獣と日常2
あの日、意を決してジーフリートの家へと向かった葉菜が目の当たりにしたのは、予想通りの惨劇だった。
喉元を噛みきられたり、爪で体を引き裂かれたりして絶命している盗賊達の死体。自分がやったのではないと思うには、無理がある。
はじめて目にする凄惨な死体に、 葉菜はその場で嘔吐した。
せめてもの救いは、死体に食い散らかしたような跡がなかったことだ。自分は殺人は犯しても、カニバリズムの罪は負わなくて良いらしい。
来なければ、知らなければ良かったと悔いたところで、最早見ないふりは出来ない。死体を放置して自然に還るまで待つわけにもいかないだろうから、この死体をどこかで処理しなければならないだろう。
葉菜は嫌悪感に耐えながら、盗賊の死体一つ一つを、ジーフリートから以前聞いた滝壺に運んで捨てた。発達した獣の体は大人の男の死体を背負っても、さして重みは感じなかったが、毛皮を通して伝わる冷たい「死」の感触に、何度も死体を地面に落としてしまった。
全ての盗賊たちの死体を捨て終わると、ジーフリートの家の脇に穴を掘った。スコップと違い、爪で土を削り出すような行為はなかなか困難だったが、全身を土まみれにしてひたすら掘り進める。
人間一人分程度の大きさの穴が掘れると、ジーフリートの遺体を静かに運んで来て横たえた。
見開いたままの目をー汚れた手でジーフリートを触ったり、鋭い爪で遺体を傷付けたりしたくなかったため―舌で瞼を動かして閉じさせる。
掘った土を上からかぶせて、出来るだけ丈夫でまっすぐな枝を上からさして、不恰好ながら墓標は完成した。
それから小一時間ほど、墓にすがるように哭いた。泣き声は、遠吠えのように森に響いた。
その後、行く宛もなく放心したように森をさまよっていると、異世界に来た当初住みかとしていた洞窟を見つけた。
ジーフリートの家から三時間程度。なぜあの時家を発見出来なかったのか不思議なくらい、存外近い場所にあった。
葉菜は三日三晩、洞窟のなかで引きこもった。
(人を、人を何人も殺してしまった)
(なんで、獣の姿なんかに。私はもう人間には戻れないのか)
(私を庇ってジーフリートが死んだんだ。私のせいでジーフリートが)
鬱々と考えることはやまほどあった。
特に記憶にない殺人の罪は葉菜に大きくのし掛かり、葉菜の心を暗鬱にさせた。
殺人は大罪だ。例え相手がジーフリートを殺した極悪人だろうとも、それは変わらない。正当防衛だと、記憶にないから仕方ないと、自分自身に言い訳しても、24年間で培ってきた倫理観が自分自身を許さない。
消えてしまいたかった。
罪深い自分など、こんな獣と化した自分なんか、消えてしまえば良いと思った。
もう死んでしまおうかと考えた。
この世界で、葉菜が死んで悲しがってくれただろう人は、唯一涙を流してくれただろう人は、もういないのだから。
葉菜が死んでも、この世界には何の影響もない。
四日目の朝、葉菜は洞窟から出た。
死ぬ決心をしたからではない。
腹が減ったからだ。
空腹でふらついた体でも、異世界補整のせいか簡単に捕まった鹿に、無我夢中でかぶり付いた。
美味しかった。美味しいと、もっと食べたいと感じる自分に泣けた。
死にたい、死にたいと表面上いくら嘆いたところで、体は、本能は正直だ。食べるという、生きるための行為に歓喜している。
(――今の私は獣だ)
獣ならば、人間の倫理観など、人間がかってに作り上げた「罪」への観念など、関係ない。
ただひたすら、生きるためたけに必死に生きていくだけだ。
そう開き直れば、すとんと気持ちが楽になった。
葉菜は泣きながら、涙と鼻水でしょっぱくなった鹿の死体をむさぼり続けた。
そうして葉菜は、獣として生きていくことを受け入れた。




