獣とレアル2
「……そう」
胸の中に広がった寂寥を、葉菜は呑み込んだ。
きっとレアルは、本当はもっと早くに大陸を出るつもりだったのだろうと、察しってしまったからだ。
恐らくレアルが戴冠式までグレアマギにいてくれたのは葉菜の為だ。
葉菜の後見人ともいえるザクスが、その地位を確立するまで待ってくれたのだ。
ならば葉菜は、レアルを引き留めることなぞ出来ない。
レアルは明らかに消沈したような葉菜の様子に苦い表情を浮かべながらも、その言葉を撤回することはなかった。
きっと既に決めたことなのだ。
レアルは葉菜の首もとに嵌められたエネゲクの輪に視線を移して、一層顔を歪めた。
「お前は――」
「うん?」
「お前は、エネゲグの輪を外そうとはしねぇのか?」
レアルから発せられた問いに、葉菜は首を傾げる。
エネゲグの輪は、ザクスの一方的な契約魔法によってつけられたものだ。葉菜の意思で外せるものではない。
「俺は、エネゲグの輪をつけて半年後に輪を外した。共に生きる決意をした。てめぇと糞太子は、まだ無理なのか?そんな関係になれてねぇのか?」
「ごめん、レアル、輪外せるの?はじめて知った」
「まさかてめぇは、エネゲグの輪の意味を…」
レアルの言葉は、突然背後からした破裂音によって遮られた。
葉菜とレアルは目を見開いて、同時に振り替える。
(甘い、香り…?)
まるで熟れきった果実のような、甘ったるい香りが鼻をくすぐった。
香りを嗅ぐなり、アルコールを摂取したかのような酩酊感が葉菜の全身をつつんだ。
「――気持ちよいでしょう。時期、眠気が訪れます。」
すぐ後ろで、聞き覚えがある声がした。
「プラゴドに自生する特殊な木を乾燥させたものを魔術で燃やしております。この香は人体には何の影響もありませんが、貴方様のような姿の生き物を酔わせ、眠りをもたらす効果があります。少々効果に不安はありましたが、効いてくれて良かった。貴方様ほどの魔力の持ち主に抵抗されたら、いくら私でも傷付けず浚うことなど出来ない」
ぐったりと地面に伏せた葉菜の前に現れたネトリウスは、微笑みながら片膝ををついた。
「御迎えにあがりました。魔獣様」
次の瞬間、凄まじい眠気が葉菜を襲う。
抗うことも出来ないまま、葉菜はそのまま意識を失った。
遠くで、葉菜の名前を呼ぶレアルの声を聞いたような気がした。
獣の失踪がザクスに知らされたのは夕刻。
父親の訃報と同刻だった。
まるで諮ったのかのようなタイミング。否、実際諮られたのだろう。
王の死ですら、本当に自然死だったのか怪しいところだ。病でくたばりかけの男を、楽にしてやることなぞ赤子の手をひねるようなものだろう。
獣が失踪した。しかし、ザクスの指輪に嵌められたエネゲクの輪は反応を示していない。
つまり、獣は自分の意志で後宮を出たわけではない。何者かに浚われたのだろう。
その何者かが誰かなど、考えるまでもない。
一見セキュリティが緩いように見える後宮は、歴代の王によって継続的に掛けられた強力な結界によって守られている。
ザクスは例外であるが、歴代の王は総じて魔力量が高いのが普通だ。
強大な魔力の持ち主、それも複数人によって作り出された結界は、他のどんな結界よりも頑丈で性能が高い強力なものだ。
今の時点で後宮に住まうものが、誰一人として魔力を満足にこなせない枯渇人ばかりであろうが、結界の性能は簡単には緩まない。
そんな結界を打破出来る魔力の持ち主など、そして魔獣を誰よりも連れ去りたいと切望している人物なぞ、ネトリウス以外にいるはずがない。
しかし、獣を攫った犯人が分かったところで意味はない。
父親が死んだ。ならば、今から12時間以内にザクスは戴冠式をこなさなければならない。
王位を継ぐ物が戴冠式を行う前に果たさなければならない儀礼や責務は目白押しだ。
戴冠式を終えるまでは、ネトリウスと争って獣を取り返す時間なぞザクスにはない。




