獣の救出劇2
葉菜が落ち着いたのを確かめると、フィレアは掴んでいたものを離した。
フィレアが掴んでいたのは、エネゲグの輪ではない。ネックレスにつけられた、いつぞや貰った小瓶。
中身がなくなる度、ザクスに継ぎ足してもらっていたそれは、なみなみと水薬が詰められている。
(――クスリ!!)
「フィレア!!」
「なんだ」
「この、薬!!これ、魔力袋、直せない!?」
葉菜が訓練で火傷を負う度、痕も残さず治癒をした凄まじい効果の薬。フィレアは、大抵のものには効果があると言っていた。ならば、魔力袋の破裂も直せるのではないか。
しかし、フィレアは苦い表情を浮かべる。
「…内臓の破損までは試したことがねぇから、効果はわからねぇ。それに患部に直接かけられない場合は、効果が出るのに時間がかかる」
フィレアは険しい表情のまま、ザクスに視線をやる。
「思っていた以上に魔力の放出が早ぇ…多分効果がでるまで、もたねぇだろうな」
「でも、でも、魔力供給、すれば!!」
薬の効果が出るまで、葉菜がザクスに魔力供給をし続ければ、ザクスが魔力枯渇で死ぬことは免れるのではないだろうか。
しかし、フィレアは首を横に振った。
「穴の開いた袋に水を注ぎ続けるようなもんだ。いくらてめぇが魔力量が多いからといって、長く持つはずがねぇ。最悪、てめぇの魔力が枯渇するぞ」
「大丈夫!!魔力、枯渇しても、私、死なない!!」
葉菜は異世界人だ。魔力を全て放出したとしても、この世界の人間のように死にはしない。
「ああ、死にはしねぇだろう…だけど、人格を保ってられるかどうかは、別だ」
「――え?」
思いがけないフィレアの言葉に、葉菜は眼をまるくした。
「前回の魔力暴走時、てめぇの中に獣としての人格が形成された。てめぇの人格と、獣の人格、二つを共存させているのは魔力だ。獣としての人格は、魔力の中に普段は閉じ込められている。…魔力が無くなったら、てめぇは最悪、獣の人格に飲まれるぞ」
それは、葉菜の精神の死を意味していた。
獣に体を代わってもらうのとは、違う。いつでもまた望めば戻れる、そんな優しい状況ではない。
葉菜は、完全に獣になるのだ。
かつて読んだ、山月記の主人公が、獣の性に飲み込まれたのと同じように。
それは、死と何が違うというのだろう。
「――それでも」
想像するだけで、怖い。逃げてしまいたいと、思う。
それでも葉菜は、思う。
「それでも、可能性があるなら、やりたい」
それでも、ザクスを失うことの方が怖いと、思う。
失いたくないと、生きて欲しいと思う。
葉菜は決意を胸に、フィレアに向き直った。
「お願い、フィレア。私、魔力供給する。ザクスにこれ、飲ませて」
葉菜の手は、獣の手だ。
肉球がついていて、鋭い爪もあるが、小瓶を開けてザクスに中身を飲ませることは出来ない。
フィレアの手助けが、必要だ。
「……これっぽっちの涙じゃ、足りるかよ!!」
フィレアは暫く黙り込んでいたが、やがて決心がついたように両腕を振り上げると、次の瞬間鳥の姿に変じていた。
ジーフリートの家で共に過ごした時の、懐かしい真紅の鳥の姿だ。
「それに入っているのは、俺の涙だ。涙はこの状態でねぇと効果が無い。直接涙を口の中に流し込んでやるよ」
「フィレア…」
「こんな大衆がいる前で、俺が本当の姿を晒してやったんだ…糞太子、絶対に助けるぞ」
「うん…っありがとう!!」
葉菜は、倒れたままのザクスに近寄る。
魔力の枯渇のせいか、顔は土気色に変色しており、唇が紫色に変わっている。
吐き出される息が荒く、苦しそうだ。
葉菜はザクスの胸に、額を当てた。
魔力供給はどこからでも出来る。ならば葉菜が一番魔力が多い、脳に近い部分から、患部に近い場所へと直接魔力を流し込んだ方が良いだろう。
あてた額から、ザクスの心臓の音が伝わって来る。
ザクスの生を確かめさせてくれるその音が、嬉しくて愛おしい。
「ザクス…」
名を呼んでも、返答は返ってこない。それでも葉菜は、ザクスに呼びかけた。
「全部、あげるよ」
葉菜があげられるものは、全部ザクスにあげたい。
それが例え、葉菜の魔力の全てでも。
「全部あげる…だから、生きて」
そう言って、葉菜はザクス胸に顔を埋めるような状態で、眼を瞑った。
不思議と心は穏やかだった。




