檻の中の獣3
「……もし、私、まねかれざる客人なら、何関係ある?」
ネトリウスは、葉菜の正体を確信している。ならば、取り繕うだけ時間の無駄だ。
葉菜は即座に開き直った。
葉菜が正体をバレたくないのは、ザクスだ。
自分が正体を隠して獣に甘んじていた情けなさを、知られたくない。それ故に、見限られたくない。
それはリテマや、ウイフも同じこと。
獣で過ごした自分を見ていた相手に、自分が元々人間であったことを知られることに、葉菜は羞恥心を感じる。
たが、ネトリウスとの邂逅は二度目だ。一度めとて、実際に傍にいたのはほんの僅かな時間だ。
ネトリウスは獣として生きている葉菜の状況をほとんど知らないのだ。そんな相手に正体を知られても、羞恥心なんぞ感じない。せいぜいザクスに告げ口をするのでは疑心暗鬼に陥るくらいだ。ザクスとネトリウスの仲はどう見ても良いものには見えなかったので、そんな情報交換が行われるか自体も怪しい。
ならばネトリウスに正体をばれたところで、何の問題もない。
「――もちろん、関係ありますよ」
ネトリウスは意味深な笑みを深めながら、自身の唇を舐めた。
ぞくりと背中に悪寒が走る。
葉菜を見るネトリウスの青い瞳が、怪しく光ったように感じた。
「貴方様が『招かれざる客人』なのならば、貴方がザクス様に向ける感情は、無理に形成された偽りのものだと教えてさしあげることが出来るのだから」
(え…)
唖然とする葉菜の方に、ネトリウスは一歩近づく。
葉菜とネトリウスを遮る柵にぎりぎりまで寄って屈み込むと、15㎝程のその隙間に手を差し込んできた。
途端にネトリウスの手元から真っ青な閃光が上がり、パチパチと、電気が流れるかのような音が聞こえてきた。眩しさに思わず目を閉じ、光が慣れるのを待っていると、何かが葉菜の首元を擽った。
暫しの瞬きの後、光に慣れた眼で「何か」がネトリウスの手であることを確かめ、喉の奥で小さく悲鳴をあげた。
葉菜がいた場所は、入り口の柵のすぐ傍だ。柵の外から手を伸ばしても届く距離なので、葉菜の首元に手が届いたこと自体は特に驚くべきことではない。
葉菜が悲鳴をあげたのは、ネトリウスの手が、柵を越えた辺から、燃え盛る青い焔に包まれていたからだった。
「大丈夫ですよ。客人様。この炎は境界を害したものだけに、影響する炎です。いくらこれを纏った手で貴方に触れても、貴方を焼くことはない」
まるで微笑ましいものでもでも見るようにネトリウスは目を細めて、何でもない事のように葉菜を宥める。
「あ、熱くないの?」
「結界魔法を防御する魔術で手元に張っておりますから」
そう言ってネトリウスは手に纏った炎を弄ぶかのように、指先を動かした。
「しかし防御魔術を使わない限りは、この炎は実際に焼かれるような苦痛を、境界に入ったものに与えます。肉体を損傷することなく、脳に直接作用し痛覚のみを刺激する便利な魔法です。それで死ぬことはけしてございませんが、大の男でものた打ち回り苦しむ程の苦痛なので、客人様もお気をつけてくださいね」
告げられた言葉は完全に脅し以外の何もでもなかった。
逃げ出そうとすれば、とてつもない苦痛が待ち受けていることを、言外に伝えているのだ。
満面の笑顔なところが、恐ろしい。
恐怖で固まっている葉菜をよそに、ネトリウスは葉菜の首元を再び撫でた。
柔らかい首元の毛を擽り、やがてその指は葉菜の首元に嵌った首輪に触れる。
ザクスと葉菜が主従契約を結んだ際に嵌められた、「エネゲクの輪」である。
ネトリウスは指先でその表面を数度撫でた。
「…客人様は、この輪の意味を知っておりますか?」
攫われる前に、フィレアから聞かれた言葉が脳裏に蘇る。
フィレアは、葉菜にエネゲクの輪を外そうとしないのかと、そう問うた。
そして、その意味を知らないのかと、今のネトリウスと同じことを尋ねた。
「この輪は、仮契約の証」
淡々と告げながら、ネトリウスは指先で軽く輪を引っ張った。
「双方の気持ちが伴わない、一方的な主従契約が結ばれた際に、仮契約の証明と契約を遂行する枷として嵌められるのが『エネゲクの輪』です」
思いがけぬ言葉に、葉菜は眼を見開いた。
どくん、と心臓が大きく鳴ったのが分かった。
頭の奥で、警鐘音が鳴る。
(――聞きたく、ない)
続く言葉を聞きたくない。
意味を理解したくない。
だがネトリウスは容赦なく言葉を繋ぐ。
「つまり、この輪が嵌められている限り、貴方様とザクス様は、真の意味の主従関係で繋がってはいないのです。」




