檻の中の獣6
「何もしなくてもよい」
その言葉は、葉菜にとって溜まらなく魅力的な言葉だった。
楽に生きたい。ありのままの自分で生きたい。そんな考えが葉菜の中には深く根付いている。
世界は、元の世界もこちらの世界も、変わらず葉菜に優しくない。強大な魔力量を偶発的とはいえ手に入れているし、何だかんだで生きていけているので、世界が残酷で厳しいと絶望するには自分はまだ恵まれた状況にあると客観的には思うが、それでも葉菜の中にある生きることに対する恐怖は消えてくれない。
社会に上手く適合出来ない自分は、いつだって持て余すほどの劣等感と生きづらさを抱えて生きてきた。ザクスの傍でも、それは同様だ。寧ろ、劣等感はザクスの傍にいる方が増える。無いもの強請りだとは分かっていても、それはお互い様だと悟っても尚、美しく強いザクスの生き方を妬まずにはいられない。駄目な自分と比較して、惨めになることは止められない。
捨てられたくない、見捨てないで欲しいという不安も常に抱えていた。精神的にいつもどこか不安定で、いつも息苦しかった。ザクスの傍で、葉菜は真の安らぎを得ることはこの先も出来ないだろう。
だけど、ネトリウスは違う。ネトリウスは葉菜が葉菜である限り、葉菜がどんな行動を取ろうとも気にしない。葉菜の所有魔力が変わらない限り、ネトリウスは盲目的に葉菜を崇拝し続ける。
惨めなのは嫌だ。
辛くて、苦しいのも嫌だ。
自分を肯定してほしい。
認めて欲しい。
そのままでいいんだと、ありのままの自分を許して受け入れて欲しい。
駄目な自分を、変われない自分を、否定することなく、そのまま愛してほしい。
ネトリウスはきっと、葉菜のそんな我が儘な渇望を叶えてくれる。彼にとっての価値判断は、所有する魔力量、それだけなのだから。
ネトリウスの傍でなら、葉菜はありのままの自分でいられる。
恐怖も苦痛も感じることもない、真の安寧を得られる。
それはきっと、かつて葉菜が心から望んだ、「幸せ」だった。
――だけど。
「――いやだ」
葉菜は突如響き渡った声に、息を飲んだ。
自分は今、何の言葉も発していない、そのはずだった。
「ザクスが、いい」
けれども響いてきた声は、聞き覚えがあり過ぎる声で。
甲高く、滑舌が悪く、聞き取りづらい、葉菜自身の声に他ならなくて。
自分が、息を吸うように自然に使いこなしていた「念話」に失敗したのだと気付いた瞬間、葉菜は泣き笑いのように顔を情けなく歪めた。
念話が失敗する程、語る気が無かった言葉が勝手に出てきてしまった程、いつの間にか生まれていた葉菜の中の想いが大きくなってしまったことに、否が応でもなく気付かされた。
自分の気持ちを偽れない。
自身を誤魔化すことが出来ない。
葉菜は、浮かび上がる想いを噛みしめるように、今度は自分の意志で言葉を紡いだ。
「…ザクスが、いいんだっ…!!」
告げた瞬間、目から熱いものが零れ落ちた。
孤独な少年。
孤独な状況で一人立ち上がり、誰に頼ることもなく、たった一人で理不尽な運命と戦おうともがき、王となるべく邁進する少年。
愛を知らず、その矜持故に愛を求めることもできない「かなしい」男の子。
彼の傍に、いたいと思った。
惨めでも、苦しくても、傍で、彼を支えてあげたいと思った。
それは切り捨てられた今でも、変わらない。
寧ろ、自分を切り捨てたことで、孤独を深めただろう彼のことを思うと、どうしようもないほど胸が締め付けられる。
自分が与えられるものがあるのならば、ザクスに与えたい。
与えられるものがないならば、せめて傍にいてその感情を共有したい。
(ああ、そうか…)
自分がいつだって一番大切な葉菜は、いつだって欲しがってばかりだった。誰かから、与えられることばかりを求めていた。
こんな風に自分がどうなっても、傷つけられても誰かに与えたいと、そう思ったのは初めてで。
(きっと、これが、「愛」なんだ)
「ザクスだから、傍にいたいんだ…」
告げた言葉は、嘘偽りがない、葉菜の心からの言葉だった。




