獣と日常
森の茂みの奥の、丈の短い草が生い茂っている場所で額に一本の角がはえたウサギが草を食んでいた。
本来一角ウサギは群れで生息する生き物だが、成獣となったばかりで未だ冒険心が大勢な年頃であるウサギは、群れを抜けだして一匹で餌を探しにきたようだ。
不意にウサギが草から口を離して体勢を起こし、ピンとその長い耳を伸ばした。鋭いウサギの聴力は、不穏な物音を捕らえたらしい。
ウサギは一度鼻をひくつかせると、その発達した脚力を持って、その場から逃れようとした。だが、その判断は、余りにも遅すぎた。
茂みから飛び出す一匹の白虎。その鋭い牙は瞬く間にウサギの首根に食い込んだ。なんとかその凶刃から逃れようと足をばたつかせるものの、白虎の牙はウサギの頸動脈を正確に捕らえていた。
哀れな年若いウサギは体を痙攣させ、やがて動かなくなった。
(うん、今日も絶賛異世界補整活躍中)
ウサギをくわえた白虎――葉菜 は、自分の狩果に満足げに頷いた。
(――さて、どこでご飯をたべようか)
この場で食べれば、ご相伴に預かろうと血の臭いを嗅ぎ付けて寄って来ている小型の肉食獣の気配が鬱陶しい。
だが住みかに待って返ると、血でその場を汚してしまう。
(まあ、いいか。ここで食べよう)
葉菜が獲物を置いて一度吠えると、周囲の気配がすぐに四散する。
元々葉菜の食事中は傍に寄り付ついてこれない、食べ残し狙いの動物たちだ。これで暫くはゆっくり食事が出来る。
葉菜は地面に置いたウサギの死体に勢いよくかぶり付いた。
山月記の主人公はウサギを我を忘れて食い尽くしたことにショックを受けていたが、葉菜は気にしない。そんなことが全く気にならないほど、最初に恐ろしい洗礼を受けた。
最初のあの時以来、意識を獣に乗っ取られる気配が全くないのが一番の要因ではあるけれど。
さすがにかわいそうだくらいはチラッと思うけど、そんなの気にしたら生きてはいけない。食うか食われるかの世界だ。
(うん。うまい)
口いっぱいに広がる血の味と、生肉の触感。
料理した方が美味しいとは思うが、それでもちゃんと美味しく感じる。
馬刺や牛タタキ、鳥わさなど、生の肉の料理はわりと好きな方だったけど、それとこれとは別な気がする。
恐らく獣化したしたことで味覚が変わったのだろう。
食べ進めるうちに露になった内臓は 、爪で破かないように、丁寧に取り除く。ホルモンは嫌いでないが、処理してないものはごめんだ。
もしかしたら味覚が変わったことで、サンマの腸感覚で美味しく食べられるのかもしれないが(実際元の世界でも内臓部分は肉食獣に人気があったように思う) 生理的に嫌だ。
内臓は食べ残し狙いの動物たちに進呈しよう。
食べられる部分を食べ尽くして、無惨な姿と化したウサギの骸を放置すると、葉菜は川原に向かった。
顔についた血を洗い落とすついでに水浴びをする。さほど暑い季節ではないが、川の冷たさは分厚い毛皮に遮られ気にならない。
そのまま、日課である散歩道を進んだ。目指す場所は決まっている。
ジーフリートの家の少し手前に、土をかぶせて適当な枝を差しただけの、こんもりとした塚のようなものが見えた。
葉菜はその手前に一掴み置いたある萎れた花を脇に捨てると、近くにあった真新しい花を噛みきってくわえ、同じ位置に置いた。
(ジーフリート…)
心の中でその名を呼びながら、黙祷を捧げる。
それは獣になった葉菜が作った、ジーフリートの墓標だった。




