獣と王宮7
ネトリウスの狂喜を浮かべた空色の瞳に、葉菜は毛皮の下がさらに粟立つのを感じた。
澄んだ、濁りのない美しい瞳は、確かに葉菜を映し出しているのに、ネトリウスは葉菜を見ていない。
彼が見ているのは、葉菜の魔力だけだ。
かといって、ネトリウスがレウルのように、魔力が見える特殊な目を持っているのとは違うだろう。
彼は、目に見えず香りや気配でしか捉えられない魔力を、少しでも多くの器官で捉えようと、魔力があるだろう場所を仰視しているのだ。
「狂信者」
そんな単語が葉菜の脳裏を過る。
ネトリウスは、魔力の狂信者だ。
きっと彼が真の意味で敬意を払うのは、魔力という存在そのものだけなのだろう。
口では葉菜に敬意を示しているが、ネトリウスにとって、葉菜の存在は、肉体は、恐らく魔力を溜め込む為の袋に過ぎないだろうことが、ひしひしと伝わってくる。
思わず威嚇するような唸り声をあげながら後ずさった葉菜に対して、ネトリウスは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「脅えが混ざった魔力の香りも、これはこれで素敵ですね……あぁ、いいな。欲しいな。貴方様と契約を結べたら、貴方様の傍にずっといられたら、それはどんなに素晴らしいことでしょう」
うっとりと葉菜を、ただしくは葉菜の魔力があるであろう場所を見つめると、ネトリウスはザクスに向き直った。
「――ザクス様。貴方の従獣を私に下さいませんか。もし貴方がそうしてくれるなら、私は貴方が王位を継ぎ、国を治めることを、傍らで全力でサポート致しましょう。この国で魔力に関しては並ぶものがなく、また王位継承権第二位をもつ私がザクス様につけば、貴方に逆らうものは誰もいなくなるでしょう。」
(うっはーい。私売却フラグたっとる…!!)
なんということだろう。
トリップ当初の、売春宿にいつか売られるかもしれないという覚悟など、 とっくに過去のものになって忘れさっていた今頃、こんなフラグかたつとは思わなかった。
まあネトリウスに買われても、貞操を喪うことは(多分)ないだろうが、葉菜の中の何かは確実に喪うような気がする。
(……てか、頼むからそういう相談は、本人がいないところでやってくれよ)
葉菜は痛みを耐えるように、ザクスを視界に入れないように、目を瞑った。
葉菜は、ザクスの現状の詳細を知らない。
知らないが、ザクスの状況が危ういことなど、この王宮に滞在した短時間で重々承知した。
そして、ネトリウスがこの王宮において非常に力ある人物であり、味方にしたら非常に頼もしい一方、敵に回したら恐ろしいだろうことも理解できた。
一方葉菜は、魔力量のみチートとはいえ、習得した魔力コントロールとて不安定で、先程も魔力を暴走しかけて、うっかり王宮集団心中事件を起こすところだった。葉菜は、ザクスにとって、諸刃の剣だ。
しかも中身はともかく、見た目は獣。
中身だって、内政チートする能力も、人を纏め上げるカリスマ性も、改革チートが出来るような詳細な技術知識もない、社会不適合だった駄目女だ。
どちらを取れば有用なんか、火を見るより明らかだ。
そしてザクスは合理主義者だ。例え葉菜が、いかにモフモフが愛らしい獣だろうと、情に流され葉菜を選ぶことはないだろう。
いつだって、冷静に、冷徹に、自分にとって利がある選択を出来るのが、ザクスだ。
変な期待をするだけ愚かだ。
当然の選択。
だけど、葉菜は、聞きたくなかった。
売却されるのは仕方ない。
覚悟は未だできていないけど、何とか気持ちに折り合いをつけよう。
葉菜は幼稚だが、「諦め」を受け入れられるくらいには、長く生きてきた。
だけど、それは葉菜の知らない場所で、出された結論の末であって欲しい。
例え結果は変わらなくても、ザクスが、葉菜を譲り渡す言葉をネトリウスに告げるのを葉菜は聞きたくなかった。
ザクスが葉菜を「いらない」と口にする場面を、自分が捨てられる瞬間を、葉菜は見せつけられたく無かったのだ。




