葉菜と獣3
ジーフリートが死んだ時、葉菜はその死を嘆くよりもまず、自分のその後を心配した自身に絶望した。
醜い、どうしようもない自分。
いっそ人間を、やめてしまいたいと、そう思った。
だけど葉菜は浅ましくも、同時にねがっていた。
醜い自分を、許して欲しい。
仕方ない、悪くないと、そう言って愛して欲しい。
無償の愛を注いで、守り慈しんで欲しい。
その結果生まれたのが、獣だった。
獣は自我が芽生えた瞬間、葉菜を襲った盗賊達を噛み殺した。
全ては葉菜を守る為に。
「ダケド、ハナ、モウ、庇護者ナクテモ大丈夫」
獣は葉菜に優しく語りかける。
その言葉には、確かな慈しみと愛情が込められていた。
「ハナ、強クナッタ。大切ナ人、ミツケタ。庇護者ナクテモ、生キテイケル。ダカラ、ザクスノ魔力、ナッタゲル」
葉菜の目から涙か溢れた。
なんで、獣に食われるとなんて、怯えたりしたのだろう。
いつだって獣は、葉菜を大切にしてくれたのに。
葉菜が傷付かないよう、ずっと見守ってくれていたのに。
「泣カナイデ、ハナ」
獣の舌が、葉菜の涙を舐めとる。
「魔力、戻ル。デモ、消エルワケジャナイ」
獣は、葉菜の顔を覗きこむように、葉菜を真っ直ぐに見据える。
「人格、ナクナルカモ知レナイ。モウ、多分、ハナト、シャベレナイ。ダケド、ズット、ザクスノ中ニイル。」
獣の輪郭がぼやけていることに気づき、葉菜は息を飲んだ。
それはけして、葉菜の涙だけのせいではない。
獣の体が端から、細かい粒子に変わっている。
「獣…」
「ザクスノ中デ、ハナヲ見テル。ハナヲ見守ッテイル――ハナ、忘レナイデ」
「獣っ!!」
獣の体が粒子に変わっていく。
粒子はきらきらと温かい光を帯びている。
獣が、光に溶けていく。
「ハナ、忘レナイデ。ズット、ハナノ傍ニイル」
光が獣に侵食していく。
獣は、光りに飲まれほとんど見えなくなった口元を最後に動かした。
「大好キダヨ、ハナ」
「獣ぉぉぉっ!!」
獣の体が全て光の粒子に変わった。
粒子に向かって手を延ばしても、粒子は葉菜の手をすり抜けて、そのままどこかへと流れていく。
せめて、名前をつけて、その名を呼んであげれば良かった。
そんな後悔が葉菜の中に浮かんだ。
「――ハナっ!!」
フィレアが呼ぶ声で、葉菜は我に返った。
「大丈夫か!?てめぇ、意識無くしてやがったぞ…!?獣に人格食われてやしねぇか!?」
焦りを滲ませながら葉菜を呼びかけるフィレアに、笑みを返す。
「大丈夫…意識ある。人格も、私の、まま」
葉菜の姿は、獣の姿のまま変わっていなかった。
姿の変化は葉菜が自身に絶望したがゆえで、葉菜を守る為に生まれた獣の人格とは直接的関係はないのだろう。
一見、何も変わっていない。
だが、葉菜の胸の奥には、獣がいなくなった、確かな喪失感が広がっていた。
「……っ!?糞太子の魔力放出が、止まった…!?」
フィレアがザクスを見て、驚愕の声をあげる。
獣だ。
獣が、魔力に変わって、ザクスを助けてくれた。
全ては、葉菜の為だけに。
「………うっ………」
ぴくりとも動かなかったザクスが、小さく声を漏らした。
葉菜はザクスの胸から額を離して、黙ってザクスを見つめる。
ザクスの睫毛が小さく揺れ、閉じられていた瞼がゆっくりと開かれる。
「……猫…?………」
ザクスの漆黒の瞳が、確かに葉菜を捉えた。
ザクスが意識を取り戻したのは、獣の犠牲があったからだ。
ザクスの為に、獣の人格は消えてしまった。
それは、分かっている。
それを、忘れてはいけない。
「――ザクス」
それでも葉菜は、自身の奥からどうしようもない喜びが沸き上がってくることを、止められなかった。




