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異界山月記 ‐社会不適合女が異世界トリップして獣になりました‐   作者: 空飛ぶひよこ
第三章

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獣と逃走5

 告げられた言葉に、葉菜の頭の中は真っ白になった。

 口元を戦慄かせ、念話によって何か伝えようと試みるが、こちらの言葉が出てこない。

 言葉が出てきたとしても、何を言い返すことが出来るだろう。

 ザクスがこんな風に葉菜の意思を切り捨てることなぞ、予想がついていた。ザクスからどう思われようがどうでもよいと思っていた。

 それなのに、葉菜は今、こんなにも傷付いている。

 

 ザクスの期待に応えようなんて、微塵も思わず、ただその理不尽に反発していたのは葉菜自身で、当然の結果だというのに。

 

(――あぁ、そうか)

 

 眼もとがカッと熱くなるのが分かった。

 溢れだした涙が、顔の表面の毛皮を濡らす。

 

 

(世界からも求められない私を、どんな理不尽な形であれ、求めてくれたのは、ザクスだけだったからだ)

 

 

 一方的な、理不尽な、葉菜の意思を無視した主従の契約。

 望んでいない、解放しろと叫びながら、人との関わりを嫌いながら、一方でそこに喜びを感じている自分がいたのだと、葉菜はその時はじめて気が付いた。

 理由はどんなものであれ求められ、必要とされている。その事実にこの世界での自分の意義を見出だしていたのだ。

 

 だからこそ、嫌だった。怖かった。

 必死に頑張っても、どうしようもない自身の無能さに、期待外れだとザクスに切り捨てられることを、葉菜は何より恐れていた。

 頑張らなければ、期待することはない。やれば出来るのだという根拠のない自信でプライドを保ってられた。プライドを保ったまま、ザクスから切り捨てられるのは、自分の無能さ故ではなく、自分が彼に従わなかったが故だと、自分が望んだ結果だと思おうとしていた。

 

 そしてまた、葉菜にとってはお馴染みの負の連鎖に飲み込まれていたのだ。

 

 

(あぁ、本当に愚かだ。私は)

 

『――ハナ、ドウシタノ?イタイノ?苦シイノ?』

 

 不意に脳内に響くように聞こえてきた幼い声に葉菜は目を開いた。

 

『ザクス、ハナ、イジメタノ?ザクス、ハナ、クルシメタノ?』

 

 心配げな声に怒りが混じると共に、覚えがある熱が葉菜の中で暴れる。

 

(――獣、だ)

 

 その声の主が盗賊と対峙した記憶のない間、葉菜の体を動かしていた獣だと、葉菜は悟った。

 獣は、ずっと葉菜の中にいたのだ。

 葉菜を害するものから、葉菜を守るために。

 

『ユルサナイ…っ!!ザクス、コロス!!ハナ、傷付ケル、全部コロス!!ハナ、代ワッテ。消シテアゲル』

 

 獣が葉菜の中で怒りを露に叫びながら、暴れるのが分かった。

 体を貸せと、葉菜を害するものを排除すると、そう吠える。

 

『消シテアゲル。ハナ、傷付ケルモノ、全部、コロス。ハナ、代ワッテ』

 

(――だめだよ)

 

 葉菜はまるで目の前に獣がいるかのわように、首を左右に振った。

 獣が本当に滅ぼすべきなのは、醜く愚かな自分だ。

 

 ザクスは間違っていない。

 自分は本当に、屑だ。

 

 

 

(いっそ獣にこの体をあげてしまおうか。)

 

 そんな考えが葉菜の頭に過る。

 葉菜は盗賊と対峙した時、確かに一度体を獣に明け渡した。

 あの時の感覚はよく覚えていないが、たぶん眠りに近かったように思う。

 苦痛も恐怖も何もなかった。

 獣に体を受け渡して、ひたすら安らかな眠りにつく。「死」ではないから、消滅に怯える必要もない。

 獣は葉菜の体を傷付かないように大切に守ってくれるだろう。

 

 その考えは、堪らなく魅力的に思えた。

 

 

(ねぇ、獣。ザクスは傷つけなくて良いよ。――だけど)

 

 

 代わりに「ハナ」として生きてくれないか、そう内にいる獣に呼びかけようとした時、不意に頭上に温もりを感じた。


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