獣と王宮5
突然飛びかかってきた葉菜に、ゴードチスは目を見開きながらも、すぐに結界を展開した。回りにいた幾人が、葉菜に攻撃魔法を放つ。
だが、弱い。あまりに脆弱な魔法だ。
葉菜が即座に放った、葉菜に言わせれば小指の先程度の魔力の使用で、結界も攻撃魔法も簡単に相殺された。
出来ないなどとは思わなかった。また、魔力の暴走を案じるまでもなかった。
頭の奥が、驚くほど冷えていて冴え渡っている。
葉菜は自身の魔力コントロールの成功を確信しており、脳はそんな葉菜の確信に正確に応えた。
そうでなければ、いけない。
ここにいるものは簡単に葉菜が力で押し退けらるような雑魚でなければいけない。
だからこそ、力の差も分からない間抜けばかりだからこそ、あのような愚かな発言が出来たのだ。
そうでなければ、許さない。
葉菜に飛び掛かられたゴードチスは、簡単に床に倒れこんだ。老人の骨は脆い。もしかしたら、どこかしら折れているかもしれない。
だが、そんなことは葉菜の知ったことではない。
葉菜は脅えを目に宿して、葉菜を見上げるゴードチスに牙を剥ける。
噛み殺してやろうか。
裂き殺してやろうか。
それとも魔力で焼き殺してやろうか。
さっきまで冷えていた脳内が、老人の顔を間近で見たことで、沸騰したように熱く変わる感覚に襲われた。
熱は脳から全身に伝わり、体内を暴れ狂う。
熱い。
この熱を、放出したい。
この憎らしい老人に、全ての熱をぶつけてしまいたい。
「――怒りをお沈め下さい。魔獣様」
室内に響いた涼やかな声に、葉菜は我に返った。
目の前に、先程葉菜に熱い視線を送っていた青年が平伏していた。
「魔獣様。貴方様が今膨らませている強大な魔力を持って魔法を行使すれば、ゴードチス閣下だけではなく、この城ごと吹き飛んでしまうでしょう。我々は勿論、貴方様も、貴方様のご主人であられるザクス様も例外ではありますまい」
(あ…)
青年の言葉に、葉菜は今の状態を理解した。
葉菜は、怒りに我を忘れて、魔力を暴走させかけていたのだ。
あれほどレアルに魔力暴走の恐ろしさを教えられていたのにも関わらず、葉菜は「恐怖」を忘れて、「怒り」の感情に囚われていた。
青年の言葉が無ければ、葉菜はこの城にいるもの全てを道連れにして、滅んでいたのだろう。
血の気が引いていくのが分かった。いまだ残る魔力が膨らんだ熱を逃すべく、ただ心を落ち着けることに集中する。
「貴方様のご主人様を愚弄するような態度をとって申し訳ありませんでした。…ゴードチス閣下。貴方も謝罪をしてください」
「っ何故私が、枯渇人なんぞの従獣に…っ!!」
「黙れ。貴方がザクス様を愚弄する理由が、彼が枯渇人であることだというのなら、貴方がこの部屋で、否、国中で一番敬うべき相手は魔獣様のはずだ。そしてその次は私。反論は許さない。立場をわきまえろ」
言葉を硬質に変えて言い放った青年の言葉に、葉菜の下で吼えていたゴードチスは黙り込んだ。
「…魔獣様。貴方様の気分を害する発言をしたことは謝罪致しましょう。例えそれが真実だろうが、貴方様の前でいうことではなかった」
ゴードチスが苦々しい顔で、葉菜に謝罪の言葉を述べる。
それはあくまで葉菜に対する謝罪であり、ザクスに対する無礼を詫びるものではなかった。
その事実はとても腹立たしいが、かといってこの謝罪を無視する訳にはいかない。
葉菜はザクスとゴードチスの間の因縁も知らないし、「枯渇人」の単語の意味すら分からない。
分からない以上、ゴードチスの反省の及第点を決めるのは難しい。
見るからに高い矜持を持っているゴードチスが、青年の言葉があったとはいえ、謝罪の言葉を述べるくらいは譲歩しているのだ。
自分もある程度のラインで妥協は必要だろう。
葉菜は馬乗り状態になっていたゴードチスから離れて、青年へと向かいあった。
圧迫がなくなったせいか、解放されるなりむせ込んだゴードチスを、近くにいた男が咄嗟に介抱する。
青年は、スカイブルー色の瞳を輝かせながら、葉菜に一礼した。
「ゴードチスを許してくださってありがとうございます。この場を借りて自己紹介をさせて頂きましょう。私の名は、ネトリウス・エルクド・グレアム。ザクス様とは曾祖父を同じにするものでありまして、傍系ながら王家の系譜に名前を連ねております」




