獣と脱出1
葉菜は炎の魔法を展開して、出来た火の玉を檻へと投げつける。
しかし、普段よりも小さい大きさにしかならなかった炎は、檻に触れた途端霧散して消失した。
「…俺もてめぇが来る前に一通り試したが、攻撃魔法は一切きかねぇみてぇだな」
先程まで黙り込んでいたフィレアが、いつの間にか葉菜の脇に立っていた。
フィレアは棚に飾ってあった花瓶を手に取ると、檻に向かって勢いよくぶつける。
しかし、花瓶は檻に触れる前に何かに弾かれるかのように床に落ちた。
「生態反応がねぇものは、弾き飛ばすのか…物理攻撃が一切きかねぇ…積んだな」
フィレアの言葉を葉菜は絶望的な気分で聞いていた。
「でもっ、行かなきゃ!!ザクス、死ぬ」
「ひとまず、落ち着け…魔力暴走によって死んだりはしねぇとしても、感情が暴走して、体内魔力バランスがおかしくなると色々支障がでるぞ」
窘めるように葉菜に語りながら、フィレアは葉菜の頬に触れた。
一瞬温かい熱を感じた後、ネトリウスが傷つけた爪痕の痛みが引いて行った。
頬を確かめると傷跡は綺麗に消え去っていた。
「これくらいの傷なら、涙なしでも癒せる…攻撃魔法以外なら、とくに威力も弱まらねぇで使えるのか」
「…ありがとう」
フィレアの言葉に、葉菜は落ち着きを取り戻す。
ここを脱出して、早くザクスの元にいかなければならない。
一刻も早く、最悪の事態が起こる前に。
だが、気持ちばかり焦っても仕方がない。
冷静になれ。
考えろ。
ここから脱出できる方法を、何とかして見出さなければならない。
「攻撃魔法だめ…身体強化で、檻も壊せない…」
葉菜の使える魔法は、この状況では活路になりえない。
理論が分かれば、量だけは多い葉菜自身の魔力で結界そのものを、上書きして書き換えることも出来るのかもしれないが、残念ながらそんな知識は葉菜にはないし、檻がどんな魔術で成り立っているかさえ見当もつかない。
「…転移、魔法なら」
ザクスは葉菜を伴って王宮を訪れた際、なにか特殊な道具を使って王宮まで瞬間移動をしていた。葉菜が森から後宮に来た時も同様だ。
転移魔法なら、檻に直接干渉する必要がないし、攻撃魔法のように制限されることもないのではないか。
しかし、そんな葉菜の言葉にフィレアは首を横に振る。
「…100人に1人だ」
「え?」
「魔力もちの中でも転移魔法を魔具なしで行使できる人間は、100人に1人しかいねぇ。行先地を自在に指定できる奴は、そんなかでもごく一握りだ。転移魔法を使える奴が稀少だからこそ、グレアマギでは転移魔法の構造が古くから研究されて、特定の場所のみ直行になっている魔具が発達してんだ。当然俺も魔具なしでは使えねぇ」
思いがけない言葉に、葉菜は愕然とした。
「そんなに、少ない…」
「あの変態が、うっかりこの部屋の中に魔具を置き忘れたりなんて間抜けをやらかすと思えねぇしな。万が一あっても十中八九罠だな」
(それじゃあ、そうすればいい…?)
葉菜は、八方ふさがりな状況に途方に暮れた。
もしかしたら。
そんな期待が、葉菜にはあった。
もしフィレアが転移魔法を使えなくても、もしかしたら絶体絶命の危機の前に、自分が転移魔法の能力に覚醒するのではないかという期待が。
実際、葉菜はトリップ当初のサバイバルで危機に陥った際、炎や身体強化の魔力を無意識に習得していた。
それと同じように、今回も転移魔法を簡単に習得できるのではないかと、思ってしまったのだ。
しかし、転移魔法を使える人物の少なさに、葉菜は自分の期待がいかに甘いものか気付かされた。
魔術に精通した人物でも習得が難しい希少魔法を、自分程度の人間が簡単に身に着けられるとは思えなかった。
たかだか魔力コントロールの習得程度で、あれだけの時間と訓練が必要だったのだ。そんな稀少な能力を身に着けるのは、よっぽどのことが無ければ難しいだろう。
それこそ瀕死の状態まで追いつめられたりしない限り、到底そんな奇跡が起きるとは思えない。
(――瀕死の、状態?)
葉菜の脳裏に、かつて自分が死にかけた時の記憶が浮かび上がり、眼を見開いた。
「あ…」
トリップ直後のサバイバル。
塩分の欠乏により、川辺で倒れた自分。
あの時、縋るように伸ばした手は、そのまま宙を切るはずだった。
だって、あの場所には他に何もなかったのだから。
「…出来る」
だけど、伸ばした手はジーフリートの家の扉に触れた。
けして触れるはずが無かった、倒れた場所から何㎞も先にあったはずの扉に。
あの状況で、考えうる限り最も安全な場所に、葉菜はいつのまにかいた。
「できるよ!!私、転移魔法、出来る!!」
それはすなわち、葉菜が無意識のうちに、望んだ場所へと移動する転移魔法を、習得し使用していたことに他ならない。




