第38話 もし、一粒の種が……
何とか俺たちは研究所までたどり着いた。
ステラは気を失ったままで、背中から結構な量を流血している。
抱き締めているターニャは、かなり苦しそうで、ゼーゼーと息が荒い。
……早く処置しないと……。
まずはターニャか……。
「ネル!悪いけどさ、ステラの怪我の様子見てくれないかな?」
「わかった!お兄ちゃん……。治せるなら治しちゃうね!」
とりあえずターニャが呼吸しやすいように横にして……。
「——ん!」
ターニャをベッドに寝かせようとすると、彼女の両腕が首と胴に絡んできた。
「……ターちゃん……。大丈夫?このままでいいの?」
こくり……小さく頷いて、首肯する。
しかたなく、このまま跪いて、重力の負担を減らす。
「……ゆ、ユキりん……」
「しゃべっちゃダメだよ!ターちゃん……」
「……聞いて……お、お願い……げぼっ」
……ターニャ……。もうダメなのか……。
だったら……。
だったら……自分から結婚しようって言った女の最期くらい……。
「……うん……」
「……ゆ、ユキ……り、りん……な、泣かないで……」
霞んでいく視界の一部を、ターニャの細い指が横切る。
……涙を拭ってくれたのか……ターニャ……。
「や、優しい……ね……。よ、かった……げぼっ」
ターニャ……君の方こそ……。
……何もできない……。
目の前で消えようとしてる魂を……助けることも……。
「き……聞い、て……」
「……うん」
「……る、ルルは……あの……つ、杖で、あ、や、つられてる……の……げほっ!げほっ!」
だんだん、抱いてる彼女の体が冷たくなっている……。
この世界に神がいるのか知らない……。でもでも!
……誰か!
誰か……。この子を……この……子を……。
「……つ、え…………こ、こわ……せば……。も、戻る……か、ら……ぐぼっ!」
そこまで何とか言うと、彼女は大量の血を口から吐いた。
血液で彼女と自分の服が染まる……。
苦しそうに肩で息をし、朦朧とし始めたのか、視線が定まらなくなってきた。
「ターニャ!ターニャ!しっかりしろ!今、治癒の魔法を……!」
もう我慢できなくなった。
<治癒魔法>はルルから、絶対に使っちゃダメって言われてた。
とても魔力を消耗し、貴方の場合、命の危険があるから、と……。
そんなのはどうでもいい!
今、目の前の子を助けなきゃ……!
『汝、エイルよ!我……」
<治癒魔法>を詠唱しかかったところで、ターニャが口づけをしてきた。
詠唱を留められてしまった……。なんで……?
そして彼女は、首をゆっくりと横に振った……。
「ター……ちゃんって、よ、ん……で……す、き……よ……ユ……き、り……ん」
治癒魔法は使うなって……こと?………。
……どうして……。どうして………。ターニャ……。
神様…………。この子を……。
「……ゆ、ユ……りん……。こ……こ……のた……ね……。げぼっ!」
そう言いながら、彼女は自分の下腹部を指差した。
彼女は静かに涙で濡れている俺の頬を撫でながら、こう言った。
「……み、え……る……とこ……に……う、めて……ね?う……んが……よか……っ……たら……」
彼女の荒い呼吸が止まった。
彼女の胸に耳を当ててみる。
何度もベッドで聞いていた、その鼓動はもう聞こえない……。
「わああああああああ。ターニャ!ターニャ!ターニャあああ!」
ただただ、冷たくなった彼女を抱き締めていることだけしか、もうできなかった。
***
「落ち着いた?お兄ちゃん……」
……しばらくすると、つんつんとネルが俺の肩を突いてきた。
黙ってネルが指差す方を見ると、何とかステラの出血を止めたようだった。
……そうか……ありがとう。
そう小さく呟く。
……ターニャ……。何もしてやれなかった……。
…………無力だ……。
死んだターニャをずっと抱き締めながら、ただネルに頭を撫でられていた。
「おい……ユキテル……。大丈夫か……」
「……ああ」
「……あんまり大丈夫じゃなさそうだな……」
ステラは出血が止まった傷跡を押さえながら、立ち上がってこちらにやってきた。
「おい!立てよ!ユキテル!」
そう言って、俺の襟首をつかむ。
バ——ン!
そして思いっきり、ステラはビンタしてきた。
「いつまでも泣いてるんじゃねえよ!しっかりしろよ!」
「……ああ」
「ああじゃない!ばか!ルルを止めろよ!」
「……」
「お前しかできないだろ?」
「……俺なんかには……」
「……馬鹿野郎……」
そう言いながら、ステラは俺の頭を抱き締めてきた。
「考えろ!ルルは一個師団指先一つでぶっ飛ばせる奴だが、お前なら……」
…………無力だよ……。ターニャは助けられなかったし……。
……多少、魔法は使えるようになったけど、ただの考古学者さ……。
「……お兄ちゃん?ターニャお姉ちゃんが、なんか言ってなかった?」
……ん?杖がどうのこうのって……。
あ……。杖を壊せば……って言ってたな。
でもどうやって……。ルルには近づけない……。
……あ、れ? 小さな<移動魔法>で近づいていけば……。
そう。<移動魔法>の最中は、どんな魔法や物理攻撃も意味がない。
ただ、小さな移動を繰り返すには、大量の魔力が……。できるのか?
俺はそっとターニャの亡骸をソファーに寝かせた。
「ふん!ユキテル、少し落ち着いたか?」
「……ああ。お前のビンタで目が覚めた……ルルを助けたい……。2度はごめんだから……」
冷たくなってるターニャの顔を見て、ステラにそう誓った。
***
「ユキテルさん!いらっしゃいますか?」
少し落ち着いて、ステラたちと横になっていたら、ジェシカが慌てたように
研究所に飛び込んできた。
……ああ、そうだった。
ジェシカは万が一の事を考えて、陛下のところへ送ったんだっけ……。
「はあはあ……た、大変ですよ!……はあはあ……」
「……どうしたの?そんなに慌てて?」
よほど慌ててるのか、ジェシカは息絶えたターニャに気づく事なく、言葉を続けた。
「ユキテルさん、大変です!ローレル将軍が軍を率いて、謀反を起こしました!」
「あいつ!とうとうやりやがったなあ!」
「ステラさん……それだけじゃないです……その先頭はルルさんなんです!」
「なにい!あいつ、将軍に手懐けられたのか!」
激昂して拳を握って仁王立ちするステラ。
……そんなに単純なわけがない……。
直感だけど……。
「そうじゃないだろ?ステラ……。いつものルルとは違ってただろう?」
「……う。まあな……。でもどうする?今度は殺されるぞ……」
そう言ってターニャの方に視線を向けて、俯いた。
「きゃ!た、ターニャさん………ダメだったのですね……」
ようやく事の重大さに気がついたジェシカが、ソファに寝かせていたターニャの亡骸を見て、震えている。
「あ、あの……ユキテルさん……。ターニャさん、子宮を指差してますね……」
震える声で妙なことを……。
ソファーに横たわってる彼女の亡骸を見てると、ついさっきまで感じてい温もりが、次第に冷たくなっていく感覚が蘇ってくる。
…………。
そう言えば、最後の最後に言ってたな……。
下腹部を指して……。
『ここのたねを埋めてね』だったっけか……。
何だか遠い過去のように感じられる。
「……ユキテル!ターニャは種がどうこうって言ってなかったか?」
「ああ……。何だかそう言ってたような……」
「ユキテル!その腹から種をすぐ取り出せ!今すぐだ!」
「はあ?死人を冒涜するのかよ!ステラ!」
「違う!樹人はな……。運がよければ再生することもあるんだ!だから取り出せ!」
どういうことだよ?ステラ……。
え?ステラ……。それは冒涜だぞ!
ステラはターニャの子宮の部分に、ナイフを当てて、切っていたのだ。
「何、やってるんだよ!ステラ!」
俺は慌てて、ステラの腕にしがみついた。
……ターニャを……ターニャをこれ以上、傷つけるのは辞めてくれ!
「ほら!切ってやったぞ!後はお前が種を取り出せ!」
そう言いながら、ステラは強引に俺の手を掴んだ。
そしてそのままターニャの血塗れの腹の中に突っ込ませた。
……種だって?そんなのあるわけが……。
…………。
あれ?
触れたものを指で摘み、そのまま引きずり出した。
血だらけの指先にあったのは、小さい一粒の種だった。
それも米粒のような大きさの種だった。
「おい!それ、とっとと埋めてこい!」
ステラは俺の尻を平手で、パン!と叩いた。
ああ、そうだったな……。
ターニャは見えるところに埋めてって言ってたよな……。
思い出したよ……。
俺は研究所の窓から見える場所に、その小さな小さな種を植えて、そっとその上に手を置いた。
……さようなら、愛してるよ……ターちゃん……。




