獣と王宮2
時折出現する幾つかの扉の前を通り過ぎて、ザクスは一際豪奢な扉で足を止めた。
「ここが議会を行う部屋だ。もう既に危篤状態になっている父上を除いて、王宮の主要人物は中に集まっているはずだ。…俺が扉を開けたら中に入って来い」
葉菜がザクスの言葉に一つ頷いて、中からは見えない位置に移動すると、ザクスは扉の中に入っていった。
葉菜は扉が閉まるのを確認するや否や、扉にぴたりと耳を付ける。
元も世界ほど防音設備は発達していないようだが、扉の立派な様子と厚さからして、こうでもしないと室内の会話は聞こえない。
全てが未知数の王宮内。中の様子が気になってしまうのは、仕方ないだろう。
「随分遅いおでましですな。ザクス皇太子殿下」
まず葉菜の耳が捉えたのは、皮肉を含んだ低いしわがれ声だった。
「定刻通りのはずだが?何か問題でも?」
これはザクスの声だ。あちらかに棘を含んだ相手の言葉にも、平然といつもの調子で返している。
「ここに集められた高官達は、私も含めてもう暫く前から貴方様が来られるのを待っているのですよ。貴方様もそれを見越して早く来るのが筋ではありませんか?」
(いやいやいや。おかしいだろう。その理論)
葉菜が元の世界で社会人をやってた頃、会議や集会等が行われる際、一番遅れてくるのは社長だった。社長より遅れてくる社員も時折いたはいたが、大抵そういった社員は定刻前だとしてもばつの悪そうな顔をしており、遅く来た社員を見る周囲の眼も冷たかった。
中には社長が誰よりも早く来て、会社員としての模範的姿勢を見せている会社もあるだろう。だが「重役出勤」という言葉もあるように、周囲より遅れて来ることが許されるのは、権力者の特権であり、その地位の象徴である。
ザクスが定刻通りに来たにも関わらず、それを非難するということは、すなわちそれだけザクスを軽く見ているということだ。
皇太子であり、次期国王であるザクスを、だ。
(こいつは、思っていた以上にザクスの立場はあやうそうだぞ…)
裏でザクスをよく思っていなかったとしても、表面上では恭順の意を示しているのかと思っていたが、仮にも次期王に向かってここまであからさまに反抗心を露わにしてくるは。
発言の人物がどれほどの地位にあるのかは分からないが、少なくとも人前で時期王に対して馬鹿にするような態度をとったとしても、処分できないと確信することが出来る人物が一人はいるということだ。
その人物の言葉を表だって批判する人物の声が聞こえないあたり、地位がある人物でザクスの目立つ味方はいなそうだ。
葉菜は舌打ちを一つ洩らした。
「もしかして、今回皇太子殿下が議会にこんな時間に来られたのは、件の愛妾の為のせいですかな?次期国王ともあられる方が、正妃も決まっていない状況で身分もしれぬどこぞの女にうつつを抜かすのは問題であるとは思われませんか?」
しわがれ声に続いて、複数の嘲笑が聞こえてくる。
ここからしてザクスの敵は一人ではないことは明らかだ。
王宮におけるどのくらいの数の人物が、ザクスの味方なんだろうか。
どうも後宮にいた人物以外の味方が、ザクスにいる気がしないのだが、さすがにそれはあんまりな考えだろうか。時期王という立場なのだから、信用出来る騎士の一人や二人はいる…そう信じたい。
「――愛妾か」
周囲の嘲笑に、ザクスは嘲笑で返した。
扉越しでもザクスがあからさまに馬鹿にした態度を見せたことは伝わってくる。それによって室内の気温が―勿論比喩表現ではあるが―一低くなったのもわかった。
「今回お集まり頂いた高位の地位を持つ貴方様方は、随分と俺が後宮に住まわせている相手を気にしてらっしゃるようですね。この度皆様にこちらにお集まり頂いたのは、せっかくなので俺の戴冠式前に、その相手をお披露目しておこうかと思った次第でして。皆様が――特に高齢であられるゴードチス閣下が、下手な邪推で心の臓を悪くさせても申し訳ないですし。――入って来い」
ザクスは嫌味たっぷりの馬鹿丁寧な言葉で慇懃に言い放つと、扉を開けて葉菜を中へと招いた。




