獣と妬心1
羨むのはおかしいとは頭では分かっている。
ザクスが悲惨な経験をした時と同じ年代の頃、自分は伸び伸びとした、幸せな子供時代を送っていたと思う。
当時から両親の仲は余り良くはなったが、それでも葉菜は両親から愛されて割と好き勝手やらせてもらっていた。
誰よりも幸福な子供時代だとはけして言えないが、それでも葉菜はけして不幸な子供ではなかった。
ザクスの過去と変わりたいかと言えば、即答できる。否だ。そんな凄惨な体験をしたいとは思わない。
だけど、思ってしまうのだ。理屈ではなく、妬んでしまうのだ。
ザクスの生き方が、余りに美し過ぎて。気高すぎて。
10も年下の少年が、24年間ただ怠惰にに生きた自分とけして比べ物にならない立派な生き方をしている現実に、どうしようもなく打ちのめされてしまうのだ。
(ザクスが、完璧な人間だったらよかった)
ザクスが完璧な、欠点のない人間ならば、良かった。
別の人種だと、自分とは異なる生き物なのだと、だから仕方無いのだと納得できた。
だけど葉菜は知ってしまった。
ザクスが、少なくともグレアマギという国内においては、一般人よりも劣る立場だったと。
被差別な立場で、自らの不断の努力により、その才により、今の地位を掴みとったのだと、葉菜は知ってしまった。
妬ましい。
羨ましい。
何故、そんな風に生きられる?
欠けた人間なのに、蔑まれる性質を持った劣った存在であるのに。
どうして、まるで物語の主人公であるかのように、強く美しく生きられる?
駄目な自分は、諦めて生きて来たのに。
生まれた時から人間は平等ではない。ただ一つしかない筈の生なのに、人生は理不尽と不平等に満ちている。
恵まれた人間が、恵まれた人生を送り、恵まれた人生を全うする。
持たざる人間は、自分が手に入るだけの幸せに甘んじるしかない。
生まれついた性質は仕方がない。自分が駄目なのは、そういう風に生まれついたんだから仕方がない。自分は悪くない。
そう思って、自分の駄目さに抗う事もなく、葉菜は怠惰に生きてきた。
自分の悪い部分を省みず、目を反らして楽な方楽な方に流されて生きていながら、ただ優れた人を、自らの力で短所を克服する強さを持った人間を妬む自分は何て醜いのだろう。浅ましいのだろう。
変わったつもりでいた。
厳しい魔力訓練を諦めることなくこなし、ついに魔力コントロールを習得した時、自分は変われたのだと、そう思った。
醜い自分を、情けない駄目な自分を克服できたのだと、そう思った。
だけど、何一つ、葉菜の本質は変わっていなかったことを思い知らされた。
自己中心的で、怠惰で、他人を妬んでばかりの、自分のままだった。
(……今度こそ、今こそ、獣と代わってもらうべきなのではないか)
葉菜は後宮から逃走をはかって以来、久方ぶりの獣の気配を内に感じながら、そんなことを思った。
「枯渇人の差別からの解放」そんな、高潔な理想を掲げて、困難に満ちた茨の道を進もうとするザクスの隣に、こんな自分は相応しくない。
きっと獣の方が、ザクスの従獣に相応しい働きをしてくれるだろう。
ザクスを常に妬んで隣にいるのは、嫌だった。
ザクスの隣に、醜い自分がいることが嫌だった。
自分がザクスに相応しくないと、思い知らされながら生きていくことが、葉菜はどうしようもないくらい、怖かった。
「――俺は、ずっとお前を妬んでいた」
だけど、そんな負の思考に沈む葉菜を、ザクスから発せられた言葉が引き戻した。




