獣と日常3
開き直ってしまえば、獣の生活はとても楽だった。
好きな時に食べ、好きな時に眠る。
食べるための動物や植物は、異世界補整の力で簡単に手に入るし、この大陸の気候は一年を通じて温暖な為、寒さに震えて苦しむことはない。夜の冷え程度なら、分厚い毛皮で十分凌げる。
肉食獣として、食物連鎖のほとんど頂点に立っているといっていい虎に変じたため、外敵に脅える必要もない。
獣としての生活は、奇妙な安らぎがあった。
もう社会に適応出来ずに劣等感に苛まれることも、見棄てられる恐怖に脅えることも、生きる不安を抱えることもない。
人間の進入者にすら気をつけていれば、他はなにも考えなくてもいい。
(人は恐い)
人は葉菜を傷つける。
獣に変じる前は元の世界でも異世界でも、上手く人と関わることが出来ず、常に精神的に傷ついてばかりいた。
獣に変じた今、人間は葉菜の精神だけではなく、肉体までも傷つけるやもしれない脅威に変わった。
葉菜が殺した盗賊たちの仲間が、復讐にくるかもしれない。
そうでなくても、自分は人間を襲うかもしれない害獣だ。見つかれば駆除されるかもしれない。
脳裡に浮かぶのは元の世界で見たニュース。人間を襲った熊が、鉄砲で撃たれて駆除されていた。
あの時は単に熊の脅威に怯えていたが、視点が替われば熊にとっては武器を持って集団で襲ってくる人間の方がよほど脅威である。もしも自分があの時の熊の立場だったらと考えると、恐怖で全身の毛が逆立った。
人間に関わらず、一人ぼっちで、否、一匹ぼっちで大人しく生きていこう。
どうせ同族もおらず、恐らくは生殖活動もままならぬ体だ。孤独で生きる覚悟は出来ている。
一匹だけで孤独に生きるよりも、きっと、集団の中で孤独に生きていく方が辛い。
眠ると必ず人間に戻った夢を見る。元の世界で家族や数少ない友人と過ごしたり、あの家でジーフリートやフィレアと生活する夢だ。
起きる時はさすがに、孤独を感じて涙を流すけれど、ただそれだけだ。
今の状況で、力がない人間の自分に戻りたいとは思わない。
(そういえば、フィレアはどこにいるのだろうか)
墓標から背を向けて洞窟へと戻りながら、ふとそんなことを考えた。
ジーフリートを喪った日の朝以来、姿を見せないフィレア。あの賢い鳥は、どこへ行ったのだろうか。
獣となった今なら、もしかしたら会話が出来るかもしれない。そうすれば、前とは違った関係が築けるのではないか。
(……いや、あいつが私を好きになるわけないか)
フィレアは人間の時でも話していることが通じていたかのような態度だった。双方的に会話が出来たとしても、フィレアのあの態度は変わらないたろう。
それにあの賢い鳥は、もう遠くに行ってしまったに違いない。フィレアが愛したジーフリートがいない今、フィレアがこの地に止まる理由などないのだろうなら。
葉菜は頭に浮かんだ、フィレアが自身の孤独をまぎらわせてくれるかもしれないという期待を、頭の中から追い払うと、住みかまで駆けていった。
人間であることの証明のように、毎日ジーフリートの墓参りに出向いているが、葉菜は自身の怠惰で薄情な性質を知っている。
そのうちに墓参りに出かけなく日が出来て、日に日にその期間が長くなっていき、やがてめったに寄り付かなくなるだろう。
そうなった時、自分は身も心も完全に獣になるのかもしれない。
その時が訪れるのが、少し待ち遠しい自分がいた。




