第35話 ターニャの嫁入り
*注釈があります
フェン地方での全日程も終わり、俺は一足早く、研究所(兼自宅)に戻ってきた。
今回は出土品が多いので、それらの置き場所を先に確保するためだった。
「……ターちゃん……ここ、俺んちなんだけど……」
「ユキりん……。もう王宮には戻れないよ。辞めたから……。行くところないの……」
泣きそうな顔をして、ターニャが俺の服の裾をギュっと握ってきた。
そう……。
ずっと離れなかったターニャは、一緒に研究所に付いてきたのだ。
昨夜、ターニャはいろいろな事を泣きながら話してくれた。
ローレン将軍が虐待まがいの夜の営みを、毎晩強要してきた事を……。
そんな彼に脅され、親友ルルを騙してしまった事を……。
俺に近づいて、遺跡の情報を持って来いって言われた事も。
そのために、調査隊の面接試験に応募したって事も……。
彼女のお尻にあった深い傷痕……。
見せてもらったその痕は、真っ黒な瘢痕となっていてシワが寄っていた。
彼女は皮膚を焼かれたのだ。
そんなターニャを俺は責める気にはなれなかった。
ジェシカも、ターニャを俺の4人目の嫁として、迎え入れたらいいんじゃないかって話していた。
彼女と何度も肌を重ねたので、情も湧いているのは確かだけど……。
「わかった……。いいよ。入っても」
「……ほんと!ありがとう……。やっぱりユキりん、優しい……」
パッと花が咲いたように笑顔を綻ばせるターニャを、俺は手招きして自分の部屋に通した。
「わあ……。ここがユキりんのお部屋……」
物珍しそうに目をクリクリさせながら、部屋を見渡すターニャ。
この部屋はベッドと資料が散らばってる作業台が置いてある。
もちろん生活の場でもあるので、キッチン等や浴室もあるが、大抵は神殿の方で済ませてしまうので、どちらもあまり使ってなかった。
「……ユキりん、お腹空いてない?ちょっとキッチン借りるね……」
そう言いながら、彼女は手際よく適当な食材を保存庫から、見繕ってキッチンに立った。
トントントン……。
ナイフで食材を切ってる姿がなんかいい……。
女の子に自分の部屋で料理作ってもらうなんて、今までなかったな……。
「……きゃ!……やっちゃった」
ぼうっとターニャの後ろ姿を見ていた時、悲鳴があがった。
「……どうしたの?」
「ご、ごめんなさい。ナイフで指、切っちゃった……」
そう言って差し出した彼女の左人差し指からは、鮮血が溢れてきている。
ええと……絆創膏は……。
あるわけないか……ここには……。
「ちょっとごめん……このくらいなら」
俺は出血をしている彼女の人差し指を優しく舐めた。
このくらいの傷なら、舐めれば治るもんな……。
「あ……そ、それダメだよ……ユキりん……」
「たいしょうふ、たいしょうふ、ほれで……」
ターニャの指を舐めながら、落ち着くように語りかけた。
気のせいか、心なしか彼女の顔が赤くなっていく……。
「……ん……あ……あふ……あん……」
……え?もしかして……感じちゃってるのか……?
あ、いけね……。
妙に濡れたターニャの瞳と、うっとりとした表情を見て俺は思い出した。
……ステラから以前、貰った例の『性訓』には、ルルやターニャのような樹人族は、手足——特に指先が、とても感じるって書いてあったような……。
「……ねえ……ユキりん……。抱いていいよ……まだみんな来ないし……」
そう言って、蕩けた表情で太腿と張りのある胸の双丘を、俺の身体に押し付けてくる。
うわ……いけね……。スイッチが……。
迫ってくるターニャの湿った唇を、俺は拒めなかった……。
***
「ユキテル!おめえ、何やってるんだ!こら!」
「……あ、い、いや。こ、これは……」
バキッ!ズダ——ン!
ステラの廻し蹴りが、ものの見事に俺の顔面を捉えると、そのまま無様に俺は壁に吹っ飛んだ。
運悪くターニャと愛し合ってる真っ最中に、ステラたちが帰ってきたのだ。
「……あ、あの……」
ベッドで毛布に身を隠しているターニャの顔はすっかり青ざめ、見て分かるくらいに震えていた。
「あんたもあんただよ……。ターニャ……うちのユキテル、誑かして!」
「た、誑かして……なんか……」
目が釣り上がり、怒りで顔を真っ赤にして拳を鳴らすステラを見て、ターニャはやっとのこと、小さな声で反論した。
眉尻が八の字になって、眉間に皺が寄っていくターニャ。
ガタガタと音がするくらいに、小さくなって震えはじめている。
やばいな……。俺が悪いのは確かだけど、このままじゃターニャも……。
蹴りを食らった頬をさすりながら、ようやく俺はステラの前に立った。
「ちょ、ちょっと冷静になれよ!俺が悪かったよ!」
「……ふん!そんなに、このスパイと体の相性がいいのか?ん?」
「もういいだろ!ステラ!彼女はもうスパイじゃない!」
神殿にまで聞こえてしまいそうな大きな声で、俺はステラに怒鳴った。
……そうだよ!ターニャはもうスパイじゃない……。
ステラ……お前だって、痛い思いして嫌な男に、無理矢理抱かれたくなんかないだろ?
「……王宮魔術師さんよ……お前、ルルを騙しただろ?」
「……」
眉間に皺を寄せて震えながら、こくりとターニャは頷いた。
「ふん!親友を騙す奴なんて、信用できるか?ユキテルがどうこう言ったって!」
ステラは吐き捨てるようにターニャにそう言うと、そっぽを向いて、足でトントンと床を踏み鳴らした。
「まあまあ、皆さん……。ターニャさんは、ユキテルさんの第四の嫁にしましょうって、話してたじゃないですか……」
ステラの怒りのピークが落ち着いてきた頃、それまで黙っていたジェシカが、俺たちの間に割って入ってきてくれた。
「そうは言うけど……あたい、この女は許せねえんだよ!」
ふんっ!と腕組みをして、ターニャを睨みつけるステラ……。
まあ、ターニャが誘惑してきた時、俺もそう思ってたよ。 正直言って……。
「ねえ……ターちゃん……。すごく悪いけどさ、お尻の傷痕をみんなに見せてやってくれないかな?」
「……ユキりん……わ、私……」
昨夜のように怯え、苦しそうに唇を震わせて、俺を見つめてくるターニャ……。
俺はその揺れる瞳を見ながら、深く頭を下げた。
ターニャはこくりと頷き返すと、ゆっくりと身を隠していた毛布を取った。
そしておそるおそる背を向けて、みんなにお尻の傷痕を見せてくれた。
ターニャは真っ赤になって震えていた。
……ごめん……ターニャ……。恥ずかしいよね……。
でもこうしないと、たぶんステラを説得できそうもないや……。
ほんとにごめん……。
俺はターニャの横顔から視線を写し、ステラの瞳をまっすぐ見据えて言った。
「ステラ……。彼女はローレル将軍に虐待受けてたんだよ」
「……この酷い傷は……大火傷だな……瘢痕になってる……」
ターニャのためにも、彼女が性的虐待を受けていたことは言わなかった。
……どれほどの恐怖だったか、どれほどの屈辱だったか……。どれほど憎かったか……。
「……ステラ。ターニャは王宮魔術師を辞めて、俺たちの所に来たんだ。それに……。それにちゃんとルルを封印したことを話してくれたんだ。もう許してやれよ!」
ステラはお尻を向けて震えているターニャの傷痕を見ながら、ため息をついた。
さすがにその傷が何を意味してるかくらいはわかるだろう……。
伊達に諜報活動してるわけじゃないだろうし。
「……わかったよ……。でもまだ、あたいはお前のことを信用してないからな!ターニャ!」
ステラがそう言うと、ターニャはそのまま崩れるようにベッドにへたり込んだ。
俺はそんなターニャを背後から抱きしめながら、彼女に告げた。
「過去は忘れていいよ……。ターちゃんは俺の嫁になるが嫌かな?」
ターニャはふるふると首を激しく横に振った。
その瞳から溢れてきたであろう涙が左右に散った。
「……俺の第四の嫁になってくれ……ターちゃん……。守ってあげる……」
俺がそうターニャに耳元に囁くと、彼女が目をまん丸にして振り向いた。
その頬は、涙でびちゃびちゃになってしまっていた。
……愛おしい……。
こんないい子を追い詰めた、あの将軍は許せないよ……。
俺は嗚咽しはじめた彼女を抱きしめると、ターニャは震えながら呟いた。
「……ユキりん………ありがとう」
***
「おい!ユキテル!お前、女房の前でよくラブシーンできるな?」
「え?ラブシーンなんかじゃ……」
ガツン! ステラは俺の頭を殴って、更に文句を言ってきた。
「あ、あたいに、ぷ、プロボーズ、ちゃんとしなかったくせに!」
「あ——!私もですよ——。ユキテルさん……ターニャばっかりずるい!」
あ……。
俺、今、人生で初めてプロポーズしたのか……。
ターニャに……。
急に恥ずかしくなってきた……。え?え?
腹の底から頭のてっぺんまで、一気に熱が上がってくるのが、自分でもわかった。
「ほら!にぶチンが!お前がご所望してた童話だ!」
真っ赤になってる俺に、ステラは一冊の書物を投げつけてきた。
あ、そうだった……。
この本をステラは図書館に取りに行っていたんだったな……。
怒ってたのも無理もないな……。
ステラから、渡された本の表紙には、こう書かれていた。
『童話 孤独な月の男』、と……。
ターニャの火傷痕
・ここでは3度の火傷(DB)を負わされたという設定です。
・通常、植皮が必要なレベルの重度の火傷です。
・変色しているのは炭化してしまっているからです。




