3人戦(マーティン視点)
活動報告にあった小話を引っ越しました。
時系列としては、「第2部第5章 西の国編」終了後あたりです。
マーティン視点のお話です。
近衛の勤務が終わったところで、西の訓練場へと足を向ける。
エリザベス・バートンから終わったら寄るようにと言われていたのだ。
詳しい用件は聞いていなかった。
てっきりまた行きたい飲食店にでも引っ張っていかれるのかと思っていたのだが、今回は違ったらしい。
彼女の背後に現れた人物の姿を見て、事前に何も聞いていなかったことを後悔した。
「ロベルト。彼はマーティン。友達だ」
彼女が自分を紹介する。
そう、彼女が連れてきたのは……ロベルト殿下だった。
不敬を働く割には意外と貴族らしい部分のある彼女は、身分の高いロベルト殿下に自分を紹介してから、自分に向き直る。
「マーティン、知っていると思うけど、ロベルト。弟子だ」
「一番弟子です!」
「一番弟子らしい」
知っている。
流石に知らないわけがない。
「何故、ロベルト殿下が」
「君と手合わせするから、来るか?って聞いたら、来るって」
違う。そういうことが聞きたいんじゃない。
どういうことだ。
ロベルト殿下との婚約は解消したと、そう聞いたはずなのだが。
もしかして、元鞘というやつだろうか。
こいつに片恋慕しているらしい我が主の姿を思い浮かべる。
自分の弟にかっさらわれるとなれば、きっと心穏やかではないだろう。
面倒ごとは勘弁していただきたい。
「隊長から腕が立つと聞いている。よろしく頼む」
自分の前まで歩み出て、手を差し出すロベルト殿下。
殿下の顔を見て、もう一度差し出された手を見る。
近衛騎士はロベルト殿下と側妃であるその母の警護には当たっていない。
本来であれば王族である彼らの警護も含めて近衛の仕事だが……あくまで「側妃である」という立場を強く押し出すために、彼らの警護には別の師団が当たっている。
これは側妃――ロベルト殿下の母親の強い要望もあってのことだと伝え聞いているが……それはそれとして、近衛の制服に身を包んだ自分が本人を前にするとなると、やはりどうにも気まずい。
当の殿下はまるで気にする様子もなく、自分に手のひらを差し出していた。
背が高い。自分だって身長は低い方ではないが、それでも見上げるほどだ。190センチ近くあるのではないか。
肩幅は広く、胸板も厚い。分厚い騎士の制服に身を包んでいても分かるほどに、筋肉のしっかりついた逞しい体躯をしている。
隣に並んでいると、自分と似た体格の彼女がひどく華奢であるように見えて、慌ててその雑念を振り払う。
どこが華奢なものか。目の錯覚に騙されるな。隣に女性を並べてみろ、男にしか見えないはずだ。
余計なことを考えないために、ロベルト殿下の手を握る。
王族の手に触れるなどそうそう許されることではないが、差し出された手を握らないのはそれはそれで不敬だろう。
もとより礼儀作法などたいして詳しくないのだから仕方ない。
「武器は?」
「いつも組手ばかりだな」
「ではそれで」
ロベルト殿下が腰に佩いていた模造剣を剣帯ごと外すと、近くの木の根元に置く。
そして自分と向き合うと、軽く腰を落とした。
瞬間、ロベルト殿下から放たれた「気」に、自然と身体が対応する姿勢を取る。
対峙して分かった。
この人は……強い。
じりじりと頭の後ろを焼かれるような心地がする。
自分が身構えたのを手合わせの準備と受け取ったのか、エリザベス・バートンが勝手に開始の合図を出した。
「始め!」
彼女が手を挙げるのに合わせて、ロベルト殿下が拳を振りかぶる。
「はっ!!」
「ッ!?」
飛び退いたところに振り下ろされた拳が、地面を抉る。
地響きと抉れた地面、轟音。
背中を冷や汗が伝う。
いや、ちょっと待て。
それは死ぬ。当たったら人間は死んでしまう。
手合わせで人を殺す勢いの攻撃を放ってくるやつがあるか。
一気に後ろに飛んで距離を取る。
あいつと……エリザベス・バートンと手合わせしているときには、常に「手加減されている」感じがしていた。
こちらは斥候型だ。力押しで来られたら敵わないだろうし、それでは互いに鍛錬にならない。
それに対し正直多少は気に食わないところがあったのだが……今、その考えを改めた。
こんな馬鹿力で手加減なく挑まれては、命がいくつあっても足りない。
何とか攻撃を躱してこちらも攻勢に転じるが、まったく攻撃が通らない。
当てても軽く受け止められて、逆に間合いに入ったこちらが追い詰められてしまう。
とにかくフィジカルが強すぎる。全身で当て身でも食らわせないと体勢を崩せないだろう。
だがそれでもし逃げ遅れたら、あのパワーで繰り出された攻撃を、一発でも食らってしまったら……完全に終わる。
関節技や絞め技は入るので何とかそちらで勝負を掛けたかったが、向こうもそうやすやすとはやられてくれない。
結局彼女が「止め」の合図を出すまで、拮抗した状態が続いたのだった。途中からは相手が王族だというのも忘れていた。
互いに一礼した後、ロベルト殿下がのしのし歩み寄ってきて――もうこの時点でゴリラにしか見えない――自分の肩やら腕やらをべたべた触る。
「すごいな、身体が柔らかいのか」
「はぁ」
「さすがは隊長が見込んだ騎士だ!」
満面の笑みで見下ろされる。
その瞳は異常なほどに爛々と輝いていて、知らず知らずのうちに体が逃げを打とうと踵が後ずさっていた。
こちらの方が身長が低いはずなのに、まるで見上げられているような錯覚を覚える。
それでいてどこか、こちらを圧迫するようなプレッシャーを放つその瞳から、今すぐ逃げ出したくて仕方なくなる。
そうか、これが。
この爛々とした瞳に、圧にこもっているのが……期待という、ものなのか?
「今後もよろしく頼む!」
「今後?」
「ああ。またこうして連れてくるから、たまに相手してやってくれよ」
首を傾げていると、彼女がとんでもないことを口に上した。
ぽかんと口を開け放している自分を無視して、エリザベス・バートンがロベルト殿下を親指で指し示す。
「こいつ本当に馬鹿力で、しかも加減が下手なんだ。候補生が相手だと怪我させそうで」
「はぁ」
「だから君で力加減の練習をさせようと思って」
「はぁ!?」
「私も君と手合わせしているうちに感覚を掴めたからさ」
唖然としてしまう。
確かに加減をされているとは認識していたが……まさか練習台にされていたとは思わなかった。
ではもし……彼女が加減を間違えていたら?
この、ロベルト殿下を弟子に取るくらいの人間に、いや、ゴリラに加減を間違えられていたら……自分はどうなっていたのか。
さーっと血の気が引いていく。
「君なら私の攻撃も余裕でいなせているし、安心だ」
余裕ではない。
買い被りだ。勘違いされている。
全く余裕はない。いつも息も絶え絶えだしここ一年くらいは完全に負け越している。
「まぁ、君が嫌がるなら……ロベルトがお兄ちゃんに泣きつくことになるかもな」
にやりと口の端を上げながら言われた言葉に、顔が渋面を作っていくのを感じた。
これは、完全に脅しだ。
ロベルト殿下が兄である王太子殿下に泣きついた場合、どうなるか。
王太子殿下の執務室の警護に当たっていると、時折ロベルト殿下がやってくるが……王太子殿下はそれなりに面倒見のよい対応をしていた。
恋愛事以外では寛容で慈悲に満ちた方だ。たまにでいいから相手をしてやってくれと言われるのが目に見えていた。
自分が断れないのをいいことに、相手をさせる気まんまんの彼女が隣のロベルト殿下に呼びかける。
「3人戦とかどうだ?」
「いいですね!」
何がいいものか。
こちらは人間である。ゴリラ2体を相手にしろというのか。
自分は見ているのでゴリラ同士で戦ってほしい。
……結局のところ、この状況では自分に逃げ場はないのだが。
いつもいつも、どうしてこうも突拍子もないことに自分は巻き込まれてしまうのだろう。
飛んできた彼女の蹴りを受け止めながら、ため息をついた。
なお、その後ロベルト殿下が城壁を一部破壊してしまい、3人そろってしこたま怒られたのは、また別の話である。





