仕方がない。カタカナで書いちゃえばミススだけど、言いにくいことに変わりはない。
てことは、ウストゥーラってのは、神話関係の言葉なのか。
「音は格好いいけど、何語なんです、それ?」
「アラビア語です。神話とか伝説とか寓話とか、そういう感じの意味なんです」
「アラビア語? なんとマイナーな」
「先輩。アラビア語って、母語人数で言うと、中国語、英語、ヒンディー語、スペイン語に次いで、世界第5位ですからね。日本語の倍くらいはいますよ」
「え? そうなの?」
「なにしろコーランの言語ですからね。ただ、滅茶苦茶バリエーションがあるので、私たちにはどれがなんだかさっぱりですけど」
集まってきたウストゥーラの4匹は、無事にハイディングシャドーが使えるようになったらしく、小麦さんの影へと潜っていった。
最初はこれが使えなくて焦ったのだが、アルスルズが、ウストゥーラと何か話をしているような様子を見せると、徐々にそれが出来るようになっていったのだ。
因みに、アヌビスは最初からできた。
本人は当然だとばかりに胸を張っていたが、仲間に教えるのはヘタクソのようで、アルスルズに一任していたようだ。
「あいつが人間だったら、きっと、ひょいっと影に飛びのって、すすーと潜ったらできるよ、とか言ってるに違いないな」
感性型ってやつだ。
「何か今、無能な雄にディスられたような気がしたのだが?」
小麦さんの影から、ひょいと頭だけを出したアヌビスがそう言った。
「ち、違うぞ? アヌビスは天才型だから、同じ天才にしか教えられないだろうって言ったんだよ」
「ほう。少しは分かるようになったではないか。精進しろよ、雄」
そう言って、再び影の中へと沈んでいった。
「はー」
「お疲れ様です」
三好がクスクスと笑いながらそう言った。
あいつら、影の中からでもある程度外の様子が分かるようだし、アヌビスは喋るから意思疎通もバッチリだ。
スパイでもやらせたら無敵だな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
18層へおりた俺達は、そのフロアのあまりの変貌に驚いていた。
以前と同様、黒っぽい大地の上には、大きな岩がゴロゴロと転がる荒涼とした風景が広がり、鋭く切り立った崖の下には、何処までも雲海が広がっていた。
初めてここに来た二人は、その光景に唖然としていたが、俺達はその反対側に唖然としていた。
「なあ、三好。ここはいつからエベレストのベースキャンプになったんだ?」
バティアンを臨む階段の付近には、一本のポールが誇らしげに立てられ、多くのカラフルなタルチョが結ばれていた。
その数が、ここを訪れている探索者のパーティの数を想起させた。
タルチョというのは5色の旗で、チベット仏教のアイテムだが、実際はそれ以前からあるアニミズム的な宗教であるボン教時代からあったらしい。
「それぞれの色が五大を表しているそうですからね、魔法のあるダンジョンとは相性が良いのかもしれませんね」
「しかし、ここで祭壇を作って、プジャでもやってるのか?」
エベレストに登る前には、ラマ僧を呼んでプジャという山の神に祈りを捧げる儀式が行われるそうだ。
「太鼓叩いて、小麦でも撒きます?」
「呪文がわからんからパスだな。あと小麦塗れになりたくない」
「あの旗には経文が書かれていて、旗がはためく度に、それを読んだことになるそうですよ」
小麦さんがそう言って、はためく沢山のタルチョを見上げた。
「そりゃ凄い」
「マニ旗っていうんですけど、マニって宝珠とか宝石って意味ですから、マイニングの宝珠を祈願するにはぴったりなのかも知れませんね」
始めたやつはたぶん単なる登山ヲタだと思うけれど、探せばどこかにぴったりと収まる理屈があるもんだな。
俺は感心しながら、テントを張るのに良さそうな場所を探し始めた。
そうして俺達がテントを張ったのは、テントが密集している場所から少し離れた開けた場所で、身長くらいある大きな岩の影になった所だった。
「崖の側は落石が怖いし、うちはどうせアルスルズ達が頑張ってくれるから、人のいない少し開けたところの方が向いてるよな」
俺は、パックからテントを取り出すと、グランドシートの敷設予定スペースにある大きめの石ころを取り除いて、シートを広げ、その上でテントを広げた。
気温の変わらないダンジョン内で使われるダンジョンモデルは、保温性を重視した通常モデルと違って、メッシュ部分が大きくとられていて通気性も悪くないはずだ。そして何より難燃性の素材が使われているがいい。
フライシートとインナーテントは、すでに取り付けたまま収納してあるから、2本のフレームを差し込むだけで簡単にテントは立ち上がった。
流石に軽くてお手軽だと勧められただけのことはある。
しかし、そこで俺ははたと気がついた。
「ペグ、打てないじゃん!」
なにしろ岩肌がむき出しの所も多い。ダンジョンの壁じゃなかったとしても、ペグが深くは刺さらないのだ。
「そう言うときは、コンビニの袋みたいなのに石とか詰めて、テントの四隅においておくと良いですよ」
途方に暮れていると、三代さんが近づいてきてそう言った。
流石野営経験者。実際、ペグが打てない場所は沢山あるので、大抵は石や荷物で代用するそうだ。
「張り綱を石で固定したりもしますけど、ダンジョン内は、突然強風が吹いたりしないので、重しだけでも大丈夫みたいですよ」
そう言いながらも、張り綱を石に固定するための、エバンスノットという結び方を教えてくれた。
先に作った輪っかの大きさを自由に変えられるため、いろんなものに輪を通して固定するのに便利な結び方だ。
「お、先輩。早速経験値をゲットしてますね」
「ほんと、やってみないと分からない事って多いよな」
「まったくです。早く横浜もOKがでませんかね」
「そういや、お前、鳴瀬さんにダンジョン特許についての申請方法を聞いてたみたいだけど、Dファクターによる進化の件か?」
俺は二つ目のテントを張る場所の石をどけながらそう聞いた。
「はい。今のままでもいけると思うんですが……これ以上は、あの踊り場や階段がないとちょっと詰め切れませんね」
「そうだな」
俺は二つ目のテントを立ち上げると、二人から預かっていた荷物――たぶん、タオルや下着類だと思う、を取り出して、食事まで休んでいるように言った。
朝5時に出発してから11時間。普通の倍のペースで18層までやってきたから、初めての二人は結構疲れているはずだ。
「何かお手伝いしましょうか?」
「いや、大丈夫。今日は強行軍で疲れたろ? 今お湯を用意するから」
そう言って俺は、バックパックから、布製の洗面器を取り出すと彼女たちのテントまで言って、そこに46度のお湯を水魔法で作り出した。
「え? 水魔法って、お湯も作れるんですか?」
「なんかやったら出来たぞ。クリエイトウォーターって普通温度のことを考えないよな? それを考えるようにするだけだった」
「それって、結構すごいノウハウじゃないですか?」
もっとも狙った温度の水を作り出すには、訓練が必要だったし、高温や低温になるほどMPが沢山必要だったが。
「じゃあ、お湯はここに置いておくから」
「ありがとうございます」
一応ルーも組み立てて、ルーの足を石で固定しておいた。ふりかけと簡易トイレ用の便座をおいておけば完成だ。
竈の設営場所に戻ると、三好がアルスルズ達に周囲のガードの指示をしながら、魔結晶を与えていた。
「アルスルズが増えたから、魔結晶消費量も1.5倍だな」
「そこは仕方がないですねぇ。今度から私1人で10層へこもっても良いですけど」
「いや、それはまだやめとけ。いくら10層無双ができるって言っても、そのほかのトラブルが怖いしな」
主に人間とかな。
「わかりました。それで先輩、晩ご飯は何ですか?」
そろそろ薄暗くなる頃だ。手早く準備できるものがいいだろう。
「そりゃ、男のキャンプ料理ったら、カレーかBBQだろ」
「手が込んでない! 珍しいですね、先輩」
「カレーはレトルトとかいってごまかせるから、1日目の今日は、生ものを使うBBQにしとくか」
そう言って俺は50cmくらいある鉄板を取り出した。
料理にも使うけど、これはあくまでも盾だから。だから少しくらいかさばってもしかたないんだ。うん。
「だけど先輩。匂いってモンスターを集めたりしないんですかね?」
「それな。実は平気なんじゃないかと思うんだ」
「嗅覚は、最も原始的な感覚だけに、それは食べることと生殖に直結してるだろ?」
「食べられるものと食べられないものの区別や、フェロモンの受容で発達したってことですか?」
「そうだ。で、翻ってダンジョンのモンスターにとってみれば、今のところどちらも大して重要じゃないように見える」
「ですね」
「つまり嗅覚というもの自体に依存することがあまりないんじゃないかと思うんだ。アルスルズ達だって、匂いというより別の超感覚みたいなもので索敵をしてるじゃないか」
視覚と聴覚、それに超感覚でモンスターは対象を捉えているように思える。
「丁度、それほど密度のないモンスター分布と、アルスルズ達が近づいてくるモンスターを遠距離から捉えられる広い空間と、比較的安全なポジションがあるんだ。せっかくだからそんなテストもやっておかないとな」
プレートを竈の上に置いて熱し始める。少しはみ出させて焼く場所と保温する場所を作るのがポイントだ。
「もっとも、一番の根拠は他にあるんだけどな」
「なんです?」
「だって、8層の豚串屋、一度も襲われたことがないだろ?」
「ああ!」
あれだけ一日中美味しそうな匂いを振りまいておいて、8層の拠点がそのせいで襲われたという話は聞いたことがない。
もしもそんな事態が起こっていたら、あそこの営業はとっくに終了してるはずだ。
つまりは、匂いそのものはモンスターを引き寄せないのではないかと思うわけだ。
「美味しそうな実験は歓迎ですよ。ついでに焼きそばで水増ししましょう」
「了解。ソースは?」
「そりゃ、オタフクの焼きそばソースが鉄板ですよ。ちょっと太麺で」
「マルちゃんの粉末タイプも捨てがたいぞ。あの豚肉の脂と一緒になったときの旨味にはなかなか侮れないものがある」
「単体だと素っ気ないですけどね」
「豚バラと使ってこそ至高だな」
油を引いて、お肉と野菜を並べたら、いかにもな感じでパックに入れた豚肉とキャベツと焼きそばを取り出した。
「うわー、なんだか良い匂いですね?」
どうやら体を拭き終わったらしい小麦さんがやってきた。
「そういえば、ヘルハウンドって何を食べるんですか?」と小麦さんが三好に聞いた。
「アルスルズは、人用のご飯も美味しそうに食べますけど、あくまでも嗜好品的な位置づけみたいです。Dファクターさえあれば何も食べなくても平気みたいですけど――」
と言ったところで、グラスがひょっこりと影から出てきて、悲しそうに首をフルフルとふった。
「って、具合に嗜好品として要求してきます。あんまりやり過ぎると調子に乗るから、ご褒美に上げるくらいで丁度良いですよ」
「へー、ドッグフードとかは食べないんですかね?」
「うちではやったことがないですね。というか、味がないといまいちそうですから、人間みたいな味覚だと考えていいんじゃないでしょうか。消化酵素の問題だとか、そういうのも考えなくて良さそうですし」
「不思議ですね」
「ですよね。排泄するのを見たことがないですから、たぶん食べたものは、なんでも完全に分解しちゃうんじゃないかと思います」
「ウストゥーラたちも、食べますかね?」
「食べると思いますよ。ちょっとサンドイッチでもやってみますか?」
そういうと三好は、俺に向かって手を出した。
俺は苦笑いしながら、ハムサンドのパックをバックパックから取り出したように見せると、彼女に渡した。
「どぞ」
三好がそれを小麦さんに渡すと、彼女はアヌビスを呼びだした。
「アヌビス」
「むっ。食事か? 我々は何も食べなくても平気――」
そう言いかけたアヌビスの前に、小麦さんがハムサンドを突きだしていた。
「まあ、食べることも出来る……ぬぉっ! なんと主達の食べ物というのはなかなか美味いではないか!」
そう言ってハムサンドを食べるアヌビスを、グラスがコクコクと頭を振りながら見ていた。
「順番に食べたら、アルスルズと協力して、まわりの警戒をしてくれる?」
「良いだろう。我々に任せておけ。クー、貴様はテントの前で番犬だ」
「ばうっ」
「ガルムとライラプスは我と来い」
「「わふっ」」
「周辺だけで良いぞ。あと、基本的に隠れとけよ。他の人間に見つかると、間違って攻撃されるかも知れないからな」
「野蛮な連中はこれだから困る」
アヌビスは四つ足で肩をすくめるという器用な真似をしてそう言った。
「それから、山の上には絶対に登るな」
俺は真面目な顔をして、アヌビスにそう言った。
「山の上……というと、あそこか?」
アヌビスは、バティアンの方を見上げながらそう言った。
「そうだ。分かるのか?」
「あそこはパスだ。我では相手にならんな」
ってことは、やっぱりエンカイは復活してるのか。
そういや、俺、丁度下ふた桁が99なんだよな……いやいやいやいや、やはりそれはないな。
「なんだ、わきまえてるんだな」
「当たり前だ。相手と自分の強さも測れないバカは早死にするだけだ」
「そうだな」
順番にサンドイッチを食べてから、周辺の警戒向かった3匹を見送ったころ、三代さんも、弓の手入れを終わらせてテントから出てきた。
「はー、お腹ぺこぺこです」
「じゃ、食べようか。といってもただのBBQと焼きそばだけど」
「いや、ダンジョン内でそんなもの、普通食べられませんから」
「そうなのか」
「生ものは重いし、やはりレトルトやミリ飯が主流ですよ」
ミリ飯には、缶詰タイプもあるが、それだと重いため基本はレトルト型になるようだった。
温めは、発熱剤と発熱溶液がセットになったタイプと、加熱剤に少量の水を利用するタイプの2種類があって、いくつかの企業がしのぎを削っている分野らしい。
「もともとの開発経緯もあって、どうしても味が濃いものが多かったんですけど、最近では探索者向けミリ飯には、普通の味付けのものも登場していますよ」
「へー」
「だけど、結構高いんですよね」
まあ、それはそうだろう。
だが、ダンジョン内で泊まらなければならないような階層に到達している探索者にとっては、どうということはないのかも知れなかった。
そうして俺達は、鉄板を囲むようにして、食事を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「おいおい、あの大分離れたところでメシ喰ってるヤツ、ここをキャンプ場か何かと勘違いしてるんじゃないだろうな?」
今日の狩りを終えて戻ってきた、林田がそう言った。
「なんだか良い匂いがするね」と東が鼻をひくひくさせる。
確かに、肉を焼く香ばしい匂いがここまで漂ってきていた。
あれってモンスターを呼び寄せたりしないのか?
「ミリ飯も、今じゃそれなりにバリエーションがあるとは言え、さすがに飽きたよな」
大建がサバイバルヒーターに加熱剤といろんなレトルトを突っ込んで水を入れながらそう言った。
温まるのはいいが、これが意外と時間がかかるのだ。
「あいつら、昨日はいなかったぞ? 今日来たばっかじゃないか?」
喜屋武が、露骨に興味を顕わにしながら、そちらを見ている。
「軍っぽくはないけど、深層で見かけたこともないな。他のダンジョンからの遠征組か?」
「18層まで来られるのに、俺達が代々木で見たこと無いってことはそうじゃないの?」
東も自分のレトルトパックをサバイバルヒーターに入れながら、そちらを見もせず、そう言った。
「んー、なかなか可愛い子が揃ってるみたいだし、代々木のトップチームとしては、親交を深めにご挨拶に言ってきますかね」
喜屋武は自分の食事の用意もせずに、ベースのスペースから出ようとしていた。
「おいおい、この辺はベースキャンプ化してて、かなり安全になってるとはいえ、一応18層なんだからな。面倒を起こすんじゃねーぞ」
見た目と違って常識人のデニスが喜屋武に釘を刺した。
「分かってるっての。俺たちゃ一応代々木の人気もんなんだからさ。向こうだってウェルカムってもんだろ?」
「なんで喜屋武ってそんなに自信満々で能天気なの」
呆れたように東が突っ込む。
「そりゃ、イケメンだからな」
「自分で言うなよ」
喜屋武が向こうのパーティへと向かうのを見た林田は、「ち、仕方ねぇ……」と舌打ちをすると、立ち上がってそれを追いかけた。
「林田はあのナリと言動で、意外と責任感があるからな」
「でなきゃ、うちのリーダーなんかやってないでしょ」
「ま、そうだな」
大建と東は、我関せずといった態度で、二人の後ろ姿を見送っていた。
デニスは、「ああもう、勘弁してくれよ……」と言いながら、二人の後を追うために立ち上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「へんはい」
三好が、椎茸を口にくわえながら、俺に注意を促した。
向こうのキャンプが密集している場所から、2人……いや、3人か。男達が、こちらに向かって歩いてきていた。
「アルスルズやウストゥーラに、いきなり襲ったりしないように言っておいてくれよな」
小麦さんは、もぐもぐと牛肉を頬張りながら、コクコクと頷いた。
「ハイ、君たちどっから来たの?」
近づいてきた大柄な男は、開口一番そう言った。
なに? もしかしてナンパなの? ダンジョンの18層で?
「どっからって、上からですけど?」
「はーい、ざんねーん。君には聞いていなーい」
は? なに言ってんだ、こいつ?
「てか、君って何? 可愛い子3人連れちゃってさ。ハーレム王かなんか?」
それを聞いて、小麦さんが、ぷぷっと吹き出した。
「お。面白かった? なんだ、君もカワイイねぇ」
そう言って、大柄な男が小麦さんに近づいていく。
後ろで、少し日本人離れした顔をしている男が、あちゃーとばかりに、右手で顔を覆っていた。
「俺、喜屋武っていうんだ。渋チーって知ってる? そこのフロント」
そうして彼が、小麦さんの肩に手をかけようとした瞬間、まわりからピリっとした空気が流れてきた。
日本人離れした顔の男が、はっと顔を上げると、チャラそうな男と顔を見あわせて辺りを見回した。
「先輩。まずくないですか?」
三好がこっそりと俺に囁いた。
アルスルズは、三好にちょっかいをかける人間で結構訓練されているが、ウストゥーラは召喚されたばかりで、そのあたりの機微に疎い。
「そうは言っても、どうするんだよ。そのままだと死にますよ、って言うのか?」
「喧嘩を売ってるだけにしか聞こえませんね、それ」
「だろ?」
「まあ、相手は渋チーのフロントだそうですから、それなりにVITもあるでしょうし、多分いきなり死んだりはしないと思いますけど」
いや、お前たぶんってな……
その会話が聞こえたのか、チャラそうな男が、目を剥いてこちらを見た。
大柄なイケメンは、その辺鈍感なのか、相変わらず小麦さんにちょっかいをかけている。
三代さんは、介入して良い物かどうかわからなくて、アワアワしていた。
「おい、喜屋武!」
俺達の会話の断片が聞こえたらしいチャラ目の男が、大柄な男に向かって警告した。
「なんだよ。今、親交を深めてるところだろ? ねえ、君、名前なんて言うの?」
そういって小麦さんの隣に座り、その腰を抱こうとした瞬間、足下から黒い何かが吹き出して、彼の体に巻き付いた。
まずい。人前で喋るなとは言ったけど、殺すなって言ったっけ?
「――殺すな!」
その瞬間に俺が発した、殺気というか、覇気というか、闘気というか、おそらくはそう言うものが、まるで物理的な力を持っているかのように、顔が半分埋まったところで暗黒の包帯を押しとどめた。
「我が主に手を出すようなものは、死んでも仕方がないだろう?」
俺の耳の後ろにできた影からアヌビスが小さな声で囁いた。
アヌビスは喋る。
だから極端なことを言っているように思えるが、これは召喚された従魔に共通する思考だと考えた方がトラブルを避けられそうだ。
アルスルズも、三好のお願いをかなえる形で、シャドウバインドやシャドウピットを使い始めた。
もしも、最初から三好が丁寧に教えていなければ、襲ってきた奴らは今頃全員死体になっていたはずだ。
「俺達の世界でそんなことをすると、お前の主が困ることになるんだよ」
「面倒なものだな。では後は任せたぞ、雄。無能を返上して見せろ」
アヌビスがそう言うと同時に、黒い包帯は霧散して、包まれていた男が仰向けに倒れた。
外傷はなさそうだが、中身はどうなってるかわからない。何しろゾンビやスケルトンは、溶けるように消えて無くなっていたのだ。
「ちっ」
俺は舌打ちすると、バランスポケットに手を突っ込んで、保管庫からポーションをひとつ取り出した。
尖端のポッチを折りながら、倒れている男に近づくと、それをむりやり口に突っ込み、中身を流し込んだ。
男の体は、一瞬、微かに淡い青に包まれた。たぶんこれで大丈夫だろう。
「い、今のはなんだ?」
唖然として固まっていたチャラい男が、青い光で目を覚ましたように尋ねてきた。
「今の? ヒールポーションのことか?」
「ちげーよ! 今、喜屋武のやつをなにか黒いものが――」
『こっちの方から、すごい気配がしたんだが、何かもめ事かな?』
そう言って、チャラい男の言葉を遮りながら現れた男は、一言で言うと熊だった。
太い手足にがっちりした体つき。2m近くありそうな身長に、ビューティフル・デイに出た時の、ホアキン・フェニックス(*1)によく似た頭がくっついていた。
熊といえばホアキンは、ブラザー・ベアで、キナイの声もやってるからぴったり……いや、どうでもいいか。
「なんだ、おっさん?」
言葉を遮られた林田が、突然現れたクマ男に食ってかかるのを見て、日本人離れした男が「げっ」と声を上げた。
「なんだ、デニス、知ってんのか?」
「むしろお前は何で知らないんだよ!」
有名人なのか? 実は俺にも彼が誰だか分からなかった。
方向を相当絞ったつもりの気合いを捕らえて顔を出すからには、かなりの実力者であることは間違いないが……
「三好、知ってるか?」
「そらもう。超有名人ですよ。代々木に来てたんですね……」
三好はそういうと、現れたクマ男を見上げていた。
*1) ホアキン・フェニックス
リバー・フェニックスの弟。キナイは、大精霊の力でクマにされちゃうイヌイットの主人公。




