28.誰がキリストの母だ
「エリ様……ついに神になったんですか……?」
「誰がキリストの母だ」
家を訪ねてきたリリアがそんなことを言うので思わず突っ込んでしまった。
リリアはそっと声を潜めて、私に尋ねてくる。
「あの、本当に心当たり、ないんですよね?」
「あってたまるか」
「エリ様じゃなくて」
リリアがちらちらと周囲を窺った。
部屋の隅に侍女長が控えているが、彼女はプロだ。何を聞いたとて知らないふりをしてくれるだろう。
リリアがさらに一段、声を落とす。
「エリ様とお兄様、痩せてるときは結構似てたじゃないですか。その子のお母さんがお兄様とエリ様を見間違えたのかも……」
「怒るよ」
「真面目な話でふ、いひゃい、いひゃいれすエリしゃま」
頬をつまんでやると、不満げに眉を顰めて抗議された。
ため息をついて、頬杖を突く。やれやれ、リリアは前世できちんと保健体育の授業を受けていなかったのだろうか。
「あのね。お兄様が痩せたのはこの1カ月の話だろ。人間の子どもは1カ月では生まれないよ」
「あ」
リリアが口を開け放した。
分かればよいと頬を離してやって、紅茶のカップに手を伸ばす。
そう。お兄様の体積が減っていなければ、お兄様と私を見間違える人間などこの世にいるはずがないのである。
十月十日というくらいだ、人間の子どもが生まれるには時間が掛かる。痩せた状態のお兄様とあの母親との間に「何か」があったとて、その結果が生まれるには早すぎるのだ。
だいたい、お兄様は外にも出られず引きこもっていたから痩せてしまったという話だった。
出会っているわけがないのだから、間違えようがない。簡単なことだ。
「そんなことよりエリ様、いい加減何とかしてくださいよ」
「この騒動を『そんなこと』で片づけたのは君が初めてだな」
「そ、そうですかぁ?」
何故照れる。
件の乳幼児の件、アイザックに話してもマーティンに話しても、訓練場と騎士団の連中に見せても、全員唖然呆然と言った反応だった。
訓練場と騎士団では神妙な面持ちで「本当に心当たりはないのか」と聞かれたのでそこはリリアも同じかもしれないが。
視線で「何が」と問いかけてやると、リリアがだらんと机に体を預けて脱力した。
「北の国の王子様、ていうかあの双子です……もうお姉さんなんか、お見合い勧める親戚のおばさんみたいになってて、しょっちゅう教会に来てて」
「優良物件だと思うけどね」
「エリ様」
リリアがじろりと私を睨んだ。
すまし顔で受け流すと、じたばたと机を叩いて暴れ出す。
「怒りますよ! もう!」
「怒っても可愛いだけだよ」
「ぐぎぎぎぎ」
嘯いて鼻先を突いてやると、怒っているのか喜んでいるのか判別がつきがたい反応が返ってきた。
◇ ◇ ◇
「リリアさんは?」
「帰ったよ」
乳児の様子を見に行くと、先客のクリストファーがいた。
彼もすっかりメロメロなので、しょっちゅうこうしてベビーベッドに貼り付いている。
柵の中を覗き込めば、乳児がすやすやとよく眠っていた。
眠っていると静かなのだが……ずっとこうなら苦労しないものを。
「リリアも見てみたいって言っていたけど。せっかく寝てるのに、起こしたら面倒だからね」
「起きてたって大人しくて、いい子ですよ」
クリストファーがそっと、乳児の頬を指先で撫でる。
乳児が眠ったままで、クリストファーの指を掴んだ。
「ふふ、かわいい」
ふにゃりと幸せそうに笑うクリストファー。
この世の可愛らしさと幸福を詰め込んだような光景である。まるで天使がじゃれ合っているようだった。
彼の様子を横目に、やれやれと肩を竦める。
あまり情を移すと、離れるときにつらくなるぞ。





