IF後日談 Side:アイザック
みなさま、たいへんお待たせしております
IF後日談をお届けいたします。
IF後日談はこれでおしまいです。このあとはわちゃわちゃ番外編を活動報告から移したり、書き足したりする予定です。
時系列は偽物編終了後、リチャードたちが国に帰ったあとです。
マルチエンディング的な、IF世界線のお話なので、それぞれ世界線はバラバラです。その点お含みおきください。
今回はアイザックの後日談です。
「今回だけでいい。今回見合いをしてくれたら向こう3年どなたとも会わなくていい。だからお一人だけ、会ってみてくれないか」
ある日呼び出されたかと思えば、お父様から釣書を差し出されてそう懇願された。
私が見合いに乗り気でないのは両親も理解しているようで、これまでは多少話をされることはあったものの、無理に勧められることはなかった。
そのお父様がここまで言うのだ。よっぽどのお相手なのだろう。
そのよっぽど、が私に対するお勧め度合いなのか、断りにくさによるものなのかは不明だが……人望の公爵様のすることだ。おそらく前者なのだろう。
たとえ気が合わなかったとしても、今回一度見合いの場に行きさえすれば、向こう3年その話を聞かなくて済む。
結婚というものから逃れられない貴族令嬢の身の上としては、これは破格の条件だ。
その三年の間に、たとえば私がもう少しそういった物事を意識するようになって……その上でこれからを共に過ごしたいと思える相手を自分で見つけられれば、それが一番良いのだろう。
三年経てば私にももう少し、見合いに前向きになる気持ちなり焦りなりが生まれているかもしれないしな。
そのあたりを総合して、まぁ今回だけならと頷いた。
どうせ引き受けるのだからと思い釣書も開かず返却したのだが、お父様がまるで結婚が決まったかのように喜ぶものだから驚いた。
しまった。見ておけばよかった。
会うだけで成婚まで至ると確信する見合い相手とは、いったいどういう人間なんだ。
◇ ◇ ◇
「アイザック!」
学園の授業がすべて終わったところで、生徒会室に飛び込んだ。
会長席に座っているアイザックに駆け寄り、肩を組んで引き寄せる。
アイザックが文句を言う前に、出揃った学年末の追試――私の名誉のために言うが、成績が悪かったから追試になったわけではない。北の国のゴタゴタで本来の試験の時期に学園を休んでいたため、特別に補習と追試を受けることになったのである。なお、本来の試験の時期に試験を受けていたらどうなっていたかについてはここでは特に取り上げない。――の結果を突きつける。
彼はズレたメガネの位置を直しながらその点数を確認して、やがてふっと口元を緩めた。
「卒業おめでとう、バートン」
「ありがとう。君のおかげだ」
そう。苦手な理数系も赤点を回避して、めでたく卒業が確定したのである。
やれやれ、卒業式ぎりぎりまでハラハラさせられたが、結果よければすべてよしだ。
これもアイザックと、勉強に付き合ってくれたリリアやお兄様、クリストファーのおかげだ。特にアイザックの尽力なくしては卒業はなし得なかった。
本当に、神様アイザック様だ。
なお、ここでロベルトの名前が出てこない時点で彼の成績はお察しである。
「頬にキスでもしてやろうか?」
「ああ、頼む」
茶化してみると、澄ました顔でそう答えられた。
一瞬間が空く。
そして、ふはっと笑みが漏れた。
意外とノリ良いんだよな、こいつ。
「君、真顔でふざけるの分かりにくいぞ」
「うるさい」
耳元で笑っていると、鬱陶しげに振り払われた。
だが顔が赤くなっているので、照れているのが丸分かりだ。ウケたんだから、照れなくてもいいだろうに。
答案を揃えて折りたたみながら、呟く。
「一緒に卒業できてよかった」
「まったくだ」
私の言葉に、アイザックが呆れた様子でため息をついた。
そしてじろりとこちらを睨む。
「もうこんなに冷や冷やさせられるのはごめんだぞ」
「悪かったって」
苦笑して誤魔化した。
アイザックには本当に苦労をかけた。どうしてこんなに手厚くしてくれるのかと不思議に思うくらいだが……「親友だろう」という答えが脳内再生余裕だったので、あえて聞くことはしなかった。
面倒見がいいというか、情に厚い奴である。
彼を安心させようと、軽く肩を竦めて言う。
「これで最後だよ」
「…………」
「何せテストがないからね。もう君を困らせたりしないさ」
そう笑って見せた私に、アイザックが一瞬何かを言いかけて……そして、かすかに俯いて、口を噤む。
何だろうと思っていると、彼が勢いよく顔を上げた。
「バートン」
「ん?」
「手を」
促されて手を差し出すと、彼が私の手のひらに何かを握らせた。
制服のボタンだった。
何かと思ってアイザックを見れば、彼の制服の第二ボタンがない。
今彼がボタンを千切ってよこしたのだということは、聞かなくても分かる。
だが、何故急にボタンを渡すのか。
それが分からない。
「お前に、」
ぽかんとボタンを眺めていたところで、アイザックが声を出す。
顔を上げて、彼を見た。
いつもみたいに馬鹿真面目な顔をした彼と、目が合う。
「お前に持っていてほしい」
◇ ◇ ◇
帰宅して夕食と入浴、日課のストレッチや筋トレも済ませて、ベッドに横たわる。
何となく、アイザックに手渡されたボタンを手に取った。
その場では、とりあえずうんとか分かったとか言って受け取って、アイザックもそれ以上何も言わなかった。
聞けなかったのである。
何故私に第二ボタンをよこすのか、と。
日本産乙女ゲームのこの世界において、卒業式にまつわる第二ボタンというのは特別な意味合いを持つ。
この二年間卒業式のたびにボタンを毟られ続けた私が言うのだから間違いない。
リチャードの言葉が脳裏をよぎる。
もっと周りを見ろだとか、何とか。
確かに、アイザックは私にやさしかった。
甘やかしていると言っても過言ではないレベルだ。
どうしてこんなにやさしくしてくれるのか、と疑問には思っていた。
親友だから、彼は面倒見がいいから、で片付けていたが……もしかして。
何か違う意味合いが、含まれていたのだろうか。
くるくると、金色のボタンを手の中で転がす。
この場合における、違う意味合いというのは、つまり。
むくりと身体を起こす。
…………え?
これって、つまり……そういうこと、なのか?
そういうことなのか、と思って考えてみれば、彼の行動がひとつひとつ、意味を持ったものに思えてくる。
特殊なご趣味の方を除けば、好意を持った相手にはやさしくしたいと思うのが人情だろう。
あの時も、その時も、もしかして?
ゲームの中の彼が、あんなにつきっきりで勉強を見るようなキャラだったかと問われると……自信がない。
それこそ、主人公相手にしかそんなことは、しないはずで。
この三年間彼と一緒に過ごした日々を思い返していると、だんだん脳の処理が追いつかなくなってきた。
……いや、だが、そんなはずは。
そこで、はっと思い出した。
そうだ。アイザックには後生大事にあたためている初恋があるはず。
前に聞いた話では確か、幼少期に出会った家庭教師へのほのかな恋ごころ、みたいなやつだったか。
一度思い込んだら一途そうな彼のことだ。きっとまだその初恋を胸に抱いていることだろう。
となれば、私へのやさしさはやはり、親友に対するものだったということだ。
やれやれ。リチャードが妙なことを言い残したせいで戸惑わされてしまったではないか。
手に取っていたボタンを文机……別名物置……の引き出しの中に放り込んで、再びベッドに潜り込んだ。
◇ ◇ ◇
「…………アイザック?」
「何だ」
久しぶりの女装で見合いの席に向かってみれば、私を出迎えたのは見慣れた隣人だった。
彼の顔を見て気が抜ける。
なるほど、両親も私と彼の仲が良いのはよく知っている。それで会わせたがったわけだ。
だが両親にとっては残念なことながら……その仲の良さは、結婚と結びつくものではない。
そもそもアイザックの方にはその気がないのである。わざわざ時間を取らせて気の毒なことをした半分、彼でよかった半分が正直なところだ。
アイザックに寄り添われながら、引かれた椅子に腰掛ける。彼も向かい側の席に座った。
エスコートされる側というのは妙な気分だ。
「何て顔してるんだよ」
「緊張しているだけだ」
神妙な顔をしているアイザックを揶揄うと、じろりと眼鏡のレンズ越しに睨まれる。
やれやれ。アイザックの方は相手が私だと最初からわかっていたはずである。私と会うのに何を今さら緊張することがあると言うのか。
「お父様が絶対会えとか言うから誰かと思った。君なら納得だよ」
「そうか」
「でも、助かった」
テーブルに頬杖をついて、お茶請けの菓子に手を伸ばす。マカロンにはアーモンドが入っているとか、いないとか。食べてみてもまったくアーモンドを感じない。何をどうやったらこういう仕上がりになるのか、一つも想像できなかった。
「君なら口裏合わせてくれるだろ?」
「口裏?」
「ほら。見合いはうまくいかなかった、ってさ」
「…………」
菓子を口に運びながら言うが、アイザックはダンマリを決め込んでいる。
置かれた紅茶にも手をつけず、いつも通りの……いや、いつもよりもいっそう、真面目な顔でそこに座っていた。
何となく違和感を覚えて、彼の表情を窺いつつ、言葉を重ねる。
「そうすれば、私は向こう三年見合いしなくていいらしいし。君もどうせ家族に勧められて仕方なく、ってクチだろ?」
「………………」
「……アイザック?」
まだ黙っているアイザックに、違和感が勘違いではなかったことを悟った。
何だろう。アイザックの様子がおかしい。
そんなに真面目な顔をして、黙りこくって。
昨日ボタンを手に考えたことが、ふっと頭に蘇る。
いや、でも、あれは結局、違うだろって結論になった、はず。
「え、何で黙るんだよ、ちょっと」
「バートン」
アイザックが立ち上がって、テーブルを回ってこちらに歩み寄ってくる。
何となくつられて、私も立ち上がった。
彼は私の目の前までやってくると、その場に跪く。
……え?
何で、今、跪くんだ?
「何だよ。こんなの、まるでプロポーズみたいじゃないか」
「茶化すな」
アイザックがまっすぐに、私を見上げる。
いつもの馬鹿真面目な顔よりもさらに一段、真剣な表情に……私は何も、言えなくなった。





