社会不適合女と危機2
間近でかかる、鼻につく息。
体を這う、荒れた手。
葉菜は目をつぶったまま、頭のなかでひたすらべつのことを考えながら、気色悪いその行為が一刻も早く終わってくれるのを祈った。
24年間処女を貫いた身としては、性行為なんぞ、もはや都市伝説と化していたのに、こんな形で体験することになるとはと、自嘲する。
(大丈夫、こんなモブ、きっと早漏だ。他のメンバーは、私みたいなのに手を出すのは悪趣味だって言ってたし。すぐ、終わる)
実際どれくらいがすぐなのかわからないが、ちょっとエッチな体験談とかでは、大抵の女の人が相手の早さに不満を抱いているらしいから、歯医者に行って歯を削られてるとかそんな感覚でいれば、大丈夫だろう。
大丈夫。辛いことを耐えて、ただ時間が過ぎるのを待つのは、慣れてる。
犯されたくらいでは、葉菜は絶望しない。……はずだ。そう、信じたい。
葉菜が覚悟を決めた瞬間、男の手は葉菜の体をまさぐるのを止めた。
『こいつ……もしかして』
男が訝そうな声で一人呟いて、また何かを確かめるように、葉菜に手を伸ばした、その時だった。
『……ハナ!!逃げろっ!!』
他の男の拘束から隙をついて抜け出したジーフリートが、葉菜を襲っていた男に、体当たりをした。
傾く男の体。一瞬軽くなったタイミングで、慌てて男の下から抜け出し、身を起こす。
逃げなければ。早く、この隙に。ジーフリートと共に。
そう思ってジーフリートに視線をやったが、その時には既に男は素早く体勢を持ち直していた。
『……っの、じじい!!』
(え……)
何が起こったのか、分からなかった。
憤る男の声。
傾き、倒れるジーフリートの体。
ジーフリートの喉は、真っ赤に染まっていて。
男は、赤く染まった短剣をもっていて。
(…あ、…ああ…ああああ)
『おい、リック!!殺しちまったら、――の情報が!!』
『うっせぇ!!それより、絶対にそのガキを逃すな!!』
男たちが、何か争っている。
だけど、葉菜の耳には届かない。
目の前で喉から血を流して倒れている、ジーフリートしか見えない。
(……血、……血だ。……止めないと)
葉菜はジーフリートのそばにかけより、自身のケープでジーフリートの首を押さえ込む。
同じ赤だから、どれくらいの量の血が出ているのかわからないが、ケープの押さえ込んだ部分は、水を吸ったかのように瞬く間に重くなっていくのがわかった。
『このガキは、「穢れた盾」だ!!グレアマギのお貴族様に売り払えば、いるかも捕まえられるかもわかんねぇ鳥なんぞより、よっぽど金になる!!』
男が喜色ばって何かを叫んでいる隣で、ジーフリートが、ひくひくと体を痙攣させながら、葉菜に何か伝えるように、口を動かした。
必死にその動きを解釈しようとするが、葉菜には何を伝えたいのかわからない。
ジーフリートが弱々しく手を伸ばして、軽く葉菜の頭に触れた。
そして、ジーフリートは、葉菜が好きな、優しい笑みを浮かべて、もう一度口を動かした。
今度は、ジーフリートが何を言いたかったのか、葉菜ははっきりとわかった。
(――大丈夫だよ。ハナは、よいこだから)
そして、伸ばされた手が床に落ちると、そのまま、ジーフリートは動かなくなった。
「……ジーフリート?……」
震えた声で掛けたことばに、返答はない。
そっと手を伸ばして触れた体からは、鼓動を感じることは出来ず、除きこんだ灰色の目にうつる瞳孔は、暗くもないのに開ききっている。
ジーフリートは、死んでしまった。
葉菜は、絶叫した。
ジーフリートの名前と、意味をなさない吠えるような叫びが交互に喉から漏れる。
視界が涙で曇り、深い絶望が葉菜を襲った。
だけど、何より葉菜を絶望させたのは、恩人であるジーフリートの死、そのものではなかった。
何より葉菜を絶望させたのは、
恩人であるジーフリートの死への悲しみよりも
ジーフリートを殺した男への憎しみよりも
自分を守ろうとして死んだジーフリートへの罪悪感よりも
これから自分はどうなってしまうんだろうと、まず真っ先に自分のことを考えてしまった、自分自身の醜さだった。
(――醜い、醜い、なんて醜い自分)
(呪われてしまえ、こんな自分)
(――ああ、だけど生きたい。死にたくない。傷つけられたくもない)
葉菜の体のなかで、覚えがある熱が、急激に膨らんで暴れるのがわかった。
開放しろと、望みを叶えろと、熱がそう叫んでいるのが伝わる。
葉菜はその熱に、黙って身を任せた。




