30.生理的微笑がどうとか社会的微笑がどうとか
最初はとぼけているのだと思ったそうだ。
取り調べを担当していた尋問官も、己の罪を軽くするために知らないふりをして誤魔化そうとしているのだと考えた。
しかし、ここまで散々乳児の話をしていたのである。今更そんなことをしても効果がないことは誰でも分かる。
次に、気がふれてしまったのかと考えた。
長い時間それなりに厳しい取り調べを受けている。可能性としてはゼロではない。
だが――乳児のこと以外では、受け答えはしっかりしているのだそうだ。
それまで言わなかった名前も、出身地も、すべてすらすらと答えた。ここしばらく――公爵家に乳児を連れて現れる2日ほど前から取り調べを受けるまでの記憶がすっぽりないことを除けば、異常は見られなかった。
これには尋問官も困ってしまい、奇妙な事態に首を捻るばかりだという。
◇ ◇ ◇
「この子、どうなっちゃうんでしょう」
知らせを聞いたクリストファーが、乳児を見ながらぽつりと言う。
乳児はこちらの事情などつゆ知らず、一人で機嫌よくほにゃほにゃ喋っていた。
「さぁ? 教会の孤児院あたりじゃないか?」
サイドプランクをしながら適当に応じる。
いくらやさしい世界とはいえ、さすがに素性の知れない乳児を引き取ろうという人間はそうそういないだろう。
一番ありそうな選択肢を答えたところ、クリストファーの表情が曇る。
「……うちで引き取れない、ですか?」
「クリストファー」
上目遣いをされても、そして我が家の誰もが末っ子の彼に甘いといえども――それは、いくらなんでも無理筋だ。
クリストファーもそんなことはもちろん、理解しているはずである。
名前を呼んだだけでそれはよく伝わったらしい。彼は目を伏せながら、乳児を見つめる。
「だって……本当のお母さんに、見捨てられるなんて。可哀想です」
はちみつ色の瞳が、ゆらりと揺れた。
私は立ち上がってそっとその肩を引き寄せると、彼の頭を撫でてやる。
実の母に捨てられたも同然の彼にとって……この乳児の境遇は、身につまされるものがあるようだ。
可哀想だと感じる彼の気持ちは否定しないが……だからといって、うちで面倒が見られるわけではない。
最後まで面倒が見られないのに手を差し伸べるのは、無責任というものだろう。
クリストファーが乳児に向かって手を伸ばす。
乳児はクリストファーの指を掴むと、きゃっきゃと楽しげに笑っていた。
指一本を、手のひら全部を使ってやっとこさ、握っている。クリストファーの瞳がまた一段と潤んだ、気がした。
生理的微笑がどうとか社会的微笑がどうとか。
生まれてすぐは親に愛されるために本能で笑顔を形作っているのが、己の意志で笑うようになる、らしい。
果たして今この乳児が笑っているのが本能なのか意志なのか、はたまたその両方なのか。
私には知る由もないことである。





