檻の中の獣7
「私の、せい…?」
罠だ、騙されるな。そう思っていた疑心は、ネトリウスの思いがけない言葉で瞬く間に吹き飛ばされた。
発した声が、震えた。
「貴方様のせいではありません。全てはザクス様の無知さと、魔力量のせいです」
ネトリウスはそんな葉菜を慰めるように首を横に振る。
「魔剣イブムは魔力を増大させます。だけどイブムが魔力を増大させる為には、その元になる魔力は一定量必要となのです。――ザクス様のような枯渇人にとっては、その元になる僅かな魔力ですら失うのは致命症になりうる。事実、ザクス様は先の戦争において、何度も枯渇寸前になったと聞きます」
「でも、でもザクス、生き残った!!」
そんな絶対絶命のピンチを幾度も潜り抜けながらも、ザクスは生き延び、英雄となったのだ。
ならば、そんなことは今更の事実だ。ザクスが誰より自身の限界を分かっているはず。
しかし、ネトリウスは葉菜の言葉を小さく肩を竦め、打ち消す。
「イブムとて、自らの主を殺したくないのでしょう。魔剣イブムが引き出す魔力量は、その状況に相応しい魔術を行使できるのに必要な量ぎりぎりに止めてあります。また、敵の攻撃魔法から魔力を吸収したりして、主のリスクを最低限に止めようとします。意思を持った、忠実で賢い剣です。――だが、エネゲグの輪は違います」
葉菜は思わず自身の首もとに手をやった。
肉球がついた獣の手のひらに、エネゲグの輪の冷たい金属の感触が伝わってくる。
「その魔力消費量が少ないが故にあまり知られておりませんが、エネゲグの輪もまた、使用している人物の魔力を吸収して存在を維持されております。エネゲグの輪自体魔力から形成されたものなのだから、維持にも魔力が必要となるのは当たり前でしょうに、何故か皆様最初の形成時のみに魔力を使用すればいいと勘違いされている。」
そう言ってネトリウスは、場違いなまでに艶やかな笑みを浮かべた。
「イブムによって限界寸前まで追いつめられているザクス様の体…そこに微量とはいえ、エネゲグの輪に寄る魔力消費が起こったら、ザクス様は一体どうなると思われますか?」
『最後の藁』
以前何かの小説で読んだ、そんな英語の諺が葉菜の頭の中に浮かび上がる。
限界まで積荷を積ませたラクダ。
その背骨が折れるのは、もしかしたらたった一本の藁をその背に乗せたことを契機に起こりうるのかもしれないという、「臨界点」を意味する言葉。
もし、ザクスにとって「最後の藁」が、「エネゲグの輪による魔力の消費」であったら。
『――ですが体の抑制を無理して、魔力を枯渇するまで消費した場合は』
いつぞやのウイフの講義を思い出した葉菜は、青ざめた。
『――体の機能全てが停止して、死に至ります。回復する術はありません。魔力を蓄えられる強力な魔具や、魔力を分け与えることができるという、招からざる客人の存在をもってしても不可能です。体の限界を越えた時点で、魔力袋は破裂してしまっています故』
魔力を枯渇し、魔力袋を破裂させた人間の末路は、「死」のみだ。
「…行かな、きゃ」
乾いた口から、そんな力ない声が漏れ出た。
ザクスの傍に、一刻も早く行かなければならない。
自分は、「招かれざる客人」、「穢れた盾」だ。
魔力コントロールが上手く出来ない代わりに、魔力供給能力には特化した存在だ
自分ならば、枯渇寸前のザクスに魔力を供給して、彼の死を防ぐことが出来る。
その為には、ザクスが無茶をする前に、彼の傍にいなければならない。
「…わざわざザクス様から遠ざける為に貴方様を攫ったのに、私が簡単に貴方様を解放すると思います?」
しかし、ネトリウスはそんな葉菜の言葉を即座に両断する。
目の前が真っ暗になった。
「…ネトリウス。契約、する。」
葉菜は、ネトリウスを真っ直ぐに見つめながら、躊躇いがちに口を開いた。
「ザクスと契約、やめる。忠誠、ネトリウスに、誓う。言うこと、聞く。なんでも」
ネトリウスを「主」として仰ぐ決意をする。
「神に、なるよ」
ネトリウスが、望む至高の存在になって見せよう。
最大限に、神らしく演じて見せよう。
ネトリウスが望む「神として」の行動を、自分はその願い通りに忠実に再現して見せる。
「――だから、すぐ檻から出して、ネトリウス!!」
葉菜は檻の外にいるネトリウスに平伏し、形振り構わずに懇願した。




