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異界山月記 ‐社会不適合女が異世界トリップして獣になりました‐   作者: 空飛ぶひよこ
第一章

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社会不適合女と居候生活7

 他の場所よりも丁寧に、慎重に掃除を進める。

 しかし、誰かに部屋を掃除されても大丈夫だとは、流石ジーフリートである。父や兄は、部屋の一部にエロ本を隠し持っていたりしたのだが(勿論見つけ次第、こっそり読んだ)、そういった疚しいものはないのだろうか。

 挿し絵がない官能小説なら、今の葉菜にはちゃんと読めはしないが、単語は一部拾えるから何となく察せられることを知っているだろうから、恐らくないのだろう。

 男の性欲は年をとってもなかなか枯れないというが、あの清らかなジーフリートには性欲が結びつかない。

 

 ろくでもないことを考えているうちに、掃除が粗方終わった。

 後は床をはきだせば完了だ、そう思って箒を手にとった瞬間、箒の柄に何かがあたる感触がした。

 棚に置いてあった花瓶が、柄にあたった衝撃で投げ出される。慌てて手を伸ばすが、間に合わない。

 花瓶は、床に叩きつけられ、無残にくだけ散った。

 

 頭の中が真っ白になった。

 

 

(ジーフリートさんの部屋で)

 

(ジーフリートさんの花瓶を割ってしまった…)

 

 

 がたがたと体が震えるのが分かった。

 なんでもっと注意しなかったのか。

 色んな意味で、注意力がないと、葉菜は昔から言われていたというのに。

 

(……ジーフリートさんに、嫌われる)

 

 優しいジーフリートだから、きっとこれくらい許してくれるだろう、そう期待しながらも、脳はいつものごとく最悪な未来を描き出す。

 

 

(――この花瓶は、ジーフリートさんの大切な人の遺品で)

 

 

(――それか、ものすごく高価なもので)

 

 

 脳裏に浮かぶのは、見たことがない形相で怒るジーフリートの姿。

 

 葉菜が何度謝っても許してくれず、あの大きな手で、葉菜を乱暴に掴み、外へと叩き出す。

 いくら扉を叩いても、泣き叫びながら謝っても、ジーフリートが葉菜を家に入れてくれることはなく。

 また、一人で森の中をさ迷い、人に出会うことも出来ないまま、あの時と同じように……。

 

 

「……いやだ……」

 

 何とかして、何とかして誤魔化さなくては。

 接着剤の代わりになるようなものが、この家にあっただろうか。いや、ない。

 あったとしても、そろそろ夕暮れ時で、ジーフリートが帰ってきてしまう。見つけ出して、組み立てても、間に合う筈がない。

 

「…そうだ!!フィレア!!フィレアがぶつかったことに…」

 

  フィレアに濡れ衣を着せることを思い付いて顔を明るくするが、すぐに項垂れる。

 あの賢い鳥が、そんな粗相などしないことは四ヶ月しかともにいない、葉菜でも分かる。ジーフリートがわからないわけがない。

 ジーフリートとフィレアは、飼い主とペットながら、確かな絆で結ばれているようにみえる。そんな誤魔化しをしたら、逆にジーフリートの逆鱗に触れるかも知れない。

 

 葉菜はその場に蹲って、泣きそうになりながら割れた破片を見つめた。

 5分前に戻りたい。だけど、時間を動かすことなんて不可能だ。

 

(どうすれば…どうすれば)

 

 

『――ハナ?』

 

 

 不意にかけられた声に、葉菜は真っ青になった。

 気がつかないうちに、ジーフリートが戻ってきていて、扉を開いて立っていた。

 

『ハナ?どうしたんだい。床に座り込んで』

 

 

 あー、とか、うーとか、声にならない呻きが口から漏れた。

 咄嗟に体で割れた花瓶を隠そうとするも、ジーフリートの視線が花瓶を見る方が早かった。

 

(ジーフリートさんに、知られてしまった)

 

 ジーフリートの反応が怖くて、葉菜はうつむいた。

 怒るだろうか。殴るだろうか。

 

 ――自分を追い出すだろうか。

 

 

 ジーフリートが近づいてくる気配を感じて、葉菜は身を縮ませ、ぎゅっと強く目を瞑った。

 

 

『――怪我はなかったかい?ハナ』

 

 優しい声と、そっと手をとられる感触に葉菜は目を開いた。

 ジーフリートはいつもの、穏やかな顔で葉菜の顔を除き混んでいた。

 

 ぶわりと、葉菜の目から涙が溢れた。

 

 

 

 ごめんなさい

 

 ごめんなさい

 

 花瓶を壊して、ごめんなさい

 

 掃除もまともに出来ないで、ごめんなさい

 

 できるようになるから

 

 一生懸命頑張るから

 

 お願いだから、捨てないで

 

 ここにいさせて

 

 

 

 繰り返し繰り返し、泣きながら告げた言葉は日本語だったのか、異世界語だったのか。

 多分、両方ごちゃ混ぜだったのだろうと思う。

 

 ジーフリートは泣きじゃくる葉菜を、そっと抱き締めた。

 

『捨てるわけない…大丈夫、ハナはよいこだ。よいこだから、大丈夫だよ。』

 

 口癖のように、ジーフリートは葉菜に繰り返し「よいこ」だと、言ってくれる。

 それを聞く度、葉菜は本当に幼い子どもになったような気がする。本当に子どもになってしまいたいと思う。子どもになって、ただひたすら、この温かさに包まれていたい。

 

 冷たいフィレアの視線よりも、葉菜はジーフリートの優しさの方が怖かった。

 その許容範囲もわからないまま、ズブズブと優しさに甘えて溺れてしまいそうだ。素のままの自分を晒しても、信じきっても大丈夫なんじゃないか、そう勘違いしてしまう。

 

(――フィレアに会いたい)

 

 フィレアの冷たい態度を見れば、自分はきっと、勘違いから醒める。自分がどんな駄目な人間か、客観視できる。自分が人に受け入れられ、愛されるような人間でないことを思い出せる。

 

 

 抱き締めてくれるジーフリートの背に手を回して服をギュッと握りしめた。

 

 

 

 ――だけど、今は、この時間だけは、ジーフリートの優しさに甘えていたかった。

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