獣と皇太子
「――久方ぶりだな、ここに来るのも」
数年ぶりに訪れたネウトの森に、皇太子は遠い日の感傷に浸るかのように呟いた。
あの日大叔父であるジーフリートを尋ねたのは、どういうわけだっただろうか。残念ながら、ただ父親に連れられて来ただけの皇太子はその理由を知らない。
弟を懐かしんで、という優しい理由ではないことは、父親の不機嫌な様子からして確かだったが。
皇太子は腰に帯剣をしているだけで、供も連れてはいない。「招かれざる客人」の情報を少しでも外に洩らしたくなかったからだ。皇太子は配下の物を誰も心から信用なぞしていない。自分一人で望みのものが手に入るなら、それに越したことはない。
皇太子は腰に差した剣の柄を握りしめた。彼が心から信用するものがあるとすれば、物心ついた頃から共にあった、この剣と、彼自身の剣の腕だけだ。
供も護衛も必要ない。剣さえあれば、自分はどんな危険な場所にだって踏み込める。
ジーフリートの家の周辺は、綻びこそあれど、行使者の死によっても未だ消えぬ結界によって人の目から隠されている。50年近くも継続して張られ続けたが故に、結界は最早独立した意志を持った存在と化しているとよって良い。
結界はジーフリートが認めたもの、許容するだろうものを自発的に判断して機能する。件の盗賊がしたように、偶発的に発生した綻び部分で強力な魔具を発動でもしない限り、条件に該当しないものの進入はまず不可能である。
だが、既にジーフリートから認められたものに該当する皇太子には、何の問題もない。
何の障害もなく結界を抜けると、ジーフリートの家にたどり着く。
中に入る前に、皇太子は軒先にある、木の枝が刺された不恰好な土の山に気づいた。
手前に散らされた手向けの花に、それが墓――恐らくは、ジーフリートの墓だろうと、検討をつける。
かがみこんで花を拾うと、まだ比較的新しい。まだジーフリートの「娘」とやらは近くにいると確信し、口端を吊り上げる。
不意に、背後から大きな魔力の気配を感じて、皇太子は反射的に剣を構え突きつけた。
「――動くなっ!!動けば切る」
明らかに逃げようとする気配を感じて鋭く恫喝してから、魔力の主を捉えて、皇太子は驚愕に目を見開いた。
(何故、魔獣がここに!?)
そこには人間ではもちえない強大な魔力を持つゆえに、国によっては神としてすら崇められることさえある、伝説的な生き物が立っていた。
一方で、葉菜は固まっていた。
いくら警戒し怯えても、一向に森に進入してくる人間の気配を感じることがなかったため、すっかり油断していた。
いつものようにジーフリートの墓参りに、なんにも考えず足を進めていて、近くまで来て漸く、そこに人間がいることに気づいた。
自分は注意欠陥傾向が強いことを、葉菜はすっかり忘れていた。否、獣になったなら、獣の本能やら嗅覚やらなにかで、補整してくれるものだとかってに期待していた。
(働けよ!!野生の勘!!)
自分を責めても、最早遅い。
逃げようと思った頃には、剣先を突きつけられていた。
絶対絶命である。
だが、葉菜を固まらせていたのは、命の危機だけではなかった。
剣を突きつける人物の一点に、視線が縫い付けられて、反らせない。
どこか、といえば、すなわち顔。
(とんでもねぇ、美形だ…っ!!)




