白虎姫伝説
※本日三度目の更新。これにて完結です。
穏やかな息をたてて眠りについた獣の顔を、ザクスは暫く眺める。
王になる為に、一度は切り捨てた獣。
しかし獣は自ら危機を脱出し、そして見捨てた筈の自分を助けに来た。
自分が魔力を枯渇する可能性も顧みず、ザクスに魔力を注いだ。
そう認識した途端、気が付けばとうの昔に枯れた筈の涙が頬に伝っていた。
夢の中にでた、獣と同じ姿をした、別の獣。
その正体を、獣は曖昧に笑うだけで教えてはくれなかった。
だけどあれが、獣にとってとても大切な存在だったことは何となく分かった。
そして、あれが自分の命を救う為に、いなくなってしまったのだということも。
あれは、ザクスに生きろと言った。葉菜の為に生きろと、そう言った。
自分は王だ。尽くすべきは国と国民。獣のことだけを考えて生きるわけにはいかない。
そう思いながらも、ザクスは自身の胸に手を当てた。
そこには、あれが変じた光の粒子と、魂に刻んだ契約が存在している。
獣の為だけには生きられない。
だけどそれらがザクスの胸にある限り、ザクスが与えられるものは全て、獣に与えようと改めて口に出さずに自身に誓う。
「――ハナ」
最初の契約時以来、その名を呼ぶのは初めてだった。
名前を呼びながら、ザクスは眠る葉菜の額に自身の額を当てる。
「ずっと、傍にいてくれ」
獣が起きている状態ではけして告げるつもりはない懇願を口にする。
既に夢の世界にいるはずの獣が、タイミングよく縦に首を振ったのが見えて、小さく笑みを漏らした。
そのまま獣につられるように、ザクスもまた、眠りに落ちて行った。
眠りに落ちる瞬間、たまたまザクスの唇が、獣のそれと一瞬重なった。
葉菜の獣の姿は、無意識のうちに自分自身に掛けた呪いだ。
ならば、その解除方法も、葉菜の無意識によって定められている。
葉菜が、幼いころ読んだお伽話。お伽噺における呪いを掛けられた登場人物の解呪方法なんて、ほとんどが定番で決まっていた。
そんなもの、愛する人からの口づけに、決まっている。
「ーーーーっ!!!!」
翌朝、定刻より早く目覚めた皇太子は、声にならない声を上げた。
獣が寝ている筈の場所に眠っていたのは、自分と同年代か、それ以下に見える裸の少女。
何が起きたのか分からず、ザクスはベッドの上で、一人狼狽える。
そんなザクスの気配が伝わったのか、少女はゆっくりとその眼を開き、その上体を起こした。
まだ完全に覚醒しきっていない、焦茶色の瞳がザクスに向けられた。
特別に美しいわけではない、十人並みより少々かわいらしい程度の容姿。
だが、ザクスはその姿を見た途端、どくんと心臓が跳ねるのが分かった。
なぜか視線が少女に引き付けられ、目が離せない。
少女はゆっくりとザクスに近づくと、固まるザクスに顔を寄せた。
少女の息が、ザクスの顔にかかる。
「…ザクス、おはよ」
少女はそう言うと、その赤い舌で、ザクスの顎から唇に掛けてを獣のようにペロリと舐めあげた。
次の瞬間、少女の姿は消え、いつもの見知った獣の姿が目の前にあった。
寝ぼけ眼の獣は、大きな欠伸を一つもらして、再び丸まって夢の世界へと戻っていく。
「――は?…え?…」
精神年齢の高さに反して、色事には全く縁が無い生活を送ってきた少年は、何が起こったのか理解できないまま、一人赤面した。
グレアマギ帝国第44代国王、ザクス・エルド・グレアムは、枯渇人という被差別的立場にありながら、グレアマギの王として君臨した唯一の存在として後世に名を残している。
若くして王位を継ぎながら、どんな事態でも動じることなく冷静沈着に為政を行ったザクス王は、しばしば「冷徹王」と揶揄されたと、複数の文献に記載されている。
彼は少ない魔力の代わりに、魔剣イブムと、天から使わされた二体の神獣の力を借りて、グレアマギの統治を行った。
自らが枯渇人ゆえの差別を味わったが故に、ザクス王は統治の傍ら枯渇人の差別の撤廃にも力を入れたという。
彼と魔剣イブム、または秀麗な人間の姿にも変化したという不死鳥との間のエピソードも数多残っているが、やはりザクス王を語るうえで欠かすことは出来ないのは、「白虎姫」の伝説だろう。
天帝の娘である白虎姫は、王という立場にありながら枯渇人として生まれたザクス王を天から見降ろし、憐れんだ。彼女は神獣の毛皮を身に纏って、不死鳥と共に地上に降り、神獣としてザクス王が王となる為に尽力した。
ある日、彼女がこっそり毛皮を脱いで休んでいる姿を、ザクス王はたまたま目撃してしまう。
白虎姫の真の姿に一目で恋に落ちたザクス王は、毛皮を隠して獣の姿に戻れないようにして、彼女に求婚した。
冷徹王の渾名に似合わぬザクス王の情熱に、最初はためらっていた姫もやがて承諾し、彼の妻になった。
白虎姫は時には毛皮を纏った獣の姿で、時には美しい人間の姿で、公私ともに王を支えたという。
伝説では語られない。
後に「白虎姫」なんていう大層な名称で語られることになる人物が、「人間の姿は色々と面倒くさいから」というしょうもない理由で、獣の姿をとっていることが多かったことを。
まるで白虎姫にべた惚れだったかのように語られるザクス王が、そんな彼女が何か粗相を起こすたびに、その頭を手加減なくひっぱたいていたことを。
伝説でしか二人を知らない後世の人間は、知らない。
冷徹王と揶揄されたザクス王が、白虎姫の前でだけひどく感情豊かになったことを。
彼女の前でだけ、穏やかに満ち足りた笑みを見せたことを。
今の世でそれを知るのは、二人の生涯を傍で見ていた、一羽の不死鳥だけだ。




