近くて遠い距離(エドワード視点)
活動報告にあった小話を引っ越しました。
時系列としては、第2部第6章魔女編の「14.魔女と私どっちが大事なんだ」あたりです。
エリザベスに構ってもらえないエドワード視点のお話です。
見慣れた自分の執務室で、一人。捲る紙の擦れる音と、時折ペンの走る音だけが静寂を揺らしていた。
書類に目を通していたが、だんだんと目が滑っていく。
気が散ってしまう理由ははっきりしていた。
ため息をついて、机に額を押し付ける。
「…………リジーに会いたい」
ぽつりと独り言が溢れた。
完全に集中力が切れてしまった。休憩をしようと、顔を上げる。
「ええと。エド?」
気まずそうな顔で、執務室の入り口に彼女の兄が立っていた。
明らかに挙動不審なその様子に、どうやら先ほどの独り言を聞かれたらしいことを悟る。
「……聞いてた?」
「あはは……うん、ごめん」
顔を赤くする私を見ながら、彼は頬を掻いていた。
「今度、ご飯でも食べに来る? ……って言いたいところだけど。最近僕もタイミングが合わなくて、一緒に食事が出来ないことの方が多いんだよね」
「聞いてるよ、魔女探しでしょう?」
「うん。騎士団に混じっていろいろと調べているみたい」
すっかり騎士団の一員として活動している彼女は、魔女探しにも駆り出されているらしいとロベルトに聞いた。
先日私も、騎士団の制服に黒い外套を羽織って、城の門から出ていくところを見かけたばかりだ。
危険なことはしないでほしいと思うけれど……魔女の件ではこちらも対応に苦慮している。騎士団としては猫の手も借りたいくらいだろう。
大した理由もなく、引き留めることはできない。
「あ。会えないなら、手紙を書くのはどう? 僕から渡しておくけど」
「……手紙」
西の国に行っていた時のことを思い出した。
毎日リジーにおはようとおやすみを言って、一つ屋根の下で過ごして。本当に夢のような時間だった。
それも相まって……今の会えない時間をより耐え難く感じてしまっている気はするけれど。
あのとき、ギルフォードがリジーと手紙のやり取りをしていたのを見て、羨ましく思ったのだった。
ロベルトも手紙を送って、返事をもらっていたようだ。
羨ましいな、と思う。
私が西の国に療養に行っていた時には……そんな勇気は出なかった。
彼女が自分のために書いてくれたものなら……短くても、他愛のない内容でも、きっと嬉しいに違いない。
今なら、どうだろう。
西の国で一緒に過ごして、少しは距離が縮まったような気もするけれど……こうして日常に戻ってみれば、今の私と彼女を結びつけるものは、やはりひどく希薄で。
私が呼びつけさえしなければ、彼女がここを訪れることもない。
それを考えて、私は首を横に振った。
「手紙を書く理由がないよ」
「理由?」
「遠くにいるわけでもないし……私と、きみの妹は……友達というわけでも、ないから」
「うーん。手紙に理由なんていらないって、僕は思うけど……無理強いするものじゃないものね」
彼女の兄は、困ったように眉を下げて、目を細めた。
「じゃあ、エドが時間を作れるように、一緒に頑張ろう」
「そうだね」
「ひと段落したら、うちでガーデンパーティーを開こうかな。招待したら来てくれる?」
「もちろん」
友人の気遣いが心に沁みる。
そのためにもこの東の国関連の稟議を早く片付けようと、再び書類に向き直った時……部屋にノックの音が響いた。
入室を許可すると、ドアの向こうには。
「お兄様」
件の人物が立っていた。
一瞬幻覚を見ているのかと思った。
騎士の礼を執ったリジーは、珍しく私服姿だった。王城に来る時は大抵騎士団の制服に姿なのに……今日は騎士団の仕事ではないのだろうか。
深い紺色のジャケットは細身に仕立てられていて、すらりと手足が長い彼女の体型を強調している。
髪も仕事や学園の時よりもラフに整えられていて、いつもと違う印象にどきりとしてしまう。
こうして顔を合わせるのはいつぶりだろう。それも相まって、心臓が耳の奥に移動してきたかのようにばくばくと音を立てていた。
「リジー、どうしたの? あ、エドに何か用事?」
「いえ、お兄様の忘れ物を届けに」
彼女がフレデリックに荷物を手渡した。この後領地に行くと言っていたし、その関係の品だろうか。
ブラコンは相変わらずのようで、彼を見る瞳はどこまでも優しい。
つい、妬ましく思ってしまう。もしあんなふうに見つめられたら、私はどうにかなってしまうかもしれないけれど。
私の視線に気付いたのか、ふと彼女がこちらを向いた。
「すみません、殿下の御前で」
「いや、……構わないよ」
にこりと微笑んで応じる。
内心は心を大いに乱されていた。
ああもう。目が合っただけで、彼女が私に話しかけてくれただけで、こんなに嬉しくなってしまうなんて。
会えないのに、いや、会えないからこそ、勝手にどんどんと思いを募らせてしまう自分が恐ろしくなる。
「では、私はこれで」
「よかったら、」
退出しようとする彼女を、咄嗟に呼び止めてしまった。
声が上擦らないように、一呼吸置く。平静を装って、言葉を続けた。
「お茶くらい飲んで行かない? 私たちも休憩しようと思っていたところなんだ。ね?」
「え? う、うん!」
私が同意を求めると、きょとんとしていた彼女の兄は、私の意図を理解して激しく頷いた。
兄と一緒に過ごすチャンスを彼女が断るはずがない。そう踏んでのことだったが……
「お気持ちだけいただいておきます。この後マーティンと出かける約束があるので」
「は?」
予想外の答えに、ぴしりと貼り付けた笑顔に亀裂が走る。
は?
出かける?
レンブラント卿と?
二人で?
「レンブラント卿は、今日は非番ではなかったかな」
「え? はい、私も休みなのでちょうどいいと」
休みに?
二人で??
絶句した。
いや、口を開くと何かとんでもないことを口走りそうで……何も言えなくなった、というのが正しい。
衝撃を受ける私をフォローするように、フレデリックが慌てて声を上げる。
「あ、じゃあ、マーティンくんも呼んでみんなでお茶しようよ!」
「え? ええと、私は構いませんが」
彼女がぱちくりと目を瞬いた。
そして、不思議そうな顔で兄のことを見つめながら、頷く。
「マーティンに聞いてきます。城の正門で待ち合わせにしたので」
「近衛に行かせよう」
「え?」
「きみは座っていて」
「え?」
「いいから」
◇ ◇ ◇
「………………」
「悪かったね、デートの邪魔をして」
何故こんなことになっているのか。
自分の目の前で紅茶のカップを片手ににっこりと微笑む上司に、今すぐここから逃げ帰りたくて仕方なくなる。
何故、自分がこんな目に。
せっかくのオフに某公爵令嬢の買い物に付き合わされることになっただけでも「何故自分が」と思っていたのに。
紅茶が瞬時に冷めそうな冷え冷えとした視線を浴びせられながら針の筵に座らされるとなれば、その気分もひとしおだ。
問題を起こした当の本人は澄ました顔で紅茶を啜っているし、彼女の兄はおろおろしながら自分と王太子殿下の顔を見比べているばかりで、助けは期待できそうにない。
これ以上主の機嫌を損ねないよう、言葉を選びながら返事をする。
「いえ、デートではありません」
「何だ、デートじゃなかったのか?」
いつもの調子で茶化すように言った彼女に、思わず紅茶を噴き出しかけた。
「うわ、君汚いぞ」
「冗談はやめてください」
「冗談言って何が悪いんだ」
今はやめろ。本当に、心の底から。
今その冗談は洒落にならない。
恐ろしくて殿下の方を見られない。
違います、殿下。自分にはそのような趣味はありません。
「二人で何をする予定だったの?」
「私が新しい手袋が欲しいと話したら、ちょうど彼もブーツを仕立てたいということだったので、一緒にと」
「ふぅん。二人で、ね」
殿下がやたらと「ふたりで」を強調してくるので、頭を抱えたくなった。
違います。違うんです。
たまたま2人なだけで、しかも、そいつが勝手に約束を取り付けてきただけで。
自分には本当にやましいところは全くないのに、何故こんな目に。
「仲が良いんだ?」
殿下の唇に刻まれる笑みが深くなった。
カップを持つ手が震えて粗相をしそうだったので、カップを置いて膝に拳を載せ、背筋を伸ばして座ることしかできない。ただただ苦行だ。
「はぁ。それは、友達ですから」
彼女が不思議そうに……自分のことを女心の分からない唐変木のように扱う癖に、彼女は目の前の人間の嫉妬にまったく気づいていないようだ。どちらが唐変木だと言ってやりたい……首を傾げる。
「な、マーティ」
自分に同意を求める彼女に、必要以上に力強く頷く。
「はい。友達ですから」
「あれ」
自分の言葉に、彼女がにやついた、妙に嬉しそうな顔でこちらを覗き込む。
「珍しいな、いつもは『友達扱いするな』とか言うのに」
「やめてください」
「殿下の前だから猫被ってるのか?」
「黙ってください」
結局嫉妬がこもった冷ややかで刺々しい視線を向けてくる殿下と恐怖でガチガチに緊張している自分を面白がった彼女との間で板挟みにされ、退出する頃には全ての気力が持っていかれるほどに疲弊していた。
彼女の兄だけが心の救いであったが、後でこの4人でお茶をと言い出したのは彼女の兄であったと知り、「敵しかいないのか」とさらに精神力を削られた。
頼むから自分を巻き込まないでほしい。





